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「あ、親玉だ」
「何が親玉だ」
「ずっとここに?」
天幕から外に出ると、親玉が薪を焚べながら地べたに座り込んでいた。
振り返り、覗かせた表情は不機嫌そのもの。
果たしてこの人に機嫌がいい時なんてあるのだろうか?
きっとこの人が微笑みでもしたら、雪が降るに違いない。
いや、ここは異世界なのだから天変地異が起きたって、なんら不思議じゃない。
それくらい、初めて会った時から今までずっと険しい顔をしている。
「お前にも話を聞いて欲しいそうだぞ」
「……、俺にも?」
ほら見ろ。
やっぱり、この反応。
猜疑心剥き出しの目つき、相も変わらず不遜な態度。
わたしが何したって言うんだ。
不法侵入して、テントに突っ込んだだけだぞ。
「ここに座っても?」と、尋ねると同時に、アグナさんは地べたに座り込んだ。
「座れよ」
「じゃ、遠慮なく。よいしょっと」
「おい、キリシア様はどうした?」
「中でご飯食べてる」
仲良くね、と伝えると親玉は頭を抱えた。
「あの猫耳とは馬が合うだろうよ。おてんばで、気まま。口の悪さもそっくりだ」
おてんばで気まま。
まあ……、概ね合ってる。
だけど、キリシアに口が悪いイメージは無かったけどな。
後半子供っぽい話し方にはなっていたけど、それは言葉を崩したからであって、親玉が言ったような印象は受けなかった。
「結局、お前らは何をしたいんだよ」
「だから交渉」
わたしは、リルに出してもらった二杯目のビールを親玉に渡した。
「なんだこれ?」
「ビール、という咲様の故郷の酒だ。先ずは飲んでみろ、話はそれからだ」
「まさか飲んだのか?」
信じられん、と親玉は呆れた様子だ。
アグナさんは黙って親玉を見つめている。
「分かったよ。飲めばいいんだろ」
親玉はそう言ってグラスを傾けると、一気にビールを流し込んだ。
思ってた通り、ビールを飲む姿は様になっている。
こんなこと言ったら怒られそうだけど、高貴さが漂うキリシアやアグナさんに比べて、親玉はザ・傭兵といった風貌だ。
乱雑に酒をかっくらう姿は、異世界で酒を飲む粗暴者のイメージとピッタリだった。
「……、かあっ! なんだこれ」
「だから、ビールっていう——」
「すっげえな。体に染み渡るぞ!?」
あ、これ明日天変地異だ。
微笑む、というより悪い笑みといった具合だが。
「うめえな。……、なるほどな。酒を使って丸め込もうってか」
「いやいや、それが交渉の品だよ。だけど、ビールそのものじゃなく、製造方法をね」
わたしがそう言うと、親玉は片眉をあげ、口を開いて動きを止めてしまった。
見事なほどにアホっぽい表情だ。
ふと、横を向くとアグナさんもアホっぽ——、じゃなくて目を丸くしてわたしを覗き込んでいた。
……、あれ。
ここにきて、こんな反応?
もしかして交渉材料として弱すぎたのか?
やばいな。刺身も食わすか。
リルを呼んでこないと。
「おまえ、マジで言ってるのか?」立ち上がるわたしを引き止めるように、団長が声を絞り出した。
「咲様。ビールはこの世界では全く新しい酒です」
「え? はい、らしいですね」
「原材料や、製造方法など想像もつきません。が、大量に生産が可能なものであるならば莫大な金が動きますぞ」
ああ、なるほど。
そっちの意味で固まってたのか。
それは大袈裟……、でもないのか?
言われてみればそうなのかもしれない。
わたしの世界だって、ビールの作り方を独占なんてした日にゃあとんでもないことになる。
きっと多額のお金、いやミョ、ミュ……、通貨の名称なんだっけか。
まあ、それはどうでもいいとして、大儲け間違いのか。
でもこっちでそこまで人気が出るとも限らないし。
「大袈裟では?」
「酒は娯楽の代表とも言って過言ではないのですよ。確実に各国で絶大な支持を受けます」
「冒険者にとって酒は自分へと褒美でもあり、癒しでもあるからな」
需要は十分にあるってことね。
聞いた感じだと供給が間に合わなそうだけど。
だけどそれも数量を調整して、プレミア感を演出すれば解決できる問題か。
そもそもビールはグラモアという国を相手取る交渉材料として用意したものだ。
安売りせずに、それくらいの値打ちを付けた方がいいのかもしれない。
「てことは、それなりの要求がバトリアにあるんだろう?」
「しかし、バトリアは今窮地に立たされています。魔石の生業で成り立っていた国家ですが、それはもう過去の話。捨て身の覚悟で、領土を取り戻さないと滅亡の道を辿るのみ」
滅亡って。
だったら侵攻なんかせずに、その軍事に回す資金を内政に回せばいいのでは?
争いで奪われた領土を、争いで取り返されたって——。
同じ事を繰り返したって、結局何も変わらない。
いつかまた同じ事が起きる。
「国自体が弱ってるんだ。ギリッギリの内政状況に、お飾りの軍隊。民は貧困に苦しみ、余裕なんかこれっぽっちもない。捨て身の覚悟で戦う余力すら怪しいもんだ」
なんか思った以上だな。
かなり追い詰められてる。
「だったら尚更丁度いい」
「何がだよ。引き換えに差し出すものが無いって言ってるんだ」
「侵攻なんてしなくていい。わたしの要求はコルンへの侵攻を中止すること。それの見返りがビールの生産方法だよ」
そうすればコルンに危険が及ばなくなる。
バトリアはビールの製造で国が潤う。
ビールを交渉の材料に使えば、グラモアと対等の取引や交渉が可能になるかもしれない。
この世界で、お酒がそこまでの需要があるなら、その可能性だって高いはず。
誰も損はしないし、誰も傷つかない。
そんな無駄なことは、今すぐやめてしまえばいいんだ。
「……、咲様。少々お時間を下さい」アグナさんは、大きく一つ息を吐いた。
親玉は言葉を失っている。
表情は変わらずアホっぽい。
「明日、キリシア様ともう一度ここに参ります」
「それでもいいですけど、今キリシアに伝えてもいいんじゃ」
「いや、恐らく——」
「お話終わりましたか?」アグナさんが振り返ると、リルが天幕から顔を覗かせた。
「キリシア寝ちゃいましたよ?」
「と、いうわけなので」
そこまで予測済みってことだったのね。
ビールが予想以上に効いてしまったのかもしれない。
もう結構な遅い時間だし、色々重なっちゃったかな。
「猫耳」
「むっ、親玉まだいたのですか?」
「悪かったな」
リルは未確認生物でも発見したかのように驚いた。
実際、この予想だにしなかった一言に、わたしもすごく驚いたし、アグナさんまでもが驚いていた。
「……、なんか変な物でも口にしました? 拾い食いはやめた方がいいですよ」
「そうするよ」
ああ、そうか。
親玉は分かっているのだろう。
明日、キリシアがどう返答するのかを。
最初はどうなるかと思ったが。
バトリアとの交渉は、どうやら丸く収まりそうだ。




