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破戒神官ヴァレン ~遺跡の街の復讐者~  作者: 火輪
一章 岩の腕のティラニウス
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岩の腕のティラニウス 一




 ▼ ▼ ▼




 世に悪が栄えた試しは無い


 なぜならば 栄えたものは等しく善とされるからだ


 善とは数であり 悪もまた数である




 ▼ ▼ ▼




 一章 岩の腕のティラニウス




 ▼ ▼ ▼




「はかい……しんかん?」


 シェリーは胡散臭げな声で、目深に被ったフードの奥から聞き返した。

 全身を覆う厚手の外套と同じく、自分の姿を衆目から隠すためのフードだ。

 見るからにろくでもない連中が闊歩するこの街で、女であることを吹聴するつもりは無かった。


 ───砂色のカラス亭。

 薄暗く酒臭い、しかし大きく広々とした店内。

 トライドラ中央通りに面し、街の盗掘屋が好んで集まるのがこの酒場だ。


 時刻は夕方。古代魔道遺跡の罠や魔物から命からがら逃げのびて、一日の疲れを酒で癒し、空腹を満たすために訪れた客でごった返している。


「ああそうだ。アンタの言った条件を全て満たす奴が一人いるが、破戒神官だ」


 言いながら、情報屋と自称する髭面は、テーブルに置かれた安酒を呷った。

 飢えた野良犬のような相貌が酒精に緩む。有体に言って下品だった。


 周囲で騒がしく喚く有象無象もまた同じ。この街に住む者は、全てこういう野卑で粗野な雰囲気をまとう無頼漢の風体である。

 とりわけこの酒場には、そういう手合いばかりが集まるというのもあるが。


 つい先ほど、この街に到着したばかりのシェリーは、街を東西に分かつ真っ直ぐな中央通りを北上中、目の前の髭面の男にこう声をかけられた。


 よう、この街は初めてか? ここで知っておくべき情報を買わないか、と。


 少し考えた彼女だったが、素直に応じた。

 そして連れて来られたのがこの大きな酒場、砂色のカラス亭だった。

 壁際かつ出入り口に一番近いテーブルにつくや、開口一番、酒も食事も頼まずに伝えた内容はこうだ。


 駆け出しの盗掘屋の面倒を見る者に心当たりは無いか、と。


 条件は、この街や遺跡の中での知識が豊富なこと。

 次に、遺跡に直接同行でき、探索術や戦闘技術を備えていること。

 金銭での契約で、可能な限り行動を依頼主に合わせられること。


 そうして男が答えたのが、破戒神官という答えだった。


「ん? 知らねえのかい、お嬢さん。破戒神官って連中をさ」


「馬鹿にするな。それくらい知っている」


 男のひょうげた口調が、彼女の苛立ちを募らせる。

 シェリーは静かな怒気を込めた一睨みを返しながら答えた。


「神教が定めた六つの禁戒、通称【六戒ろっかい】を破った神官を、そう呼ぶのだろう」


 天星神教。天星教とも、単純に神教とも呼ばれる。

 民衆の生活から王族の慣習まで、文化そのものに強い影響力を持つ大宗教。

 太陽神、地母神、蒼月神の三柱を奉る。シェリーの母国では国教であった。

 その神官たちは神の奇跡を賜る神霊術に通じ、医療や教育に携わる。


 軍事においても、神官戦士という存在がいる。


 戦闘集団としての彼らは、優秀の一語では評するに足りない。

 信仰による結束は強固、盾による守りは堅固、振るわれる戦槌は強烈。

