第１話 始まりのとき
日本の中央に位置する地方の閑静な住宅街。その中に、ひときわ大きな邸宅があった。
「もう夏も終わりか……」
ベランダから外を眺めていたのは、高校二年生の川崎 瑛士。夕焼けに染まる空を見つめ、物思いにふけっていると、室内から怒鳴り声が飛んできた。
「こりゃ！ 何をボケっとしておるのじゃ！ そんな暇があるなら、早く魔法を使って迷宮攻略を進めるべきであろう。わらわの探し物を手伝うという約束を忘れたわけではなかろうな！」
「あー！ うるさい！ 居候の身でこの家の主にたてつくんじゃねーよ。ちゃんと探してやってるだろうが！」
「のんびりしているお主が悪いのであろう。これを見ろ！ アホどもが面白半分で攻略配信をしておるぞ！ お主も世界一の配信者を目指すなら、後れを取っていてどうするんじゃ！」
「いつ俺が配信者を目指すって言ったんだよ……」
タブレットを握りしめながら瑛士を怒鳴りつけてきたのは、この家に居候しているルリ・サラサ。腰まで伸びた黄金色に輝く髪をツインテールにした、まだ幼さの残る顔立ちの少女。青い瞳から、怒気をはらんだ視線が瑛士に向けられていた。
「ハイハイ、わかりましたよ。俺は二度と魔法なんて使いたくないんだ……ルリ、冷蔵庫に前に話した限定販売のプリンがあるから食べていいぞ」
「なぬ、プリンじゃと？ それを早く言わぬか！」
先ほどまでの怒りが嘘のように笑顔になると、スキップしながら部屋を出ていくルリ。
「ほんとお子さまだよな……そういえば、ルリと出会ってからちょうど一年になるのか。あの忌々しい迷宮が出現したのも……」
再び外に視線を向けると市内中央にある山が消え、ピラミッドを逆さまにしたような逆三角形の物体が鎮座していた。
「よりによって、六大魔王と呼ばれた偉人が拠点とした城の跡地に出現するとは……しかも、迷宮を復活させたのはクソ親父が原因とか言ってたな。……俺はもう二度と読書魔法なんてごめんだ」
大きくため息をつきながら、瑛士はルリと出会った時のことを思い返していた。
一年前の、よく晴れた日。雲一つない青空が、突然黒い雲で覆われ、雷が地割れのような音を立てて鳴り響いた。
そして空から現れたのは、全体をツタで覆われ、禍々しいオーラを放つ逆三角形の物体。半分以上が黒い雲に覆われており、全貌がどれほどの大きさか見当もつかない。すぐに国の研究者や自衛隊が出動する騒ぎとなり、さまざまな調査が行われた。
世間が大騒ぎしていた頃、瑛士は自宅の敷地内にある倉庫を整理していた。すると、見覚えのない一冊の古書を発見する。
「なんだ、これ？」
瑛士が古書に手を伸ばしたその時、倉庫のすぐ隣に生えていた木に雷が落ち、音を立てて燃え上がった。
「げっ……いつこっちに燃え移るかわからないし、早く逃げないと」
慌てて倉庫から飛び出した瑛士だったが、足がもつれて盛大に転んでしまった。そのとき手に持っていた本が宙を舞い、タイミング悪く雷が直撃する。
「しまった……貴重な書物かもしれなかったのに……」
瑛士が顔を上げると、本が光り輝き、閃光とともに爆発した。そして、あたり一帯が煙に包まれたとき、女の子と思われる怒鳴り声が聞こえてきた。
「この大バカ者が！ 四百二十九ページを開いたまま封印を解くなど……なんと破廉恥なヤツじゃ！」
「は？ 誰かいるのか？」
「貴様か！ 羞恥心のかけらもない人間に封印を解除される日が来るとは……」
煙が少しずつ晴れて状況が明らかになる。黒いシャツにショートパンツ、腰まである金髪をツインテールにした、小学生くらいの女の子が仁王立ちで顔を赤くしながら瑛士を睨みつけていた。
「お前はいったい誰だ？ それに四百二十九ページって何のことだか、さっぱりわからないんだが……」
「清い乙女にそんな破廉恥なことを言えというのか！」
「わからないって言ってるだろうが！ お前はいったい誰だ？ 本はどこに隠した？」
「この期に及んでまだ無礼を働くとは……わらわこそが、お前の言う“本”だ！ 封印を解いた礼に、わらわの高貴な名を教えてやろう。ルリ・サラサだ！」
両手を腰に当て、自信たっぷりに胸を張るルリに対し、開いた口が塞がらない瑛士。
「そうじゃろ、わらわの高貴な気配に圧倒されて……」
「意味がわからねぇ……それと、後ろの巨大な物体はお前が出したのか？」
「お前は何を言っているのだ？」
「後ろを見ろ！ お前が関係しているんじゃないのか？」
瑛士に促され、しぶしぶ後ろを振り返ったルリの視界に映ったのは、山の頂上に突き刺さった巨大なピラミッドのような物体だった。
「どう見ても、ただの迷宮にしか見えんじゃろ？」
「ただの迷宮ってなんだよ！ あんなのが出現して怪物とか出てきたらどうするんだ！」
「なんじゃ、そんなことを心配していたのか。迷宮は強力な結界で囲まれ、外部からの攻撃はおろか、内部の生き物が外に出ることもできぬ。それに、出現させたのはお主の父上だぞ？」
「親父が出現させた？ 何を言ってるんだ……あいつは数年前から行方不明だぞ？」
「直接会って話せば、真実はおのずと見えてくるじゃろう。それに、わらわの記憶の断片もまだ……」
ルリが何かを言いかけたそのとき、突如ヒグラシの大合唱が鳴り響き、彼女の声をかき消す。
「真実が知りたければ、迷宮に潜ることじゃ。ふむ……お主には読書魔法の素質があるな。決めたぞ！ わらわの主として認めてやろう」
「お前は何を言っているんだ……」
「自覚がないのか？ わらわを読め！ そして開眼するのじゃ！」
「絶対嫌だ！ 俺は読書魔法なんて二度と使いたくない！」
「何か事情がありそうじゃな。まあいい、そのうちゆっくり聞かせてもらうからのう。今日から一緒に暮らすわけじゃしな！」
「何を勝手に決めてるんだ！ 誰が許可すると……」
瑛士が詰め寄ろうとしたそのとき、ルリが右手を頭上に掲げ、一気に振り下ろした。
すると、一筋の光が瑛士の頬をかすめ、燃えていた木が爆散する。
「……」
「お主もこうなりたいか？ 選択肢を与えてやろう。わらわの主になるか、あの木のように消え去るか……好きな方を選ぶがよい」
「謹んで主となる命をお受けさせていただきます……」
「うむ！ 素直でよろしい！」
胸を張り笑顔で高笑いをするルリとは対照的に、膝をつき項垂れる瑛士。
こうして、二人の共同生活は幕を開けた。
この出会いが、二人の運命を大きく変えることになるとは――この時は、まだ気づいていなかった……
最後に――【神崎からのお願い】
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