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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第六の試練 俺は大和撫子を抱くわけにはいかない
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27 最強の刺客

 2027年7月10日 土曜日



「だんな様、朝ですよ」

「ん? あ? お~お~お~っ」


 歩夢は目覚めると同時に目にしたものに見とれ、ベッドから動くことができなくなった。


 それは浴衣姿のマリアだった。

 白地に赤紫色の朝顔が咲き乱れ、帯は桜色。

 アップにした黒髪には、紅色の髪飾りが大輪の花を咲かせている。

 襟元までかかる後れ毛が殺人的に色っぽい。


「マリアめ、ついにそれを出してきたかぁ。このひきょう者めぇ」


 歩夢が一番好きな女性の服装は浴衣だ。

 禁欲を貫きたい歩夢にとって、浴衣をまとった美人は最強の刺客となる。

 当然、ムスコの反応も尋常ではない。


「どうぉ、似合う?」

「よく似合ってる。その姿をずっと見たかったんだぁ」

「だんな様は浴衣が好き。マリア知っていました」


 袖を振ってポーズを取る和風マリアを前にして、歩夢は体に力が入らない。


 これぞ日本が世界に誇る至宝、大和撫子だ。

 俺、こういうのを待ってたんだよね~。


 箸で食材を取り分ける動き。

 熱くて耳たぶを触る仕草。

 後ろ髪をかき上げる後ろ姿。


 女性の色気って、露出の多さだけじゃないんだよ。

 ほんの少し足首が見えるだけで、たまんないよな~。

 浴衣って生地が薄いから、動くとボディラインが生々しいし。

 うなじの生え際がいいとか思ったことなかったけど、これかぁ。

 気持ちはわかるぞ、ムスコよ。



 朝食も今日ばかりは和食だ。

 白米に味噌汁。納豆、漬物、海苔。焼き魚、煮物、卵焼き。


「朝食にしては豪華すぎるけど、どれも塩加減が絶妙だから食が進むよ。特にこの卵焼きなんて、口に入れて舌でまさぐると出汁があふれてきて声が出ちゃうくらいイケてるよな~」


 歩夢は意地悪な顔でマリアの反応を待った。

 だがマリアはいたって平静だ。


「喜んでもらえてなによりだわ」

「あれ? いつもみたいに下ネタに変換しないの? それはそれで、なんか調子狂うなあ」

「だんな様は、ふしだらな女性はお気に召さない。マリアは理解しています」


「あぁ、昨日は言いすぎたよ。いや、昨日だけじゃないか。いつもひどいことばかり言ってごめんな」

「そんなこと、あったかしら?」


「おぉ、さすがは大和撫子、がまん強いんだね。どうせなら毎日浴衣にしてくれないかなあ」

「これは土曜日限定です」

「そこはかたくなかよ。でもこれから毎週、週末が楽しみになるな~」



 歩夢が席を立つと、マリアがそっと手をつないできた。


「ねえねえだんな様ぁ、今夜花火大会でしょう? マリア、一緒に花火を見たいな~」

「一緒に出かけるのは無理だけど、そこの窓から少しは見えるはずだよ。ただなあ、残業がなあ……」

「今夜くらい、花火に間に合うように帰ってきてくださらない? ダメぇ?」


 浴衣の美女が体をすり寄せてくる。

 歩夢は全身を鋼の鎖で拘束されたも同然だ。


「あぁ、わかったわかった。できる限り急いで帰るよ。だってこんな美人が待ってるんだもんな」

「まあ、だんな様ったらっ」


 他人のリア充なんかどうでもいいな。

 俺ほどぜいたくしてるやつが、他にいるか?

 相手が人間かどうかなんて関係ないんだよ。

 俺自身がどう思うか。それがすべてだ。



 歩夢はマリアから離れがたく、なかなか朝の準備がはかどらない。

 いつもの出勤時間を過ぎても、マリアを眺めたままいつまでもぼんやりしている。


「だんな様、お仕事行かなくて、いいの?」

「行くんだけどさぁ、あと少しだけなぁ。ちょっと、髪をかき上げてみてよぉ」

「こうかしら」


 両手で長い黒髪をかき上げ、歩夢に妖艶な流し目を送るマリア。


「そーっ、そ~っ」



 歩夢は仕事に遅刻した。

 社会人になって初めてのことだ。


「なに遅刻してるんですかっ、店長代理の分際でっ、じゃなかったお立場でっ」


 社員の日下部ではなく、バイトの結衣にしかられる歩夢。

 けれどその後は、業務を猛烈な速度で片付けていった。

 それを日下部とバイトたちが、心霊現象を見るような目つきで眺めている。



 目にも止まらぬ速さで材料を補充していく歩夢を、目を細めた日下部がひじでつついた。


「なんだよ日下部、そのいやらしい目つきは」

「店長代理ぃ、もっかして、今夜彼女と花火行くんすかぁ?」

「彼女はいない。彼女なんかいらないし」

「えっ、ってことは今まで一人も? まさかその年で童貞?」


 なぜか深刻な顔つきの日下部に、歩夢は鼻で笑ってみせる。


「べつに恥ずかしいことだとは思っていない。わざわざ自分からは言わないけど」

「それはさすがにヤバくないっすか? だってエッチって、男の甲斐性じゃないっすかー」

「他にも男の甲斐性はあると思うがな」

「それは残念な人生っすね~。でも大丈夫。まだまだチャンスは巡ってくるっすよ。多分」


「余計なお世話だよ。そう言うお前こそ、今夜は彼女と花火に行きたいんじゃないのか?」

「それが今夜は二人の女の子と約束してたんすけど、前半と後半に分けてうまくやろうと思ってたら、一人にスマホ見られて二股バレて。二人が親友だったから修羅場直行。だから今夜は暇になっちゃいましてー」

