俺の幼馴染は『狙っている』
「よいしょ」
かわいらしくそう呟きながら、小柄な女子が教卓の上に積み重ねられたノートを持ち上げる。
彼女は青葉由奈。係の仕事で、提出物であるノートを職員室に持って行くのだろう。
しかし、細くていかにもか弱そうな彼女の腕に、クラス全員分のノートは、あまりにも重そうだった。
「あ、青葉さん。半分持ってあげるよ」
その様子を見ていたクラスの男子が声をかける。
「ほんと? ありがとう。とっても助かるよ!」
男子の申し出に対し、青葉と呼ばれた女子は、まるで向日葵のような、自然で眩しい笑顔を向ける。
「お、俺も持つよ!」「いや、俺も!」
彼女のその笑顔につられたのか、周りで見ていた数人の男子も手伝いを申し出て、彼女の手からはあっという間にノートが無くなった。
「みんな、ありがとう。助かったよ」
由奈は手を組み、上目遣いでノートを持つ男子たちにお礼を言い、にこりと笑う。
彼女の笑顔に撃ち抜かれた男子たちは、足取り軽く職員室に向かっていった。
「やっぱり、青葉さんってかわいいよな」
「あの狙ってない感じが良い」
「分かる。自然なかわいさってやつだよな」
そんな男子たちの声が、廊下からかすかに聞こえてきた。
「あれ? 由奈。もう係の仕事は終わった?」
「うん。山田君たちが職員室まで持って行ってくれたんだ。重かったし、ありがたいよ」
「それは良かった。由奈はみんなに愛されてるね~」
友達に頭を撫でられ、由奈は満足そうな笑みを浮かべている。
青葉由奈。小柄で、幼さが残るが整った顔立ち。そして狙っていない、自然なかわいさを持つと評される彼女は、男女問わず、このクラスの人気者だった。
しかし、俺だけは見逃さない。ノートを持って行く男子の背中を見送る時。由奈の口角がわずかに上がっていたことを。
あれは、かわいらしい笑顔とかではなく、事が計画通りに運んだ時に悪党が見せる笑みだった。
そのことに由奈に手伝いを申し出た男子は当然気づいていない。今由奈の頭を撫でている友人だって気づいていないだろう。
それでも、小さいころから由奈を見てきた、幼馴染の俺だけが分かる。
そう、俺の幼馴染、青葉由奈は狙っているのだ。
狙って『自然なかわいさ』を作り出しているのだ。
ふわりとかわいらしい、甘えるような仕草も、周りの人まで照らすような眩しい笑顔も、由奈は狙ってやっているのだ。
もちろんすべてがそうではない。由奈は元々明るい性格だし、素でやっている時の方が多いだろう。
しかし、明らかに狙っている時もある。
先ほど、自分の仕事をこっそり他人に押し付けたように、さりげなく自分の都合のいいように周りの人を動かすのだ。
「おい、優斗。お前も手伝ってくれればよかったのに」
友達の膝の上にちょこんと座る由奈を見ながらそんなことを考えていると、由奈に押し付けられたノートを職員室まで運び終わったらしいクラスの男子がぞろぞろと帰ってきた。
「嫌だよ、面倒くさい」
「なんでだよ。幼馴染の余裕ってやつか?」「青葉さんに『ありがとう』って言われたくないのか?」
お前らはいいように使われてたんだよ。という言葉を、俺は飲み込む。
だって、こき使われたはずのこいつらが嬉しそうだったから。
俺は別に、由奈が自然なかわいさを『狙っている』ことを責めるつもりはない。
それで相手が嫌がっているわけでも無いし、由奈のおかげで周りの雰囲気が明るくなっていることも事実。いわゆるWin-Winの関係というやつだ。
だけど、俺は。俺だけは由奈の自然なかわいさとやらに引っかかってやるつもりはない。
なんとなく、由奈に負けた気がするから。
