8 高校の入学式
2015年4月8日 水曜日
豊島区長崎にある、私立豊西学園高校の入学式。
桜並木の中を進む大勢の一年生たち。
その中に、校舎をにらみながら歩く歩夢の姿があった。
どうせここでも同じなんだろうよ。
まあいいや。
自分になにかあっても、自分とは無関係のことにしか思えないんだから。
「日比野君も、豊西だったんだ」
「えっ、あぁ、仲間さん、だっけ」
仲間明差陽は、中学の時通っていた塾でクラスが一緒だった。
親しかったわけではないが、飛び抜けてかわいかったから忘れはしない。
原宿を歩けばスカウトされまくるルックスと、グラビアアイドル並みのスタイル。
その大きな瞳がまぶたを開くと、光線が放たれて心臓を撃ち抜かれる気がしたものだ。
髪型がおさげからストレートになってる。
数ヶ月会わない間に、より女らしいエロい体つきになったな。
まわりの男子はみんな彼女のこと見てる。
そりゃあ目立つよな。
いくら見回しても、彼女よりかわいい子なんていないし。
「塾、やめちゃったんだって? 高校から他の塾に行くの?」
「いや、もう塾には行かない。人の言うことを受け入れるのは苦手なんでね」
「え? でもそういえば、よく先生に反論してたもんねー」
爽やかという言葉を人の姿にしたような明差陽は、長い脚で軽やかに前へ前へと進んでいく。
彼女のとなりにいると、歩夢は自分がみすぼらしく思えてしかたない。
それに周囲の目も気になる。
誰もが悪口をささやいているような気がするのだ。
あんなにかわいい子のとなりに、なぜよりによってあいつがいるのかと。
明差陽が知り合いの女子から声をかけられたすきに、歩夢は小走りで離れていった。
明差陽は遠ざかっていく歩夢に声をかけようとしたが、歩夢がやけに急いでいるので思いとどまる。
相変わらずなに考えてるのかわからないけど、おもしろいヤツ。
クラス分けが発表され、歩夢と明差陽は同じ一年C組になった。
一匹狼にしかなれない歩夢は、カーストの最下層、三軍入りは確実。
高校デビュー目指して努力したってムダ。
中学の同級生から情報が回って、中学でいじめられていたことはすぐにバレるはず。
早くもチヤホヤされている仲間は、一軍入り確定だろうな。
教師が来る前のざわめく教室。
急ピッチで友達を量産していくクラスメイトたち。
その狭間で歩夢は一人、窓の外の雲を眺める。
「いいよなあ雲は。浮いていても問題なくて」
入学式とホームルームが終わると、校庭では部活の勧誘合戦が繰り広げられた。
「そこの君、全身から弱い者オーラが出ているな。我が空手部に入部すれば、必ず強くなれるぞ」
「ずっと敗者でいたいんで結構です」
山岳部、合唱部、落語部、茶道部、園芸部。
部員が不足している部活に限って、歩夢に声をかけてくる。
歩夢は次々に勧誘を拒み、ひたすら校門を目指して進んでいく。
部活なんてわずらわしい人間関係を増やすだけだ。
一刻も早くこの人込みから脱出しよう。
歩夢はふと、展示されていたパネル写真の前で立ち止まる。
それは星雲の天体写真。
極彩色のモヤモヤした物体が巨大であるという事実に、彼は興味をそそられる。
「わたしは二年の宝蔵院千代子という者だ。君は我々を天文部だと誤解しているかもしれないが、我々は地学部だ。それでも君は入部すると言うんだな」
物々しい態度で話しかけてきたのは、おかっぱ頭でやけに目の座っている女子だった。
よく見ればかなり整った顔なのだが、相手を威圧するような態度が女らしさを消し去っている。
「天文部でも入りませんが、地学部ならもっと入りません」
「俺は三年で部長の境育哉だー。いいか新入生、ここは大人の世界への入り口だぞ~。俺たちがお前を一人前の男にしてやるからな~」
やたら軽薄な声で話すのは、ひょろ長くて目の小さい男子。
にやけた顔つきで、全身からうさん臭さを発散している。
「いい加減なこと言って勧誘するのやめましょうよ。俺絶対入りませんから」
「そんなこと言うなよ~。地学部は今、俺たち二人きりになっちまったんだ-。来月までにあと二人入らないと、廃部になっちまうんだよ~。宇宙のチリとなって消滅してしまうよ~」
「大げさな。そんなの知りませんよ。他の新入生を誘ってください」
「君に見捨てられれば、地学部はかつての恐竜のように絶滅してしまうのだぞ。貴様はそれでも構わないのか!」
「だから俺には関係ないですって。部活とか面倒なの苦手なんです。一人が好きなんですっ」
その場を立ち去ろうと足早に歩き出す歩夢。
しかし先輩たちが両側から腕をつかんで離さない。
「なにするんですか! 強制はやめてください! 俺は強制されるのがなにより嫌いなんです!」
「わかったわかった。ならせめて仮入部でいいから、一旦籍を置いてくれよ~。新入部員が集まったら、やめてもいいからさ~」
「いいか新入生。部活に入らないと、教師からとやかく言われるぞ。一時的にでもどこかに属すことは、君にとっても有益なことであると、わたしは考える」
