12 生活の音
閉店時間にはもうヘトヘト。
だが閉店後の作業が一番きつい。
最後は一人で戸締りを確認。
次の出勤時間まで、あと七時間しかない。
こんな生活、あと何年続けられるんだろう。
社員のほとんどは、二十代で辞めていくみたいだけど。
終電に乗るため、歩夢は疲れた体に走れと命じる。
終電になんとか間に合った歩夢は、人通りもまばらな深夜の街に降り立った。
マリアの料理の腕前は信用できないが、作ってもらえば楽ができる。
かといって買い物に行かせるわけにもいかない。
歩夢は終夜営業のスーパーで食材を買い込んでから帰宅する。
仕事して、買い物して、食事して、風呂に入って、少しだけ眠る。
歩夢の時間はたいした意味を持たないまま過ぎ去っていった。
これじゃロボットと同じだな。
むしろロボットだったら気が楽だったのに。
そう思うくらい、歩夢にとって日々の生活はただむなしいだけだった。
だが、そんな歩夢の人生は変わった。
マンションが見えてくると、自宅の窓から明かりが漏れている。
玄関の前に立つと、生活の音が聞こえてくる。
カギを開けると、とびきりかわいい女の子が出迎えてくれる。
「お帰りなさい。ア・ナ・タッ」
マリアはOLの格好のままだった。
つまりエロいまんまだ。
「た、ただいま……」
この状況を喜んでいいんだろうか。
でもこの感覚が、胸が躍るってやつなんだろうな。
この子がもしも、人間だったら……。
いやむしろ、俺が無機物になりてえ。
種類なんかなんでもいいから、マリアの同類になりてえな。
肉じゃがとほぼ同じ食材で作れるカレーを、マリアはすでに完成させていた。
家の中はモデルルームのように掃除され、窓際には洗濯物が所狭しとつるされている。
お、なかなか使えるじゃねえか。
いやむしろ今どき、ここまできちんとやってくれる奥さんいないかも。
遅い夕食を始めると、カレーは少し味が薄い。
一方で目の前に座るOL風のマリアは、印象が濃すぎる。
服装は大人っぽいが顔が子供っぽいため、子供が背伸びをして大人のふりをしているかのよう。
それがまた、かえってかわいらしい。
スイカに塩をかけるようなものだ。
「歩夢、おいしーい?」
「そう、だね。ちなみにこのサラダ、塩かけたりした?」
「うん、この体、潮吹いたりするわよ」
「あのさぁ、なんで話を全部エロい方向に持っていこうとするのかなあ。言語機能のボキャブラリーが偏ってるんじゃないの?」
「うーんと、うーんと、げんこつでホディをまさぐって……」
「無理やり下ネタに変換しなくていいからっ。男子中学生かお前はっ。いいから早く食べろー」
食後歩夢はソファでくつろいでいた。
マリアが隣に座り、小刻みに間隔を詰めていく。
「ねえ歩夢ぅ」
「なんだよそんな、甘ったるい声出して」
「セックスしよぉ」
「わっ、お前今なんて言った」
「ではもう一度言うわね。これから二人でセックスをしましょう」
「もう一回言えって意味じゃないよーっ。そういう露骨な言葉を使うなって言ってんのっ」
「露骨な言葉はダメ。それならマリア、露骨な態度に出るわ」
「こらっ、顔を寄せるなっ、腕をこすりつけるなっ、わざとらしく足を組むなっ」
耳にかかる吐息。
振動として伝わってくる鼓動。
これが本当に偽物?
動揺するな俺!
彼女はしょせん機械なんだ。
体の中はゼンマイだらけなんだぞっ。
「さてと、風呂にでも入ろうかな……いやついてくるなっ、服を脱ごうとするなっ、俺を脱がそうとするなっ。ステイッ」
「もう、歩夢ったら、イ・ケ・ズ」
「どこのどいつだー、こんなろくでもないプログラム作ったの~。持主に合わせて性格が作られていくって聞いてるのに、なんでこんなエロい女になってんだよぉ。おかしいじゃねえかぁ」
風呂から上がったマリアは、上着は着ていないしメガネも外しているが、依然OL風のままだった。
一日一キャラで押し通すことになっているらしい。
マリアは鏡の前にイスを運んで座ると、光沢のある髪をとかし始めた。
「フッフフーン」と謎の鼻歌を歌いながら、鏡をのぞき込んで肌の状態を確かめている。
「なにそれ。大人のふりをしてるのか? どう見ても十代なんだから、子供らしくしていろよ」
「歩夢は幼い女の子しか好きになれない。マリア覚え……」
「覚えるなーっ。普通に大人の女性が好きだよーっ。覚えておけーっ」
「それは覚えなくてもいいかな」
「覚えねーのかよ」
「マリア、お化粧だってできるのよ。でもどうしてだか、荷物に入ってなかったの。歩夢、今度化粧品買ってきてくれない?」
「男に化粧品なんか買わせるなよ。そもそも肌のきれいな女の人は、化粧なんか必要ないんだから」
「歩夢はスッピンの女の子が好き。マリア気づいたわ」
「べつにそういうわけじゃない。いいから寝な」
歩夢がため息をつきながら寝床に入ると、閉め切っていた引き戸がゆっくりと開いていった。
「ん? マリア?」
薄暗い中で歩夢が目をこらすと、目の前に立っていたのは男物のワイシャツ一枚になっているマリアだった。
「バカーッ、お前なんて格好してるんだよっ」
「だって、こういうの好きでしょ? マリア知ってるのよ」
闇の中に、白い曲線美が浮かび上がっている。
ぼうーっと、だが激しく鮮烈に。
「好きじゃないっ、断じて好きじゃないぞっ」
だがムスコは大好きらしい。
歩夢はタオルケットを盾のように突き出して隠ぺいを図る。
「寄るなっ、それ以上こっちに来るなっ。自慢じゃないが、がまんする自信がないっ」
「無理してがまんする必要なんかないわ。さあ、心を開いて」
「じゃあ足を開いて……ってマリアみたいな間違いしちまった~っ」
「なにも心配しなくていいのよ。お姉さんが優しく教えてア・ゲ・ル」
「ちくしょー、童貞男に都合のいいこと言いやがって~。俺は、お前なんか相手にしないぞー」
「なんで相手にしてくれないの? どうしてマリアじゃダメなの?」
「理由なんか知らなくていい。とにかく俺は、マリアに手を出す気はない」
「だったら、マリアは歩夢にとってなんなの?」
「マリアは……マリアはただの、家政婦だ」
マリアの動きが止まる。
瞳が潤んでいるように見える。
まさか、泣いてる?
でもしょせんは機械だろ。
きっと、気のせいだ。