43 すごい先輩
2017年4月15日 土曜日
歩夢は三年生になった。
地学部では、宝蔵院と黒部から部長になるよう勧められたが断り、黒部に譲った。
弱気だが精一杯部長を務める黒部を見て、歩夢はひそかに敗北感を味わっていた。
例年通り新入生の勧誘はしたのだが、黒部の考案した展示や一之瀬のコスプレ姿では、人は集まってもアニメ同好会と勘違いされるばかり。
地学部は今年でついに廃部かと、部員たちは半分覚悟していた。
歩夢のクラスは三年連続のC組となったが、今回は黒部と一緒だ。
黒部のこの上なく嬉しそうな顔に、歩夢もつられて笑顔になる。
それは、かなり久しぶりの笑顔だった。
歩夢と黒部はクラスで明らかに浮いていたが、一人で孤立するよりは二人でいるほうが、攻撃を受ける回数は少なかった。
しかもなにかの用事で一之瀬がやってくると、二人にいやがらせをする生徒を鋭い目でにらみつけ、震え上がらせるのだ。
しかしこの日、一人で気温を記録する黒部に三人の新入生が近づいていった。
「そこの先輩さ~ん。ちょっとお金貸してもらえませんかー」
「い、いや、お金、あ、あんまり、持って、いませんので」
「有り金全部渡してくれればいいんすよ~。後輩が飢え死にしたらどうするんすかー」
「お、お願いします。ゆ、許してください」
「あれ、なんすかこの機械。なんか壊れてませんか~」
「や、やめてください! む、無理やり引っ張ったら、ほ、本当に壊れてしまいます!」
黒部の悲痛な叫び声を耳にした歩夢は、飛び降りるように階段を駆け下りていった。
校庭に出ると、三人の男子に蹴られている黒部が目に入る。
歩夢は十数年に渡るいじめられっ子人生の中で、抵抗は逆効果という教訓を得ていた。
いじめの現場を見かけても、下手にかかわれば被害が増えるだけ。
だから知り合いがひどい目にあっていても、やりすごすしかないんだと考えていた。
ただし、友達がやられているところを見たことはない。
初めて友達ができたと思えたのが、つい最近だったからだ。
「やめろ!」
気づいた時には、そう叫んでいた。
いつも自分に親切で、なにかと自分を頼ってくれる黒部を、見捨てることなんてできない。
けれど、それだけではなかった。
痛めつけられてもいい。
傷つけられたっていい。
殺されても構わない。
そう思っていた。
「こいつはなーっ、お前たちが想像できないほど、いいやつなんだ! 俺たち部員が尊敬する、やたら面倒見のいい、最高の部長なんだよ!」
「ひ、日比野君……」
歩夢は勢いよく乱入したものの、その後は黒部と共に一方的に蹴られるだけだった。
自分がやられて済むなら、そのほうがいい。
そういう考え方しかできなかった。
二人の惨状を見ても、助ける者はいない。
明差陽も一之瀬も、そこにはいない。
ただグラウンドにいた野球部の一員が、その様子をじっと眺めていた。
「うっ、俺は悪名高き日比野歩夢だ、うっ、一緒にいるところを見られたら、うっ、ばい菌がうつるって言われて、うっ、誰からも相手にされなくなるぞ、うっ」
「なに言ってんだこいつ。気色悪いからもう行こうぜ」
蹴るのに飽きた新入生たちがその場を去ると、ダンゴムシのように丸くなった歩夢と黒部だけが残された。
よろけながら起き上がった二人は、土まみれになった制服を互いに払い合う。
「ぼ、僕、生まれて初めて、人に助けてもらいました。か、感謝という前に、感動です」
「全然助けてないじゃんか。ただ一緒になって蹴られてただけだ」
「ぼ、僕は一人じゃないって思っただけで、う、嬉しくなっちゃって」
