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破戒神官ヴァレン ~遺跡の街の復讐者~  作者: 火輪
一章 岩の腕のティラニウス
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岩の腕のティラニウス 六




 ▼ ▼ ▼




 夜闇も深くなり始めた石と煉瓦の街角で、魔灯ランタンが砂と小石の路地を照らし出す中、シェリーの心中は危機感と焦燥感という大嵐に苛まれていた。


 右手と左手は剣を突き出した時の形で完全に石化。

 今は少しずつ、手首の方まで石化が侵食してきている。


 ブーツと長裾で見えない両足も、同じと思われた。

 感覚は消失しており、踏み込んだ時の形から動かないのだ。

 なお悪いことに、足首まで固まりかけており、動くどころか立っていることすら難しい有り様であった。


「くっ、動、かな……!」


 この上、たのみの刺突長剣すら奪われている。

 放り投げられ、今はティラニウスの背後に転がっていた。


 状況は進退窮まった。

 シェリーには歯噛みくらいしか出来ることが無い。

 思い出したように、怒りで押し潰していた恐怖が足元から這い上がってくる。


「無駄だぞ。おまえは手足の先から石になっていくんだぞ。

 すぐ胴体まで石に……って、んん? なんか侵食が遅いな?」


 得意満面のティラニウスだったが、不意に丸い童顔が訝しげな表情を作った。


「そろそろ肘や膝まで石化するくらいの時間が経ったはずだぞ。

 いや、もしかしてあの剣、祝福儀礼か何かされた武器だったか?」


【呪詛】は通常、人にも道具にも仕掛けられる。

 必要なのは条件である。条件を満たした時に【呪詛】は発動する。

 道具に施す【呪詛】は、例えばペンやインクに【使用したら病気になる】といったものを仕込むのがよく知られている。


 強力で悪辣な【呪詛】の数々だが、しかし全て共通の対処法があった。

 神聖性を帯びた品には力を散らされてしまい、充分な効力を発揮できないという弱点が存在するのである。


 道具や装飾品に神聖な力が宿ると、呪いを跳ね除けるのだ。

 つまりそういった品を身に着けることで【呪詛】対策となる。


 もっとも、人を標的とした【呪詛】なら、魔生物の臓腑、縁故の爪や髪の毛といった効力を増幅する触媒を用いて、術を補強するという方法もあった。

 しかしそれでも、効力を半減させられてしまうことは避けられなかった。


(そうか、兄様の剣……!)


 兄の形見の刺突長剣に付与された祝福が、ここでも役に立ったのだ。

 不死の亡者を再殺し得る聖なる祝福は、同時に【呪詛】をも遮断する。


(でも状況は最悪……! 賭けになるけど、時間を稼げば……!)


 今更ながら一つ、シェリーは状況打開の可能性を見出す。

 追い詰められて冷静さを失っていた己の判断力に幻滅しつつ、足首まで石化し始めたために転倒しないよう気を付けながら、ティラニウスに答えを返す。


「……そうよ。それは王都の神殿で祝福された剣だから」


「やっぱりそうか。その剣を介したから、効果が減じたんだな」


「【呪術師】なんていう前時代の遺物が出てくるとは思わなかった。

 私は【術者を傷つけたら徐々に石化】という【呪詛】を受けたのね」


「当たりだぞ。剣はもちろん、弓矢だろうと関係ない。

 条件は一つだけ。おれを傷つける。ただそれだけだぞ」


「でも、祝福儀礼の守護を突破して石化させるなんて……」


「普通は無理だけど、失伝した古代の邪法を侮らない方がいいぞ。

 これは遺跡で見つけた特別な【呪詛】だからな。並の品じゃ防げない」


 時の権力者たちは【呪術師】狩りに労力を惜しまなかった。

 もちろん民たちも、恐ろしさゆえに協力を惜しまなかった。

 年月が進むにつれて【呪詛】への対処法は次々と編み出された。


 やがて【呪術師】の弱点や泣き所は人口に膾炙かいしゃし、結果、次々と追い詰められていった【呪術師】達は、その数を急激に減らしていき今に至る。


 ───特に、神官が行使する【神霊術】に【呪詛】は無力に近かった。


(情けないっ……! 私はなんて考え無しの恥知らずなの!

 この期に及んで、今更ヴァレンの助けに期待しているなんて!)


