42 青春の終わり
ピッタリとくっついたまま離れない有寿を連れて、歩夢は自宅に帰った。
「お帰りなさーい」
居間から明るい声を投げてきたマリアは、弾けるような笑顔だ。
今日の格好、女子高生だったっけ。
歩夢は苦笑い。
「え?」
マリアを見たとたん、有寿のまぶたが高速で開け閉めされる。
一方のマリアは初対面の人間を前にして、燃料が切れたように止まってしまった。
歩夢とマリアを交互に見ながら絶句している有寿。
頭の中で推理に推理を重ねてから、ようやく口を開く。
「どういうこと? お兄ちゃん、この子を養子にしたの?」
「そんなわけないだろ。なんで俺が養子を取らなきゃいけないんだよ。俺の彼女だよ」
「お兄ちゃんに彼女がいたなんて、聞いてないよー」
「それがいたんだなー。しかもここで同棲してるんだぞー」
「えっ! あの堅物のお兄ちゃんが、同棲?」
「そうなんだ。毎日有寿が想像もつかないことしてるんだ。エヘヘ」
歩夢は探るような目で有寿を見る。
有寿もいぶかしげな視線を歩夢に向ける。
「しかも、女子高生とぉ?」
「そうそう。実は俺、女子高生じゃないとダメなんだ」
「女子大生じゃ、ダメなの?」
「この、セーラー服がいいんだよねー」
「お兄ちゃん、制服フェチだったの? だったらあたし、高校時代の制服着てくるよー」
「正真正銘の十八歳以下じゃないとダメだよ。なんかこう、十代の、ピチピチ、ムチムチ……」
「あたしだってまだまだ若いもん。確かめてみなよー」
確かに脱いだらすごそう。
こういう体型ってそそるんだよな……。
おっと、体を見ないで顔を見ていないと。
「女子高生ってところが重要なんだよー。なんつーか、未熟な感じがいいっていうかさー」
「だったら女子高生の時に告ればよかったー。二十歳になるまで待って失敗したわ~」
「そうだな。もう手遅れだ」
「でも未成年はダメだよー。あたしと初めて会った時だって、捕まりそうになってたじゃーん」
「そのいけないことをしてるっていう罪悪感がたまらなくて、やめられないんだよねー」
「お兄ちゃんそれもう病気だよー。病院行ったほうがいいよー」
「自覚はしてるけど、この性癖は直らないだろうなー。俺ってガチのロリコンだからさ~」
「お兄ちゃんもしかして、小学生のあたしを狙ってたの?」
いけねっ。
調子に乗って言いすぎたな。
でもこの際、このまま突っ走るしかないか……。
「そうなんだ。幼い子供にいたずらしようとして、一人で遊んでいた有寿に近づいたんだ……」
有寿、ごめんな。
お前の大切な思い出を汚しちまって。
でも許してくれ。
過去よりも今、今よりも未来のほうが、もっと大事だからさ。
俺はこんな純粋な子を抱くわけにはいかない。
俺はな、お前の将来を楽しみにしているんだよ。
「ごめん……俺変態で……ごめん」
顔をクシャクシャにしてうつむく歩夢
しかしそんな彼をじっと見つめながら、有寿は揺るぎない確信をつかんでいた。
「お兄ちゃん。それが本当かどうか、あたしにはわかるよ。小さい頃からずっとお兄ちゃんのことを見てきたんだから。お兄ちゃんに限って、そんなこと絶対にない」
「いやいや、人は見かけによらないからさあ。俺の頭の中はそりゃもうグチャグチャで……」
「絶対にないっ」
あれ? なんで俺が変態だって信じてくれないんだよ~。
どんなことを言えば嫌われるのか、考えあぐねる歩夢。
しかし有寿はそんな歩夢から視線を外し、マリアの顔をのぞきこんで首をかしげていた。
「あ、この人なんか、あの人に似てる」
「えっ、あの人? 誰のことだろう」
「祭りに来てた、大人の人」
「覚えてないなあ。俺子供にしか興味ないから」
「年は違うけど、多分同じ人だよ。んーん、絶対同じ人だよぉ」
「年は違うけど同じ人なんて、そんなのありえないだろ」
「だけど、同じ人だもん」
「有寿の勘違いだろ。とにかく、俺が今好きなのはこの子なんだ」
昔ちょっと見ただけなのに、なんでわかるんだよ。
なんなんだその記憶力。
「ねえこの人、なんでずっと固まってんの? おかしくない?」
「いやぁ、彼女ちょっと、恥ずかしがり屋さんでね。そういうところがまた、いいんだよなぁ」
「もう何分も瞬きをしていない気がするんだけど」
「彼女ねえ、すっげえがまん強いだよぉ。そういうところも好きでさあ、俺にはこの子しかいないって、思っちゃったんだよなぁ」
「そんなに、これが好きなの?」
「あぁ……好き、だよ……」
顔面の筋肉が崩壊している歩夢。
それに対し、有寿の表情はみるみる硬くなっていった。
「もうわかったよ、お兄ちゃん」
「えっ……あぁ……」
涙をあふれさせながら、無理に笑顔を作る有寿。
歩夢もなんとか笑おうとするが、顔が引きつってしまう。
「あたし、帰るね。送らないでいいから」
「おぉ、そうか。気をつけて帰れよ」
「じゃあね、元気でね。あたしの大好きなお兄ちゃん……」
「あぁ、お前も元気でな。俺のかわいい妹……」
有寿はキラキラ光る涙の粒をまき散らしながら振り返り、全力で走っていった。
ごめんな有寿。
もう、会えないな。
歩夢は悲しみの詰まった目で、暗い通りを駆けていく有寿を見送った。
有寿、お前はもう、俺がいなくても大丈夫だ。
だってさ、こんなにすごい勇気を出せたんだから。
幸せになれよ、有寿。
俺は有寿の幸せを、ずっと祈っているからな。
歩夢からは見えなくなった所で、有寿はハイヒールが折れ、道に倒れてしまう。
街灯の光が届かない暗闇の中で、有寿は思い切り泣いた。
告ってもムダだってことは、わかってた。
お兄ちゃんの希望通りに妹を演じていれば、これからもずっと近くにいられたのかもしれない。
でもそんなのもう、耐えられなかったんだもん。
あのねお兄ちゃん。
あたしはお兄ちゃんが本当の家族よりも優しくしてくれたから、好きになったわけじゃないんだよ。
お兄ちゃんが男として誰よりもかっこよかったから、好きになったの。
だからあたしがふられたのも、あたしが妹代わりだったからじゃない。
あたしが女として、選んでもらえなかったんだと思う。
やっぱり、お兄ちゃんはあの人なんだね。
祭りの時、そんな気がしたんだ。
でもさっきのって、多分人間じゃないよね。
きっと、話題になってるアンドロイドだろうな。
だけどあんな高い物、どうやって買ったんだろ。
もしかして、すごい借金したとか?
内臓とか売っちゃったのかもしれないわ。
それだけ、あの人のことが忘れられないってことか。
幸せになってね、お兄ちゃん。
あたしお兄ちゃんの幸せを、ずっと祈っているからね。
あーあ、あたしの青春、終わっちゃったな。
あたしの思春期って、最初から最後までお兄ちゃん一色だった。
でもあたし、後悔してないよ、お兄ちゃん。