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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第九の試練 俺は妹を抱くわけにはいかない
41/66

41 悲しい結末

 2027年9月6日 月曜日



 あの二人きりの夜以来、歩夢と結衣は仕事上必要なことしか話さなくなった。


 そして九月の初めに、結衣はバイトを辞めてしまう。

 理由は「受験のため」。


 大黒柱を失った職場は、連日緊急事態の大忙し。

 日下部でさえまじめに働かざるをえない状況に陥っている。


「結衣ちゃんなんで辞めちゃったんっすかね~。大学は推薦で入れるって言ってたのにな~」

「すいません」

「なんで店長代理が謝るんすかぁ?」

「いやその、引き留められなかったから?」

「なんで疑問形なんすか。まさか店長代理、結衣ちゃんになんかしたんじゃないっすよね?」


 歩夢のこめかみに汗がにじんでくる。


「な、なんのことぉ?」

「そうっすよね。店長代理に限って、そんな度胸ないっすよね」

「そーだよー。俺に限ってないよー」

「一応念のために聞いておきますが、ま、さ、か、ふったわけじゃないっすよね」


 いつもニヤついている日下部は、シリアスな顔になると少々不気味だ。


「まっ、まさかぁ」

「俺、それだけは許さないっすよ」

「やだなー日下部ちゃーん、変なこと言うなよぉ。あんなきれいな子が、俺なんかに告るわけないだろぉ」

「さすがにそれはないっすよねー。いくらなんでも不釣り合いだしー」

「そ、そーねー……」



 今日は有寿と食事の約束をしている日だ。


 歩夢は山積みの仕事を残したまま、池袋の待ち合わせ場所へ急いだ。

 人の多さに焦る歩夢の耳に、甘えん坊丸出しの声が響く。


「お兄ちゃん!」

「おぅ、有寿」


 相変わらず童顔の有寿だが、今日は体のラインがわかるような大人っぽい服を着ていた。

 だから歩夢は、有寿がいつの間にかナイスバディになっていたことに気づかないわけにはいかない。

 小柄だが凹凸の差が大きい、いわゆるトランジスタグラマーだ。

 ワインレッドのドレスは背伸びしすぎている感もあるが、その肉感的な印象はすれ違う男たちを次々に振り向かせる。


 あの泣いてばかりいた子供が、すっかり大きくなったな。

 生意気に口紅なんか塗ってるよ。



 二人はレストランに入り、夜景の見える窓際の席に座る。

 これまでも食事をすることはあったが、乾杯するのは初めてだ。


「有寿が二十歳とはビックリだよ。俺が年取るはずだぁ」

「あたし自身もビックリ~。こんなに美人になるなんてー」


「外見は中学生くらいになったけど、中身は小学生のままなんだろ?」

「お兄ちゃんはすっかりお年寄りだねー。杖でも買ってあげようか~?」


「今日は孫にも衣装だな。ちゃんとオムツははいてきたのか?」

「今夜はすっごい下着はいてるよ~。お兄ちゃんには介護用のオムツが必要だねー」


 二人はなにを話しても笑いが止まらない。

 宝石のようにきらめく夜景も目に入らない。

 おしゃれに盛り付けたコース料理も、食堂の定食のように口へ放り込む。

 歩夢の制止も聞かず有寿は、ワインを体育館前の冷水器のようにグビグビと飲んでいった。


「どうだ、彼氏はできたのか? この前告られたってメールに書いてあったけど」

「うーんと、それは断ったんだけど、また別の男の子に告られた」

「お前やるなー。それで、返事はどうしたんだ?」

「どうすればいい? あたし、お兄ちゃんの言う通りにする」

「なんで俺が決めるんだよぉ」


 有寿は充実している大学生活や、画家は難しくても絵に関する仕事に就きたいこと、それに家族とはまあまあうまくやっていることなどを、ほぼ一方的に話しまくった。

 対する歩夢は、とにかくまめに相づちを打つ。

 妹というよりは、孫を見るような視線で見守りながら。



 地上へ降り、色とりどりのネオンで飾られた通りを歩いていると、有寿がすがりつくように腕を組んできた。

 そんな子供じみた行動に出るのは、十年ぶりだ。

 当時と異なっているのは、胸が大きくなっていることと、小悪魔のような視線で歩夢を見上げていること。


「ねえお兄ちゃん、あたしのこと、どう思う?」

「初めて会った頃のまんまの、かわいい妹だよ」

「今のあたしを見て、男としてどう思うのかっていう意味だよー」


「お前なあ、そんなに飲むなってあれほど言ったじゃないか。まったく、子供のくせに」

「あたし、もう大人よ。やっと、お兄ちゃんと並んで歩ける」


 ツッコミを入れようとした歩夢は、有寿の真剣な眼差しに口をふさがれた。


「お兄ちゃん、今からホテルに行こ」


 なっ、なに言ってんだこいつ!