 強烈に恥じる。己の身勝手さと、視野狭窄に陥っていたことに。

 そもそも最初から合流することを優先するべきだったのだ。


 襲撃してきた四人から盗み聞いた内容により、ヴァレンが足止めを受けるのではないかと危惧したという理由もあるが、それなら尚更合流を図った方が余程有利な状況を作ることが出来たに違いない。


 己を恥じながらシェリーは賭けた。

 かの破戒神官が駆けつけてくれる可能性に。

 そして契約に基づき、自分に助力してくれることに。


 もう彼女には、それしか縋るものが無かった。


 やがて砂地を蹴立てる足音が聞こえてきた。

 しかしヴァレンが向かったという北東からではなく、南、しかも複数だ。


 我知らず舌打ちするシェリー。

 状況はさらに悪化したと認めざるを得なかったために。


「だ、旦那ァ! ティラニウスの旦那ァ!!

 す、すいませンッ! 足跡見つけて追跡するのが遅れ、ッな!?」


 ケニーとその仲間を含めた四人の襲撃者たちだった。

 どうやら逃亡者の追跡法も心得ているらしい。


「んん? ケニーか。女ならおれが捕まえたぞ」


「そ、その腕はどうしたンで!? それにこの死体は?!」


 ティラニウスの腕の傷と、転がっている三人分の死体を目にした色帯頭巾の四人は、失態の怒りで赤くしていた顔を、次第に青ざめさせていく。


「んん、三人も殺られた。油断してたぞ。それよりこの女で間違いないか?」


「そ、そうです! こ、この女が殺ったンで!?」


「ああ。いい腕してるぞ。それはそうと、おいおまえら、ちょうど三人いるし、一人ずつ死体片づけてこい」


 ティラニウスはケニー以外の三人にそう命じると、改めて告げる。

 童顔を強調する無邪気な双眸に、今は怜悧な色を秘めながら。


「───ケニー、おまえはちょっと残れ。失態には罰が要るからな」

 

