閑話⑱-2 嵐の前の静けさ……
瑛士たちが玄関で大騒ぎしていた数時間前。迷宮の一階層では、数十名の職員を前に朝礼を行う紀元の姿があった。
「おはよう。今日はいよいよ迷宮のオープン日だ。様々なトラブルはあったが、皆の協力のもと迎えられたことを嬉しく思う。探索者や観光客が入るまで残り僅かだが、最終チェックを各自で行ってほしい。俺もできる限り見て回るが、何か問題があればすぐ報告するように」
「はい」
「それでは業務に当たってくれ。これで朝礼を終了する」
朝礼終了の掛け声が響くと、集まっていたスタッフが持ち場へ戻っていく。その様子を見つめながら大きく息を吐き、近くのベンチに腰掛けると目を細める紀元。すると缶コーヒーを持った男性が隣に座り、声をかける。
「本部長、お疲れ様です。これでも飲んで一息つきませんか?」
「おお、ありがとう……気持ちはありがたいが、他のスタッフが頑張ってる前では飲めないだろ」
「そんな事ありませんよ。本部長が一番動いていたのは、皆知っていますし……今日も誰よりも早く現場入りしていたのはバレてますよ」
「……なんでバレてんだよ。わざわざタクシーを使って裏口からわからないように入ったのに……」
紀元が項垂れながら呟くと、部下の男性は苦笑いを浮かべて答える。
「そんなのバレバレですよ。スタッフの休憩スペースが綺麗に掃除されていたり、届いたばかりのパンフレットが綺麗に整頓されていればすぐわかります」
「……マジか。良かれと思ってやっていただけなんだがな」
紀元が額に手を当てて天井を見上げる姿を見て、男性は嬉しそうに声を上げる。
「本当にいつも俺たちのことを最優先で考えてくれますもんね。みんなで話してますよ、本部長の下で働けて良かったって」
「そんなふうに言ってもらえて俺は幸せだな……できる限り表には出ないようにしていたんだ。役職者が現場をうろつくと、いろいろ気を使うだろ?」
「あーまあ、その気持ちもわかります。飯島博士が何の連絡もなしに現れた時は大変でしたから……」
「うん、そうだな……あの時はほんとに大変だった……」
部下の男性が遠くを見つめながら呟く姿を見て、大きくため息を吐きながら答える紀元。事の発端は数週間ほど前まで遡る。
迷宮の改修工事が本格化してきた頃、図面を持ち出した飯島が迷宮の一階層に現れた。そして、ほぼ完成していた店舗の一角を『いーちゃんオフィシャルショップ』として、無理やり改装し始めたのだ。
「ほんと博士の暴走には困りましたよ……朝来たら棚の形状は変わってるし、きれいに並べた商品は段ボールに押し込まれて山積みでしたから」
「本当にすまなかった……俺が図面を机の上に広げたままにしていたのが悪かったんだ……」
「本部長のせいじゃないですよ。博士も迷宮観光を盛り上げたい一心でやってくれたことだと思いますから」
(いーや、あの人はそんなこと一ミリも考えてないぞ……自分がチヤホヤされたいとしか思ってないからな)
苦笑いをしながら呟く部下に対し、口には出さずに全力で否定する紀元。飯島自身は迷宮を盛り上げようなど微塵も考えていなかった。最近の配信ブームに乗って、自分も簡単に人気者になれると勘違いしただけだ。
「そういえば博士の配信を見ていないのですが、結構人気らしいですね?」
「……いや、あれは人気というのか? なんか違うような気がするが……」
「え、そうなんですか? 誰かが言ってましたが、視聴ランキングとコメント数の多さでランキング上位にいるって聞きましたよ」
「あーうん、まあ、コメントは多いな……ほぼ炎上してるようなもんだが……」
目を輝かせて話す部下に対し、なんとも言えない表情で答える紀元。たしかに飯島の配信は、視聴者数やコメント数がずば抜けて多かった。しかし、その大半は彼女の言動や性格を面白がって大量発生したアンチであり、コメント欄では毎回炎上しているのが実情だった。額に手を当てたまま俯いて大きなため息を吐く紀元を見て、不思議そうに部下が問いかける。
「本部長どうしたんですか? 炎上するほど人気者ってすごいことだと思いますよ」
「何をどう変換したらその結論にたどり着くんだよ……火消しに回るのは、毎回俺なんだぞ……」
「そうなんですか? まあ……あの博士が謝るとは考えられないですからね」
大きくため息を吐く紀元を見て、部下の男性が同情するように声を掛ける。
「で、でも、本部長も博士のことをよく知れるし、コミュニケーションも取れて一石二鳥じゃないですか!」
「それだけなら良かったのだが、また別の問題も発覚していてな……」
声をかけるたびにどんどん落ち込んでいく紀元。次に掛ける言葉が見つからず、困惑した部下が口を開こうとした時だった。
「ちょっと! なんでカメラの準備ができていないのよ! 今回は配信じゃないんだからさっさと動きなさいよ!」
一階層のフロア全体に聞き覚えのある女性の金切り声が響き渡る。
「本部長……この声の主ってまさか……」
「ああ、嫌な予感しかしないが……」
お互いに顔を見合わせると、部下の男性が何かを思い出したかのように声を上げる。
「あー! すいません、ちょっと急ぎの業務を思い出したので行ってきます!」
慌ててベンチから立ち上がると、そのまま声のする方とは反対側へ駆け出していく。
「あ、ちょっと待て……って、俺が対応するしかないよな……」
手に持った缶コーヒーを一気に飲み干すと、大きくため息を吐きながら声のする方へ歩き始める紀元。
この直後、彼は再び頭を抱えることに巻き込まれていくのであった……
最後に――【神崎からのお願い】
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