66 愛と恋 (最終話)
脱ごうとする合路咲、止めようとする歩夢。
二人がもみ合っていると、ドアホンの音がした。
歩夢は合路咲を目でけん制しながらボタンを押す。
「お兄ちゃん、来ちゃった」
それは十年ぶりに見る有寿だった。
もう三十歳なのに、相変わらず子供っぽい。
内巻きセミロングの髪をフワフワと揺らしながら、カメラをしがみつくようにのぞき込んでいる。
「おぉ、誰かと思えば有寿じゃないか。久しぶりだな~。入れ入れ~」
歩夢は困惑している合路咲に意地悪な視線を送り、有寿を迎え入れる。
「有寿、もう会えないかと思ってたよ。元気そうで、お兄ちゃん嬉しいよ」
久々の再会に満面の笑みを浮かべる歩夢だが、有寿の表情は真剣そのものだった。
「お兄ちゃん、あたし、やっぱりお兄ちゃんじゃないとダメ」
「え」
有寿は極度の緊張のため合路咲の存在に気づかず、ピンク色の服を脱ごうとし始めた。
「ちょっとぉ、あんた誰なのよぉ」
合路咲が有寿に食ってかかる。
「えっ、また女子高生?」
しかし有寿も負けてはいなかった。
「誰だが知らないけど、あたしはお兄ちゃんの妹代わりなのよ~」
「妹がなんで兄を口説こうとしてんのよぉ。おかしいじゃないのぉ」
「お兄ちゃんはあたしのものなのー。あなたこそどこのどいつよ~」
「わたしはおじさんの娘代わりよぉ。妹と娘じゃ、娘のほうが上だわぁ」
「娘がなんで脱ごうとしてんのよ~。ってよく見たらお兄ちゃんも脱ごうとしてる~。あなたたち、えっ、いやだーっ」
「いやだからこれはそうじゃなくてね」
「わたしとおじさんは運命の相手なのぉ。オバサンは引っ込んでてよぉ」
「オ、オバサン? なによこのクソガキーッ」
合路咲と有寿が取っ組み合いを始めた。
娘代わりと妹代わりに挟まれ、歩夢は金縛りにあう。
そんな時、またドアホンが鳴った。
歩夢はすがりつくようにボタンを押す。
「店長代理、やっと見つけたよーっ」
それはやはり十年ぶりとなる結衣だった。
相変わらずスタイル抜群だが、二十八歳になって色気が増している。
ショートボブの髪型もよく似合っていた。
「えっ、設楽? ほんとに設楽なのか?」
歩夢は展開が理解できないまま、機械的な動きで結衣を招き入れる。
「やっと会えましたよっ、店長代理~」
「もう店長代理ではないんだけど……よくここがわかったな。なんか会わないうちに、大人っぽくなったなー」
歩夢は自分をじっと見つめている結衣に胸騒ぎがして、その場を立ち去りたくなった。
「あたし、やっぱり店長代理に抱いてほしい」
「え」
常に冷静だった結衣も、我を忘れて赤い服を脱ぎ始める。
「ちょっとおじさん、その女は誰なのよぉ」
「そうよ~、お兄ちゃんは今、忙しいんだから~」
「えーっ、なんで若い女が二人もいるのっ? しかも二人とも脱ぎかけてるしっ。あのクソまじめな店長代理が、まさかの3P?」
「いやいやいや、3Pも2Pもないから」
「1Pはあるんだよねっ。今その準備をしてたんでしょっ?」
「そういつも1Pで……ってそれは言うなーっ。これは違うからーっ」
「だからぁ、お姉さんはいったい誰なのよぉ」
「あたしは高校生の頃彼が働く店でバイトしてて……」
「あっ、思い出した~。あの小生意気なバイトのガキね~」
「あっ、そういうあんたは、店長代理につきまとっていたストーカー女子大生じゃん」
「誰がストーカよ~っ。あなたこそバイトのくせに社員を狙ってた、ビッチ女子高生じゃないの~」
「誰がビッチよっ。あたしはあの時初めてこの体を……ってそっちの子は女子高生じゃないのっ。店長代理いつから女子高生解禁したんですか? あの時はダメだって言ったくせにっ」
「いやべつに解禁したわけじゃないから。今後も解禁する予定ないからっ」
「なんだぁ、ただの部下じゃないのぉ。わたしは娘って感じだしぃ。この女は妹のつもりらしいけどぉ。母親代わりぐらいが来ないと、誰もビックリしないよぉ」
「娘? 妹? 店長代理がヤバい世界に行っちゃったよーっ。ノーマルの世界に戻ってきなよっ」
「本当の娘や妹じゃないし。でも異性としても見てないし。どれもこれも違―う」
「もうわたしのおじさんにちょっかい出すのやめてよぉ。オバサンたちは帰って昼寝でもしてればいいじゃーん」
「あなたたち二人とも軽いのよ~。あたしの気持ちとは重みが違うんだから~」
「その自分だけは違いますみたいなのやめてよっ。勝負は女の魅力で決まるんだからっ」
三つどもえの乱闘が始まった。
歩夢はおびえるばかりで、なにもできない。
またしてもドアホンが鳴った時、歩夢は目にも止まらぬ速さでボタンを押した。
「日比野、久しぶり~」
「なんだ明差陽かよ。さっき会ったばっかじゃねえか。でもお前、いいところに来たぞ」
歩夢が事態を収拾する救世主として期待した明差陽だったが、部屋に通された明差陽の顔は緊迫感にあふれていた。
身の危険を感じて、ジリジリと後ずさりする歩夢。
「日比野、あたしやっぱりあんたを諦めきれない」
