62 事の真相
谷中と真理愛は、大学院の同期だった。
孤立無援の真理愛に味方しなかったのは保身のためだったと、谷中は正直に認めた。
生殖工学研究科の助手からマザーリリスへ転職した谷中は、人工母体を使用した体外受精の研究をしている。
登山家だった彼女の恋人は山で遭難して亡くなったが、冷凍保存してある精子を用いた体外受精を計画しているという。
一方谷中と真理愛にとって大学院の先輩に当たる安道は、ロボット工学が専門。
マザーリリスが提携している国の研究機関で、脳内データをAIへコピーする研究をしている。
今日本では、政府、研究機関、民間企業が組んで「ベビーリリン計画」という一大プロジェクトを推進中。
その内容を簡単に言えば、危機的状況となった少子化への対策として、妊娠や育児が困難な人たちに代わり出産や育児をするアンドロイドを開発する、というものだ。
九年前、まずは出産専用のアンドロイドが発明された。
人に近い体で人工授精、胎児の育成、分娩までを行う。
ただし現時点では非合法であり、富裕層の間で秘密裏に利用されている。
そして一年前、安道の所属する研究グループが人に極めて近いアンドロイド、マイドールを開発。
所有者が希望する容姿での、ハイレベルな疑似セックスを実現した。
真理愛との離婚が決定的になると、未練の塊となった安道は自らマイドールを購入、妻の姿を忠実に再現した。
ところが真理愛が、離婚協定に入る条件としてマイドールの譲渡を要求。
妻の身代わりを安道が抱くことはなかった。
そして真理愛は谷中に、偶然を装い歩夢にマイドールを渡したいと相談する。
「マイドールをカスタマイズする際に、真理愛から自分とは真逆の明るくて健康的なキャラにしてほしいと頼まれました。でも人間性とか意志の強さとか、そういった心の奥の部分は真理愛に似せてあります」
「あぁ、だから俺、マリアにひかれたのかな……」
「振る舞いや話し方など表面的な部分の設定には、日比野さんの趣味趣向を反映させました。そのため地学部で一緒だった皆さんに、秘密厳守で情報の提供を依頼したんです。皆さん快く協力してくださいましたよ」
「そっか、みんなが……って待てよ。その結果があのエロい感じ? みんなは俺の好みをどんな風に思ってたんだ? あーっ、黒部のやつ、ゲームのデータ渡しやがったな」
「それどころか、弊社は黒部社長から技術供与を受けてるんですよ。おかげでプログラミングは完璧。あとは国家権力を行使して、当選という形で送り込んだわけです」
「そんな大がかりなことしてたんですか。でも真理愛さんはどうして、そこまでして俺にマリアを渡そうとしたんですか?」
「あのぅ、実は……お渡ししたマイドールの目や耳を通して、日比野さんの生活を監視していたんです。職場にも何度かこっそり行かせました。ごめんなさいね」
「ええっ、それってつまり、真理愛さんが俺のことを見ていたってことですか? マリアが家に来てからずっと? そんな、ひどい、あんまりだ」
「あら、契約書にあらゆる個人情報を弊社に提供することを承諾する、と明記してありましたけど?」
「はぁ? そんなの知らないし。こんなの詐欺じゃないかっ。この会社訴えてやる! ……いや、そんなことより真理愛さんは、俺を見ててどう思ったんだろう」
「真理愛は時々真っ赤になって、顔を両手でおおって、だけど指の隙間からこっそり画面を見ていたわ。いつも動揺しまくってる日比野さんもおもしろかったけど、それを見て照れまくってる真理愛もおかしくてしょうがなかったなぁ」
「最悪だ……」
「なんか、毎晩のようにトイレにこもっていたわねぇ」
「そんなところまで……。一度死んできていいですか」
「そういえば職場で一回自宅で二回、女の子とやっちゃいそうになってたようなぁ」
「終わった……。今すぐ殺してくれませんか」
「でも結局はなにもしないのよね。がまん強いというか、意気地がないというか」
「あのぅ……真理愛さんは、その辺りのことについては、なんて?」
「まあ、かなりドン引きしてたけど、結果には満足していたような気がするな」
「あぅ……だけど真理愛さん、なんでそんなことしたんだ。俺は、真理愛さんの本心が知りたい」
