第4話 想いと転生
ベルタが負傷した。それも重体で意識が戻らない。
そう聞いた瞬間、私の心は不安に塗りつぶされた。
しばらく動けなかったが、理性が戻った瞬間に私は駆け出していた。目の前の所長を押しのけて、汚れた制服もそのままに医療室へ飛び込む。
そこには緊急治療ポッドに入れられたベルタの姿があった。目を閉じ、勢いよく入ってきた私に何の反応も示さない。身体中が包帯で覆われていて、治療装置が静かに動き回って彼女の生命を繋ぎ止めている。
「ベルちゃん……」
私はポッドの前で立ち尽くしてしまう。仕事前に廊下で会った時はあんなに元気だったのに。私の脳裏にはあの時の元気な彼女の姿が何度も蘇っている。
「20分ほど前に緊急連絡路で戻ってきた時にはもう意識は無かった。五体満足なのもそうだが、すぐ応急処置ができたのも幸いだった」
追いかけてきたらしい所長の声が背中越しに聞こえる。きっと戻ってきた彼女にすぐ応急処置を施してくれたんだろう。こういった対応の早さは本当に尊敬できる。
「何があったんですか……?」
彼女に何があったのかは経験から察する事ができる。しかし私はその疑問を口にして、所長の口から答えを聞きたかった。
「配想先の転生者だ。ベルタが対面した後に受け取りを拒否して攻撃してきたらしい。それで負傷した彼女をクローバーが守って引き返してきた」
所長は私の心を察していたのか、事の詳細を教えてくれた。想いを拒否されることなんて今まで何度もあったし、逆上して攻撃されることもあった。転生者は過去を捨てたがるものだ。だから過去の想いを否定したくて配想員を攻撃してくる事だってあるし、その危険性も理解できる。だけど、依頼主が私たちに託した想いを、ベルタにここまで重傷を負わせてまで踏みにじったのが私には到底許せず、心の中に怒りが溜まっていくのを感じる。
「その転生者って、どこに居ますか?」
私は振り返ってベルタを襲った転生者の事を所長に聞く。すると所長は珍しく難しい顔をして私を見ていた。
「お前が何を考えてるかは分かる。この配想は今は保留案件でお前に引き継いでもらうつもりでもある。しかしな……」
所長は何故か頭を掻きながら煮え切らない態度をしている。こんな所長を見るのはいつ以来だろうか。
「どの世界なんですか!? 早く教えてください!!」
思わず私は叫んでしまう。しかし所長はそれに動じることなく、意を決したかのように私と向き合った。
「そいつはベルタを襲った後、元居た2633世界から逃走した。転生逃亡だが、逃亡先は不明だ」
その言葉を聞いて私は困惑する。転生とは、魂が宇宙を移動することで成り立つ。そのルートを辿れば転生先を特定する事もできる。私たちの仕事で転生者の行き先は必ず把握できるのは、配想サービスを統括する『異世界連携機関』がそのルートを監視しているからであって、その監視網から抜けた転生など普通はできないはずだ。
「なんで追跡できないんですか……?」
私は怒りを押し殺しながら更に問い詰める。所長の方はバツの悪い顔で私を見ていた。
「どうやら2633世界でのみ有効な特殊な転生方法を使ったらしい。機関が把握できない方法での転生は、転生の痕跡は掴めても追跡できないらしい」
所長がバツの悪い態度を取っている理由は分かった。私がその転生者に対して何をしようとしているのかを知っているからこそ、その相手が何処に行ったか分からないという事を教えたくなかったのだ。
「まずはベルタに割り当てる予定だった配想任務をお前に引き継いでもらう。逃亡した転生者は、俺が死神並行組合と機関に掛け合って調査させる。だから……今はその怒りを抑えていてくれないか?」
所長は私を諭すような優しい口調で言いながら頭を優しく撫でてくる。所長の手の温もりを感じながら、私は込み上げる怒りを抑えようとする。こういう時は所長を信じて動けばいいと分かっていた。だから所長を信じて、今は私も冷静になろう。
「お前は時々想いが強くなり過ぎる。気持ちは分かるが、お前の「目的」を見失うんじゃないぞ」
所長はそう言いながら私の頭から手を放す。その言葉で私もやっと落ち着いてきた。それから所長は「早くシャワーでも浴びてこい」と言って部屋を出て行った。私はようやく汚れたままの制服で居る事に気づいて、眠っているベルタをちらっと見てから部屋を後にした。
●
シャワーを浴びて休憩用のラウンジに入ると、そこにはウラヌスとレルワさん、そしてもう1台、身体に様々なアクセサリーを身につけた配想支援ロボットが居た。
「分かりました。では襲われた時の状況を教えてください」
