転生、じゃなくて転居
記憶を取り戻した、というといささか大げさではあるが、ともかくシュウは記憶を取り戻した。自分の体調不良の原因も分かり、そしてその不調も目の前の女性によって解決されているので、ここに居座り続ける理由はシュウにはもうなかった。しかし、自分に行く当てがないことにも気づいていたシュウがどうしたものかと悩んでいると、心配して見ていた女性が声をかけた。
「あの、もしかしてお家のことで悩んでいらっしゃいます?」
酔いの余韻でぼーっとしていたせいで、彼女の存在を忘れていたシュウは反射的に魔力を尖らせ、そして自分の粗相に気づいてすぐに収めた。自分の考えていることを言い当てられたことに困惑しつつも一度落ち着きなおして向かい合った。改めて見ると、女性はかなり珍しい容姿をしていた。髪は黒いが目は鮮やかな青緑色で、身長はかなり高く肌は健康的に白い。シュウは人の美醜には疎かったが、それでも彼女が美人であることは理解できた。また呆けていたシュウの顔をシエラがのぞき込むようにしてようやく、シュウの頭は冴え始めた。
「ああ。はい。そうです。空き家でもあればいいんですけど…あ、お名前。」
「シエラです。シエラ="クラシス"=オービス。この村に空き家はないですよ。ソウジさんなら頼めば建ててくれると思うけど、半年はかかるから仮住まいは必要ですね。うちは狭いから、メモリアさんたちのところへ行ってみてはいかがでしょう。あそこは広いし、ホムラさんはあなたのことを気に入っているようでしたから、一部屋くらい貸してくれると思います。」
シエラは親切に丁寧な助言をくれた。ホムラへの苦手意識は依然としてあるが、親切な彼女の助言を無下にすることもないので従うことにした。シエラの家を離れる時、シエラは数切れのパンと乾燥野菜と菓子をくれた。磨かれた短剣と綺麗になった服は、シエラの甲斐性を物語っていた。
その後シュウは、言われた通りに少し離れたところにある大きな屋敷へと向かった。門の前に立つと実感したその大きさは、貴族の屋敷にも匹敵するほどだった。シュウはホムラの顔を脳裏に浮かべて、門を叩く。すると間もなくして、小さく門が開いた。
「どちらさま。」
聞こえた声は、ホムラのものではなかった。むしろ落ち着いていて、柔らかい印象だ。シュウはそれまでの緊張を少し解き、問いに答えた。
「こんにちは。シュウです。昨日この村に入った。あなたはメモリアさんですか?」
「呼び捨てでいいよ。敬語もいい。何用?」
シュウの問いに答えながら、メモリアは戸の影から姿を現した。紫がかった肩にかからない程度の髪と、緑がかった瞳。身長はシュウより頭一つ分ほど低かった。
「じゃあ遠慮なく。シエラさんから『ここなら当分の寝床を貸してくれる』と紹介されたんだ。俺の家ができるまでの間、泊めてくれないか。」
メモリアはそれを聞いて、目を瞑り黙った。少しして、目を閉じたままメモリアは口を開いた。
「いや。確かに部屋は空いてるけど、他人が家にいるとこ想像したら嫌だった。ザックの家の屋根裏が結構広いし今は物置になってるから、紹介する。着いてきて。」
そう言ってメモリアは歩きだし、シュウはそれに着いていった。シュウが隣に来たタイミングで、メモリアは話を始めた。
「ザックの家は結構遠いんだ。前は村の真ん中あたりにあったんだけど、ホムラが壊しちゃってね。シエラから聞いてると思うけど、ソウジって物作りが好きな人と一緒に自分で作ったんだ。あの頃のホムラは今よりずっと血気盛んで、久しぶりに村に帰ったザックに戦いを挑んだんだよ。ザックもホムラと同じで神性の異界異能を持ってるから、興味がわいたと言ってた。実際はあまり戦闘向きの異界異能じゃないから、ザックは逃げたんだけどね。ザックの戦い方は異界異能に依存しないし、暗殺術に近いから習うといいと思う。暗殺をやめるとしても、戦闘はなるべくできた方がいい。この村は事件が尽きないから。この間も、新入りのレオとホムラが戦って、トリアの結界が破れて魔物が27体も入り込んだ。リムとモニとホムラがすぐに全滅させたから物は壊れなかったけど。」
そうして、ザックの家に着くまでメモリアの話は続いた。息継ぎが心配になるほどの勢いだったが、柔らかい声のおかげでよく聞き取れた。ただし、内容を覚えているかという点はまた別の話である。
「ザック、いる?」
ザックの家に着いてすぐ、メモリアはそう言いながらザックの家の扉をノックした。その家はメモリアのものとは違い、質素かつ純朴で必要最低限の大きさだけを有したものだった。
「屋根裏を片付けてシュウを住ませてあげなよ。」
ザックが出てきたところに、メモリアがそう声をかける。ザックはちょうど今起きたといった出で立ちで、いかにも気だるそうだった。
「んあ。いいぞ。シュウ、片付けは手伝えよ。」
ザックは特に迷う様子もなくそれを承諾した。シュウには拍子抜けだったが、感謝を述べて言われた通り片づけを手伝うことにした。午前中は大きな荷物の運び出しで、腕力の強くないシュウはかなり苦労したがザックは特に何を言うでもなく作業を続けていた。2人は特に必要以上の会話を交わすこともなく、そのまま時間は流れ日が高く昇った。
「昼だ。飯食うか。」
先にそう言ったのはザックだった。
「はい。そういえば、食事ってどうするの?」
「ああそうだ。敬語はいいぞ。俺以外も別に敬語なんか気にしてないから好きにやめろ。」
実は、シュウはあまり敬語に慣れていない。目上の立場の人に近づくことはあっても、それは殺すときくらいで会話などすることがなく、唯一会話をすることのあった効率主義の相談役も敬語を禁じていたためだ。そのためメモリアやザックが敬語はいらないと言ってくれたことで、シュウは少しだけ気を緩めることができた。
「この村で食事は基本的にビリーに頼むか、自分で作るかだ。そもそもまともな食事を必要としてないのも多いけどな。今日は俺が作る。お前は休んでろ。」
シュウはそう言われ、ザックが帰ってくるまでその場で立ち呆けていた。十数分ほど経って料理を持って帰ってきたザックは、こういう時は座っていいんだとシュウに教えながら食卓にいくつかの肉料理とパンを並べた。シュウは促されるままそこに座り、食事を始めた。食事中は静かで、とても落ち着いた。味は、強い酸味と甘みの中に少し苦みを感じる、深みがあるのかもしれない味だった。あまり好みの味ではなかったが、心を落ち着かせることのできる食事はやはり良いものだとシュウは思った。
午後の片付けは、心なしか午前よりもはかどったように感じた。日が暮れる前には屋根裏部屋はすっかり空き、まだ埃っぽさは残るもののベッドと机が1つずつ置かれ、十分な一人部屋と呼べるまでにはなった。夕飯もザックが作ったが、今度は甘みと、素材ならではの香りの強い、深みがあるような味だった。やはりあまり好みの味ではなかったが、シュウは仕事の後の食事の味を知った。この日の眠りは、シュウの記憶の中で最も心地いいものだった。