表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第十の試練 俺は友達を抱くわけにはいかない
51/66

51 唯一の願い

 明差陽に責め立てられた歩夢は、自分の頭の中に反論を探した。

 それは自分で自分に言い訳するために並べてきた理屈の数々だ。


「確かに、あの人のことを考える時もあった。でもそれは、お前が言うような性欲を含めた恋愛感情とは違う。あの人は、あくまで人として理想の存在だったんだ」

「女性に対する要求が多すぎて、それに見合う女性は高良先輩だったってことでしょっ」

「全然違うよ。抽象的な存在として、ただ遠くから眺めているだけでよかった。それ以上はなにも望まない。だからセックスしたいなんて思わないし、一人エッチにも使わない」


 明差陽は急に黙ってうつむき、見てはいけないものを見るように歩夢を見た。


「だったら、だったらあたしはどうなのよっ。その……一人で……」

「あ……うん……したこと、ある。っていうかしょっちゅう。昨日もしたし」

「えっ」


 明差陽は顔から胸元まで一気に赤くなった。

 顔を両手で隠し、乱れた呼吸を整えてから手を離す。


「それって、あたしのことが好きだってことじゃない。あんたは、あの人よりもあたしのことが好きなんだよ。だったら好きだって言えよバカ!」


 明差陽は怒りをぶつけるような態度だが、瞳はまろやかに潤んでいる。

 歩夢は際限なく高ぶろうとする気持ちを抑えつける。


「違うんだ。二人とも恋愛の対象じゃない。性欲の対象だろうが人としての理想だろうが同じだ。俺は誰も恋愛の対象にはしない。なぜなら俺には、恋愛なんか必要ないからだ」

「そうやって、一生自分をだまし続けるつもり? それで死ぬまで一人ぼっちでいるつもりなの? 一生童貞で、あたしとかで一人エッチするだけ? そんな寂しい人生でいいわけ?」

「それこそ、俺にふさわしい人生だ。童貞バンザーイ、一人エッチバンザーイ」



 悲しみで満ちた明差陽の顔に、悲壮な覚悟が浮かび上がってくる。


「だったら、あたしが抱かれてあげる」


 明差陽は立ち上がり、ブラウスのボタンを外し始めた。

 艶やかな肌の垣間見える隙間が、上から下へ広がっていく。


 明差陽が脱ぐ?

 あの明差陽を抱ける?

