日陰者の帰還
覚えのない"転生者狩り"の存在を聞いた次の日、シュウは静かに家の戸を開けて、まだ日の昇らない仄暗い空の下に一歩を踏み出した。風は穏やかで、暖かくはないが寒くもない。術札を備えたベルトとナイフは相も変わらず体に馴染む。以前と同じように、魔力を骨に、肉に、皮膚に、そして空間に滑らかに流し、あらゆる魔力の輪郭を撫でる。少しばかり緊張はあるが、体調はいつになく万全だった。一呼吸おいて、明るくなり始めた東の空に背を向け、村の出口へと歩く。入った時は気づかなかったが、入り口には小さな門が構えられていた。魔力探知によって、そこが村を覆う結界の境界面でもあることを理解した。この先はリエル森林。世界でも有数の魔物の発生地であるこの森は、列強諸国の開拓を跳ね除け、冒険者の立ち入りを一切許さない。
「よし。」
シュウの目が鋭く澄んだ。魔力探知の範囲を限界まで拡張しつつ、それらを髪の毛のように細く柔らかく練る。同時に、それ以外の魔力を自身の骨に沿わせるように体内へと押し込んだ。そして最後に、術札アミュレットを取り出し、魔力を流し込む。術札アミュレットに刻まれた構造式の一部が僅かに発光すると同時に、シュウは走り出した。ルートは直線。最高効率で魔物を避け、あるいは無力化して突き進む。
真昼時、シュウは走り続けていた。村へ行くために走った時は村人を警戒していたため、その時よりもかなり進みは速い。木の種類や魔物の数からして、既に残り半分といったところだろう。走りながら、ザックに貰ったパンと干し肉を食べた。当然のことだが、高速走行中に硬い干し肉を食べるのは大変だ。いつもならもっと小さく食べやすい兵糧丸のようなものを携帯しているのだが、そこまでは用意できなかったので仕方ないと割り切り、よく噛んだ。
そして日暮れ直前という時合になり、とうとう魔力探知に衛兵の姿を捉えた。途中でのルートのブレに加えてトゥテルの国境はかなり広い範囲でリエル森林と隣接しているためここがどの関かは正確にはわからない。しかし、衛兵の人数は比較的少ない方だ。拒絶結界はあるが、対魔物用に調整されているためシュウであれば魔力隠蔽だけで通過できる。このままでも侵入できるという確信はあったが、どうせもうすぐ日が暮れるからと暗くなるのを待つことにした。
危うげもなく侵入は成功した。そして次の目標は、相談役に会い、ウーナを始めとする転生村の転生者たちの暗殺成功を報告することだ。そうすれば巷で起こっている転生者の怪死事件が自分の独断専行によるものではないことを示すことができ、上手くいけば相談役の知恵と情報網を利用できるかもしれない。基本的に接触は相談役側から持ち掛けられるのだが、こちらから呼びかける方法もいくつか存在する。その1つをこれから実行する。街を歩いていると、特殊な傷跡が刻まれた金属製の蝶番を見つけることができる。これはシュウのような暗殺者に向けた窓口の印だ。
「あった。」
街並みは暗く、蝶番は汚れているが、確かに見覚えのある傷跡だった。シュウはそのまま裏口に回り、ノックをする。そして、合言葉だ。合言葉は不定期に変更されるため、シュウの知っているものが今も通用するかは賭けだったが、鍵の開く音は間もなく鳴った。中にいたのは女性だった。肌は薄汚れており、髪も伸ばしているが手入れは行き届いていない。唯一綺麗なネックレスは親の形見といった感じだ。仮初の姿だとわかってなお、この環境で生きる人間として説得力のある立ち居振る舞いは完璧と言える。彼女もまたシュウと同じ影の世界に生きる者として、洗練された能力を有していると理解させられた。
「あそこだよ。」
女性は部屋の隅にある小さなテーブルを指さし、優しい声でそう言った。そこには雑貨に紛れて電気通信の装置があった。相談役が以前話していた内容に拠れば、念話魔法は盗聴魔法の発展により安全性が低下傾向にあるため、新たな通信手段として最先端の技術である電気通信装置を配備し始めたとのことらしい。使うのは初めてだが、使い方は知っている。送る情報は、シュウ自身を示す496という数字と、装置に記された識別番号である9。これで、少なくともシュウ自身の居場所を相談役に伝えることができるはずだ。十数秒後、装置についた受信装置が振動し、それによって備え付けられた用紙に不可解な模様が刻まれた。シュウがそれを見せると、女性は少し考え口を開いた。
「明日早朝、とのことです。」
その時刻は、シュウの想定よりもかなり早かった。これまでは連絡から実際に会うまで丸一日ほどかかることが多く、加えて今回の任務は期間不定だったため3日ほどかかるというのがシュウの予想だった。想定通りであればその間にニュースや街の様子、事件の現場などを確認する予定だったが、流石に夜のうちに全てを行うのは難しく、怪しまれる可能性も高い。大人しくここで夜を過ごすことにした。シュウがそれを伝えると女性は食糧を持ってきてくれた。パンと水と干し肉。昼に食べた物より丁寧に加工されていたが、どこか味気なかった。
「ごゆっくり。」
その言葉と微笑みを最後に、部屋の扉は小さく軋みながら閉まった。シュウは部屋を一望する。そこにあるのはトゥテルで一般的なベッドと、小さな燭台の置かれた粗削りの机、背もたれのある素朴な椅子、そのくらいだ。シュウは椅子に腰かけ、装備を整える。このナイフはシュウが訓練時代から愛用しているものだった。愛用とはいっても、シュウの暗殺は相手の魔力を利用して体内から破壊するものであるため、暗器として使ったことはない。今のシュウにとっては、唯一の共犯者だった。ちょうど装備の手入れが終わったころ、家の外に人の気配を感じた。部屋に時計は置かれていないが、窓から僅かに差し込む月明かりからすれば既に12時を回っていることは明らかだ。トゥテルの治安は悪くないが、この辺りはリエル森林に近く、夜に出歩くのはそれなりの危険を伴う。少なくとも、警戒には値するだろう。そう思って魔力探知を発動した矢先、その人影は魔法発動の兆しを見せた。
パン
という音と共に窓ガラスが破れ、続けて飛来した火球が、部屋中を照らした。火球はちょうど扉の上部に着弾し、梁を焼き落として出口は塞がれた。シュウにこの手の暗殺の経験はないが、延焼にかかる時間は知識として知っている。そこから導き出される今すべき行動、そして敵は次の魔法を準備しているという現状。今しかない。シュウは身を捻り、勢いよく窓から飛び出した。敵はすぐにこちらに狙いを定めるが、既にシュウの手元には発動寸前の術札が握られていた。
【貫く矢】
空気をつんざくように放たれたそれは、魔力を細く圧縮し、矢のように放つ単純な魔法だった。魔力をそのまま使う性質上自分自身にすら矢が見えず、狙いがぶれやすいとされるこの魔法は、シュウの圧倒的な魔力制御技術によって、不可視必中必殺の矢と化し、敵の肉体を穿ち抜いた。




