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破戒神官ヴァレン ~遺跡の街の復讐者~  作者: 火輪
一章 岩の腕のティラニウス
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岩の腕のティラニウス 二




 ▼ ▼ ▼




 新月───蒼月神リュナスの加護の届かぬ夜。

 その分他の星々、名も知られぬ遠き神々の輝きは増している。

 そんな星明りしか光源のない闇深き無法街、その中央通りの道脇で、四人分の人影が蠢いていた。


 先の夕刻、砂色のカラス亭にてシェリーとヴァレンのやり取りを盗み聞きしながら、卑しい企みに胸を熱くさせていた悪漢たちだった。


「行くぞ」


「おう」


「おい」


「ああ」


 二人が直接部屋に向かう。

 一人が入口の陰に潜む。

 一人は裏口に回る。


 彼らにとっては慣れたものだ。

 何も知らない新顔を餌食とするのも。

 闇に紛れた仕事の際に、無駄口を叩かないのも。


 星明りも届かぬ屋内で、悪漢二人が短剣を抜く。

 忍び足でシェリーの部屋まで進み、鍵も無い扉を開く。

 賊徒といえども熟練である。木材が軋む音など立てなかった。


 闇の中、逆手抜きした短剣を構える。

 窓際の寝台に横たわる厚手の外套を確認した。

 やはり音も無く傍まで近づき、そして───




 振り下ろす刺突。


 刺突刺突刺突。

 刺突刺突刺突刺突刺突刺突。

 刺突刺突刺突刺突刺突。

 刺突刺突刺突刺突刺突刺突刺突。




 滅多刺しであった。

 新顔だから、女だから、などという侮りは、無い。

 ここトライドラに、しかも一人で訪れるような輩だからだ。


 極めつけの悪党かもしれない。

 腕に覚えがあるのかもしれない。

 大胆な行動ができるだけの理由があるのかもしれない。


 殺す前に味わってやろう、などとも考えない。

 女で遊びたければ蝶々通りの花宿にでも行けばいいのだ。


 この無法街で、こういう状況で余裕を見せるような馬鹿はいない。

 そんな三流の小物は、一日で死体となって転がるのがトライドラだ。


 故に。


「……っ!? おい!」


「───?! チッ!」


 二人が違和感に気づくのも早かった。




 ▽ ▽ ▽




『本日は体を休め、明日、探索に入用なものを買い揃えましょう』


『今日の内に買っておけるものがあれば、今からでも構わんが?』


『いえ、やめておきましょう。保証がありませんので』


『……保証? 何のだ』


『貴女が明日まで生きているかです』




 ▽ ▽ ▽




 厚手の外套に包まれていたのはシェリーではなかった。


 穴だらけになった外套の中身は、丸めた敷物だった。

 寝台にあった、草を編んだ敷物を丸めて外套で包み、偽装していたのだ。


 次の瞬間、数えて二連閃。

 闇を切り裂く刃光の煌めきが迸った。


「っ、は」


「ぁ」


 白刃は、踏み入って来た二人の喉笛を貫いていた。

 悲鳴も許さずむくろとなさしめんと欲す、無慈悲な剣だった。


 結果、どう、と音を立てて倒れ伏す、名も定かではない悪漢二人。

 その奇襲は、置物も隠れ場所も無い部屋の壁際で、陽炎の如く揺らめいた空間からであった。


 像を透かしながら映し出されたのは、束ねて一本に編まれた白金の長髪。

 突然の襲撃に怯えでゆらめく碧眼が、かそけき星明りを反射して輝く。


 ゆっくりと姿を現したのはシェリーである。


 その手には、切っ先を血に濡らした刺突剣。兄の形見。

 男物の乗馬用キュロットとシャツにベスト。弟の形見。

 皮のブーツは父からの最後の贈り物となった、誕生日の祝いの品だった。


 無言で、しかし震える手で、二人の心臓にとどめの刺突。


「…………」


 周囲の気配を窺う。まだ屋内に怪しい気配は無い。


「……はあっ! はっ、はっ、は、あっ、はぁ」


 ひとまずの安全を確認したシェリーは、荒い息遣いを一時だけ許す。

 極度の緊張から、体は深い呼吸を欲していた。


(役に立ったか……【影潜みの黒外套】……)


