36 決死の覚悟
この子は今、なんて言ったのかな?
サックス? シックス? ソックス? スックス?
スックスなんてねえか。
サ行のあと一つは、なんだったっけ?
ダメだ。頭がパニクってる。
「いやあ、最近耳が遠くなっちゃって。年かなー」
「その辺のホテルでもいいし、店長代理の家でもいいし、この際ここでもいいですよっ」
動揺を見せまいと努める歩夢だが、結衣の体を足首から胸までなめるように眺めていた。
この店の制服ってさ、なんで情熱的な赤なのかなあ。
しかもこのスカート、ムダに短くねえか?
まったく、けしからんっ。
あぁ、それにしてもきれいな脚だな~。
なんか、胸がさらに大きくなったんじゃねえかぁ?
って、楽しんでる場合じゃねえ。
この子がなにを考えているのかよくわからないけど、とりあえずうまくごまかさなきゃ。
「さて、未成年はそろそろ帰らないとね。俺も門限に遅れちゃうし……って大人だし一人暮らしだし、門限なんかあるかっつーの~」
「あたし今日で十八歳になったから、淫行にはならないですよ」
法律なんか関係ねえんだよ。
俺はバイトを抱くわけにはいかない。
それはこの店を預かる者として、決してやってはいけないことだ。
「あのさあ、説教するつもりはないけど、あんまり男関係激しいとヤバくねえか?」
「あたし、バージンなんですけどっ」
マジかっ。
雰囲気大人っぽいから、とっくに経験済みだと思ってた。
意外。
「だったらなおさら、なんで俺なの? 俺なんかパッとしないし、全然イケてないだろ」
「自分でそんなこと言わないでくださいよっ。店長代理は、今まで会った男の中で一番イケてますから」
「まさかぁ。俺よりいい男なんて、いくらでもいるだろう。設楽だったら、きっと選び放題だろうし」
「あたしの体を狙う男なら、ウンザリするほどいましたよ。でもこの人とならしてもいいって思ったことは、一度もなかったんです」
「だったらしてもいいと思う相手が現れるまで、待っていればいいじゃないか」
「だからそれが、店長代理だったんですよっ。生まれて初めて、この人になら抱かれてもいいって思ったんです。それくらい、店長代理が好きだってことなんですっ」
好きって言ったのか? 今、俺のこと。
こんな最上位クラスの子が?
俺のことよく知ってるはずなのに?
しかもいきなりエッチしようってなんだよ。
まったく今どきの子は……ってレベルじゃねえな。
「設楽が俺を好きになるとか、とても信じられないよ。仮にそれが本当だとしても、いきなりセッ……その……不純異性交遊? なんてしなくてもいいじゃねえかぁ」
「店長代理があたしにちっとも興味を示してくれないから、実力行使に出ることにしたんですっ」
「そんな荒っぽい手段に出なくても。ここは一つ落ち着いて……」
「あたしっていう女をよく知ってもらいたいんですよっ。あたしとの相性を確かめてみてくださいっ。相性ピッタリって思ってもらえる自信がありますからっ」
「なんでそんなに積極的なのぉ。熱でもあるんじゃないのぉ?」
「あたし十八歳になる日に、店長代理をものにするって決めてたんですっ。この気持ちは、もう止められないんですよっ」
若いな、初々しいよ。
その真っ直ぐさ、うらやましい。
でもさ、道を外れてるんだよ。
「あのさあ、気を悪くするかもしれないけど、それって父親がいないから年上がいいってことなんじゃないの? つまり、今感じている気持ちが恋愛感情だと思うのは勘違いであって……」
「そういうつまんないこと言うの、やめてもらえます? いいからとっととしてくださいよっ」
結衣によって鏡のようにピカピカに磨かれた、大きな調理台。
結衣はその上に尻を乗せ、決死の覚悟を示す表情で歩夢を見下ろしている。
歩夢は目前にある脚線美から、雑念を振り払うように視線を上げた。
「悪いけど、ガキとやる気はない」
決まったっ。
と歩夢は思った。
本心からそう言った、つもりだった。
「店長代理ぃ、すっごい立ってますけどっ」
「えっ!」
歩夢が慌てて下を向くと、スラックスの一部が破けそうなほど盛り上がっていた。
いかーんっ。この裏切り者が―っ!
