岩の腕のティラニウス 七
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ティラニウスから見て、ヴァレンの姿は不遜に映った。
この街を牛耳る商会の幹部たるティラニウスに、己の雇い主を押さえつけられているという状況は、商会に逆らう片棒を担いでしまったということだ。
この街の住人なら、身の破滅と同義の光景と言っていい。
ヒドラ商会に逆らった者の処分は、大抵ティラニウスの仕事である。
そしてほぼ例外無く、ケニーのような凄惨極まる死体を晒すことになる。
なのにこの男ときたら、まるで道端の出店で買い物の品定めでもするかのように泰然として、表情ひとつ変えずに目の前の光景を眺めているのだ。
「……尾行してた奴は?」
釈然としないものを感じずにはいられないティラニウスだったが、そんな感情はおくびにも出さず、まずは問いかけた。
「途中でお休み頂きました」
「殺したのか?」
「失神させただけです」
「一応聞くけど、なにしに来た?
この小娘とはどんな契約なんだ?」
その問いは今シェリーが最も知りたいことだった。
返答いかんで彼女の運命が決まりかねない。
のしかかられて動けぬまま、固唾を呑んで耳を澄ます。
「一つ目の問いの返答は、そちらの女性との合流。
二つ目の問いの返答は、遺跡探索の協力と護衛です」
「手を引くつもりは……あ、でも、おまえ、もう」
「はい。もはや私には、ほとんど打つ手が無い」
「えっ!?」
意味がわからない。そんなシェリーの声に、ヴァレンは律儀に答える。
「トライドラの不文律。金で誓った約束を裏切った奴は殺せ。
これはヒドラ商会の幹部ですら絶対の掟。貴女を護衛するという契約を結んだ以上、貴女が商会に逆らった時、私は貴女を護衛する義務があります」
「───あ」
「本来なら契約の際、ヒドラ商会に逆らわない限り、などの条件をつけるべきなのですが、特にそういったものはありませんでしたので、それを指摘しなかった私にも落ち度はありますが」
「んん、普通なら暗黙の了解だもんな」
それだけでシェリーは理解した。
理解したが、ヴァレンは知ってか知らずか言葉を続ける。
「これを無視して手を引けば、私は死罰の対象となります。だからといって貴女に加担し、仮にこの場を切り抜けても、それで済ませては街の支配者たるヒドラ商会の面目が潰れますので、人数を集めての執拗な追跡がかかるでしょう」
「んん、どん詰まりだな」
「はい。ですので私に出来る唯一の手段は、貴女の説得です」
状況は停滞したが、まったく良くはなっていない。
それでもシェリーは一縷の望みに縋るように問いかける。
「……私の説得?」
「はい。時にティラニウス殿、そちらの目的を伺ってもよろしいですか」
「んん、そこのケニーが貴族の小娘を捕まえるって言っててな。
コーディックが、それなら花宿に売ってくれって言い出した。
だからその女を捕まえて売っ払う。それが目的だぞ」
時おり出るコーディックという名前に聞き覚えは無い。
しかし女衒か何かであろうことは想像がついた。
己が今どういう危機にあるか、シェリーは嫌でもわかってしまった。
「なるほど。ではシェリー、このままでは私は死にそうです。
ですが貴女は殺されないようなので、諦めて売られて下さい」
「ちょ、嫌よ!? ていうか説得ってそれ!?」
「仰せの通りです。諦めましょう」
「嫌に決まってるでしょ!?」
「では我慢しましょう」
「気軽に言わないでよ?!」
面憎いほど無表情で無神経にのたまった。
状況が状況だが、言い返さずにはいられなかった。
「どうか、そこを曲げて」
「いっ……」
嫌だ、と、尚もそう叫ぼうとした。
叫ぼうとして、言葉に詰まってしまった。
今、シェリーは無関係の人間の命を蔑ろにしようとしている。
己の目的の為に、第三者を巻き込もうとしている。
それは、どうなのだ? 恥知らずの行いではないのか?
この街の住人のような、下種外道の行いではないのか?
