第一章第二節
第二節 ディミ・エンプティ
晴れた空。白い雲。そんなに面白くない訓練。でも楽しい友人達との会話。それら全てがうずまいてくる。ディミと呼ばれる個体。その個体はいつしか死んでしまう。けど、今じゃない事だけは確か。もちろん、ここに急に核爆弾が投下されて死にました。って可能性もなきにしもあらずだけど。でも、そんな事は起こらない。カナイさんがいるし。それに今はウラルちゃんもいる。どちらにしろ、今は死なない。今は。…死ねない。
ディミ・エンプティは町を囲む壁を眺めていた。城のてっぺんもてっぺん。城郭の上にある灯台のさらに上。つまり、灯台の屋根に寝転んでいた。傍目から見れば自殺志願者以外の何者でもないだろう。それもそのはず、地上から上空八十メートル近くある。
「あ~、そっかぁ。明日には出ないといけないんだったなぁ」
溜息混じりの言葉。ディミは間違いなく忘れてはいなかった。口にすれば希薄な思いが強固な思いに変わるかと期待しての発言だった。それもあまり効果はないようだ。明日は大事な大事な時間移動の日。いつもは敵を封じ込める為に使っている時間移動だが、自分が入るのはこれで八回目。五回もやると慣れるものだ。が、副作用があるのも事実。そしてこの時間移動の意味を考えるとやはり気は進まない。何故私が?ー他に誰もいないから。何故やらなければいけない?ーそんな事考えるまでも無い。ディミの心とは裏腹に青空は白を追いたて、更に広がりを増そうとしていた。
上空八十メートルとは、聞く以上に恐ろしい光景になる。まず、普通の度胸の持ち主がそんな場所に安全装置も無しに登ってしまうと、大抵は動けなくなるか失禁してしまう。ディミには関係ない。度胸もあるし、何より、高いところが好きだった。何とかと煙はは高いところが好きというが、彼女にそんな言葉は似合わない。頭は良いし、何よりとっさの判断がずばぬけている。おまけに容姿も優れ、立場も申し分ない。羨望の眼差しを受けないはずはない女の子であった。女の子、というのは、彼女がまだ十六歳である事に起因する。そんな人物がいれば、二十世紀末、二十一世紀初頭の時代ならファンクラブなんてものができるのだろうか。が、この世界はそんな現象は起こりえない。この時代の日本は、戦場なのだ。戦争…。その世代に育ってきたディミにとっては、戦争というのは日常なのであった。日常すぎて、戦う事が彼女の本質を見出す。彼女自身は殺し、殺されの世界は嫌いだったが、仕方ないのである。
「でも…もしこの計画が成功すれば、私達は…」
「ディミ様~~~~!!!」
うるさいのが来た。と、ディミは条件反射のように心の中でつぶやく。
「なぁにぃ~?」
「そんな所に登って、滑って転んでしまっては、S級戦士の名が泣きますぞ~!降りて来なさ~い!降りましょう~!というより降りて来なさい~~!」
確かにうるさい人であった。顔は初老の顔をしているが、髪形は短く立たせてあり、体格もいいので実年齢より若く見える。この男は、白浜海しらはまかいという。身長は百八十を越え、厳格さを絵に描いたような人間だ。だが、どうもディミには弱い。
「分かったから、叫ばないでよぉ~。んしょっと」
「おわぁ!!」
ディミは八十メートルある高さから、白浜海のいる窓に向かって飛び込んだ。もちろんすんなり着地は成功している。
「ふぅ。で、何?」
「し、心臓に悪いです」
「わぁかったから。今度からは気をつけるよ。それで、何?」
今度からは気をつける、というのはまずありえない。今までそんなやり取りを何万回もこなしてきた海は、もう何も言う気にはなれない。
「はぁ…えぇとですな、国王様がお呼びです。明日の事についてですので、早急に行かれた方が宜しいかと…」
「了解~。でも、ちょっと寄りたい所があるんだけど…二人で」
「はっ?私とですか?」
「おかしい?昔は何かあったら二人で散歩してたでしょ?」
「いえ、姫からそのような事を言われるのは…」
ディミが上目遣いで…いや、睨んだ目つきで白浜を見つめていた。
「あ、あ~っと……ディミ殿」
「うん」
ディミは姫と呼ばれるのが、最近嫌になった。他の者との階級が開いただけで心が離れていく、という現象が起こるという文献を読んで、安直だが、人は平等だという論を提唱しているディミにとっては実践をしなければならない。ちなみに、白浜海は二週間前には「姫」と呼んでいたので、すぐに呼び方を変えるというのは難しい事で、難儀していた。
