50 確実な証拠
L字型の席に座る歩夢と明差陽は、ひざが触れるか触れないかの距離で話していた。
数えきれないほどの競争相手から明差陽を射止めた同僚は、一番友達っぽく接してきた相手だという。
歩夢がにやけながらなれそめなどを問いただすが、明差陽は一向に気分が乗ってこない。
じっとビールジョッキを見つめていた明差陽が、唐突に顔を上げて歩夢をにらんだ。
「あんたはどうなのよ。店の女の子に手を出したりしてないの?」
「えっ、ま、まさかぁ」
「なにその動揺。でもあんたに限ってそれはないか。そういえば有寿って子とは、今でも会ってるの? そろそろお年頃になってきたんじゃない?」
「あーいや~、そういえば最近会ってないなー」
「こいつ、怪しいな」
「そ、そんなこと、あるわけないじゃん」
「あぁ、その子は妹代わりなんだっけ。意外だったんだけどさ、あんたって結構世話好きなんだよね。自分のことはやる気ないけど、人のためならがんばれる」
明差陽は自分がほめられたかのように嬉しそうな顔をしている。
それは明差陽が歩夢のことを語る時によく作る表情だった。
「お前すっかりだまされてるな。俺は世話をするふりをして迷惑かけるのが得意なんだ」
「迷惑をかけたくないから、誰とも恋愛しようとしないんでしょ」
「そんなことないってぇ。人を苦しめるの大好物ぅ。こう見えてまさかのSだからぁ」
「あんたは自分だけが辛ければそれでいいって思ってるでしょう」
「辛いの嫌い。楽なのが好き。気持ちーのはもっと好き」
「でもね、あんたを好きな人にとっては、あんたが辛いことが辛いんだよ」
「じゃあどっかの女の子にちょっかい出して、地獄に突き落としてやろうかな」
歩夢をジロっと見た明差陽の目には、わずかに怒りがこもっている。
「だったらなんであたしにちょっかい出さないわけ?」
「おもしろいこと言うねお前。そんなこと言ってるとオッパイもんじゃうぞぉ。あ、これセクハラかぁ」
「何度も二人で会ってて口説いてこない男、あんたくらいなものなんだからね」
「うわー、自慢すか。あのなお前、いくらモテるからって結婚したら浮気だけはやめておけよ」
「わたしまだギリギリ独身だから、告るなら今のうちだよ」
そう言った明差陽の目は、歩夢が武者震いするほど色っぽかった。
「えっ、お前なにを言って……仲間、実は俺、人間の女には興味ないんだ」
「あらー、ついに二次元にいっちゃったの? そんな予感はあったけど」
「やっぱそんな感じなの俺。否定はできないけど」
「あんたって自分を卑下してるようで、実は女性に対する理想が高すぎるのよね。実際に異性と付き合わないと、理想って高くなる一方だし。あんたぐらい恋愛経験が乏しいと、理想を追い求めすぎて、人間の女じゃ無理なのかもしれないね。この、頭でっかちの、夢見る少年め」
「体も少年のまんまだよ。まだ毛も生えてない……いや、本気にすんな。じっと見るなってっ」
「いつまでも純粋なのはいいけどさあ、そろそろ前に進みなよ。あんたみたいな変わり者を待っている人だって、世界のどこかにはいるかもしれないんだから」
「いねーよそんなやつ。もしいるとすれば、ちょっとおつむが痛い人じゃないかな」
「あんたが真実を見ようとしていないだけでしょ。意識して見ようとしなきゃ、目の前にあるものだって存在しないのと一緒だよ」
「どうしたんだよ、そんな小難しいこと言っちゃって。成長したのは体だけじゃないんだね」
「どうもありがとお。あんたって相変わらず、話をはぐらかしてばっかだね」
微妙に盛り上がらない雰囲気のまま、二人は居酒屋を出た。
自分史上最高に気をつかって話したつもりの歩夢は、会話をしただけで疲れてしまった。
そのまま駅まで明差陽を送ろうと歩き出した歩夢は、明差陽が自分のワイシャツを指でつまんでいることに気づく。
「今からあんたの家に行く」
「なんだぁ? お前今日そんなに飲んだっけ? 昔から酒強かったじゃねえかぁ」
