53 最後の味方
2017年10月20日 金曜日
今日は真理愛先輩の、二十八歳の誕生日だな。
体を壊したり、してないかな。
真理愛の身を案じながら部室に入った歩夢は、心臓を潰されるような衝撃を受けた。
まぶしい日差しの中に浮かび上がる、黒い服の女性。
それは紛れもなく真理愛だったのだ。
境と宝蔵院も来ていたが、真理愛に招かれたのだと言う。
「アハハハハハハハハ、一之瀬さんの発言って、直球で気持ちーね~」
真理愛のテンションが異常に高い。
声音も普段より二オクターブくらい高くなっている。
「あ~あ~、高校生の頃に戻りたいな~」
そう言いながら手を広げる真理愛。
一つ一つの動きが舞台俳優のようにオーバーだ。
「オーケーパイセン。あたしが制服貸しますよ。青春時代カムバックです」
「本当に? わたし、着ちゃおうかな~。え~い、着てしまえ~」
地学準備室から、セーラー服に着替えた真理愛が登場する。
その格好は童顔の真理愛にあまりにも似合っていて、どんな女子高生よりも女子高生らしかった。
「どう? わたし高校生に見える? 見えるわけないか~」
「真理愛先輩すごすぎます。女子高生にしか見えません」
「っていうか、こんなにかわいい女子高生、どこにもいないですよ~」
宝蔵院と境の言葉に、全員が激しく同意した。
真理愛はバカみたいに笑いこけて、かわいらしいポーズを作ってふざけている。
歩夢の動揺は、尋常ではない。
かわいい。
かわいすぎる。
もはや人間じゃない。
この世の存在とは思えない。
まさに、神!
「やっぱ俺、レジェンドと付き合いて~」
「ユー、誰かさんに八つ裂きにされるよ。パイセン最高~っ」
ピンクのコスプレに着替えていた一之瀬が、ノリだけで意味不明なダンスを始めた。
真理愛がそれを真似て下手なりに踊りまくる。
そのムチャクチャな動きにつられて、一之瀬のプロ並みのダンスも激しさを増した。
「アハハハハハハ~」
真理愛の黄色い笑い声がこだまする。
歩夢以外の部員たちも、陽気な真理愛に引っ張られてはしゃぎ始めた。
速見がスマホで写真を撮り、黒部は動画を撮影する。
バカ騒ぎする部員たちは部室を飛び出し、踊りながら廊下を練り歩いた。
誰に見られても気にしない。
教師が注意しても耳に入らない。
一部の人たちには、自主映画の撮影だと思われているようだ。
世界一陽気な地学部が、西日が照らす校庭まで行進する。
部活を終えた明差陽が、大騒ぎの正体に気づいてあ然としていた。
そんな明差陽の手を、笑い狂う真理愛がつかんで引き寄せる。
「アハハ~。かわいこちゃんも一緒に来て~。今日はお祭りよ~」
異様な高揚感に飲み込まれた明差陽は、思わず吹き出しながら列に加わった。
真理愛、明差陽、一之瀬が並んで踊る華やかさは、もはやアイドルグループを超越している。
和やかな狂気は伝染し、いつしか学校中の生徒が踊り狂っていた。
吹奏楽部や軽音楽部の演奏が始まり、誰が持ち出したのか、打ち上げ花火まで飛び交っている。
それは唐突に始まった、小さな、しかし心を閉ざした者さえ陶酔させるような祭典だった。
なんだろう、この熱い感じ。
真理愛先輩が、奇跡を起こしたんだ。
最後尾からついていくだけだった歩夢も、場にそぐわないヘッドバンキングを始める。
それを見た真理愛が、爆笑しながら歩夢の頭を揺り動かした。
明差陽が友達に撮影を代わるよう頼み、八人で記念の写真と動画を撮ってもらう。
騒ぎがようやく収まった後も、彼らの興奮はなかなか冷めなかった。
部員たちはお互いの顔を見合って笑いこけながら、部室へ引き揚げていく。
しかし歩夢は、真理愛の姿が見えないことが気になった。
胸騒ぎがして校舎の裏側をのぞくと、物陰にひざを抱えて体育座りをしている女性がいる。
それは死んだように視点を変えないでいる真理愛だった。
「高良先輩、大丈夫ですか? 騒ぎすぎて疲れちゃいました?」
「うん。わたし、疲れちゃった。日比野君、助けて……」
口から言葉を発しても、真理愛の視点は変わらない。
歩夢は底知れぬ恐怖に襲われた。
「俺、助けます! 全力で、助けます!」
歩夢の泣き叫ぶような声に、真理愛はビクンと震えた。
「あっ、わたしなに言ってんだろ。日比野君、おかしなこと言ってごめんね。忘れて」
そんな言葉、忘れられないよ。
それに俺には、あなたに忘れてほしくないことがある。
「先輩、俺の話を聞いてください」
「えっ、どうしたの? 日比野君」
なかなか真理愛を正面から見られなかった歩夢が、今はしっかりと真理愛を見つめていた。
下を向いたままの真理愛へ、歩夢は優しくて力強い声で語りかける。
「先輩が幸せなら、それでいいんです。でももし自分はもうお終いだと思う時があったら、その時は俺が必ず助けます。自分には味方が一人もいないと思っても、最後の最後に俺がいますから」
真理愛の視線が歩夢に向けられる。
不思議そうな顔で歩夢の表情を読んでいる。
「俺は成長して、先輩を救えるような男になります。いつでも駆けつけますから、先輩が一人ぼっちになることはありえません。だから自分のやりたいことを、好きなだけやってください。周りのことは気にしないで、思いっきり幸せになってください。これはいざという時の保険です。絶対に忘れないでください」
真理愛の瞳がじんわりと潤んでくる。
小さな口がゆっくりと開かれる。
「ありがとう。わたし忘れないわ。死んでも覚えてる」
真理愛は泣いた。
シクシクとつぶやくように。
小さな子供が目を拭きながら甘えるように。
真理愛が泣き終わるまで、歩夢はずっと寄り添っていた。
その姿はまるで、小さな娘をあやす父親のようだった。
歩夢はなんとなくわかったような気がした。
人が生きる意味、というものを。
しばらくしてから歩夢は、迷子を世話するように真理愛を部室へ連れて帰った。
地学部の部員たちは、ようやく落ち着きを取り戻したところだった。
「みんな、今までありがとう。さようなら」
そう言い残して地学準備室に消えた真理愛は、借りたセーラー服を置いたまま、部室とは別の扉から帰ってしまう。
嵐を起こした真理愛はなにをしたかったのか。
それは誰にもわからない。
だがその日の真理愛のことを、部員たちは決して忘れることはないだろう。