……って、いつものことか~。
「いやっ、違うっ。これが普通だっ。普段からこうなんだっ」
「そんなわけないじゃん! あたしとエッチしたいっていう証拠じゃん!」
違う違う。この子じゃない。
バイトの高校生で元気になったわけじゃないんだ。
だよな俺!
スターバーガーサンシャインシティ店店長代理日比野歩夢二十八歳独身童貞!
「あのな、実は今、昨夜の熟女との赤ちゃんプレイを思い出していたところなんだ」
「は?」
そうだ日比野歩夢!
今こそ変質者の本領を発揮しろ!
お前は地球上の全女性から嫌われている、史上最低の男なんだ!
「ママ~、オッパイが欲しいでチュー、バブバブ~」
「下手な演技、やめてもらえます?」
いいぞ日比野歩夢―っ!
このまま行けーっ!
おのれの変態道を突っ走れーっ!
「マザコンのせいか弾力のない肌しかダメなんだよね~」
「キモいからやめてってばっ」
「そうだ、君のママを紹介してよ~。君のママと赤ちゃんプレイするからさ~」
「なに言ってんの勘弁してよっ」
「君のママとチューチュー、バブバブ~、チューチュー、バブバブ~」
「もうサイテーっ」
顔をしかめた結衣は軽い身のこなしで調理台を降り、素早く休憩室へ入っていった。
扉がバタンと鋭い音をたて、歩夢はビクンと肩をすぼめる。
未経験の乙女に対して、果たして今の対応で良かったんだろうか。
ちょっとやりすぎたような気がしないでもないけど。
かといって、もっとましな手は考えつかなかったわけだし。
どんな手を使ったっていい。
どう思われても構わない。
あの子が汚れなければそれでいい。
俺は十代の子を抱くわけにはいかない。
しかもあんないい子に、手なんか出せるかよ。
外見だけじゃなく、性格までいいんだからさ。
俺なんかには、もったいなさすぎるって。
仕事の制服から学校の制服に着替えていた結衣は、怒りと悲しみで胸がいっぱいになっていた。
あたしふられたの? あんな恥ずかしいことまで言ったのに。
童貞だから誘惑すれば楽勝かと思ったけど、真面目すぎる男だとかえって逆効果なのかな。
男心が読めないなんて、あたしは女としてまだまだだってことか。
でもあそこまではっきり拒絶することなくない?
あんなに立ってたんだから、本当はやりたかったんだろうけど。
誰か童貞を捧げたい女でもいるのかな。
あの妹扱いされてる女じゃない。
きっとどこかにいるんだわ。
男の性欲をがまんさせるほどのすごい女が。
そういえば……言われてみると確かに、死んだお父さんにどことなく似てるかも。
だけど初めて本気で好きになったっていうのは、本当だったのにな。
クソーッ。
もっといい女になって、必ず後悔させてやるんだからっ。
歩夢が自分の判断の是非を自身に問いただしていると、休憩室から着替えを終えた結衣が出てきた。
ツインテールをほどいた結衣が、肩で風を切りながら歩夢の横を通り過ぎていく。
「無理しちゃってさっ。童貞のくせにっ」
「うぐっ」
最後に捨てゼリフをたたきつけられ、歩夢のこめかみに冷や汗が流れる。
がんばって演技したのに、全部バレてた?
あの子のほうが何枚も上手だったってことか。
それでもいい。
もうこんなことは二度としてこないだろう。
いい男見つけろよ。
って至極まともなことを思ってみたけど、よく考えたら俺、生まれて初めて生身の人間から誘われたんだ。
もったいないことしたかな~。
せめて大人の女だったらな~。
って、どうせなにもできないんだけどさっ。
帰宅した歩夢は、セーラー服姿のマリアを見て苦笑する。
俺は女子高生に呪われているのか?
いつまでも高校時代の思い出にしばられているからいけないのかなあ。
マリアは頼むと喜んでマッサージをしてくれる。
初めの頃は力が強すぎて痛いだけだったが、この頃は手慣れてきて職人技になった。
夢見心地の歩夢は寝落ち寸前。
「マリア、変なところはマッサージしなくていいからな」
「も~、歩夢のケチー」
俺はこのアンドロイドさえいてくれればいい。
いや、むしろアンドロイドだからいいんだ。
アンドロイドなら、ひどいことを言っても傷つかないでくれる。
どんなにひどいことをしても、離れないでいてくれる。
人間じゃ、そうはいかない。
人間の女性は、俺には荷が重いよ。