綺麗事ばかりの貴方へ贈る、本当の幸せへの道。
適正ジャンルが分かりません。
どんなに辛くても、我慢していれば幸せになれる。
きっといつか誰かが自分たちを救い出してくれるはず。人生の幸せと不幸せはちょうど半々で、いまが辛いのなら、いつかはきっと誰もが羨む幸福を得ることができるはず。
それが母の口癖だった。
誰よりも優しく、誰よりも不幸な目に遭っていた母。いつ頃からか知らないが、貧困街で父と結ばれてアタシを身籠った。それを彼女は幸せだと語っていたけれど、とんでもない。
アタシが物心ついた頃には、家庭内は怒号と悲鳴に満ちていた。
毎晩のように酒に溺れて帰ってくる父に、全身が傷だらけになるまで暴力を振るわれる母。そんな光景をただ見つめることしか、ただ耐え忍ぶことしかできないアタシ。そんなアタシに母は決まって、そんな口癖を語って聞かせるのだった。
ハッキリ言って、馬鹿げていると思う。
アタシが一人で家事ができるようになった頃、父はどこか別のところに女を作ったらしく帰ってこなくなった。残されたアタシと母に、束の間の平穏が訪れたと思った。
だけど、そんなのはまやかしだ。
父が残した借金を取り立てるといって、知らない男たちが家に上がり込んできた。身ぐるみはがされて、僅かな生活費もすべてを奪われて、母は凌辱の限りを尽くされる。
そんな光景をただアタシは、見ていることしかできなかった。
助けを呼べば、矛先はきっと自分に向かうから。
不幸中の幸いというやつか、未熟な身体に興味を持つ奴はいなかった。
いいや、こんな幸せなんて気休めにもならない。だってアタシで発散できない苛立ち、情欲のすべてを男たちは母にぶつけるのだから。母は毎晩のように悲鳴を上げて、泣いて許しを乞うていた。
それでも朝になり、二人きりになると、またあの口癖を語る。
その思考はもはや一種の信仰に近いように、当時のアタシには感じられた。
そして思う。
本当に神様というものがいるとしたら、母はこれほどまでに苦しんだか。ただ好きな男との間に身籠ったばかりに、アタシを産んだばかりに、ここまでの仕打ちを受ける必要はあったか。それと共に、こうも思うのだ。母はいつまで、そんな『綺麗事』を語り続けるのだろう、と。
「馬鹿げてる」
アタシは母の屍を前に、そう呟くしかできなかった。
いったい何が、というのも変な話だけど。こんな死に様を晒すことになった母の生涯についてか、あるいは散々口にしていた綺麗事についてか、はたまた母を貶めた人々に対してなのか。そこまで考えて、アタシはようやく理解した。
一番馬鹿げているのは、自分自身に他ならない、ということに。
何を期待して、母の傍にいたのだろう。
何を期待して、なにも行動しなかったのだろう。
綺麗事はあくまで、綺麗事に過ぎなかった。
そんなのとっくに分かりきっていたのに、アタシは馬鹿なほどに優しい母親から離れられず、なにもしてこなかった。無為な時間を過ごし続けて、そのことを知るのに十五年も月日を経ていた。自分はもう一人立ちできる。いいや、身寄りもないので独り立ちしなければならない。
それを決意した時、もう一つ。
アタシは土を被せただけの母の墓前に、こう語り聞かせた。
「アタシは、母さんを絶対に認めない。幸と不幸が半々なんて、絶対に嘘だから。貴方みたいな他人任せな半端な人は、絶対に認められない。アタシはアタシの力で、必ず幸せを掴んでやる」
そう告げて、アタシは母の墓に背を向けて歩き出す。
だけど貧困街に生まれ育った穢れた自分を必要としてくれる人は、当然ながらどこにもいなかった。街を歩けば眉をひそめられ、酷い日には石を投げられる。それでもアタシは、誰かに頼ることもしなかった。幸せは自分で掴みに行く。その一心で飛び込んだのは、冒険者ギルドだった。
ここなら経歴なんて関係なしに、命を懸けられる者を募っている。
幸いなことに、アタシには人並み以上に魔法の素養があったようで、少しの鍛錬で下級のそれを使いこなすことができた。それでもまだ、たった一人で生きていくには足りない。
冒険者の稼ぎなんて、上澄みを除けば一日一食分を稼ぐのも一苦労だった。その例に漏れず、アタシだってどこにでもいる冒険者の一人にすぎない。だけど自分の足で生きていくと決めたのだから、ここまできて立ち止まっていられない。