「酔いをさますために、しばらくあんたの家で休ませなさい」
「でも俺は明日遅番だけど、お前は朝から仕事なんだろ?」
「うるさいっ。行くって言ったら行くんだっ。明日はちゃんと有給取ってあるから問題なしっ」
自分の首に腕を回してきた明差陽の桃色の香りに、歩夢はめまいがしそうだった。
「うわー、それっていわゆるマリッジブルーってやつかぁ? めんどくせー。いってーな。やめろって。相変わらず強引だなー。痛いってば。もうわかったよ~」
有寿みたいに明差陽にも、マリアを見せておくべきだろう。
きっと、そのほうがいい。
子供のようにお互いを小突きながら、歩夢の家に着いた二人。
歩夢がカギを開けると、明差陽は勢いよく玄関扉を引こうとした。
「ちょっと待て。いいか、あんまり驚いて腰抜かすなよ」
「なんであたしが腰抜かすのよ。おじゃましまーす」
扉を開くと同時に速攻で靴を脱ぐ明差陽。
だが居間にワンピース姿の女性が立っていることに気づき、動きが止まる。
「歩夢お帰りなさい。あら?」
「え? えっ? えーーっ!」
歩夢に居間まで引っ張っていかれた明差陽は、マリアを見つめながら開いた口がふさがらなかった。
マリアは有寿の時と同様に動きが停止している。
マネキンのような微笑をたたえたまま、眼球だけがカメラレンズのように人物の動きを追っていた。
「この人は、なに? なにが、どうなってるの? あたし、頭がおかしくなっちゃった!」
「べつにおかしくなってないよ。実は抽選で、アンドロイドが当たっちゃってさ」
「だって、だってだって、あの人にそっくりじゃない。てゆーか本人にしか見えない。ちょっと余計に子供っぽくなった気はするけど」
「あのさ、誰かにそっくりにできるっていうアンドロイド、聞いたことないか? それだよ」
「アンドロイド? これがアンドロイド? 似すぎてて信じられないんだけど」
「だろうな。持主の俺も信じられないくらいだから」
明差陽はマリアを見まくって触りまくったが、マリアは無反応のままだ。
「そっか、そういうことか……。ねえ、あんたさ、いつまで高良先輩を引きずってんの? こんな作り物なんかに逃げないでよ」
「引きずってねえよ。これはただの家政婦ロボットだから」
「でもあの人の見た目にしたってことは、あの人の代わりにしてるってことでしょ」
「たまたまそうなっただけだよ。べつに、なにもしてないし」
明差陽は疑惑の凝縮された視線を、歩夢の顔と下半身に向けた。
「なにもしてない? そんなの絶対ウソじゃん。ずっとあの人に片思いしてたんだから」
「あの人は、そういう対象じゃない。昔からそういう対象じゃなかったんだ」
「信じられないよそんなの。あくまで本当だって言い張るなら、証拠を出してみなさいよ証拠をっ」
「証拠なんてあるわけ……いや、あるぞ。俺、あの人で一人エッチしたことない」
明差陽はドン引きして後ずさり、そのままソファに座り込んだ。
明差陽の健康的な脚線美が、歩夢の感覚を刺激する。
「やっ、やだぁ、そんなこと……」
「だって、それ以上に確実な証拠なんかないだろ」
「一度も?」
「一度もない。誓ってない」
即答で断言する歩夢に、明差陽は顔を硬直させた。
「それがもし本当なら、あんたの気持ちは恋じゃないよ。高良先輩のこと、本気で好きじゃないんだよ」
「お前は俺があの人に気があるんじゃないかって昔から疑ってたけど、それはお前の勝手な思い込みにすぎない。ただ正直に言うと、あの人の見た目はちょっとだけ好みだった。だからアンドロイドの外見はあの人に似せた。でもたかがその程度の話なんだ。芸能人に憧れるようなもんだよ。恋愛にまで達していたわけじゃない」
「その話、だいぶ無理があるよ。あたしにはとっくにバレバレなんだから、素直に白状しなさい。本当は付き合いたくて、抱きたくて、しかたなかったくせに」
付き合いたい? 抱きたい?
俺が? あの人と?
そんなこと、あるわけねえだろ!
俺がずっと抱きたいと思っていたのは、むしろお前なんだよ、明差陽。