「お前はずっと、そうやって人からないがしろにされてきたのか」
「ぼ、僕は、その程度の人間だから。み、みんなの扱い方は、正しいんだよ」
「でもいつか、そういうやつらを見返してやればいい。お前は努力家で、しまいにはなんでもできちまうやつなんだから」
黒部の丸くふくらんだほおに、熱いしずくが流れていく。
「ぼ、僕そんなこと初めて言われたよ。と、友達だと思えるのは、日比野君だけだっ」
「なんだよ、そんなことで泣くんじゃねえよ。俺よりましな友達だってできるよ」
「ひ、日比野君は、いつもそうやって自分を卑下するけど、ぼ、僕のほうが、ずっと邪悪な人間なんだ」
「安心しな。俺以上に悪に染まった人間なんかこの世にいねえよ」
「ぼ、僕はね……いじめられるたびに、いじめっ子を殺したいって、そう思ってるんだよ!」
「いいねえ。その負の衝動をエネルギーに変えられれば、どんなことだって成し遂げられるよ」
「こ、こんな卑劣極まりない感情が、なにかの社会的成功に結びつくって言うの? ひ、日比野君って、すごいこと言うんだね」
「まあ、誰かの受け売りのような気もするけどな~」
汚れたままの歩夢と黒部が部室に戻ると、一之瀬の顔から疑問符が飛び散っていった。
「うわっ、汚っ。二人でプロレスでもしていたの? 今拭いてあげるから、そこに立っててっ」
「いつも助けてくれてありがとな。一之瀬って、外見はクールだけど性格は優しいんだよな」
「オゥ、やめてよー。あたしルックス以外をほめられるの、慣れてないんだからさ~」
「それはみんなが一之瀬の中身をちゃんと見てないってことだ。言動がワイルドなだけで、本当はいつも相手のことを思いやっているのに」
「ぼ、僕もそう思う。い、一之瀬さんはルックスだけじゃなくて、ハートもきれいです」
「オゥマイガーッ。ユーたち今日はなんか変だよ~。えっと、天気図でも書こっかなー」
その時、扉がガラガラと音を立てた。
入ってきたのは、泥だらけの野球服を着た小柄な男子。
顔も細いし目も細いが、ギラギラした目には力がある。
「あのさー、俺、一年の速見俊介。ここに入部するから」
突然のことに、部員たちは顔を見合わせるばかりだった。
初めに声を発したのは一之瀬だ。
「ユーを歓迎するよー。地学部へようこそ~」
「地学部なんだっけ、ここ」
「なにそれ、ユーわかってないでここに来たの?」
「あー知ってる知ってる。気温計るやつっしょ?」
「まあそうだけどさー。ところで野球部のユニフォーム着てるけど、兼部するってこと?」
「野球部なら、たった今やめてきた」
「そう。野球部と地学部ってだいぶ違うかもだけど、なんで地学部?」
「なんか楽そう、だから?」
「なにを見てそう思ったのか知らないけど、まっいいかー。なっ、先輩たちっ」
二人の会話をぼう然と聞いていた歩夢と黒部は、一之瀬に肩をたたかれてうろたえる。
「あーでも俺、ここへの入部を野球部やめる口実にしただけなんで、基本幽霊ってことでよろ」
「なんだよそれー。今楽そうだからいいって言ったじゃーん」
「あーそれてきとー。楽そうだけどつまんなそー。やる気出ねー」
速見はポケットに手を突っ込んだまま話をしていた。
歩夢はおもむろに近づくと、いきなり速見の手を引っこ抜く。
その手は、血にまみれていた。
「お前、なんで野球部やめたんだよ」
速見は下から見下ろすような目で歩夢を見上げ、口をとがらせながら話を始めた。
「俺さー、運動神経抜群でさ。野球部入ったら即レギュラー。そしたら先輩たちの恨みを買ってさ。あんまりじゃまされるから疲れたんだよね。そんな感じ」