「面倒臭い人たちだなあ。じゃああくまで仮ってことなら、とりあえずいいですよ。でも来月には間違いなくやめますからね」
「よしっ、決まりだーっ! 地学部という名のブラックホールへようこそ~」
「貴様は少なくとも一億五千万年、地学部から抜けられぬぞ、クックックッ」
「なんなのこの人たち~」
二人とどう接すればいいのかわからないまま、歩夢は地学部の部室である地学実験室へ強制連行された。
歩夢を羽交い締めにしながら進む境が、耳元でささやく。
「心配するな。なにを隠そう、この俺も仮の存在だ」
「え? 部長なのに仮入部なんですか?」
「ここだけの話、俺は仮性包茎だ」
「なんの話ですか」
「この重大な秘密を聞いてしまったからには、もう抜けることは許されないぞーっ」
「どんな脅迫ですか」
薄暗い部室に押し込まれた歩夢は、黒縁メガネの男子が机にひもで縛りつけられているのを見てあ然とした。
背後で扉が乱暴に閉まり、その前で宝蔵院が仁王立ちしている。
「ここが古代と宇宙につながる魔境、地学部の部室だ」
「これはいったいなんの真似ですか? 監禁するなんて、そんなの犯罪じゃないですか!」
「彼は一年B組の黒部満。お前と同じ新入部員だよ。いいか、同期は一生ものだー。焦らずじっくりと友情を育むんだぞ~」
歩夢は境の手を振り払い、小太りの男子に駆け寄った。
だがよくよく確かめてみると、ひもはゆるくて簡単に外せる状態。
「は、はじめまして。よ、よろしくお願いします」
ベテラン教師にしか見えない黒部は、ひどくはにかみながら挨拶した。
緊張しているせいか、顔色が赤黒い。
「お前なんで逃げない? もしかしてMなのか?」
「ま、まるでアニメみたいなシチュエーションだったから、ちょ、ちょっとモエで」
「なんだそれ。お前本物だな」
「そ、そうかなあ。そ、それで、君はなんのオタクなの?」
「俺はオタクじゃねえ! お前なんかと一緒にするな!」
歩夢はハッとした。
「お前なんかと一緒にするな」
自分が中学でよく言われていたセリフだ。
「そ、そうだよね、ごめんね。で、でも、心配してくれて、ありがとう」
「お前の心配なんか、してねえし」
宝蔵院が前に進み出て、腰に手を当て、よく通る声で話し始めた。
「いいか男子諸君。このわたしが容姿端麗だからといって、決してほれるんじゃないぞ。わたしは戦国武将をこよなく愛する歴女。軽薄な現代の男どもに興味はないっ」
その後新入部員たちは、先輩たちから活動内容を説明された。
日課は百葉箱での気温測定、ラジオを聴いて天気図作成、望遠鏡による太陽の黒点観測。
あとは不定期の鉱物及び化石採集、夏合宿は流星観測、文化祭では活動内容の展示。
「八年前は部員が三十人以上いて、プラネタリウム作って小学生に見せたりしていたらしいんだけど、今ではこの有様。部長として情けないよ~」
「意味がないですね」
ずっと話に無反応だった歩夢の突然の発言に、三人が一斉に視線を向けてくる。
「そんな地味な観測とかやらなくても、ネット使えば一発じゃないですか。俺はそういうこまごまとしたこと嫌いなんですよ。俺はとにかく大きいことが好きなんです」
「ほう、なら貴様は、なにに興味があると言うんだ」
「そう、ですね……例えば、宇宙論とか?」
「宇宙論だって~っ。いいじゃないかー。それをお前の研究課題にすればいい。具体的には、宇宙のどんなことを研究したいんだ~?」
「えっ……今興味があるのは、ええと、ダークマター、とダークエネルギー、ですね。宇宙の質量のうち、バリオン物質は五パーセントに満たず……」
「なるほど~。宝蔵院、バリオンってなんだっけ?」
「部長知らないんですか? わたしは聞いたこともありませんが」
「あぁ、バリオンというのは重粒子、つまり陽子や中性子なんかですね。それから宇宙の質量の約二十五パーセントは非バリオンの暗黒物質、ダークマターだと証明されていて、そうなると残りの七割、なにかがないといけないわけで、それがいわゆるダークエネルギーと呼ばれているもので、このダークエネルギーの解明は、宇宙の終焉の解明に結びつくと言われていて……」
聞き手の三人は沈黙、視線がさまよっている。
歩夢の額には冷や汗、言葉はしどろもどろ。
ヤバい、実は全然詳しくないのがバレバレだ。
「あぁ、皆さんにはちょっと難しいみたいですから、今日はこの辺でやめておきますね」
しかしそんな歩夢を誰一人責めなかった。
境と宝蔵院がコソコソ話している。
「あいつ、宝蔵院が新入生だった頃にそっくりじゃないか」
「部長が新入生だった時も、こんな感じだったと聞いてますけど」
「俺たちには彼が必要だ。彼にもきっと、俺たちが必要だな」
そんな先輩たちの気持ちも知らず、歩夢は袋小路に追い詰められていく気分だった。
なんで俺を責めないんだよ。
きつい言葉でののしればいいじゃないか。
他の連中みたいにさあ。