「ひ…ディミ殿からそう言われるのが久しぶりなもんで、少し驚いてしまったのですが…」
「うん…まぁ、今回はやっぱり重要な事だから伝えておこうと思ってね。」
「はぁ…」
二人は白浜の居た部屋を出て、中庭へと出る階段に向かった。そこが幼少の頃、よく白浜とディミが一緒に散歩をし、話をし、そして笑った場所であった。しかし、それも十年前までだった。ディミが八歳になる頃には、もう既にディミは白浜の戦友となっていた。白浜は悲しかった。まだ年端もいかぬ子供が。それも将来一国の主になるべき人物が、前線に出て戦う事など、耐え難かった。しかし、戦場でのディミを見て、彼は思った。彼女がいれば、この戦争に勝利を収め、そして最高の指導者になれるだろうと。そして、それから時は経ち、ディミももう十六歳になっていた。他愛もない話が続き、軽く間をとってディミが再び話し出す。
「私ねぇ…なんだか最近夢を見るの」
「夢…ですか」
「そう、夢。怖くて、安らかな夢。私が死ぬ夢」
「死ぬ!?」
「し、し~!!海にしか教えてないんだから!!」
「は…いや、しかし、まぁ、夢ですからなぁ。そんなものはあまり信用できません。何より姫は死にません。わしが居ますから」
「ん。ありがと」
ディミと海は姫と従者という関係よりも、共に生きてきた家族という言葉の方が彼らを表すのに適しているのかもしれない。それほど強い絆で結ばれているのだ。
「で…ひ…ディミ殿。好きな男性などはまだできませんか?」
「ちょっと。何でそっちの方に話が進むの」
ディミが呆れた顔をして言う。
「仮にも私が重い話の相談をしてるって時に、そこでどうして好きな男の子の方が話題にあがるのよ」
白浜は少し慌てて、
「いえ、もちろんディミ殿の事を案じております!!ですが…もうそろそろ結婚というのも考えておいてもらわぬと、国王が安心できませんので…」
「もちろん私は恋愛結婚しか考えてないわよ。本の中で読んだ白馬の王子様が必ずやってくるわ!そしてそれは十八歳なの!…そんな気がしてならないわー‼︎というか、そうなるのっ!」
若干ヤケクソ気味に見える。海はふぅ、と溜息をつく。口元に仕方ないなぁ、という笑みを浮かべながら。
「まぁ、心配しないで。…結婚はするから。というより、海こそ結婚したらどうなの?」
「私は結婚はもうこりごりです」
白浜はバツイチだった。
「はははっ。んじゃぁ、お父様の所に行ってくる~」
「はい。行ってらっしゃいませ」
ディミは走って廊下へ出て行った。
「姫も…もう結婚という歳……か………」
「姫っていうな!!」
「まだ行ってなかったのですか!!早く行って下さい!!」
「はいはいは~い」
「はいは一回で宜しい!!」
「は~い」
今度こそ走っていくのを見て、少し物思いにふける白浜。少しだけセンチだった。
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王室の前についたディミは、王室を守っている守衛に挨拶をすると、大きな門を守衛に開いてもらい、中に入る。中に入ると、国王である父が、大きな椅子に………
「お父様。影で麻雀をするのはやめて。って何度も言ってるでしょうが」
大きな椅子に座っているのはよく見ると、へのへのもへじと書かれた布を着させられ、ぐで~…となっているカカシだった。
「お~ディミ~。お前強かったよな?代わってくれんか?こいつら国王に対して加減というもんを知らん」
その中で腹巻にステテコパンツを履いた兜だけ何故か異常にゴージャスな親父が言った。
「あ!国王ひでぇ!今単に自分がミスしただけじゃないっすか!」
「ほんとだよ!ひでぇひでぇ!」
「あそこで一萬きるから……」
国王とやらは物凄く非難されていた。
「ほらほら。私に用があったんでしょ?皆、解散解散」
「へ~い」
「はい~」
「ディミちゃん。またね」
顔見知りのおっさん達は大きな門の向こうへ消えていった。
「で、お父様。何?まさか麻雀する為とかじゃないよね?」
「ふふふ、だとしたらどうする?」
「ボロ勝ちして、二度と麻雀打てなくさせてあーげるっ」
「……。えーと、明日の事なんですが…」
国王は焦った!