だから、俺だけは由奈の『狙っている』自然なかわいさを目ざとく見つけてやる。そう心に決めているのだ。
「優斗、一緒に帰ろ」
放課後。部活動を終えた俺が友達を歩いていると、少し甘くてかわいらしい声と共に、制服の袖を引かれた。
間違いない。こんな事をするのは俺の幼馴染、由奈だけだ。
俺たちのそんな様子を、俺の友達は冷やかしてくる。
それはそうだ。かわいい幼馴染と一緒に帰るなど、周りから見れば色恋沙汰以外の何ものでもない。
しかし俺と由奈は、いつもは別々に帰っている。今日に限って誘ってくるという事は、何かあると考えるのが普通だろう。
「別にいいけど、なんで?」
「今日は一緒に帰りたくて…… だめ、かな?」
由奈は俺からすこし目をそらし、前髪をくるくるいじり始めた。
そんな由奈を見て、俺の友達はからかいではなく嫉妬の目を俺に向けてくる。
認めよう。確かに由奈はかわいい。いじらしくも、全くあざとくない由奈の動きは、友達の目には自然なかわいさに映っただろう。
しかし、いつもの由奈なら俺と一緒に帰りたい時、こんな誘い方はしない。つまりこれは、確実に『狙っている』かわいさだ。
ただ、そうなると新たな疑問が生じる。なぜ由奈はわざわざこんな方法で俺を誘うのか。
由奈が狙ってこのような行動をとっているという事は、それなりの理由があるという事だ。多分、由奈にはどうしても俺と帰りたいのだろう。
「分かったよ、一緒に帰ろう」
俺は決して由奈の『狙っている』かわいさに騙されたわけではない。分かった上で罠にかかってあげたのだ。そこを勘違いされてもらっては困る。
「ほんと? ありがとう」
由奈はふわりと笑った。しかし、ここでいつもなら「狙い通り」といった風にこっそりと口角を上げるのだが、今日はそれがなかった。
代わりに、由奈は少しだけ眉を下げる。
俺は何となく、由奈が一緒に帰りたいと言った理由が分かった気がした。
「何か嫌な事でもあった?」
校門から十分離れ、周りに同じ学校の生徒がいなくなったタイミングで、俺は、隣で少し俯きながら歩く由奈に声をかける。
「……部活で、ちょっとね……」
由奈は努めて明るく話そうとしているのだろうが、俺には痛々しく聞こえた。どうやかなり落ち込むことでもあったようだ。
「別に、無理しないでいいのに」
「無理なんてしてないんですけど?」
「素直に一緒に帰りたいって言えばいいのに、あんなぶりっ子を演じてたのにか?」
「ぶりっ子じゃなくて、私の生まれ持ったかわいさです~」
由奈は頬を膨らませ、俺の事をジト目で見てくる。さっきよりは少し、元気になったようだ。
ため息とともに頬をしぼませた由奈は、ぽつぽつと話し出す。
「……テニス部の先輩にね、告白されたの。でね、それを断ったら、テニス部の先輩の事を好きだったらしい同じ部活の先輩に怒鳴られちゃって」
そう話す由奈の体は、いつもよりも小さく見えた。
由奈は小柄でかわいらしいし、明るい性格なので、昔からモテた。だから、昔からこういう面倒ごとに少なからず巻き込まれてきたのだ。
思えば、由奈が自然なかわいさを『狙っている』のも、こういう面倒ごとから身を守るためのかもしれない。
敵を作らないように上手く立ち回るためには、そういう狡猾さも必要なのだろう。
そう思うと、由奈は学校ではずいぶん肩身の狭い思いをしているのではないかと心配になってしまった。
「嫌なことがあったなら、あんなふうに誘わなくても一緒に帰るし、いくらでも愚痴を聞くし、それ以外にも俺にできることなら何でもする。だから、俺の前では無理しないでいいよ」
目の前で小さい体をさらに小さくしている幼馴染に、つい柄にもない事を言ってしまう。