 加えて、神霊術で衛生兵、軍医の役割もこなしてのける。

 軍隊につきものとも言える、風紀の乱れすら少ないときている。


 そんな神官たちが最も厳しく戒める、言わば没義道もぎどうである。

 天星教が大禁戒と定めた、人道に悖るもの。


 殺生。

 姦淫。

 窃盗。

 虚言。

 報復。

 そして涜神とくしん


 これら六つを指して【六戒】と呼ぶ。


「おおそうよ。酒も飲むし女も食う。盗みもやるし殺しもこなす。

 だが口数は少ねえ、冗談は笑えねえ、ついでに表情も変わらねえ。

 今一つ何考えてるのかわからねえ、面白みの無え野郎さ」


 シェリーは前半に顔を顰めたが、後半を聞くにつれ表情を和らげた。


 つまらない? 面白みが無い? 大いに結構だ。

 馴れ合おうとしないのは歓迎だ。軽薄な冗談も、余計な雑談も、この街に来た目的を思えば、今のシェリーには煩わしいだけだからだ。


「わかった。会おう。仲介できるか?」


「毎度あり。あんたは運がいい。奴ならさっきここに入ったのを見た。今すぐ会うか?」


「今会えるなら、会おう」


「へいへい。なら、先に払いだ。情報量と仲介料」


「いくらだ? 払いはどこの通貨だ?」


「西方シルヴでも北方セルヴァでも。なんなら砂漠ルピィでもいいぜ」


 シェリーは無言で懐から西方シルヴ銀貨をつまんでテーブルに置く。

 向かいに座る男はそれを見てから、指を三本立てて見せた。


「……ふっかけてくれたものだ。この程度で三百シルヴだと?」


 この酒場で、そこそこの酒が付いた食事十回分はある値段だった。


「ふっかけついでにもう一つ教えてやるよ。

 トライドラの【三つの不文律】ってやつさ。

 むしろ俺は、最初からこいつを売るつもりで声をかけたんだ」


 無言で続きを促す。髭面の男は続けた。


「一つ。中央通りで荒事は起こす奴は殺せ。

 二つ。金で誓った約束を裏切った奴は殺せ。

 三つ。他人の過去を詮索する奴は、殺せ」


 一つにつき一本ずつ指を立てながら、芝居がかった口調で。


「法も何も無えこの街だがな。こいつだけは例外だ。

 街の住人にとっちゃ、この三つは殺して構わねえ理由になる。

 こいつを甘く見て死ぬハメになった新参は……山ほどいるぜ」


 酒精の緩みを嘘のように消した真剣そのものの表情で。


「金の払いと物の価値には気を遣え。特に値切りやふっかけにはな。

 あっという間に関係ねえ野郎まで敵になるぜ。しかもすぐその場でだ。

 よその場末で群れてる小悪党どもなら、せいぜいフクロにされる程度で済むようなことでも、ここじゃその日の内に裸にひん剥かれて死体を晒すことになる」


 視線を感じ、目線を動かすだけで素早く周囲を確認する。

 何人かの客が、明らかに殺意を滲ませた視線でこちらを窺っていた。

 近くの席で、雑談しながらゲラゲラと下品に笑っていた、程度の低そうなろくでなしですら、別人のように目つきが鋭くなっている。


 殺せ、などという言葉は、どうやら嘘ではないようだった。

 信じ難いが、本当に刃傷沙汰となりそうな雰囲気に見える。


 しかしだとすれば、少しは歓迎できる話でもある。

 盗掘屋という犯罪者まがいの連中ばかりが住む街であるというのに、金を介した交渉ならば、ある程度信用がおける取引ができるということになるからだ。


「情報が二百シルヴ、仲介が百シルヴだ。命にかかわるなら高くはねえだろ?