軽挙妄動で状況を悪化させ、こんな事態を招いてしまった馬鹿な小娘に、この期に及んで無様な我儘を言う資格など無いのではないか。
そんな考えに至ってしまい、何も言えなくなったのだ。
「……では、一応の期限である明日の日没までヒドラ商会に待って頂き、現在の契約を一度終了させ、別の契約を行うというのはいかがでしょう」
「……別の、契約?」
「よろしければ、貴女が売られた後、貴女の目的を私が代行いたします。
憶測ですが、うら若き女性が身に剣を帯びてこの街にやって来たなら、何か目的があるものと見ました。私に出来ることであれば、なんなりと」
「んん、それくらいならいいぞ。でも……おまえ本当に律儀だな」
「恐縮です」
「そっ……」
そんなこと、言えるわけがない。シェリーはまた口をつぐむ。
ヴァレンの申し出は、ある程度シェリーに歩み寄ったものだった。
とはいえ、それは出来ない相談と言わざるを得なかった。
その男を殺してくれなどと言えば、話は振り出しに戻るどころか台無しだ。
(せめて……この状況が……!)
こうまで追い詰められていなければ、とは思った。
そして、売り払われる先が『多少は迷わず済む』ような所であれば……
(私自身を供物として捧げるのが、憎い仇の闇商売なんかじゃなくて……ヴァレン個人への謝礼としてなら、納得のしようもあったのにっ……!)
もしそうなら、復讐代行の謝礼にもなるだろう。
窮地を救われ、迷惑をかけた詫びにもなるだろう。
……ヴァレンが頷くかどうかは別として。
貴族社会では、政略や詫びを理由に愛人として娘を贈るなど珍しくもない。
理解はしよう。諦観とともに納得もしよう。
……その事実に、女の端くれとしてどんな思いを抱くかは別として。
さておき、その相手が見ず知らずの誰かなら?
それどころか、侮蔑せずにはいられない相手なら?
不潔で卑しい見知らぬ男に、肌を晒して無遠慮に触れさせ、挙句、閨の営みを許すなど……果たして、どんな屈辱なのだろう。
「っ……く、ぅぅっ……」
耐え切れず、両目から雫が流れ落ちた。
折られた腕の痛みによるものではない。
恐怖、嫌悪、憤怒、悲哀。悔恨。
様々な感情が胸に渦巻いた。
悔しい。悔しいのだ。悔しいが、しかし。
ここに、少女の心は屈した。
喉の奥から承諾の言葉を絞り出す。
「わっ……わ……───」
わかった。その一言が口から出る。
その直前。
「わかりました」
低く落ち着いた、そんな声が聞こえた。
次の瞬間、ヴァレンは距離を無にしていた。
ドンッ!! という鈍く重い衝撃音が響いた。
「───なぁッッッ!?」
大砲の着弾もかくやといった衝撃が、ティラニウスに叩きつけられたのだ。
常人を逸脱するティラニウスの巨体が、砂を散らして吹っ飛んで転がる。
絵に描いたような不意打ちは見事に成功した。
以前見た、砲弾と化したような突撃シールドバッシュであった。
低い姿勢で高速突進、勢いを乗せて盾から突っ込む強烈な体当たり。
その速度たるや、己の影を置き去りにしたかと錯覚するほどであった。
驚くべきことに、今の一撃で金属の盾がひしゃげていた。
耐久限界をはるかに上回る衝撃で、左腕を包むように歪んでしまっていた。
すかさずシェリーを抱え、大きく距離を取るヴァレン。
と、同時に、シェリーの手足が肉の身を取り戻した。
「っ!? 手が……足も……!」
ヴァレン自身も石化はしない。
青白い燐光の粒が、宙を舞うように漂っている。
よく見ると、その燐光はヴァレンの法衣から発していた。
ごろごろと盛大に転がったティラニウスは、起き上がりながらその光を見た。
光の粒は、白い法衣の其処彼処に刻まれた、無数の神聖文字から発していた。
「ご……【護光聖印】……やっぱり刻んであるのか」
「はい。身に着けるものには全て刻んであります」
この【護光聖印】こそ、古代末期から近代初期まで猖獗を極めた【呪詛】の数々に引導を渡したと言っても過言ではない、邪法浄化の【神霊術】であった。