 ───影潜みの黒外套。

 身に纏って物陰にうずくまると、姿が見え辛くなる効果がある。

 潜む影は暗ければ暗いほど透明に近くなり、夜間に使えば完全に透明となる。

 旅立つにあたり、実家から持参した魔法の道具であった。


 シェリーはまだ十六歳。成人を迎えてから一年と少しである。

 この若さで女だてらに剣術を巧みに操り、大の男に勝利して見せたことすらあるが、それだけで女の一人旅の、わけても仇討ちが目的などという物騒な旅の備えとしては不足と言わざるを得ない。


 そう考えて手に取ったのが、この魔法の外套だった。


 まずこれを羽織り、この上から大きな厚手の外套を重ね着する。

 慮外者がひしめく無法街を往くため。

 年若い小娘であることを隠すため。

 東方砂漠王国シャハーラーマの名物、砂の風と強い日差しから身を守るため。


 出所は定かでないが、わずかな魔力で術式が起動し、逃げる、隠れる、不意を衝くなど、幅広い使い道があるだろうと判断して選択したものである。


 もう一度黒い外套に魔力を通し、術式を起動。

 姿を消し、息を殺して向かいの空き部屋に移動し、扉を開けっ放しにする。


 ほどなくして残りの二人が様子を見に来た。

 死体となった仲間を見ても狼狽を押し殺したのは場数ゆえか。

 穴だらけの外套と寝台の敷物を見咎めると、鼻を鳴らして部屋を後にする。


 今まさに姿を消してシェリーが潜んでいる開け放たれた部屋を、一瞥しただけで見過ごし、舌打ちしつつ仲間の死体を抱え、呆れるほどの素早さで退散していった。


 狼藉者たちの気配が失せた後、シェリーは姿を消したまま横になった。

 どうやら今夜は悪夢を見ずに済みそうだった。

 もっとも、ろくに眠れず、疲労も抜けそうにないということでもあったが。




 ▼ ▼ ▼




 翌朝。中央通りは砂色のカラス亭前にて。

 開店して間もなく、今日もくたびれた法衣に身を包んだヴァレンがやって来た。


 昨日の打ち合わせで決めてあった待ち合わせの時間にはやや早い。

 従容とした歩みで悪漢はびこる無法街を往き、砂色のカラス亭の隣の廃屋にさしかかる。


 すると廃屋の中からシェリーが姿を現した。

 無言で手招きし、扉が外れた入口の陰に消える。


 待ち合わせは店内のはずだったが、ヴァレンは頓着しなかった。

 昨日より激情の色を深めた碧眼に誘われ、泰然と廃屋に足を踏み入れる。

 途端、シェリーの手に腕をひっつかまれ、ぐい、と中へ引っ張り込まれた。


「……」


「……」


 双方無言であった。険悪な空気が漂う。

 首から上をすっぽりと覆うフードの中から、碧眼に睨まれる。

 ヴァレンはいっそ憎らしいほどに無表情。


 まずは問う。


「いかがなさいましたか」


「とぼける気か。何か言うことがあるだろう」


 シェリーのいらえはにべもない。

 ヴァレンは暫時思考を巡らせ言葉を探す。

 もともと口数も少なければ察しも悪い男である。


「おはようございます」


「……違う、そうじゃない!!」


 小声で激昂するという小器用な真似を披露するシェリー。

 痩せた狼を思わせるヴァレンの相貌が謝意を滲ませ目を伏せた。


「───失礼しました」


 居住まいを正し、黒い瞳がまっすぐにシェリーを見据える。

 シェリーもつかんだままの腕を放し、ヴァレンに倣う。


「良い朝ですねが抜けていました」


「だから違うわよッ!! 昨夜の襲撃のこと!!」


 あらためて胸ぐらに掴みかかった。

 激昂である。激怒である。

 それで漸うヴァレンにも察しがついた。

 ヴァレンは唐変木の朴念仁であった。


