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それにしてもこの少年、あの森を抜けて海に出たのか。
すごいじゃん。
素直に感心する。
少なくともわたしには無理だし。
森には好戦的な野生動物や、小型魔獣がウジャウジャいる。
確かな実力の裏打ちがあるからこその、あの物言いだったのか。
「お前わざとだろっ!」
「わざとですって? あなたが降ろせとおっしゃったので降ろして差し上げたまでですわよ。おほほほほ」
うん。
見事なまでに根に持ってる。
しかしなんでこの少年は海に潜っていたんだ。
まさか泳いできたの?
んなアホな。
「おっほほほ……ほ? あっ!」
「どうしたの?」
「いました! あれが『巨鯨』の好物の女王イカです!」
「いましたっていうか……あの船、襲われてるけど」
それにしてもデカ過ぎだろ。
漁船の何倍もあるぞ。
……食べたら美味しいのかな?
「女王イカは群れをなして行動します。そして興奮すると目に入るもの全てに敵対する凶暴性を持つのです」
「あれが群れをなす? この船平気なの?」
「……さあ、どうでしょう?」
「話してないで、早く引き上げろ!」
あ、忘れてた。
この子、もしかしてあの船から逃げてきたのか?
「し、死ぬかと思った。おい、早く船だせ!」
「チッ。しぶといですね」
「お前ギルドにいた女だろ。覚えてろよ」
「あら、ごめんあそばせ。私はあなたみたいな子坊主の事は記憶にございませんことよ。おっほっほ」
もう逆に楽しそうだからほっとくか。
今は女王イカが興奮している理由を知る方が先だ。
こちらから危害を加えたわけではないのに、見境なく船を攻撃しているところを見ると、かなり混乱しているようにも思える。
てことは……『巨鯨』が近くにいる?
「とりあえず船出せ! 俺が乗ってた船もひっくり返えされちまったんだ」
「泥舟にでも乗ってたんじゃないのですか?」
「バカ言うなっ! 港で一番の漁船だぞ」
「まさか女王イカに丸呑みされたの?」少年に問おうとした時だった。
ずっと凪いていた海が突然荒れ、雲一つ無い晴天が暗闇に覆われると、海面が唸りをあげ始めた。
「なに? 雨雲?」
「船が流されます。……もしかして!」
リルはひっくり返るんじゃないかと思うくらいに上空をを見上げた。
「……まずいですね」
「だから……早く出せって言ったんだ」
突如、爆撃音のような咆哮が耳を貫いた。
「っ!? なに!?」
それは怒りにも似た『巨鯨』の叫びだった。
その体躯は依頼書に記されていたものよりも遥かに大きく、まるで、目の前に山が聳えた立ったと錯覚してもおかしくない程だった。
「……これが『巨鯨』!?」
「ですがこれは明らかに別個体。大きすぎます!」
船が流されていたのは『巨鯨』が巨大なトンネルのような口を開けていたからだった。
船が飲み込まれるのも時間の問題だった。
「咲様っ! 伏せて下さい!」
リルはわたしと少年の頭を無理やり押さえつけると、すぐさま詠唱を始めた。
同時に何か弾ける様な音を聞こえてくる。
「お前、魔術師なのか?」
「リル!?」
リルの身体は帯電と放電を繰り返し、バチバチと激しく音を鳴らしている。
初めて見るリルの焦り方は、事態の深刻さを物語っていた。
「絶対頭を上げないで下さい!」
リルの掌から一気に雷鳴が鳴り響く。
凄まじい魔力の放出。
魔力の流れが分かるようになった今、リルの魔術の凄まじさが身に染みて実感できる。
改めて知った。
こんなにも規格外なのか。
これが世界を破滅に導く『特異点』の力。
『巨鯨』の体躯により陰っていた船上は、リルの魔術によって目の前が真っ白になる程に明るく照らされた。
「す、すげえ!」
「少年、頭下げて! 危ないから!」
雷鳴が取り留めなく鳴り響く。
これには流石の『巨鯨』もひとたまりもなかったのだろう。
咆哮はピタリと止み、身動きが取れなくなっていた。
「……やっつけた?」
「くっ、ダメです!」
しかし、潮の流れは止まらなかった。
船はどんどん『巨鯨』の口の中へと吸い込まれていく。
「……咲様、まずいかもしれません!」
「もしかして、効いてない!?」
「口の中に何か仕掛けられています。魔術が『巨鯨』に届ききっていません!」
「リル! 危ない!!」
「咲様——」
リルの悲痛な表情。
暗闇の中で、再び鳴り響く咆哮。
それがわたしの最後の記憶だった。
わたし達は逃げる間もなく『巨鯨』の口の中へと吸い込まれてしまった。