呪われた者や物品に刻めばそれを祓い、刻んでおけば【呪詛】を受け付けず、古代遺跡に付き物とも言える呪いの罠や物品も無力化できる上、怪しい品に試しに刻んでみて【呪詛】の有無を判断するといった使い方も出来た。
優れた術者が刻んだ【護光聖印】は、刻んだ品に呪われた何かを触れさせるだけで効果を発するほどであり、シェリーの石化を解除したのはこの効果である。
たとえ古代の邪法とて、兄の形見とヴァレンの聖印、二つの守護に阻まれては、その強力な効果も雲散霧消するほかなかったのだ。
この術には謎が多く、神の声を聴いた聖人が広めたとの逸話もあるが、その証や資料は見つかっておらず、今でも詳しい歴史は不明のままであった。
「っぁ……ヴァレン?」
涙も拭かぬまま、ヴァレンの腕の中でシェリーが問いかけた。
たった今、ヴァレンが取った行動の意味がわからずに。
治った右手は、無意識に彼の法衣の襟を握りしめていた。
「どうして、なぜ」
「なぜ、と言われましても」
この男にしては珍しい表情だった。
意外なことを聞かれたという、困惑顔である。
「説得に失敗しましたので、行動方針を貴女の護衛に切り替えただけですが」
「……切り替え早すぎない?」
間の抜けた会話にシェリーも僅かに余裕が生まれた。
流れていた涙も引っ込もうというものである。
「いえ、最初から想定していましたので」
「最初から……?」
「はい。まずこの場に到着し、殺されたケニー、地面に転がった貴女の剣、ティラニウス殿に押さえつけられた貴女を目にし、既に鉄火場であると判断しました」
起き上がって近づいてくるティラニウス。
ヴァレンの視線はそれを見つめて動かない。警戒を解いていない。
「詳しい経緯や理由が不明であったので、とにかく場を停滞させるため、口舌にて時間を稼ぐとともに、情報を整理しつつ、状況の流れを読むことに注力。
加えて、盾当てを確実に見舞える一打一足の間合いまで、徐々に接近」
まだ終わっていない。シェリーの心に熱が宿った。
折れたと思われた心が、少しずつ修復されていく。
「すぐに荒事にならぬよう、貴女とティラニウス殿を説得。
戦意は無しと装いながら、いつでも動けるように待機。
とりあえず、最初に想定したのはそんなところです」
「……じゃあ、本当に、最初から」
青く愚かな少女は思う。つくづく自分は甘かった、と。
それに比べて、と、自分を胸に抱く男に対しても思う。
場数が違うとはこういうことを言うのだろう、と。
少女の胸に、熱い思いがこみ上げ───
「最初から……助けてくれるつもりだったのね……?」
「いえ、半ば本気で売られて頂くつもりでした」
───そして消えて無くなった。
「なっ!? も、もうちょっと夢見させなさいよ!!」
「申し訳ありません。実は本気でした」
「悪化してるじゃない!?」
「今のは冗談です」
「タチ悪い冗談ね?!」
「場を和まそうと」
「台無しよ!!」
台無しであった。
涙の痕は消えずとも、先程までの悲嘆はどこへやら。
勢いよく立ち上がり声を荒げるシェリーは、良くも悪くも血の気が増した。
「その、うまく言えないのですが」
「なによ!?」
そしてこれまた珍しく、やや申し訳なさげな表情でヴァレンが言う。
もっとも、昨日今日と無表情ばかりを見続けたシェリーにとって、やっとわかるかわからないかといった微妙な変化ではあったが。
「元気は、出ましたか」
その言葉を聞いて、シェリーは思わず呆気に取られた。
あまりにも不器用な、気遣いの言葉だったのだから。
この木石のような男は、言葉足らずなだけなのだ。
決して、無感情でも冷血漢でもないのだ。
そう理解できるには充分で───
「ええ、ばっちり」
───随分と久しぶりに、シェリーは笑うことができた。
そこへ、ざく、と、砂地を強く踏みしめた音が鳴った。
シェリーは慌ててヴァレンの動かぬ視線を追った。
誰あろうティラニウスであった。
意外にも、その顔に怒りの色は少ない。
怒るより、呆れてしまっているようだった。
「おれは自分の頭はだいぶ悪いって思ってるけど……
おまえもあんまり良くないぞ。なぁ、ヴァレン」
「と、申されますと」
「完全にヒドラ商会への敵対行為だぞ?