ウラヌスはそう言って同じ型のロボット――「クローバー」から話を聞いていた。クローバーはベルタに与えられた配想支援ロボットだ。配想員にはひとりに1台、この配想支援ロボットが与えられる。そして配属されたロボットには配想員がそれぞれ名前を付けるのが習わしとなっていて、私がウラヌスと名付けたように、ベルタもクローバーと名付けている。どうやら襲われたときの事を話しているようで、私も話を聞くべく近くに寄った。
「私たちが対面して前の世界からの想いを届けようとした途端、転生者は突然態度を変え、こちらを強烈に否定するかのように攻撃を仕掛けてきました。突然だったので主人は魔法攻撃を避けきれず負傷し、私は緊急プロトコルに従い主人を保護して脱出しました」
クローバーは簡潔に状況を教えてくれる。話だけなら典型的な受け取り拒否の流れだ。違うのはその配想相手が手加減無しで暴れたという事だろうか。
「クローバー、相手はどんな転生者だった?」
私はクローバーに配想先の転生者の事を聞いてみる。ベルタの話では転生勇者だったと聞いていたが、それ以外はなにも分からない。
「2633世界で魔王討伐を果たした勇者として城に住んでいました。彼は現地でアイク・ナルバスと名乗っていました。勇者だけに魔法も剣技も高いスキルを持っているようです」
話を聞いて私はその転生者の名前を心の中で繰り返す。
アイク・ナルバス……この転生者は依頼人の想いを最悪な形で踏みにじった。例え転生勇者だろうが、それは許されることでは無い。
「復讐でもするのかしら?」
「いいえ、配想拒否そのものは珍しくないです。しかし依頼人の想いを、世界から逃亡してまで拒否するようであれば、私はどこまでも追いかけて届けます」
ソファに座って紅茶を飲んでいるレルワさんが突っ込んできたので、私は自分のやるべき事を伝える。配想先に復讐してしまっては想いを届けられない。だから私は想いを受け取るまで、どこまでも追いかけることを復讐としている。
レルワさんは「おお怖い怖い」と言いながら紅茶を啜っているが、よく見たら私が隠していたお気に入りの茶葉を勝手に使っていた。後でまた隠しておこう。
「マスター、必要な情報は揃いました。2633世界へ行きますか?」
ウラヌスがクローバーから集めた情報を整理してくれた。そして私の行動はお見通しとばかりに出発の確認をしてくる。次の行動が分かるくらいには、お互い付き合いは長い。
「残念だけどそいつはもうその世界には居ない。特殊な転生で別の世界に転生逃亡して今は行方不明。だから所長が情報を集めてる間は他の仕事に専念するわ」
私はウラヌスに今後の方針を伝える。特殊な転生という言葉が耳に入った途端、レルワさんも興味深そうにこちらに目を向けた。
「特殊な転生ね……その世界に魔法概念はあるの?」
「情報では類似の概念が存在するそうです」
レルワさんが目を細めながらウラヌスの答えを聞いている。まるで何かを見定めているかのように、レルワさんはそのままの姿勢で何か考えていた。
「調査は必要だけど追う手段はあるわ。手伝ってあげても良いけど?」
「え……良いんですか?」
レルワさんがこの件に協力を申し出てくれたのが予想外で、私はすぐに返事ができなかった。
「本当は面倒だけどね。その特殊な転生と、あなたの執念に少し興味が出たわ。それで、どうするの?」
レルワさんはそう言って紅茶を飲み干した。空になったカップを置いて、私を見据えて答えを待っている。私の答えなんてもう決まっていた。
「頼んでも良いですか。必要なら手伝いもします」
私はレルワさんの提案を受け入れる。他の仕事も大事だが、このアイク・ナルバスという転生者を追うのも重要だ。これ以上逃げられる前に早く居場所を特定したい。
私の答えを聞いてレルワさんは顔を明るくして立ち上がる。
「分かったわ。じゃあその為に部屋をひとつくださらない? 私の部屋ってまだ決まってないのよ」
そう言われてレルワさんをすぐ仕事に連れて行ってしまった事を思い出す。確かに仕事が終わるまで帰ってくるなというなら、部屋は必要だ。
「2階の空き部屋を使ってください。所長には私が話しておきますから」
私が空き部屋の存在を思い出して提案すると、レルワさんは「了解~」と言いながらラウンジを後にした。
「これから忙しくなりそうですね」
ウラヌスはそう言いながらレルワさんの残していったティーカップを片付け始める。配想仕事に、底の見えない死神のお守り、そして逃亡転生者の追跡……考えるだけで面倒だ。
「面倒事ばかりね……でも、私は諦めない。想いを届けるのを諦めたら、配想員をする意味がなくなる。だから絶対に届けるの」
その言葉は私の決意であり、そしてこの仕事を続けなくてはならない私への呪縛でもあった。ウラヌスはその言葉の真意を知ってか知らずか、何も言わずに片付けに専念していた。