「『初日の洗礼』からの生還、おめでとうございます」


「……『初日の洗礼』?」


「トライドラの恒例行事です。新顔は初日、夜襲されるものですから」


「……なんてふざけた行事なの」


 肩を落としてシェリーが吐き捨てた。

 口調が肩肘張ったものではなくなっている。

 もう小娘であることを隠して気取るような余裕は無いようだ。


 よく見れば厚手の外套は穴だらけの上ほつれと破れだらけ。

 トライドラの手厚い歓迎ぶりが目に浮かぶ。


「何故言わなかったの」


「教えないのが慣例です」


「朝になるまで八人も押し入って来た! おかげで一睡もできなかったわよ!」


「御愁傷様です。慣れて下さい」


「な、慣れろ!?」


 ヴァレンの声に慈悲は無かった。

 それはもう無情であった。


「もう二晩もすれば、獲物と侮られることも減るでしょう」


「減る……減るだけなのね……」


「だいぶお疲れのご様子で」


「……当たり前でしょ」


「遺跡の探索はとりやめに致しますか」


「そういうわけにはいかないの。もう……持ち合わせが少ないから」


 旅費が尽きかけているのだろう。

 早急に稼ぐアテを確保しなければ、この無法街では正しく命取り。

 たとえくだんの襲撃がなかろうと、休んでも休んだ気にならないだろう。


「暫し、お手を拝借」


「え?」


 藪から棒に切り出したヴァレンは、両掌を持ち上げた。

 何かを捧げ持つかのように差し出されたその両掌に燐光が灯る。

 うっすらとした青い輝きは神霊術を行使する際の光だ。


 警戒せぬではなかったが、シェリーはおずおずと自らの両手をヴァレンのそれに乗せた。


「呼吸を深く、ゆっくりと吸って……吐いて」


 効果はすぐに表れた。疲労が……抜けていく。

 薄暗い廃屋の中、青い燐光が影を払うように浮かび上がる

 両手と両手で繋がった部分から優しい癒しがシェリーを包んだ。

 疲れ切った体から、重みが取り除かれていくような錯覚が、深呼吸とともに全身に浸透していく。


「───これ、は」


「初級の神霊術……【体力回復】です」


 疲れを癒し持久力を回復させる、よく知られた神霊術。

 神官の使う神霊術の中では有効な場面が最も多いであろう術である。


 シェリーはこれが初体験であったが、それにしても覿面てきめんであった。

 まるでたっぷりと体を休めただけでなく、ついでに軽く準備運動でもした後のように体が軽くなっている。


「……ありがとう。すごく楽になった」


「いえ」


 ヴァレンは相変わらず木石の如き無感情ぶりであった。

 だがシェリーは、その朴訥な表情の中にひとつまみの柔らかさを見つけたような気がした。


「代金は五十シルヴになります」


「いや先に言いなさいよ!?」


「ご一緒に【精神高揚】はいかがですか」


「いらないっての!!」


「冗談です。場を和まそうと」


「台無しよ!!」


 台無しであった。




 ▼ ▼ ▼




 砂色のカラス亭で軽めの朝食を済ませてすぐ。

 ヴァレンとシェリーが連れ立って中央通りを北上した先に、巍々たる禿山と、そこに埋め込まれたが如き巨大な古代遺跡がはっきりと見えてきた。


 その少し手前の道沿いに、無頼漢たちの集まりがあった。

 そこには横に広い板張りの掲示板があり、何やら紙切れが数多く貼られている。


 ヴァレンはシェリーを待たせ、むくつけき男たちをかきわけて掲示板の前まで進み、そこから数枚を手に取って吟味するように目を通すと、そのまま持ってきた。


 軽く目を通すと、書いてあるのは品目のようだった。

