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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
試練の終わり 俺は彼女を抱くしかない
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64 十年の歳月

 2038年3月7日 日曜日



 真理愛がこの世を去ってから、十年の歳月が流れた。

 歩夢は三十八歳になっている。



 歩夢は池袋のカフェレストランで、明差陽と食事をした。

 テラス席には明るい陽光が降り注ぎ、明差陽を照らし出している。


「お互い、すっかりオジサンとオバサンだな」

「失礼しちゃーう。そんなこと言われたことないのに。相変わらず素直じゃないわね」


 明差陽は二十代でも十分いける若さ。

 フェロモンはむしろ強大化している。

 髪型はショートヘアに変わったが、くびれボディは健在。

 茶系のミニスカートからスラリと伸びる脚線美は、思わず吸い付きたくなるような魅力を漂わせていた。


「それにしても、たった一年で離婚するなんてさ。ほんとがまんが足りないんだよな」

「もうその説教聞き飽きたー。子供もできなかったけど、今は仕事が恋人だから。介護の仕事は天職みたい。会社はチョーブラックだけど、仕事はやりがいあるから」

「体力には自信あるもんな。頭のほうはともかくとして」


「うるさいよ。そういえば、合路咲ちゃんは高校卒業だっけ? ずっと援助してたんだよね」

「援交みたいに言わないでくれよ。合路咲のあしながおじさんとして学費を工面するために、最後まで仕事辞めなかったんだ。こっちもチョーブラックだったけどな」


 明差陽はその大きな目を細め、柔らかな笑みを浮かべた。


「よく、がんばったね」

「まあ、必死だったからな」


「でもせっかく本社の課長に出世して、社員の待遇改善も実現させたのに、会社が買収されて全員首になっちゃうなんてね。これからどうするか決めたの?」

「合路咲を大学に行かせる費用は貯めてあるし、しばらくはゆっくりさせてもらうよ」


「そんなこと言って、暇さえあればボランティア活動してるじゃない」

「たいしたことしてないよ。こまごまとしたことをしてるだけだ」

「よく言うわよ。虐待された子供を助けるNPO法人まで立ち上げて」

「今に見てろよ。俺たちが世話してる子供たちが、世界を征服するからな」


「アハハ。日比野って、子供の可能性を信じてるんだもんね。それで合路咲ちゃんとは、今でも時々会ってるの?」

「合路咲とは月に一回くらい会ってる。まるで離婚した父親みたいだ」


 二人は笑った。

 友達として、相談相手として、ずっと良好な関係を続けている。



「あの地学部の人たちは、今どんな様子なの?」

「あのデブだった黒部はやせてオシャレになって、すっかりイケメン社長だよ。一時はアイドルグループのメンバーと付き合ってたけど、結局モデルをしてた一之瀬と結婚したんだ。ずげえよな、ずっと憧れていた人と一緒になるなんてさ」


「同級生なのにずいぶん差をつけられたねー。でも昔からいつもほめてたもんね。で、他の人たちは?」

「驚いたのは国税庁に勤めている宝蔵院先輩が、豊西で教師をしている速見と結婚したことだな。そこはないと思ってたんだが。速見のやつ、体育教師のくせに地学部の顧問をやってるんだってよ。まああいつが部長になった時部活を盛り上げて、地学部中興の祖とまで言われていたからなあ」


「やたらカップル率の高い部活だったのね。あんただけ取り残されてるじゃん。情けない」

「いやいや、境先輩は今でも独身を貫いてるよ。最近ついに官能小説家としてデビューしたんだ。エロ小説を書きながら興奮して、マスを『かいてる』って言ってたな」

「うわサイテー。さすがはあんたの尊敬する先輩だね。だけど、あんたも純愛ものだったら書けるんじゃないの?」


 こいつ、俺のやりたいこと当てやがったよ。

 女の勘、恐るべし。



「ところでさあ……マリアとは、どうなのよ。その……まだ、ないの?」

「してないよ。真理愛さんは自分がいなくなったら俺とマリアに結ばれてほしいと願っていたって、聞いてるんだけどね。抱かないって心に決めたんだ。すぐには切り替えられないよ」

「あんたも頑固だねー。いつまでも意地張ってないで、もっと柔軟に考えればいいのに。これじゃ一生童貞決定だね」


 明差陽は言い過ぎたかなと思ったが、歩夢は不敵な笑みを浮かべている。


「その代わり、今夜も明差陽さんで楽しませてもらうよ」


「うっ、あのさあ……でもこの年になるとむしろ嬉しいわ。だけどいつになったら、あんたがよく言うその、本能と理性の合体? が実現するのよ。あんたは無理に分けて考えようとするけど、しょせん人間の自我は一つでしょ」

「俺は本能の勇者を打倒して、理性の魔王として君臨する。それまで恋愛は封印だー」

「いい年して相変わらず中二病並みの純粋さだね。ダメだこりゃ~」


「そんなにほめるなよ。ところでずっと聞きたかったんだけど……まさかバージンのまま結婚したの? もしかして、それがいけなかったんじゃねえのか?」


 歩夢は恐る恐る聞いたのだが、今度は明差陽が不敵な笑みを浮かべている。


「あーそれなら、結婚する前に自分で処女膜破っちゃった。あんたに抱かれるところを想像しながら」

「えーーっ! マジっすか明差陽先生っ。師匠とお呼びしてもよろしいでしょうか~っ」


 二人は顔を真っ赤にしながら、お互いを指差して笑い続けた。



 手を振って歩夢と別れた明差陽。

 連続して通りすぎていく五つの雲を眺めながら、心の中でつぶやく。


 あいつが童貞を捧げるのは、誰になることやら。

 マリアか、あたしか、それとも……。



 かつて借りていたマンションは取り壊されたものの、歩夢は同じ場所に新築されたマンションに住んでいる。

 間取りもほぼ同じだが、内装はナチュラル、家具はウッディ、家電は暖色系。


 そこで歩夢はマリアと二人、仲むつまじい暮らしを続けていた。

 マリアは保証期間の十年を過ぎていたが、部品を交換して延命している。


 服の種類は増えたが、初期装備の七着は欠かせないアイテムだ。

 今日のマリアは、歩夢にとって一番思い入れが深い水色のワンピース。


「マリア、俺の靴下どこだっけ?」

「そっちの棚よ。昔は几帳面だったのに、すっかりだらしなくなっちゃったわね」


 マリアは困ったような、それでいて嬉しそうな表情だ。

 バージョンアップ以降は、人間らしい複雑な表情もするようになった。

 暗に誘ってはくるが、言動には常に恥じらいがある。


 ただし、時々わがままも言うし嫉妬もする。

 だがそういった人間臭さも、歩夢には愛おしい。


 十年前のマリアは、男に都合のいい女を演じていた。

 でも今は、ちゃんと自分の意見を言うようになっている。

 今のマリアのほうが、俺は好きだな。


 マリアが化石採集をしたいとだだをこねるので、休日は二人仲良く郊外へ出かけている。



「ねえ歩夢、今月はまだお母様に連絡していないわよ。毎月連絡するって決めたでしょ」

「わかってるよ。わかってるって」


 歩夢の両親は、十五年前正式に離婚している。

 父親は浮気相手と籍を入れ、子供もできたらしい。

 一方母親は不倫相手と別れ、独身のまま一人暮らしをしている。


 歩夢は毎月母親に生活費を送金し、時々連絡を取り合い、年に数回は食事を共にしていた。

 マリアに背中を押されなかったら、とてもできなかったことだ。


 歩夢は思う。

 自分はマリアがいて、ようやく一人前なんだと。

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