「二十一世紀初頭に飛ぶわけだが…」
「うん。どうでもいいんだけど、服着ながら話すのやめない?お父様」
「はははっ。わしとディミの仲じゃないか」
「まぁいいんだけど。城外の人達には見せられないなー。で、飛ぶわけだが、の続きどぞ」
服を着替えながら真面目な顔で続ける。腹巻に服の装飾品がひっかかって中々上まで持ち上がらないのが妙に笑えた。
「実はだな、お前に服を用意した」
「服?」
「うむ。二十一世紀と二十二世紀とではさすがに年代が違うからな。似ている部分こそあれ、根本的には時代が違うわけだ。そこで、この中から服を選べるぞ。もう勉強していると思うが、参考文献はそこの机に置いて…あるっ!」
気合を入れて腹巻を押し込みながら服を着た。国王はあまりに親父だった。
「へぇ~。これが二十一世紀初頭の服かぁ~。でも、やっぱりあんまり変わらないんだね。これなんか訓練生の服にそっくりだけど」
国王の動きには目もくれず服を選び始めた。服の中にはチャイナドレスや何故かメイド服まであった。可愛い!とはしゃいでいたので、ディミもまんざらではないようだ。動きにくいという点で却下とあいなったが。
「じゃぁ、これで」
「ふむ…それか」
それは、ディミが今着ているものと似ている、タートルネックの首まですっぽり覆いかぶされる長袖タイプの服だった。色は黒で、一見綿素材のようにも見えるが、特殊な素材だ。パンツは青色の薄いGパン。かなり地味な佇まいだが、ディミは足も長くスタイルもいいので十二分に来こなしていた。
「よし、では、明日の朝、これを着て行ってもらう事になるな。……無理を言って、すまんな」
「な~に言ってるの。私は自分から望んで行くのよ。そんな寂しそうな顔しなくてもいいよ。必ず、いい結果を!」
「うむ…。頼む。では、これから食事にするとするか」
「私は、下で食べる~」
「久しぶりにわしと食事しようよぉ~」
「帰ってきた時のお楽しみにしておこう。ね」
国王は少し目を下に向けたが、すぐにディミを見てこう言った。
「うむ。You'll be back!!」
ディミと国王は親指を立てて、本人たちの気持ちを確かめた。
ディミの、下で食べる、という言葉は、城下町で食べるという意味だ。城下町でアイドルと化していたディミは城下町へ行くといつももてはやされ、少々大騒ぎになることもしばしばで、多少困っていた。最近では、城下町の気前の良い定食屋のおじさんに隠し通路を教えてもらって、そこから人通りの少ない路地に入り、色々な店へ行き、食べるのがディミの最近のマイブームだった。城下町は戦争と密接に結びついている。大きな噴水のある広場があり、そこには多くのリサイクルショップがあった。リサイクルショップとは名ばかりの、武器屋だ。戦争で使われ、廃棄された盾や剣が一度溶解され、そして固められ、鉄になる。そしてまたある武具に変わる。その光景は、戦争という二文字を民衆が理解するには容易な光景だった。その広場には、昔、多くの買い物をする老若男女が混み合っていた。広場は交通機能として、色々な場所へつながる場所だったのが、今では、わざわざあの凄惨な光景を見に行かなくても、という、利便性よりも不快感が勝ってしまう程の場所になってしまった。逆に、ディミは人が少なくなった故にそこへ行きやすくなったのだが…。街には木々が溢れ、光も沢山入り込む事もできる素晴らしい設計が、今の戦争という現実に押し潰されているのだ。城下町は字の通り、城の下に広がる町だ。昔、この国が日本だった時、ここは東京と呼ばれた。ある時を境に首都機能は麻痺し、コンクリートの寄り固まった都市は現在、大きな城を築き、むしろ時代に逆行した出で立ちをしている。江戸とは比べ物にならない広さを有しているおり、城下町という規模には当てはまらない規模の巨大都市とも言える。そして特筆すべきは、巨大地下都市でもあるという事だ。地上も人は多く住んでいるが、むしろ地下に住人は集約されている。地下鉄が縦横無尽に走っていた頃と比べ、清浄され、整備され、区画分けをされており、人が住むのに適した環境へと変貌を遂げている。また、迷路のような地下茎を利用し、軍事拠点にも利用されている。そして、城の真下に位置する地下にはより一層厳しく管理されている、一部の者しか入れない特区があり、重要機密を扱う。いつしかその町は「旧東京第一地区」と呼ばれていた。
ディミがお気に入りの「蕨」という定食屋から出ると、おーい、と呼ぶ声が後方から聞こえた。
「おやディミちゃん。今日はどこに行くんだい?」
体つきのいい、というより筋肉のつき方が、男を思わせるおばさんが来た。