「それって『二兎を追う者は一兎をも得ず』のいいお手本だな」



「なんでかなー俺、なかなか一人に決められないんですよねー」

「オスは自分の遺伝子をばらまきたい生き物だからな。知的レベルがサル並みだけど」


「浮気とかって、そんなにいけないことっすかね。だって人生短いんだから、口説ける時に口説いておかないと寿命がもったいないじゃないっすかー。俺って、人としておかしいっすか?」

「男性ホルモンの一つテストステロンは、性欲を高める。性欲は気持ちうんぬんの前に、自動的な衝動なんだよ。食欲や睡眠欲に、意志は関係ないのと同じようにな」


「つまり俺はまともだってことっすねー。良かった~」

「それはあくまで個人レベルの話。集団は秩序を維持するために制度を選択し、構成員はその制度に服従する。複数の相手と性的関係を持つ乱婚型のサルもいるし、人間社会にも一夫多妻制や一妻多夫制が存在する」


「一夫多妻制は男の理想っすよね~。ハーレム作りてー」

「日本は一夫一妻制を選択しているから、従わない者は反社会的な存在となる。浮気は個人的な裏切りというだけではなく、社会秩序への反抗とみなされるんだ。社会を守るために理性的な行動ができるかどうか。それが問われるんだよ」


「店長代理が童貞なの、わかる気がします。なんか見えないものにとらわれてるって感じっすね」

「とらわれてる? 俺が? ……そうかもしれないな……」



「もしかして店長代理って、処女にこだわるタイプだったりします?」

「えっ……そんなこと、ないけど……」

「そういうの、女性に失礼っすよ」

「そんなことないって言ってるだろ」


「さすがにそこまでは偏ってないかぁ。でもプラトニックのままズルズル付き合いそうでこえー」

「プラトニックのなにが悪いんだ。そんなの個人の自由だろ」


「だけど性格の合う子が見つかったら、体の相性も確かめたほうがいいっすよ。ちゃんと付き合うつもりならなおさらね」

「そんな必要ないっ。恋愛をなんだと思ってるんだ」


「店長代理って、恋愛のことを重く考えすぎじゃないっすか? ゲーム感覚で気軽にできないもんかなぁ」

「恋愛は、重いんだよ。交際には大きな責任を伴う。恋人を支えてあげなきゃいけない。幸せにしてあげなきゃいけない。だから自分の人生をかける覚悟がいる」


「結婚ならまだしも、ただ付き合うだけでそこまでしないといけないんすかぁ?」

「形なんかどうでもいい。人を好きになるってことはそういうことだろ」


「でもそれって、相手にも同じことを期待するってことっすよねぇ。それ相手がきつくないかなあ」

「いや、あくまで自分自身の問題だ。だから単なる片思いであっても、全力を尽くすべきであることに変わりはない」


「ん~、店長代理に愛される人って、店長代理の気持ちが重たすぎて引かないかなあ。店長代理が好きなら、嬉しいって感じるのかなあ」

「そんなわけないじゃん。俺の好意で喜ぶ女性なんて、全宇宙に一人もいないよ」


「とりあえず、試しに一発やってみることをお勧めしますよ。そしたら案外、見える世界が変わってくるかもしれないっすよ」

「そ、そういうもんかなあ。そんな気がしないでもないんだけど……。でもいい加減、仕事しよっか」

「仕事より、童貞卒業のほうが重要だと思うけどなー」



 壁の向こう側で、結衣が聞き耳を立てていた。

 口元がわずかに開いている。


 なにこのクソ真面目な大人。

 なんでそんなに相手のことを思えるの?

 どうしたらその歳まで、純情なままでいられるわけ?

 天然記念物とか生きた化石とか、そういうのに認定してあげたいわっ。



 疲労が抜けないまま歩夢が仕事を続けていると、辺りが暗くなってきた。

 休憩室から出てきた結衣は、髪を巻き髪にして青い浴衣を着ている。


「どうです店長代理。あたしかわいいでしょっ?」

「うん、かわいいよ」

「えっ」


 普段あまり変化しない結衣の顔が、一気に赤く染まった。

 なにも考えずに答えてしまった歩夢は、自分らしくないセリフを吐いてしまったと後悔する。


「あー、あっ、そうだ。店長代理は花火行くんですか?」

「いや、わざわざ自分から人込みに入ったりしないよ」


「ふーん。あーそうそう。連絡することがあるかもなんで、ID交換してください」

「俺SNSとか、やらないから」

「うっそーっ、スマホ持ってるのに?」

「あんな面倒なもの、やる人の気が知れないよ。俺友達少ないから、必要ないし」


「そっかー。孤独を愛する男なんですねっ」

「孤独を目指しているんじゃなくて、俺自身が孤独を作り出しているんだよ」


「言ってることがよくわかんないけど、これからはあたしが話し相手になってあげますよっ」

「そりゃありがとよ。でも今日は約束があるんだろ? 早く行きな。今日もお疲れ様」


 結衣は妙に色っぽい流し目を放ちながら、静かに店を後にする。



 設楽の浴衣姿もよかったな~。

 どうせ今夜、彼氏があれを脱がせるんだろうな。

 おっと、そんなことを考えてる場合じゃなかったー。

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