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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第七の試練 俺は女神を抱くわけにはいかない
34/66

34 自分の中の悪魔

 戸締りを何度も確認してからアパートを出た歩夢は、駅前の商店街を駆けずり回った。

 各種のかぜ薬、額に貼る冷却シート、経口補水液、スポーツドリンク、お湯に溶かして飲むビタミンCの顆粒、栄養補給用の飲むゼリー、栄養補助食品の菓子、レトルトのお粥。

 考えつくグッズをすべて買い込んだ。



 歩夢がドラッグストアの袋を両手に下げて戻ると、真理愛は眠っていた。

 普段でも若く見えるその童顔は、眠っていると年下の子供にしか見えなかった。


 俺のすべてをかけて、守りたい。

 真理愛先輩の熱が一度下がるなら、俺の寿命が一年、いや十年短くなっても構わない。


 小さなテーブルの上に、歩夢は購入したばかりの商品を一つ一つ整然と並べていく。


 本が散乱する簡素な部屋。

 ノートパソコンはあるが、他には生活に最低限必要な物しかそろっていない。

 掛かっている服は黒のスーツ、白のブラウス、紫のシャツ、青いジーパン、紺のジャージ、あとはTシャツが数枚。

 絵や置物は恐竜ばかり。

 それらを歩夢は、念願かなって訪れた世界遺産のように眺めていた。


 ここにある物、すべてが尊い。


 ふと壁に掛かったカレンダーを見ると、今日の日付が赤い丸で囲んである。

 丸の下には「MyBirthday」の文字。

 歩夢が目と口を丸くする。



 歩夢はカギをつかみ、再び町へ飛び出していった。


 二十六歳の女の人が欲しがる物ってなんだ?

 俺なんかにもらっても困らないような物にしなきゃ。

 だけど今食べ物はダメだし。

 そうだ、この俺にリボンをかけて……ってなに考えてんだ変態!


 花屋の前を通った歩夢は、真っ赤なバラの花を見て立ち止まり、緊張しながら店内へ入った。


 どっちかって言うとカスミソウのイメージだけど、誕生日はやっぱバラだろう。


「あの、このバラを、これで買えるだけください」

 花屋の主人に歩夢が差し出したのは、持っていた紙幣のすべて、千円札六枚だった。


「なんだ兄ちゃん、彼女にプレゼントかい? 若いのにやるねえ」

 白髪交じりのおじさんは、にやけながら手際よく花を選ぶ。


「いえ、ただのお見舞いです」

「おっと兄ちゃん、病院によっては、生花は持ち込み禁止ってとこもあるぜ。感染症を避けるためらしいよ。まあうちの花は大丈夫だと思うけどな。どうする? やめておくか?」

「んん……すいません。念のためやめておきます。でもいつか、また花束を買いに来ますから」

「おうっ、待ってるよ。おっちゃんが元気なうちに来てくれよなっ」


 歩夢は未来を絶たれた気分だった。

 当てもなくふらつき、大型の百円ショップの前をいったん通り過ぎてから、引き返して店に入る。



 たくさんの袋を抱えて戻った歩夢は、黙々と部屋を飾り付けていった。

「たとえ偽物でも、見た目が同じなら意味はあるだろ」と心の中でつぶやきながら。


 一通り作業を終えた歩夢は、遅くなる前に真理愛の家を出ようと思った。


 できればこのまま、看病を続けたい。

 でもこれ以上、女の人の家にいるわけにはいかない。


 真理愛先輩がこんなに苦しんでいるのに、そばにいられて嬉しいって感じるなんて、俺って本当に恥知らずなやつだな。



 しかし真理愛の寝顔を見ていた歩夢は、彼女に性的な魅力を感じずにはいられなかった。


 視線は閉じているまぶたから小さな唇へ。

 そして滑らかな曲線を描く首筋から少し開いた胸元へ。

 布団がめくれて現れた白い脚に視線が釘付けになる。

 熱くなった体が今にも蒸発してしまいそうだ。


 気づいた時には、手が真理愛のほうへ向かって伸びていた。

 慌てて手を引っ込める歩夢。


 あぁ、これなんだ。あの男が若い女に抱いた感情は。

 俺も同じなんだ。

 男はみんな一緒だ。

 ケダモノめ。

 きたねえんだよ。


「う……うぅん」


 真理愛のうめき声と、ネットの動画で見た女優のあえぎ声が重なる。

 歩夢の歯が、性的興奮と怒りでカタカタと音を立てる。


 苦しんでいる声が、ひわいな声に聞こえるのか?

 俺がひどい男なのか。

 それともこれが、男っていう生き物なのか。

 俺、なんで生まれてきちゃったんだ。

 とっとと死ねよ!



