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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第九の試練 俺は妹を抱くわけにはいかない
46/66

46 大きな笑い声

 2017年7月18日 火曜日



「ひ、日比野君のやり方は、間違ってるよ」

「他に方法が見つからなかったんでね。俺、バカだからさ」


「日比野いるっ?」

 朝三年C組に猛烈な勢いで飛び込んできた明差陽は、黒部と話し込む歩夢に詰め寄った。


「ちょっと日比野、あんたなんてことしてんのよ!」

「仲間、近い、顔が近いって。唇が触れちゃいそう」

「なんでこんなバカなことしたのかって聞いてんのよ!」

「そんなに驚くことないだろ。ネットへの投稿は俺の唯一の趣味なんだよ」


 怒りを露わにしながらスマホの画面を突き出す明差陽。

 ネット上にこんな文章が踊っていた。


「豊西学園高校三年C組日比野歩夢は援助交際で生まれた悪魔の子」

「生まれながらにして汚れている日比野歩夢が学校や町を不道徳と反秩序で汚染する」

「日比野歩夢は無差別に女性を襲う」

「日比野歩夢が触れた女性は淫乱になる」

「日比野歩夢をたたけ」

「日比野歩夢を許すな」


 同じクラスの生徒も、他のクラスの生徒も、学校中の生徒がこれらの記事を読んでいた。

 たくさんの目が歩夢を監視し、いくつものレンズが彼を狙っている。


「なんでこんなことするのよ! あたしだけの宝物だったのに!」

「ん? お前、なにについて怒ってんだ?」


「こんなにたくさんネット上でばらまいたら、取り返しがつかないよ!」

「広がれば広がるほどいい。高良先輩の話題が消えてなくなるくらいに」

「あんたってどこまでバカなの! こんなことしたって二人ともたたかれるだけじゃない!」

「いてーよ。そんなにたたくなよ。俺をたたいてんのお前じゃん」


 じゃれ合うようにもめている二人にあきれながらも、黒部の顔が次第に引き締まっていった。


「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて。僕ネットのことなら詳しいから、高良先輩の記事の出所を探ってみるよ。大本をたたければ、もうこんなことしなくても済むでしょ?」

「あぁ、そうだな。黒部、お前だけが頼りだ」

「うん、僕に任せて」



 しばらく部活には出ないと決めていた歩夢は、放課後黒部の誘いを振り切り一刻も早く帰ろうとしていた。

 大好物のエサを与えられた暴徒たちが、学校中にあふれているからだ。


 しかし、彼の逃走は遅すぎた。

 いつの間にか彼の両脇に、一之瀬と速見が取りついている。


「いや、今日は帰らせてくれってっ」

「アンフェアな誹謗中傷は、あくまで無視するんじゃなかったけ? 日比野っち」

「よせっ、お前らまで巻き込まれるぞっ」

「俺たちなら余裕っすよ。なにしろ最強アウトサイダー、日比野氏の弟子っすから」

「お前ら冷静になれって。……でもこの強引な感じ、なんか懐かしいな」



 周囲の嘲笑を浴びながら、地味な部活動が淡々と進められた。

 そこへ、わかりやすく作り笑いを浮かべた境と宝蔵院が訪れる。


 二人はネットの話題には触れないまま、宝蔵院がモテて困っている話、境が相変わらずモテないという話を、延々と続けるのだった。


 ほんとおせっかいな人たちだなぁ。

 どんだけ暇なんだよ。



 感極まった歩夢が廊下に出ると、宝蔵院が追いかけてきた。


「おい日比野」

「しばらく会わないうちに、一段ときれいになりましたね。それじゃモテてもしかたないですよ」

「うぐっ、そうやって堂々とお世辞を言うのはやめろ。くすぐったくてしかたないだろうが」

「俺、本心から言ってるんだけどなぁ」


「い、いいか日比野、一度しか言わないからよーく聞け。お前がどうしてもと言うなら、わたしにほれることを許してやってもいい」

「えっ、いいんですか? 俺ってビビリでヘタレだから、先輩が理想とする男には程遠いですよ」

「黙れっ、武士に二言はないっ。だからと言って、なにも付き合ってやるとは言ってないぞ。難攻不落のわたしを落とせるのは、天下を取った男だけなのだからなっ。アッハッハッハッハッ」


 宝蔵院はどこから出しているのかわからないような高い声で笑いながら、廊下の角を曲がって消えていった。


 歩夢は一言礼を言いたくなって後を追う。

 するとそこで、宝蔵院と境が交代を意味するハイタッチをしている場面に出くわした。


 まったく、どこまで後輩思いなんだこの人たち……。



 見つからないように体を引っ込めた歩夢に、今度は顔が紅潮している境が声をかける。


「や、やあ、日比野じゃないか~。奇遇だなー」

「さっき会ったじゃないですか」


「あのな日比野~。生きていればなにかと辛いこともある。でもな、人間にはオナニーがある」

「ええっ、またその話? もう二十代なのに……」


「女にふられても金がなくても、自分にはなにもないと思えても大丈夫だ。どんな不運に見舞われたって、絶望する必要なんかないぞ。どんなに悲惨な境遇にあっても、俺たちにはオナニーの快楽が残されているんだからな。オナニーほど効率的なストレス発散法はないぞ。若いうちは毎日できるしな。一つでも楽しいことがあれば、人生それだけで悪くないだろ?」


「なんかいいこと言ってる感かもし出してるけど、結局恥ずかしいことしか言ってないっ」


 歩夢の指摘で境はゆでだこのようになっていたが、それでも話をやめようとはしない。


「一人でするオナニーなら他人とのしがらみもない。誰ともかかわらないから誰も傷つけない。世間では汚らわしいことみたいに言われてるけど、オナニーほど純潔なものはないんだぞ~」

「まあ、ある意味そうかもしれませんが……」


 でもねマスター。

 その一人エッチでさえ、俺にとっては不自由なものなんですよ。


「若者よ! オナニーさえしていれば大丈夫だーっ! ハッハッハッハッハッ、ゴホッ、ゴホッ」


 せき込むほど大げさに笑いながら去っていく境。

 よく見ると手が震えている。


 この人、もしかして対人恐怖症なのかな。

 だとすれば、相当無理して俺たちと会話してるんだろうな。



 こっそりと曲がり角の向こうをのぞいてみると、うつむきながら腰に手を当てる境と、頭を抱えて天を仰ぐ宝蔵院の姿が見えた。


 ちょっとずれてるような気がしないでもないけど、やっぱこの人たち、すごい人たちなんだ。


 俺は先輩にも、同期にも、後輩にだって恵まれた。

 これじゃ不幸な人生とは言えないな。



 夕方地学部の仲間たちは、歩夢をガッチリと囲んだまま自宅の前まで送っていった。

 罵声に負けないほどの、大きな笑い声をまき散らしながら。


「それで、ユーはいったいどんなビッグなことをやってくれるわけ?」

「俺は天下を取って、この世界を俺色に染めて、世界一の女をものにするんすよ」

「具体的なのは彼女が欲しいっていうことだけだな~。気持ちはわかるけどさ~」


「元先輩の境君、人生に彼女は不要なんじゃなかったっけ?」

「あちゃ~。もう彼女を作るのは諦めるからさー、ずっと宝蔵院の先輩でいさせてよ~」

「じゃあしょうがないから、これからも先輩扱いしてあげますよ。マスター先、輩」

「そ、その呼び方、宝蔵院まで~っ」


 夏の夕陽は冬の暖炉のように暖かくて、歩夢の背中をじんわりとほてらせる。

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