でも、それがおまえの選択……仕事なんだな?」
「契約ですので」
ヴァレンが答えた瞬間、軋、軋、と、異様な音が響いた。
「そうか……とうとう仕事が競合しちまったなぁ」
ティラニウスの左右の巨腕が、再び石化した音だった。
しかも今度はただの石ではないことが一目でわかった。
妖しい光沢のある、黒曜石の如き輝石である。
この夜闇を凝縮したような黒い輝きは、とある魔鉱石のものだ。
自然界屈指の硬度を誇る【金剛闇石】に他ならない。
神話から実話まで、その比類無き硬度を誇る逸話は枚挙に暇が無く、古代遺跡で発見された【金剛闇石】の石壁に描かれた鳥の壁画は、研究にて約一千年前のものと判明したにもかかわらず、欠けも摩耗も皆無であったという。
「……貴女の手に剣があれば【貫甲流】の技であれを貫けますか?」
「……大昔から剣聖ジグライテでも連れて来て」
遠回しな否定である。
これを加工する技術は失伝し、現在も判明していない。
また、鉄以上に重量があり、現存する加工品である【金剛闇石】の小槌は、同じ大きさの鉄の小槌二つ分ほども重く、並の力では振るえない代物であった。
そんな魔鉱石の塊が、ティラニウスの巨腕を覆っている。
己の体に【石化呪詛】を刻む、掟破りの古代武装。
そしてその超重量を、難なく振り回す怪力。
───石であるなら生成自在。
これこそがティラニウスの真の武器。
岩の腕のティラニウス。その名に秘めた奥の手であった。
「前から言おうと思ってたけど、おまえにこの街は合わないぞ。
だから、いつかはこうなるだろうなって、ずっと思ってた」
「返す言葉もございません」
「でも残念だぞ。おまえにはコーディックが世話になってるからな。
ま、こうなった以上あきらめる。だからおまえもあきらめて、死ね」
丸い童顔から無邪気さを消し去り、黒い両腕で構えを取る巨怪。
その身に殺意が備わると、体格が膨らんだような錯覚すら覚える。
「是非も無し。いざ」
ヴァレンに逃げる気は無かった。シェリーは言わずもがなである。
ティラニウスを殺した方が、事を隠蔽できる可能性があると判断したのだ。
無論、賭けであり、分が良いか悪いかは別としてだが。
もっとも、可能な限り迅速に、という条件付きでだ。
時間をかけては増援が来る可能性が高くなる。
距離はまだいくらか離れていた。
ヴァレンの歩幅にして大股で六歩ほどか。
歩幅の長さは身長の四割、大股なら五割が目安である。
( 189cm * 0.5 * 6 = 567cm )
「私を狙ってきます。貴女は剣を」
剣は幸い、ティラニウスが吹き飛んだ方向と逆方向に落ちている。
後退して拾い、そして戻るのに四秒もあれば足りるほどに近い。
「わかった。お願い」
ヴァレンはシェリーの左腕に手を触れ、一瞬だけ調息。
淡く輝く神霊術の青白い燐光。折られた左腕から痛みが消えた。
「【痛覚遮断】です。術での治療は時間が足りません」
「充分よ。ありがとう」
「本当は添え木くらいはした方が良いのですが、お許しあれ」
「わかってる。あんな……」
言いながらシェリーはケニーの無残な死体をちらりと見た。
粗野で下卑た男ではあったが、見るに堪えなかった。
「あんな惨たらしい殺し方を楽しむような奴を前にして、そんな悠長なことは言ってられないものね」
その言葉にティラニウスが足を止めて反応した。
さも心外だと言わんばかりの不服そうな顔で。
「んん? 違うぞ。おれは殺しを楽しんでなんかない」
「……なんですって?」
「そうだなぁ。言葉にするのは難しいぞ。んん……つまりだな、アレだ」
ティラニウスは暫時言葉を探し、そして告げた。
「ああやって殺すと、すごく安心するだろう?」
それは、あまりにも不可解な。
「……安……心?」
「んん? 伝わらないか? 参ったぞ。おれは頭あんまり良くないからな。
ええっとな、わかりやすく言うと……」
そして、理解不能の理由だった。
「誰か殺すと、ああ、自分はまだ、他の奴を殺せる立場なんだ、って、自分が弱い側じゃないことに、すごく安心できるのは、わかるだろう?」
───そこには大きな山があった。
「殺すことそのものが楽しいなんて言う『頭の狂った奴』もまぁいるぞ。
でも『真っ当なおれ』には、とてもそんな風には考えられないぞ?
殺すのは『安心』したいだけだ。大体の奴はきっとそうだと思うぞ」
───南側の麓には、城塞の如き石造りの巨大な遺跡があった。
「おれはこの街しか知らないけど、世の中二つの『立場』があるだろう?
殺したり奪ったりする『やる立場』と、その逆の『やられる立場』だ」
───その古代遺跡を囲むように、人が集まる街があった。
「誰だって殺されたくない。色んなものが欲しい。そうすると、だ。
持ってる奴からは奪いたくなる。腹が立つ奴や邪魔な奴は殺したくなる。
だから殺すんだ。奪いたいし、殺したいし、強くなって安心したいんだ。
怖いもんなぁ、殺されるのは。奪われるのも弱いのも、怖いだろう?」
───人は呼ぶ。かの山を、トライドラ山と。
───人は呼ぶ。かの遺跡を、トライドラ遺跡と。
───人は呼ぶ。かの無法街を、トライドラ無法街と。
「特に、痛めつけられて、苦しみ抜いて殺されるなんて嫌だよなぁ?