「で、出る杭は打たれる。た、大変だったね」
「どうってことねえよ。あんたこそ、いかにもいじめられそうな顔してんなぁ」
「っていうかユー、この二人がからまれてたとこ、見てたでしょ」
「えーっ、ってことは一之瀬も見てたのかよー。だったらなんで助けねえんだよー」
「あのさ日比野っち。なんで後輩の女子一人で、先輩の男子二人を助けなきゃいけないわけ?」
「あんたら、弱すぎて見てられなかったんだけど」
「そんなユーは、この二人の熱い友情に感動しちゃったってわけね」
「そんなわけないっしょ。こんなダサいやつらに」
「そういうことにしといてあげるよ。でもユーは一年なんだからさ、先輩には敬語使えよー」
「えっ、一之瀬がそれを言う?」
「あたしは帰国子女なんで、敬語に慣れてないだけだから。でもユーはダメー」
「マジかよ。めんどくせー。年齢より才能で格付けしてほしいね」
「ぼ、僕が部長で、大丈夫かな。ね、年齢と地位が、逆さまのような」
「先輩さー、デブな上に、なんかどもってない?」
「ユーはさーっ、デリカシーなさすぎなんだよっ」
一之瀬が速見を捕まえようとするが、俊敏な動きで避けられる。
二人は追いかけっこを始め、机の周りをグルグルと回り始めた。
「ふ、二人とも、もういいから。ぼ、僕は気にしてないから」
「そういう速見は、いつか黒部の人徳を認めることになるだろうよ。あのさ速見。世の中、ムダなことなんてない。つまんなそうなことでも、本気でやってみれば案外意味があるかもよ」
あれ?
俺またどっかの誰かみたいなこと言ってないか?
「そうかぁ? ありえね~。オレはここみたいな地味な活動より、もっとどでかいことがやりてーんだよ。世間のやつらがあっと驚くようなね」
速見の言葉に、歩夢と黒部が吹き出した。
部屋の外からも、豪快な笑い声が響いてくる。
「日比野、貴様に真の後継者ができたようだな」
「あっ、ボス~っ」
一之瀬が速見を派手に蹴り飛ばし、宝蔵院に飛びついていく。
一流大学の文学部史学科に現役合格した宝蔵院は、意外にも桜色のワンピースを着ていた。
「宝蔵院先輩が、女みたいになってる」
「なんだとぅ。日比野、貴様はまだ乙女の扱いがわかっていないようだな」
「その類まれな美ぼうと一本筋の通った性格じゃ、男はみんなほれちゃいますよ」
「なっ、誰がそこまでほめろと言ったっ」
照れまくる宝蔵院の顔を、速見が打球を追う遊撃手の目つきで見ていた。
「あれ、この部活、意外に女子のレベルたけえな」
「おい小僧、このわたしにほれてもムダだぞ。わたしは戦国武将にしか興味がない」
「うわー、中身はやっぱマニアック系か~。まっ、思ったよりは退屈しないで済みそうだな」
「おーっ、待望の新入生が入ったんだな~」
貧相な風ぼうがさらにグレードアップした境が、手を上げながら入ってきた。
境はなんとか三流大学の文学部日本文学科に入学したが、バイトばかりしていて授業はほとんど欠席している。
「このいかにもエロそうなおっさんは誰っすか?」
「初対面なのにキャラバレてる~っ」
「いやあ、境先輩が同期になるとは思わなかったよ」
「高校時代も宝蔵院のほうが先輩みたいだったじゃないか~」
情けない表情をしていた境だが、男子たちのほうへ目を向けると一変してドヤ顔に変わった。
「男子諸君よーく聞けい。大学に入れば童貞を捨てられると思ったら、大間違いだぞ~」
先輩たちが作るこういう和やかな雰囲気、俺にはとても作れない。
この人たちって、実はすごい人たちなんじゃないのか?