アタシは少しでも魔法の腕を上げるため、躍起になった。
周囲の制止を振り切って、到底敵いもしない魔物に単身で挑んだ時もあった。もちろん、その報いを受けて左腕を失った。だけど、利き腕ではないのだからまだ大丈夫だ。
足はまだ動く。
最低限、口さえ動くのなら魔法は使える。
アタシはまだまだ、一人でも生きていけると信じていた。
「あまりにも、痛々しいよ」
そんなアタシに、声をかけたのはとある剣士の青年。
最初は喧嘩でも売られているのではないか、とも思ったが、どうやら奇妙なことに彼はアタシを本気で心配しているようだった。それでも自分は構わないでくれと突っぱねたが、そいつは頑として引くことはしない。毎日のようにアタシに声をかけて、毎日のようにクエストについてきた。
そうしているうちに、アタシはそいつとパーティーを組むことになっていた。
正直なところ鬱陶しくて仕方ないのだが、人手が増えるのは良いことだ。そのように考え直して、一人では行けなかったダンジョンの奥まで潜り始める。その最中に知ったのは、剣士もまた貧困街の生まれであるということ。
両親を幼くして亡くし、冒険者稼業の真似事を続けてきた。
その境遇にアタシは少しだけ自分を重ねたが、こんなお人好しとは一緒にはなれないと思う。自分はここまで間抜けではない。むしろ何を間違えれば、ここまで誰かのために一生懸命になれるのか。
そう考えながらも、日々は過ぎていった。
気付けば剣士とアタシは成人し、ひとかどの冒険者と呼ばれるようになっていた。道連れに志願する物好きな奴らも増えてきて、活動の幅も広がっていく。そんな中でも、アタシはやっぱり剣士のように上手く周囲に馴染めないでいた。
いいや、馴染むべきではないとさえ思う。
もし彼らに気を許してしまえば、アタシの中にある何かが壊れる気がした。
「――ねぇ、僕たち結婚しないか」
そんな頃だ。
剣士が何の冗談か、アタシにそう言ったのは。
当然ながらこちらは聞かない振りをしたのだけれど、やはりこの男はしつこい。毎日アタシに告白をしては、断られて凹んで、また次の日に告白をする。そんな毎日を続けているうちに、次第にそのやり取りすら面倒くさく思うようになってきた。
だったら、この剣士の口を塞ぐには一つしかない。
こいつがどこまでも諦めの悪い奴というのは、長年の付き合いで知っていたから。
「おめでとう」
――いったい、何がめでたいのか。
アタシが告白を受け入れたと知った時、周囲の冒険者はこぞって祝福の言葉を並べた。それが鬱陶しくも、面倒にも感じられて仕方ないが、しかし不思議と悪い気ばかりではない。その感情の出どころが分からないのだが、どことなく足が浮ついているのもあった。
そこに至ってようやく、アタシはそれが『幸せ』なのだと理解する。
いままで、手を伸ばしても掴めなかったもの。
それがいつの間にか、手に入っていた。
そのことが、嬉しくて仕方ない。
アタシはそれに気付いた翌日、いつになく上機嫌でダンジョンへ赴いた。だが、それが良くなかったのかもしれない。
「良かった。キミが生きていてくれて、本当に良かった」
泣きながら、剣士は横たわるアタシにそう語りかけた。
アタシは気が抜けていたらしい。魔物に不意を突かれた結果、今度は右足を失った。これではもう、冒険者としては廃業するしかない。
そう考えると、途端に喪失感が襲ってきた。
成り行きで始めたこの稼業も、気付けばアタシの一部になっていたのだ。剣士だけにとどまらず、多くの『仲間』に恵まれて、アタシの生きがいに変わっていた。
そこでようやくアタシは、自分がどれだけの『幸せ』に出会ったのかを知る。
あまりに遅い。あまりに遅すぎる気付きに、呆然とするしかできない。
だけど――。
「大丈夫だよ。キミを大切に想う人は、たくさんいる」
剣士は勇気づけるように、そう言うのだ。
結婚の約束をしたアタシだから、というわけでもなく、こいつはいつも優しい。きっとその優しさはたくさんの人に向けられるもので、アタシだけの特別ではなかった。
そう考えた時、アタシは一つの決意をするのだ。
「別れよう、アタシたち」
――婚約の破棄。
アタシは剣士にそう告げて、それ以降は口を噤んだ。