誰とも交際しなかった真理愛は、安道に求婚された時もセックスレスを絶対条件とした。
真理愛に執着していた安道は、事情を聴き渋々了承する。
しかし安道家の嫡男である彼にとって、後継ぎを残すことは責務だった。
真理愛も子供は欲しかった。
二人は身内にも内緒で、出産専用アンドロイドによる体外受精を決断する。
合路咲はアンドロイドの胎内で大きくなり、アンドロイドから産まれ出た。
「だから真理愛はね、母親にはなったけれど、一度もセックスをしたことがないのよ」
「一度も?」
「そう、彼女は正真正銘のバージンなの」
「本当に、本当に処女だったんだ……。でも、どうして?」
真理愛は「成人T細胞白血病」という病にかかっていた。
父親から母親へ性交で感染し、母親から真理愛へ授乳により感染した。
肉体関係があったとしても、必ずしも感染するとは限らない。
それでも真理愛は、誰とも交わらないと心に決めていた。
自分は他人を不幸にするウイルスなんだと、悲観していたからだ。
そして去年の六月、真理愛の病気は慢性から急性へと進行し、医師から余命は半年から一年と宣告される。
研究に没頭する真理愛をずっと嫌悪していた姑は、病状の悪化を知ると即座に離婚を強要。
合路咲にも感染の可能性があるとして、息子に親権を放棄させる。
だが母乳を飲ませていないため感染はしておらず、女児であることが本当の理由だった。
「生きる希望を失っていた真理愛にとって、娘は生きる支えだった。自分の死が近いことを知った真理愛は、『一番信用できる人に娘を託したい』って言ったわ。その相手が、日比野さん、あなただったのよ」
「あ……あぁ……あぁぁ……」
真理愛に死が迫っているというあまりに残酷な事実に、歩夢は気が狂いそうになっていた。
両手で押さえつける顔が、濃い紫色に染まっていく。
「真理愛は考えたの。日比野さんが他の女性を好きになったら諦めよう。自分を好きでいてくれたとしても、マイドールのほうがいいならしかたない。でももし自分たち親子を選んでくれるなら、娘のことを守ってほしいって」
「そん……な……」
「だから日比野さんとマイドールを同棲させて、しばらく様子を見ることにしたの。日比野さんは何度か気持ちが揺れたような気もするけど、真理愛への愛は本物だったわ。だから真理愛は日比野さんの前に現れて、最後の賭けに出たのよ」
歩夢の脳裏に、真理愛の姿が次々と浮かんでは消えていく。
最後に現れた真理愛は、自分に懇願している姿だった。
「日比野君、助けて」と。
まだ幼い合路咲の姿が思い浮かぶ。
一人では生きていけない、あまりにもか弱い存在だ。
歩夢は懸命に理性を取り戻そうとした。
真理愛さん、あなたはこの俺に、この世で一番大切な娘を?
「合路咲ちゃんには、できる限りのことをします。約束します。でも、真理愛さんは? 真理愛さんは今、どこにいるんですか!」
「落ち着いて。わたしの話を聞いて。いよいよ自分の死期が近いことを悟った真理愛は『最期は一人になりたい』って言ったわ。これまで以上に衰弱することを予想して『合路咲に辛い記憶を残したくない』って言うの。わたしそれには猛反対したんだけど、『最後のわがままを聞いて』って頼み込まれたのよ」
「それでも会いたい! せめて最期まで一緒にいたい! 彼女の居場所を教えてください!」
「待って。それがね、わたしにもわからないの。本当よ。真理愛はわたしにさえ居場所を教えてくれなかった。わたしが日比野さんに教えてしまうってわかってたのね。真理愛の女心を理解してあげて。真理愛はあなたに、自分の最期を見せたくないのよ」
「そんなのおかしいよ。俺たち、家族になるはずだったのに」
「真理愛もああ見えて女だったのね。本当にあなたのことが好きだったんだわ。『わたしの心はずっと日比野君のそばにいる』って言ってたわよ」
そうか。
全部俺のせいだ。
俺が勝手に彼女を、理想の女性にしちまったばっかりに。
俺はちゃんと伝えるべきだったんだ。
どんな姿でもいいからそばにいてほしいって。
俺は完璧じゃないあなたと一緒に生きていきたいんだって。