 歩夢は目を閉じながら首を振り、もう彼女の寝姿を見るのはやめようと心に決めた。


 最後に布団をかけてから帰ろうと考えた歩夢が、できる限り目をそらしながら、乱れている布団を直していた時だ。


「ん……誰?」


 真理愛のまぶたがわずかに開いた。

 唇がかすかに震えている。


 恐怖だ。

 その表情は、間違いなく恐怖。

 俺を、怖がってる。

 男の俺を、怖がってるんだ。


「違う、俺は、なにも……」

「やめて、なにも、しないで……」

「しません、なにも、しません……」


 歩夢も真理愛も、二人そろっておびえていた。

 ただし、真理愛は夢うつつの状態だ。

 首をかしげ、目を丸くすると、徐々に落ち着きを取り戻していく。


「日比野……君?」

「はい、そうです、日比野です。俺は、なにも、なにもしませんから」

「うん、わかってる。ごめんね。もう少し、寝かせて……」



 再び眠りについた真理愛を見て、安どする歩夢。

 だが家を出た時には、顔をしかめていた。


 なにが、違うんだよ。

 俺はあの人をいやらしい目で見て、この手で触ろうとしたじゃないか。

 あの人は気づいたんだ。俺がいやらしい男だって。

 その辺の男と同じ……いや、誰よりも汚らわしい男なんだって。


 最悪だ。

 あの人がせっかく信じてくれたのに、俺はあの人の信頼を裏切った。

 あの人と過ごした貴重な時間を、俺は自分自身で恥ずかしい記憶に変えちまったんだ。



 夜中に目覚めた真理愛は、自分の熱が引き、体が楽になっていることを感じた。


 一度目覚めた時、目の前に男の人が見えてビックリしたけど、なんでだろう、そんなに怖いとは感じなかったな。

 高校生だから?

 後輩だから?


「え? お花?」


 意識がはっきりしてきた真理愛は、部屋の中が一面のお花畑になっているような気がした。


「あれ? これって造花? この花、全部造花なんだわ。でも、すごくきれい」


 テーブル、棚、台所……至る所に色とりどりの造花が咲いていた。

 近くで見れば安物なのは一目瞭然だが、大量にあるとそれなりに華やかだ。



 テーブルには、薬や食品が判別しやすいように種類ごとに分類され並べられている。


 その横には置手紙が添えられていた。

 下手なりに丁寧な字で書かれてある。

 内容はかぜの対処法と、カギを新聞受けから入れておいたこと。


 そして最後にこう記されていた。

「余計なことしてごめんなさい。いつも迷惑かけてごめんなさい」


 なんでそんな風に考えちゃうのかな。

 やっぱりあの子はわたしに似てるんだわ。


 自分の中に、人を不幸にする毒があると思ってる。

 だから人と交わることに罪悪感を感じてしまう。

 人とのかかわりの中に、自分の存在意義を見つけられない。


 まるで自分を見ているみたいで、つい色々言いたくなっちゃうのよね。

 わたし自身がうまくできないでいるんだから、偉そうに説教しても説得力ないのに。

 そういうのって、結局自分でなんとかするしかないんだよね。


 でもここまで来てくれたのは、前向きになってきた証拠なのかも。

 誰かと一緒にいてもいいんだって、そう思える日がくるといいんだけどな。



 一方自宅に戻った歩夢は、真理愛の残像に悩まされていた。

 柔らかな肉体のイメージが、免疫のない無垢な性欲をかき立てる。

 残酷なまでに性器が隆起するのを感じた歩夢は、押さえたりたたいたり、なんとか落ち着かせようと躍起になった。


 これだから男は。

 俺みたいないやらしい男がいるから、女の人が不幸になるんだよ。

 男なんか、地上から絶滅しちまえばいいのに。


 殺してやりたい。

 自分の心の中に巣食っている、性欲という名の悪魔を。


 歩夢のむなしい聖戦は、疲れ果てて眠りについた朝方まで続いたのだった。



 2015年10月22日 木曜日



 歩夢は小平先生から、真理愛から郵送されたという現金書留を受け取った。

 中には一万円札が二枚。

 歩夢が六日前の買い物で使ったのは一万一千円余りだ。

 交通費は小平先生からあらかじめ多めにもらっている。

 眉間にしわを寄せる歩夢。


 真理愛先輩言ってたな。

 塾講師のバイトをしていたけど、最近は研究が忙しくてバイトする時間がないって。

 生活が苦しいのは、部屋を見ればわかっちまうし。

 思い知らされるよ。

 俺はいつだって、やっちゃいけないことしかしないんだ。



 念のため封筒の奥をのぞくと、メモ紙が一枚入っている。

 そこにはこう記してあった。

「日比野君、先日は本当にありがとう。わたしあんなにステキな誕生日は生まれて初めてだったわ。日比野君はやっぱり人を幸せにする人だね。高良真理愛」


 歩夢はメモ紙を抱きしめながら、体を震わせた。


 こんなことを書かせてしまって、ごめんなさい。

 悪いことをしたのに、それでも彼女の言葉を救いだと感じている自分がいる。

 このメモを一生の宝物だと決めているんだ。


 生きていると、なんでこんなに辛くて、どうしてこんなにも幸せなんだろう。

 苦しみも喜びも、全部彼女が与えてくれる。

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