 それともお嬢さん、アンタの命はこの値段程度の価値も無えのかい?」


「いや、充分だ。払おう」


 シェリーは懐からもう二枚の百シルヴ銀貨を取り出してテーブルに置いた。

 そしてもう一枚、五十シルヴ銀貨を置き加え、四枚の銀貨を四本の指で滑らせる。


「次もいい情報が買えることを期待する。その破戒神官、連れてきてもらおう」


「……金の使い方をわかってるじゃねえか。待ってな、ここへ呼ぶ」


 追加報酬に気を良くした髭面は、にやりと笑って金を懐へ入れた。


「ようこそお嬢さん。歓迎するぜ。

 ここはトライドラ。屑と外道と狂人の坩堝さ」


 それだけ言うと、フードの奥に一瞬見えたシェリーの端正な目鼻立ちを、軽薄な口笛で冷やかしつつ席を立ち、店の奥へと消えていった。




 ▼ ▼ ▼




 ほとんど待つこともなく、その男は現れた。


「御紹介に与りましたヴァレン・イゴーです。偽名ですが、ご容赦を」


 第一印象は、痩せた獣、だった。


 灰色の短髪の、んだような黒い眼をした大男だった。

 顎を引き、口を結び、背筋を伸ばしてテーブルにつく。

 聞いた通りの無表情であった。が、軽薄な男よりは余程いい。


 顔つきを見るに、年齢は二十代半ばから三十手前ほどであろうか。

 頬はこけ、目の下にはくまが浮き、左まぶたには裂傷の傷痕がある。

 そのせいかはわからないが、左目だけ少し垂れ気味の細目に見える。


 かなりの長身であった。そこらの男よりも頭一つは高い。

 服装は、長袖長裾の上に、鈍い光沢のある胸鎧を着込んでいた。

 コート状の白い法衣を羽織っているが、ほつれが目立ち、相当くたびれている。

 金色の糸の刺繍による、祝福儀礼と思しき神聖語の文字列が見て取れるが、汚れや傷みで艶が失せ、もはや意匠の役割しか果たしていないだろう。


「シェリーという。お前は破戒神官だと聞いたが───」


 痩せた顔とは裏腹に、首と二の腕は太く、肩幅も広い。

 背中も、胸板も、服の下に筋肉が隆起していると簡単に想像がついた。

 これらを見るに……


「───神官戦士か」


「御推察の通りです」


 低く、落ち着いた声音であった。

 脳裏を掠めたのは、父や兄の、男臭い不器用さの滲む声。

 一瞬絆されそうになった心を戒め、警戒心という鎧を改めて装着する。


「では、戦闘となれば前衛でメイスと盾を?」


「はい。遺跡内部の中層直前までであれば、単独での突破も可能です」


「中層直前まで単独突破……神霊術を駆使すれば、か?」


「仰せの通りです。危険が無いとは申しませんが、避けられぬ危険はほぼありません」


「ほぼ、か。遺跡には古代に作られた罠のたぐいがあると聞くが」


「ございます。同行せよとのご依頼ですので、比較的安全な道程をご案内しつつ、道中にてその都度回避の方法などをご説明することになるかと存じます」


「傷の手当てなども、神霊術でできるのか?」


「重症でなくば、解毒も含めて可能です」


「ふむ……」


 ふむ、などと勿体ぶって見せたが、シェリーはこの時点で雇うと決めた。


 まず、なんといっても受け答えや所作に礼節が窺える。

 先ほど【六戒】を破り放題と聞いたため、多少身構えたが拍子抜けした。

 周囲のテーブルに居る、昼間から安酒を浴びて大声で騒いでいる田夫野人たちから聞こえてくるような、気に障る野卑な響きが無いのが良い。


 破戒神官に身をやつす前に習得した、真っ当な神官としての振る舞いだろう。

 己の売り方にしても、押しつけがましくないのがまた良い。


「よろしければ仮契約として、一度、探索に同行させて頂けますか。

 ここで言葉を並べ立てるより、余程多くを確認できるかと。

 探索一度につき、その都度契約ということで如何でしょう」


「成程、道理だな。報酬はどうする」


「まずは戦利品を互いに五分五分」


「依存無い。本契約となれば?」


「より多くの進言と護衛も加え、一度目には私が七分、貴女が三分。

 二度目なら六分四分。三度目以降は五分五分に。ただし、中層までです」


「……中層直前までとして、一度の往復でどれほど稼げる?