あからさまに彼は狼狽えていたけど、それでも何も答えなかった。応えれば感情が、本心が溢れ出してしまう気がしたから。
子供も産めなくなったアタシに、アイツはもったいない。
使いものにならなくなった自分なんかより、きっと相応しい女性がいる。
「そんなこと、ないよ」
そう思って引きこもり、どれだけの時間が流れただろう。
ある日、一人の女性が訪ねてきた。黒髪に黒の瞳をした淑女だ。彼女はあまりにも自然な形で、アタシの隣に腰を落ち着ける。そして、自分の話をするのだった。
曰く彼女もまた、腕と足を失った経験がある、とのこと。
婚約者もいたのだが、その人とは別れようとも決意したのだという。だが――。
「貴方の不幸は、果たして彼の幸福かしら?」
その言葉が、胸に沁み込んできた。
アタシはこれまでずっと、自分の幸せばかりを考えてきた。それがいつの間にか、誰かの幸福を祝うようにさえなって、そのためと思い身を引くことすら考え始めている。
それもこれも、アイツと出会わなければ知らなかったこと。
アタシはいよいよ自分が分からなくなった。ただ一つ、確かなことがあるとすれば――。
「アタシは、もう一人はいや……!」
他でもない、アイツと幸せになりたかった。
誰にも譲りたくない。アイツを一番知っているのは、他でもないアタシだ。
「だったら、もう『我慢』しなくていいんだよ」
その時だった。
アイツが部屋に入ってきて、そう言ったのは。
そして、アタシのいるベッドの傍までやってきて言うのだった。
「キミは頑張りすぎだよ。だから、これからはもっと頼ってほしい」
その言葉は、アタシの感情を決壊させるには十分過ぎる。
涙を流したのはいったい、いつ以来だろうか。
ただもう、そんなことはどうでも良かった。
一つ間違いないのは、この剣士がずっと傍にいてくれる事実。
アタシなんかが幸せになって良いのかと、そう思う暇すらなかったのだ。
◆
「ここが、キミのお母さんの?」
「……うん」
――それから月日が流れて。
アタシの左腕と右脚には、特注の義肢が付けられていた。とある腕の良い修繕師に掛け合ってくれた、とのことだが、それはまた別の話。
いまアタシと夫は、始まりの場所に戻ってきていた。
「母さん、その……ただいま」
ずっと放置してきた墓があった場所に、花を供えながら。
アタシは初めて、帰宅の言葉を口にした。
「アタシね、たくさん頑張った。母さんに負けたくなくて、ずっと」
そしていま、幸せな暮らしを手に入れたのだと。
いままで目を背けていた過去に、そう語りかけるのだった。
「母さんは、幸せだった? こんな不出来な、親不孝な娘をもって、本当に後悔しなかった? いまじゃもう、分からないことだけど――」
それでも、訊かずにはいられない。
母さんはいったい何を思い、何を幸福と考えていたのか。
「アタシね、いま幸せだよ。……ホントに、もったいないくらい」
そして自然と、そんな言葉が出て。
アタシは――。
「あ、れ……?」
ふいに、幼い頃の母の言葉を思い出した。
それは本当に、優しい温もりの中にあった遠い記憶。
『わたしはね、貴方が産まれてくれたこと。それだけでもう、何も要らないくらい幸せなの。だからね、わたしのためにも貴方は――』
――涙が、止まらない。
思い出した。
母さんは、ずっとアタシに語っていたのだ。
束の間の安らぎの中で、泣きじゃくるアタシをあやしながら。
『わたしに負けないくらい、幸せになってね?』――と。
どうして忘れていたのだろう。
ホントにアタシは、駄目な娘だった。
こんな大切な言葉をずっと忘れたままで、母さんを置き去りにして。それが申し訳なくて、悔しくて、情けなくて仕方なかった。
謝罪の言葉が、口を突いて出てきた。
「ごめん。ごめんね……?」
――でもホントに、その言葉が正しいのか。
アタシは母さんの笑顔を思い出し、必死に正しい言葉を探した。
そして、ようやく見つける。
もう届きはしない彼女へ、いちばん伝えたかったそれを。
「ありがとう……!」
アタシはいま、幸せだよ。
母さんに守ってもらった日々から歩いて、ここまできたよ。
そう、いままでの『道』を語るようにして。
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