「だ、旦那、勘弁してくれ。今回はちょっと油断してただけなンだ!」


 残りの三人は我関せずの体で死体を担ぎ、中央通りへと向かっていった。

 向かいながら、目線でケニーを揶揄していくのも忘れない。

 反射的に怒鳴りつけようとしたケニーだったが、上役の前で弁明しなければいけない手前、控える程度の自制心は持ち合わせていた。


「んん。心配するな。油断してたのはおれも同じだぞ。だから厳罰にはしない」


「ほ、本当で?!」


「ああ本当だ。でも三人も殺されるはめになったからな。

 お咎め無しってわけにはいかないぞ。それはわかるだろう?」


「……ウス。わかりまさァ」


「んん。だからなケニー。ちょっとこっち見ろ」


「? へい」


 ───まったくの不意打ちだった。

 ティラニウスの双眸が怪しい光を放ち、ケニーの目を見据えた。


 その瞬間、ケニーの手足は指一本動かなくなった。

 いや、動かせなくなったのだ。ティラニウスの【呪詛】である。

 目を合わせると金縛りになるといった効果だろう。


「旦那ッ!? な、何を、旦那ァッ?!」


「ただの【呪縛】だ。暴れるんじゃあないぞ」


「今、げッ、厳罰にはしないって?!」


「ああ、厳罰にはしない」


 禍々しい予感に怯えるケニーに対し、ティラニウスは告げた。

 その声音は優しげで、一片の悪意すら感じさせない言い様であった。




「───だから、あんまり苦しまないように殺すぞ」




 ケニーの両肩に、常人の二倍は大きいティラニウスの両手が横からそっと添えられた。そして次の瞬間、シェリーは信じ難い光景を見た。


「あげッ?! あが、ご、がッ!?」


「な───!!??!?」


 恐ろしき怪力であった。


 ケニーの肩幅が、半分ほどに狭くなった。

 両肩が胸にめり込み、砕けた鎖骨が肉を不気味に押し上げた。

 潰れた、と形容する以外になかった。左右から潰されたのだ。


 それだけでは済まなかった。


 ティラニウスはなお一層力を込めて、縦にも潰していく。

 両足を無理矢理大きく広げさせて支えにし、地面に固定する。

 そして、ぎゅっ、ぎゅっ、と、上から体重をかけて潰す。


「だンッ なぎゃッッッ!! ゆる許ゆりゅェえあああァ!!」


 胴体の長さも半分ほどに縮み、腹が異様に膨らんだ。

 背骨も胸骨も肋骨も、みなみな砕け、臓腑を突き刺す。

 口から、鼻から、血を噴き出して撒き散らした。


「あげァあああァあッッッ!!!? ぎゃィえァッッあ───」


 最後に首をへし折られ、そうしてケニーは、喋りも動きもしなくなった。




「───ぬへへぇ」




 残虐にして異常に過ぎる殺害を成したティラニウスは微笑を浮かべていた。

 喜色や愉悦の類のようにも見えるが、似ているだけで───違う。

 あえて言うならその表情は……そう、安堵だった。


「っ……ぁ、……ッ!」


 あまりの光景に肝をつぶしたシェリーは悲鳴も上げられなかった。

 顔面蒼白になり、怯え、竦み、足首まで石化した今、もう立っていることすら出来ず、崩れ落ちるように尻餅をついた。


 その砂地にくずおれた音に反応したのか否か、ティラニウスはシェリーに向き直り、そして近づいていく。


「さて、待たせたな。とりあえず、商会本部に運ぶぞ」


「───……っ?!」


 当然シェリーは全力で抵抗した。

 手を振り足を振り、髪を振り乱して暴れに暴れる。

 未経験の恐怖に引き攣った表情も治らぬまま、声すら出ずに。


「でもその前に、と。おまえにも仕置きだぞ」


 そんなシェリーの抵抗は、しかし何の効果も無かった。

 あっという間にうつ伏せに押さえつけられ、両腕も背中に回され、そして。


 ボキリ、と、背筋の凍る嫌な音がした。


「あぁぅッッッ!?!! ……っづ、ぅ……!」


 ようやく発することが出来た声は、激痛に呻く声だった。

 まるで小枝でも手折るような容易さで、腕が折られた。

 折られたのは左腕。手首と肘の、ちょうど真ん中辺りだ。


「おれの左腕に穴ぁ空けてくれた分は返さないとな」


 みるみるうちにシェリーの戦意が萎んでいく。

 それを見て取ったティラニウスは満足そうな笑みを浮かべた。

 が、ふと真顔に戻って考え込んだ。


(んん、そういえば、手を出すなって怪我もさせるなってことか?

 またコーディックに怒られるかもだけど……ま、いいか。

 文句言われたら、破戒神官でも雇って【神霊術】で治させ───)


 ここでティラニウスは、はたと気が付いた。

 ヴァレンのことをすっかり忘れていたことに。


 そもそもこの場で待機していたのは、手下を一人尾行させており、近くに来たらここへ知らせに来るように言いつけたからだった。


(そういえば、遅すぎるぞ……)


 いい加減、戻ってきてもいい頃だった。

 もはや知らぬ場所など無いほどに馴染んだトライドラである。

 ティラニウスは自分の時間間隔にも距離感覚にも自信があった。


 そしてそれは正しかった。聞こえてきたのだ。




 さく、さく……と、砂地を踏みしめる音が近づいてくる。




 その音に、シェリーもティラニウスも顔を向けた。


 現れたのは二十代の半ばほどの陰鬱な大男。


 灰色の短髪と、んだような黒い両眼。

 こけた頬。左まぶたに裂傷の傷痕。感情の窺えぬ無表情。

 高い背丈。長く逞しい手足。広い肩幅。大柄な体格。


 鈍い光沢のある胸鎧。長袖長裾の白い法衣。艶の失せた金糸の意匠。

 左腕には、激烈な使い込みを想像させる傷だらけの金属盾。

 右腕には、通常の物の半分ほどしかない、短めのメイス。


「……ヴァレン」


 北側の路地から歩いてきたのは、誰あろうヴァレンであった。

 ヴァレンはシェリーの震えた声にすぐには返答せず、まず十字路の真ん中近くで立ち止まり、道端に置かれた魔灯ランタンで照らされた周囲を見渡した。


 砂地に押さえつけられ、左腕を折られたシェリー。

 彼女を押さえつけたまま振り向いているティラニウス。

 およそ普通とは言えない死に方をしたケニー。


 状況を把握し終わると、嘆息を一つ。

 そうして再び、シェリーに顔を向けて返答する。


「遅くなりました」


 いらえはその一言だけ。

 昨日も今日も、この状況でも、常と変わらず低く落ち着いた声音だった。




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