「え」
「あたしあの後よく考えてみたんだけど、やっぱりあんたを男にするのはって、えーーっ!」
明差陽は服を脱ぎかけてから、服がはだけた女三人がからみ合ってもみくちゃになっていることに気づいた。
「日比野、あんたいったいなにをしているの? 童貞が長すぎて頭おかしくなってお金払って呼んじゃったの三人も。でもせめて一人にしておきなよ。なんてったって初めてなんだから。いきなりハードすぎるのはダメ。スタンダードから入るのが一番よ。っていうかあたしが手取り足取り教えてあげるってば」
「なあ明差陽、こんな状況じゃまるで説得力はないかもしれないけど、それでも俺を信じてくれ。俺は無実だ」
「あーそー。じゃあこの子たちはなんなの?」
「えーっと、娘代わり、妹代わり、元部下、です。皆さん彼女は友達、です。以上」
「なんなのこの状況、どんだけ修羅場なの?」
「せめてお前だけは理解してくれよ。俺はそんなつもりじゃないってことを」
「あ~、なんとなくわかってきた。この子たちがあんたの話に出てきた子たちね。それであなたが合路咲ちゃんか。本当によく似ているわね……。初めまして。あたしが母親代わりになってあげるわ」
「なに言ってんのぉ。年増じゃん。おじさんは若い子にしか興味ないんだよぉ」
「なによこの小娘! 女の価値は色気なんだよ! 悔しかったら出してみろよフェロモン!」
「友達とか妹とか娘とかさっ、付き合いが長いと今さら男と女になれないんだよねっ」
「あのね、長い付き合いの先に見えてくる気持ちもあるわけ! そこのモデルもどきにはそんなこともわからないの!」
「お兄ちゃんはね、あなたたちみたいな気の強い女は好きじゃないの~。わかったらみんなもう帰って~」
「わかってないなそっちのロリータ系。こいつはね、強引に迫るぐらいしないとチャック下ろさないのよ……ってもう下げてる~っ!」
「これのことはもういいからーっ! もうここに触れないでーっ」
「あんた結局誰にするの? もういい加減はっきりしなさいよ!」
「店長代理、一番まともな相手を選んだほうがいいですよっ」
「お兄ちゃんは、もちろん有寿を選んでくれるよね~」
「おじさんは合路咲と運命感じるでしょ? だって合路咲はママの娘なんだよぉ」
「あ~も~っ、なんでこうなったんだ~っ」
「抱いてぇ」
「抱いて~」
「抱いてっ」
「抱け!」
歩夢は半狂乱の女たちに包囲され、押し倒され、暴力的に服をはぎ取られていった。
「やめて~、助けて~、マリア~」
マリアはベッドに座ったまま、冷たい笑みを浮かべ鋭い視線を歩夢に突きつけている。
マリア……ん? マリア?
その時、再び電話が鳴った。
なにも考えず「出る!」と叫ぶ歩夢。
画面が浮かび、谷中の顔が映し出される。
「日比野さんどうですかー? 一発入れました~? あれあれあれ? なんかえらいことになってる? 精子をまき散らすのもいいけれど、真理愛のほうもよろしくお願いしますよ~」
「いや違うんです。とにかく違う。なにもかも違う。あっ、そこはダメっ、あっ」
「真理愛も言っていたけど、日比野さんて意外とモテるのよね。ねえ真理愛、本当にこれで良かったの?」
ん? ちょっと待てよ。
卒業式だった合路咲はともかく、他の三人はなんで今ここにいる?
どうして立て続けに会いに来た?
こんな偶然が重なる可能性は何パーセントだ?
さては……計ったな。
「設楽、どうしてここがわかった?」
「マリアさんって人が教えてくれましたっ」
「有寿、なんで会う気になってくれたの?」
「マリアさんが勇気をくれたの~」
「明差陽、なぜうちに来た?」
「マリアに呼ばれたから」
「合路咲、なんで俺と結婚しようなんて考えたんだ? それってマリアに言われたからなんじゃないのか?」
「それはママとは関係ないよぉ。自分でそうしたいって思ったのぉ」
あ、さすがにそこは違うんだね。
でもどうせ、マリアにとっては想定内なんだろう。
これは全部マリアが仕組んだことなんだ。
でもなんで?
俺はマリアを抱くって決心したのに。
荘厳な笑みをたたえ、ベッドから立ち上がるマリア。
貫禄さえ感じさせる優雅な動きで、歩夢に近づいてくる。
そして響き渡るようなささやき声で、歩夢が一番聞きたかった言葉を口にした。
「日比野君、愛しているわ」
「真理愛さん……」
死んでもなお、俺の気持ちを試すのか、真理愛さん。
女っていう生き物は、恐竜よりも恐ろしく、宇宙よりも謎だ。
でもやっぱり俺は、愛するために生き、生きるために恋したい。
これにて、「俺は彼女を抱くわけにはいかない」は完結です。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
また評価や感想などをくださった方には、心より感謝いたします。
今回の投稿では、読者の皆様からたくさんの力をいただきました。
読んでくださる方がいる限り、書き続けたいと考えています。
俺は小説を書かないわけにはいかない 生出合里主人