すると、由奈はこちらをハッと見上げて目を丸くしていた。
随分しおらしいな、と思ったのもつかの間。由奈の表情がどんどんニヨニヨ顔に変わっていく。
「なになに? 優斗、今日は随分優しいね」
く…… 俺は由奈から顔をそらして歯ぎしりする。
やっぱり心配して損した。由奈は昔っからこういう奴なのだ。
結局俺も由奈に手玉に取られてしまった。これでは昼間に由奈に仕事を押し付けられたくクラスメイトと変わらないではないか。
「……ありがとう……」
俺が悔しがっていると、由奈がぽつりとそう呟いた。
隣を見ると、ふわりと笑っている由奈が目に飛び込んでくる。何度も見てきたはずのその笑顔に、なぜか俺はドキッとさせられてしまった。
「別に、幼馴染だし」
照れ隠しにそう答えると、先ほどまでかわいらしかった由奈が再びニヤニヤし始める。
「と・こ・ろ・で。優斗、さっきなんでもしてくれるって言ったよね」
「できることで、って言った事も忘れるな」
「じゃあさ、今週末一緒に出掛けてよ。これならできることでしょ?」
「なんで俺が由奈と一緒に出掛けなきゃいけないんだよ」
「だって。優斗と一緒にいると、楽しいし、元気出るし」
由奈は前髪をいじり、表情を隠しながらそう言ってくる。しかし、彼女の髪の隙間からのぞく耳が少し赤く染まっている気がした。
俺も思わず、由奈と一緒にいると楽しいと言いかけてすんでのところで思いとどまる。
危ない危ない。俺の幼馴染の由奈は『狙っている』のだ。ここで正直にそんなことを口にしたら、またニヤニヤされるに決まっている。
「優斗は、私とデート、したくないの?」
すると、何も言わない俺を、由奈は上目遣いで心配そうにこちらを見上げてくる。
もしかしたら、俺が本気で嫌がっていると勘違いさせてしまったのかもしれない。
「分かったよ。土曜日は部活があるから、日曜日でいい?」
これは違う。由奈の手のひらで転がされたわけではなく、分かった上で乗せられただけなのだ。
「やった! 楽しみにしてるね!」
俺のそんな言い訳も、由奈の太陽みたいに明るい笑顔に吹き飛ばされてしまった。
「優斗、いつもありがとう。優斗のおかげで元気出たよ」
眩しい笑顔でそんなことを言ってくる由奈の事を直視できず、俺は思わず目をそらしてしまう。
騙されてはいけない。由奈は『狙っている』だけなのだ。
とっても嬉しそうな満面の笑みだって、少し恥ずかしそうにもじもじと動く体の前で組まれた手だって、少し赤く染まっている気がする頬や耳だって、全部。全部。由奈が『狙っている』ことなのだ。
そう自分に言い聞かせなければ、勘違いしてしまいそうになる。
由奈は俺の事が好きなんじゃないか。そんな考えを、俺は頭を振って必死に振り払う。
「そう、ならよかったよ」
そして、何事もなかったかのように、ぶっきらぼうにそう返す。どうせ俺をからかっているだけなのだ。相手にしてはいけない。
その後、由奈とたわいもない会話をしながら歩いていると、あっという間に由奈の家に到着した。
「それじゃあ、また明日ね」
そう言いながら家の扉に手をかけた由奈が思い出したように振り返り、こちらに向かってきた。
そして、俺の肩を引っ張り、俺の耳に口を近づけてくる。
「私は優斗の前では、いつも自然体だよ」
由奈の吐息とその言葉に、俺は脳が直接揺さぶられたような錯覚に陥る。
俺の幼馴染はそれだけ言い残し、ひらひらと手を振りながら家に帰っていく。
「……どういう意味だよ……」
俺は家の中に消えていく由奈の背中を、ただぼーっと見つめることしかできなかった。
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