『魔蟲糞土』『銀光蟲』『夢見茸』『薬効苔』と読める。


「どうぞ。ヒドラ商会が発行している盗掘屋への依頼書です」


「ヒドラ商会?」


「トライドラで最も大きな商会です。取り扱う品は遺跡からの出土品のみならず、日用品や食料品、武具や服飾、毒に薬に人材と、それこそあらゆる物に及びます。トライドラの顔役と言って差し支えありません」


 ヴァレンが指さした方向には、一際大きな白い建物が見えた。

 古びた煉瓦造りの建物が多いトライドラの街の中にあって、陽光を反射する白い石造りのそれは実に目立っている。


「もとはクィン・カプ・セプスと名乗っていた集団でしたが、長すぎて覚えられなかったようで、誰かが呼び始めたヒドラという名前が定着し、開き直ってその俗称も使い始めたようです」


 ヒドラとは、湿原に生息する多頭の毒蛇である。

 噛まれれば決して助からない猛毒は、国を問わず有名だった。

 胴体は丸太のように太く、頭の数は、幼体で三つ、育つにつれて徐々に増えていき、長寿の個体では九つにもなるという。


「クィン・カプ・セプス……古代語ね。五つの・頭の・毒蛇、か」


 依頼書とやらに紋章が描かれていた。

 五つの頭をもった蛇を象った意匠で、シェリーからするといささか趣味が悪いと言わざるを得ない。


「報酬こそ低いものの、比較的危険が少なく確実性の高いものを選びました」


「『魔蟲糞土』に『銀光蟲』、『夢見茸』に『薬効苔』?

 様子見ついでの仕事始めとして適当な、狙い目の品ってこと?」


「仰せの通りです」


「わかった。これでいきましょう。次は準備の買い物?」


「はい。そこの露店ですべて揃います」


 掲示板の裏には広場があり、露店がいくつも並んでいた。

 武器や防具は勿論のこと、扱っているものは様々である。

 手持ちのランタン、その燃料、靴やベルト、携帯食料、衣料に洗剤、使い道のわからない小道具や、果ては小型の魔術機器や治療薬までも。


 ヴァレンはシェリーを先導するように進み、店員と世話話など交わしながら必要なものを買い揃えていく。


「よう、生臭神官。今日は新顔のお守りかよ」


「そんなところです」


「また地底湖には行かねえのか? そろそろ魚が食いたくなってきた連中が騒ぎだすようだぜ?」


「……情報ですか?」


「さぁて、どうかねぇ?」


「……」


 ヴァレンは袋財布から砂漠ルピィの銀貨を一枚つまみ出して握らせる。


「……近々ズルフィカールの野郎が人員の募集依頼を出す。

 やっこさんらの狙いは地底湖の水と魚だ。氷結保存を目的に外道魔術師、道中の安定のために破戒神官もな」


「覚えておきます。それから、この麻の大袋も」


「まいどありィ。今後とも御贔屓に、ってな」


 おおむね必要な物が揃い、二人はヒドラ商会の露店通りを後にした。

 買い物の間、一言も口を開かなかったシェリーがヴァレンに問いかける。


「地底湖なんてものもあるの? この遺跡」


「中層より下の深層にあります。不気味な姿をしているものの、食用に適している魔魚、滋養を多く含む水など、かなりの稼ぎが見込めますが、大人数が必要になるでしょう」


「諦めろってことね。まぁ、とりあえず……」


 二人そろって足を止める。

 眼前には、石の壁が崩落して出来たであろう遺跡の入口。

 あたかも邪悪な何かが大口を開けて侵入者を待ち構えているようにも見えた。


「行きましょう。案内をお願い」


「承知。参りましょう」




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