 いくら酔っ払ったからって、冗談きついよ。


「ホテルだぁ? まだ終電あるだろ。ちゃんと送ってやるから」

「お兄ちゃんに、あたしのバージンをあげる」


 歩夢の口から言葉が出てこない。

 口をパクパク動かしても、なにも出ていかない。


「わかってるよ。あたしのこと女だと思っていないことぐらい。でもね……」


 なにか言わなきゃ。

 それ以上言わせちゃいけない。

 でないと、これまで築き上げてきた関係が壊れちまう。


 だが有寿の目に涙がたまっているのを見てしまい、歩夢はまたもや言葉を失う。


「あたし、お兄ちゃんのことが好きなの」


 今の魅惑的な体型と、昔のあどけない表情が、交互に浮かんでくる。

 けれど一番強く印象に残っているのは、やはり泣いている小さな女の子の姿だ。


「それって、あくまでお兄ちゃんとしてって意味だろ? お前今日はなんか、頭がこんがらがってるみたいだな」

「あたしは冷静だよ。ずっと前から、お兄ちゃんに気持ちを伝える機会を待っていたの」


 この子は俺を心のより所にしている。

 そんないじらしい気持ちをないがしろにはできない。

 だからって、俺がこの子に取るべき態度はわかっている。

 俺はこの子をまっとうな道に導いてあげないといけないんだ。


 男の責任。

 大人の責任。

 兄の責任。


 俺は妹を抱くわけにはいかない。


 この子は俺にとって、大事な大事な妹代わりなんだから。



「俺たち、本当の兄妹みたいに接してきたじゃないか。なんで昔のままじゃいけないんだよ」

「昔とは違うんだよ。もう出会った頃には戻れない。あたし、妹なんかじゃいや!」


「お前のこと、今さら女としてなんか見られないよ。俺とお前は、もっときれいな関係なんだ」

「なによきれいな関係ってー。お兄ちゃんはいつだってあたしを純情かれんな女の子にしたがるけど、あたしだって彼氏は欲しいし、付き合ったらイチャイチャしたいもん」


「バカ、そんなこと言うなって。有寿はまじめないい子なんだって」

「お兄ちゃんがそう思いたいだけでしょ。今どきそんなおとぎ話の主人公みたいな女、どこにもいないから。女にだって性欲はあるんだよ。頭の中ではすっごいこと考えてるんだから」


「やめろっ。有寿に限ってそんなことありえない。有寿はまじめで、勉強熱心で、芸術が好きで……」

「人の気持ちって、そんなに単純じゃないんだよ。あたしはお兄ちゃんのこと、お兄ちゃんだと思ったことなんか一度もない」


「お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃないって、そんなこと言われたらお兄ちゃん、立ち直れないよぉ」

「ごめんねお兄ちゃん。でもあたしはお兄ちゃんのこと、ずっと男性として好きだったの。十二年間、ずっとだよ」


 十二年。

 それは歩夢にとって重たい数字だ。


「そうか。俺が調子に乗って、兄妹みたいに接してきたからいけなかったんだな……」

「そんなことないよ。お兄ちゃんがどういう風に接しても、あたしはお兄ちゃんにひかれたと思う」


 この子はこの夜にすべてをかけている。

 言葉でごまかそうとしてもムダだ。

 この子には知ってもらうしかない。

 兄と慕ってくれた俺が、どんなに弱い人間なのかということを。



「わかったよ。だったら俺の家に行こう」

「うん。嬉しい」


 さらに力を込めて、必死にすがりついてくる有寿。

 歩夢は有寿を密着させたまま、タクシーに乗り込んだ。


 悲しい結末を予感しながら。

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