考えるだけでも嫌だ。おれはそんなの、きっと耐えられないぞ。
だから他人を苦しめながら殺して『やられる立場』を押しつけるんだ」
───明日など知らぬ。
───今日しか知らぬ。
「そうすると、ああ、まだ自分は『やられる立場』じゃあなくて『やる立場』の方にいるんだって、すごくすごく、ものすごく安心できるじゃあないか!!」
───これなる街、トライドラは、屑と外道と狂人の坩堝である。
「だから殺す時は、ついああやっちゃうんだ。どうだ、わかっただろう?」
呆然、そして絶叫。
「……ふざけないでッ!! わけがわからないわよッ!!」
信じ難く、理不尽で、理解不能のその理由。
少しも納得できない。それ故の激昂。
「……殺されるのは怖いから、誰かを殺すと安心する?
苦しめながら殺すのは、そうすると安心するからですって?!」
だから言わずにはいられなかった。
「そんな理解できない理由で……あんな殺し方をしたっていうの?」
「んん?」
「さっきお前自身が言っていたでしょ。みせしめをしたって!
野盗団の生き残りに頼まれて、騎士団の頭を潰したってッ!!
騎士団の団長、その側近、そして、まだ十四だった新兵を……!」
父、ローラン。寡黙で厳しかったけど、優しくて温かい人だった。
兄、ジュリアン。父に似て不器用だったけど、家族思いの兄だった。
弟、リュシアン。少し生意気な、でも明るくて努力家の子だった。
「そんな……そんなふざけた理由にもならない理由でっ……!」
子爵家の当主でありながら、その剣腕と賊徒の長の討伐で『剣豪子爵』の異名を得たベルナール家は、堅物の武辺者と揶揄される家ではあったが、兄も弟も、母のクリスティーヌも、そしてシェリーも、家族仲は良好だった。
辺境の治安を維持せんと使命感に燃えて騎士団長と当主を兼任した父、そして父のように剣腕で側近を勝ち取った兄、自分も続くのだと奮起していた弟、それを見守る、線の細い母。
大切だった。愛しかった。それを、それを。
「私の家族をッ!! あんな無残に殺したのかぁっっっ!!」
父と兄と弟が絡まった、ひと塊の肉団子。
嘆き、悲しみ、心を病んで、窓辺で呆ける痩せた母。
「狂人ッ! 外道ッ!! 人間の屑ッッッ!!」
許せない。許せるものか。
跳ぶように大きく後退、落ちていた剣を拾ってシェリーは宣言する。
「家族の仇ッ!! お前は必ず殺してやるッ!!」
突き付けるように剣先を向けて戦意を迸らせる。
ヴァレンの右後ろに立ち、再び取った片手一刃・正調の構え。
視線は仇に向けたまま、傍らの男に声をかけた、その時。
「お願いよヴァレン。お金なら私の手持ちを全部あげる。
足りなければ、私にできることならなんでもする!
だからお願い、私に力を───」
異変が、起きていた。
「───家族の、仇」
ヴァレンは呟き、目を剥いていた。
身動きひとつせず、呆然としていた。
額のあたりから、青白い燐光が漏れ出していた。
「んん? 【神霊術】か?」
「ヴァレン!? なに、どうしたの!?」
ただならぬ様子にシェリーが声をかけた瞬間、額の光が弾け、硝子の彫刻を落として割ったような甲高い音が響き、ヴァレンは脱力して俯いてしまう。
苦しげな呻きを一つ漏らして倒れかけるも、踏ん張って堪えた。
もしここに高位神官がいれば気づいただろう。
この光こそは【神霊術】……【忘却封印】の光。
その戒めが、定められた条件を満たして解除された証であることに。
その黒い両の眼は、もう倦んではいない。
「そう、か……お前が───」
ヴァレンは今、豹変していた。
「───貴様らが」
眼光炯々として勁烈なる怒りを宿し、ティラニウスを射抜いていた。
顔面に、血のような筋を浮かばせていた。
怒りを圧力と化し、大瀑布の如く浴びせていた。
その口は牙を剥く獣のように、噛み締めた歯を覗かせていた。
無表情の仮面を剥がし、凄絶な憤怒の形相を以って。
目の前の巨漢、岩の腕のティラニウスを睨みつけていた。