 いかん、思わず見物してしまった。


 俺は友達を抱くわけにはいかない。


 バカだなあ。

 俺たちはあくまで友達じゃねえか。

 友達じゃないなら、一緒にいられないじゃねえかよ。


 歩夢は興奮を隠せない表情のまま、ボタンを外そうとする明差陽の手を止めた。


 もうちょっとでブラが見えたのにな~。

 何色だったんだろ~。


「お前とは、無理だよぉ。俺とお前は、そういうんじゃないだろう?」

「あたしでさんざんいやらしいことしてたくせに、今さらなに言ってんのっ」

「いやっ、それはその、あれだ。一人エッチは単なる生理現象だから。恋愛とは別物なんだよぉ」


「トラウマのせいで誰も好きになれないなら、あたしがセフレになってリハビリしてあげるよ」

「セ、セフレ? ……おいおい変なこと言うなってぇ。お前のナイスバディをそんなくだらないことに使うなよぉ」


 歩夢の声には感情がこもっていなかったが、彼のムスコは激情を示している。

 明差陽は二人組の犯人を見つけたかのように、歩夢の顔とムスコを交互ににらみつけた。


「やりたいんでしょ?」

「そりゃやりた……やりたくないです」

「この体で楽しみたいんでしょっ」

「そ、そういうことをレディが言うもんじゃないぞぉ」

「あんたみたいなムッツリスケベに言われたくないわ!」

「ムッツリスケベにはムッツリスケベなりの、ポリシーってもんがあるんだよっ」

「なにいばってんの? 本当はやりたくてしょうがないくせにっ」


 息を荒げ熱気を立ち昇らせる二人。

 歩夢はもう捨て身の戦法しかない、と肝をすえた。


「あぁやりてえよ! やりたくてやりたくてしょうがねえよ! 俺はずっとお前とセックスしたくて、ずっとお前でオナニーしてきたんだから!」

「やだぁっ、日比野ったら、正直すぎる……」


 明差陽は怒っているのか恥ずかしいのか嬉しいのか、なんとも複雑な表情だ。


「でも、それでもしない。それじゃダメなんだよ。抱きたいから抱くんじゃない。抱くべきだから抱くんだ。俺はお前を、抱くべきじゃない」

「なんで抱くべきじゃないのよ! お得意の屁理屈でうまく説明してみなさいよ!」


「だってお前は婚約してて、俺たちは付き合ってなくて、俺とお前じゃ不釣り合いで……」

「なにそれ! 今までにあんたが出した答えの中で、一番つまんないわ。クソつまんないっ」


「つまんなくてもそれが正論だ。俺は正論をバカにしたりしない。あくまで正論に従う」

「そんなに難しく考えることないじゃん。どうせ人生投げやりなんでしょ。たまには自分を解放してあげたっていいじゃない」


「そんな簡単に男と寝る女なんか、なんの価値もねえんだよ。相手にしたいとも思わねえな」

「簡単じゃ、ないよ……」


 明差陽の表情に暗い影が差した。

 歩夢が今までに見たことのない、ナーバスな明差陽だった。


「あたしはね、ずっとバージンを守ってきたんだよ」

「えっ! お前今、なんて言った?」

「あたしはあんたに、バージンを捧げるって決めてたんだよ!」

「なっ……」


 明差陽の告白には、信じていた記憶を一挙に崩壊させるだけのインパクトがあった。

 歩夢はなにを言えばいいのかわからず、どう考えればいいのかさえわからない。


「あたしはあんたのことが好きだった。自分の気持ちに気づく前からずっと。でもあんたの頭はあの人でいっぱい。全然あたしには興味を示さなかった。あんただって十二年間苦しかったんだろうけど、あたしなんか十三年間、あんたが振り向いてくれるのを待ってたんだよ」


「十、三年……」

 なんか、負けたような気がする……。


「だけど、もう疲れちゃった。だから諦めて結婚することにしたの。でもせめて、最初の男になってよ。それ以上はなにも求めないから。今夜だけでもいいから」


 歩夢はひたすらショックだった。

 自分が明差陽ほどのいい女をずっと苦しめていた。

 その衝撃の事実の前に、立ち直れないほどの責任を感じた。


 でもな、その「好き」は友情とか同情とかであって、恋愛感情じゃない。

 そりゃあその勘違いに便乗したいよ。

 でも俺は、お前にふさわしい男じゃないから。


 俺は俺を好きになってくれた人を抱くわけにはいかない。


 こんな俺を好きになってくれるなんて、いい人すぎるだろ。

 そんないいやつに手なんか出せるかよ。



 黙って首を横に振る歩夢。

 歩夢の腕にすがりつく明差陽。

 じっと明差陽を見つめながら首を横に振る歩夢。

 涙をためた瞳で訴える明差陽。

 その瞳から視線を外さないまま首を横に振る歩夢。


「仲間……」

 歩夢の穏やかな呼びかけには、温もりがこもっていた。

 明差陽の目から、一筋の涙が流れ落ちる。


 明差陽は無言でボタンをとめ、落ちていたバッグを拾った。

 そして黙ったまま、振り返らずに家から出ていく。

 部屋の中に、歩夢の大好物だった明差陽の残り香が漂っていた。


 そうだ。それでいい。

 お前は最高にいい女だ。

 お前なら大丈夫。

 絶対幸せになれるよ。


 あーあ。

 俺は人生最大の幸運を、捨てちまったんだろうな。



 深夜、歩夢のスマホが鳴る。

 明差陽からのメールだ。

 内容はたった一言。

「友達に戻ってあげるよ」


 あぁ、助かったぁ。

 もう会えないかと思った。

 やっぱ明差陽ってスゲーな。


 さて、というわけで今夜も……。



 一方、自分の部屋で枕がビショビショに濡れるまで泣いた明差陽は、歩夢の返信を受け取った。


「友達なら嫉妬も別れ話も離婚調停もない。一生俺の大切な友達でいてくれ」


 なにこの喜んでいいのか悲しんでいいのかわからない内容。

 だいたいあいつごときがこのあたしをふるなんて、百年早いんだよ。

 昔からあたしの体をいやらしい目で見てたくせに。


 あいつ、今夜もあたしでするに決まってるわ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