「あれ?カナイさん?今日は祈りの間はウラルちゃん?」
「そうなんだよ。あの子の方が最近は力が強いからねぇ」
「でも、本当に毎日毎日、大変だね」
「あぁ~、まぁ、慣れたね。十時間我慢すればいいんだから。あんた達はもっと大変じゃないか。戦争に出たら死ぬこともあるんだから」
すこしごつい手でディミの髪をくしゃくしゃとしながらカナイは言う。
「まぁ、慣れたよ」
ディミはカナイと同じような口調で返答した。
「ははははは!あんたを心配する必要なかったね!それより、明日、行くんだろ?気をつけなよ。昔は鉄砲が普通に撃たれたらしいじゃないか」
「それはアメリカとかなんだけど…。私が行く日本は二千一年で、安全真っ最中の時代なんだよ」
「んー、そうかいそうかい。でも、今回は初めて人間を連れて来る気なんだろ?」
「うん…」
「ん……大丈夫かい?」
「うん。オーケイオーケイ!信じておいて!!」
カナイは何かを言おうとして諦めた。そしていつもの豪快な張り手をディミの背中に打ち込み、手をひらひらしながら城の方へ消えていった。いつしか空は、濃い紫がかかってきていた。
食事を終えたディミは、空の美しさを出来るだけ間近で感じたくて、白浜に注意されたばかりだというのに、また同じ地上八十メートルある場所に座り込んでいた。
「ふんふんふーん」
昔、父から聞かされた懐かしい音楽をくちずさんでいた。母が好きだったというそのメロディーは心を穏やかにしてくれる。…今回は今までと違い、人を連れて帰って来る。それは、ディミにとって恐怖。勝手。我儘。そう、それは多くの人間を導くディミにとって、排除しなければならない煩悩。しかし、そこには意思がある。意志がある。誰にも邪魔はさせない。この決意はたとえ勝手で我儘だとしても、貫く覚悟はできている。
「レイチェル…。私はこの国を…皆を守りたいの…。私は、我儘だから…」
ディミは、満月に手を伸ばし、満月を握った………。
夜が来た。深夜、ディミは城の地下六階へ来ていた。ディミだけではない。三百人程の人間がいた。白浜海は先程会った時とは違い、鋭い目つきで誰をも寄せ付けないオーラをまとっている。王はその先頭で、貫禄をほしいままにしている。ディミが足を正しながら敬礼をする。続き、三百人の一斉の敬礼がディミを送る。
「じゃぁ、行って来ます」
「うむ。…ディミよ…。わしは、お前を信じている。世界はお前を見捨てない。我らが見捨てない。例え時間を越えたとしても、我らは常に一つだ!お前には力がある!しかし、我らにも力がある!お前は一人ではない。常に我らと共にある!……お前の帰還を心より待っておる。……戦士ディミに、敬礼!!」
ザザッ!!!!
「……。ふっ……」
ブオォォォォォォォォォォォォォ……ヴュヴュヴュヴュヴュ
少しの気合と共に、ディミの右手から黒い空間が現れた。周囲の気温が下がる。空中の水分が意思を持ったかのように氷った音をかき鳴らす。黒い空間は真ん中の上下から裂け、二本の線に分かれていき、ディミを挟み、近付いてくる。そして、二本の線は球体へと変貌していき、次の瞬間、一瞬にして縮みこんで行き、黒い空間がなくなっていった。
「ディミ……頼む……ぶぇっくしょい!!ぞ」
後方で、何人かの堪え切れないザワザワが広がった。
ディミは今、黒の中を進んでいる。そこは所々に雲の切れ目のように光が差し込んでいる。願えば体が動いて行く。時間を指定すれば勝手に連れて行ってくれる。一体、誰が何のためにこの力をディミにもたらしたというのか。物心つく前から能力は使えたらしい。そして、誰も何も言わないが、能力の開眼時には誰もが必ず周りを巻き込む。そして、恐らくそれはディミにとって、母親だったのだろう。母はとても綺麗な人だったと。そして、お茶目で、頭がよかった。そんな人を、ディミは自分が殺したと思っている。そう思わなくては、自分の能力に対する責任を持てなくなってしまう。誰にも告げる必要のない、誰にも分かってもらわなくてもいい、自分への戒め。それが心の一番奥底にこびりついて、能力を使う時にいつも自分に向けて思う事がある。「死んじゃえばいいのに」だ。簡単に死ぬなという立場の人間が抱えるには余りにも矛盾した言葉が棲みついているものだ、と他人事のように感じている。ただ、ディミには今、重要な任務が与えられている。今は。…死ねない。今は死なない。
「ん…もうすぐ着くみたいだ…。どうか、良い人と巡り会えますように…」
ディミは肩に震えを感じ、意識してその緊張をふり解いた。今そこに、出会いが始まる。