 これは情報を買う、と、受け取ってもらっていいが」


「それには及びません。同行契約を結ぶ際の必須情報です。

 持ち運びが容易なものに限定し、首尾よく中層直前まで行ければ……

 運が良ければ一度の往復で、西方銀貨で千シルヴ前後は稼げるでしょう」


「運が良ければ、か。なら、運が悪ければ?」


「当然、稼ぎは無し。より運が悪ければ死にます」


「生還しても稼ぎが無しなら、お前への払いは?」


「三度目までは無料で構いません。四度目以降はその場で交渉を」


 シェリーは暫時、思索した。

 思索して、ひとつ頷いた。


「同行を依頼しよう。遺跡探索のための準備が必要なら、それを用意するための店などあれば紹介してもらいたい」


「承知。昼時は過ぎていますが、腹ごしらえなどは」


「……食事ができる所も聞いておくべきか。

 ここで取れれば面倒が無いが、どうだ?」


「ではここで。お勧めは黒ムーと沼猪の腸詰です」


「腸詰はいいが、黒ムー? 水牛と沼猪の腸詰など美味いのか?」


「この店では比較的美味、かつ、お値段も手ごろです。

 ここは東方砂漠王国が近いこともあり、黒胡椒などの香辛料を贅沢に使っております」


「……香辛料だと? なら食べてみよう」


 母国が輸入していることもあり、シェリーも香辛料には興味があった。

 シャハーラーマ産の香辛料は、母国ロムニオスでは高級嗜好品である。


 ヴァレンが慣れた様子で給仕の娘に注文した。

 さほど待たずにやって来たパンと腸詰は、見た目は並だった。

 しかし、香りが別次元だった。相当な量の香辛料を使っている。

 まさしく贅沢の一語に尽きる香りに、忘れていた食欲が促進される。


 まず腸詰を一口。




「ぇうッ!?」




 奇声が、漏れた。


「……」


「……」


 沈黙が流れる。動きが止まる。

 卓を挟んで向こう側のヴァレンは、無表情だった。


 肉汁がじゅわっと溢れ、口中に旨味が広がった。

 刺激的な感覚が鼻孔を抜けていった。

 美味くはある。美味くはあるのだが……


「……」


「……」


 長い沈黙が流れる。動きは止まっている。

 ヴァレンは微動だにしていない。

 そのかわり、申し訳なさそうに口を開いた。


「……辛いですか」


「……辛きゅにゃい」


 噛んだ。


「……」


「……」


 沈黙に耐えかねたか、ヴァレンは給仕の娘を呼んだ。


「こちらの方に、砂漠椰子の果汁を」


「はぁーい。ちょっと待っててねー」


 砂漠椰子の果汁とやらは、甘酸っぱくておいしかった。




 ▼ ▼ ▼




 日も完全に落ち、空が黄昏色から暗い青へと光を失っていく頃。


 シェリーはヴァレンから紹介された宿を訪れていた。

 中央通りに面した一階建てのくたびれた小さな安宿であった。

 だが、しっかりとした木造で傷みも腐りも見渡した限りは見つからない。


 店頭の陰気な老人に宿泊を告げ、料金を払うと、部屋は好きに選べと吐き捨て、顎をしゃくって奥へと促した。


 選んだ部屋は質素なものだった。広さは扉の板で四枚半ほどか。

 窓際に枕も掛け布もない木製の寝台があるだけで、他には何もない。

 寝台の敷物は植物を編んで作られており、汚れも目立たず、日の当たる窓際にあったおかげか虫も湧いていなかった。


「はぁ……っ」


 厚手の外套に包まれたまま身を横たえて、大きく息を吐いた。


 故郷を発ってから、今日で何日目だったか。

 街道を徒歩で往き、馬車を乗り継ぎ、時には道無き道を進んだ。

 慣れない一人旅で、心身に疲労を蓄積させていった。

 休める時に休んでおかなければならない。




 家族の仇を探し当て、そして報復する。

 これこそシェリーがこの街に来た目的だった。




 目を閉じて睡魔の訪れを待つ。


 たとえ悪夢を見ようと。

 瞼の裏にその光景が浮かぼうと。

 凄惨極まる忌まわしきその記憶、そう───






 ───父と兄と弟が絡まった、ひと塊の肉団子を思い出しても。






「……ッッッ!」


 両目を見開き、薄暗い部屋の中、何も無い空間を睨む。

 脳裏に焼き付いた『あの時見たもの』を一時でも消し去るために。




 気が狂い始めていることを自覚したのはいつだったか。


 身元確認のため、あれを見た時か?


 棺に納めるため、絡まった三人分の肉と骨を、この手でほどいていた時か?


 母が言葉を忘れ、一日中呆けるようになった頃か?


 血眼になって、下手人の手がかりを探し始めた頃か?


 それとも───






 ───岩の腕のティラニウス。

 この名をつきとめた時だったか?






 無理矢理瞼を閉じる。

 大丈夫。まだ正気を保っている。

 憎き仇に報いを受けさせるまで、狂ってなどいられないのだから。




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