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破戒神官ヴァレン ~遺跡の街の復讐者~  作者: 火輪
二章 両好みのコーディック
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両好みのコーディック 終




 ▼ ▼ ▼




「フィオネーラ、双子は拘束したまま自由にするな」


「任せておいて。それと、もう一つ」


 ヴァレンの後ろに立ったフィオネーラは、鳥が翼を広げるように、或いは、愛しい男に抱擁を求めるように、両手をゆらりと開いていく。


 すると、見る間に部屋の壁という壁、床と言う床、そして半球状の高い天井に至るまで、白い霧のようなものが拡がっていった。


「これは?」


「【探す白い手】という探索魔法よ。見つけた……そこね」


 尋ねたヴァレンに応える傍ら、フィオネーラの指先が優雅に踊る。

 一瞬の間を置いて、床と壁と天井の一部が、甲高い音を立てて凍り付いた。


「今のは?」


「秘密の抜け穴や脱出口の類いを探して【凍結氷霧】で凍り付かせたの」


「……奴にはもう、逃げ場は無いと。流石だ。感謝する」


「お安い御用よ」


「……どうヤラ本当に【魔封呪詛】は効果を失っタようだな」


「ヴァレンの【護光聖印】で解呪済みよ。覿面てきめんだったわ」


 フィオネーラはドレスをはだけ、肩と胸元を晒して見せる。

 胸の中心には、赤黒い傷痕のような、刻印の痕跡があった。


「水ヤラ霧ヤラの魔法は、砂漠や荒野などの湿度が低くて風の強イ地域では、ろくに術式が編めズに効果が激減すルって聞イタんだがね」


「外ならね。でもここは屋内だし、水の素になる物も多い」


 そこで、ずい、と、二人の話を遮るように、ヴァレンが前に出た。


「戯れはそこまでだ」


 全身から立ち昇る殺意という意志が、目には見えずとも肌で感じ取れる。

 もはや待てぬ、すぐにも殺すと、その歩みが言っている。




 刹那。完全に虚を衝いた。




 一瞬の交錯。そののち、ともに後退するヴァレンとコーディック。


 コーディックは鮮やかに後方伸身宙返り。天井の高さを活かして大きく。

 いつの間にか、左右の手には一本ずつ、刺突剣が握られていた。


 ヴァレンは何故か、先ほどフィオネーラが部屋の中に放り捨てた、見張りの男の死体の傍まで退き、その腰の偃月剣えんげつけんを抜いて───


「な……ッ?!」


「ヴァレン?! 何を!?」


「「ッッッ?!」」


 ───自分の左手の小指を、次いで薬指を斬り落とした。


 ヴァレンは偃月剣の刃で、斬り落とした二本の指を弾き、まだ理解が追いつかないフィオネーラの前に放って見せた。


「っ?! これは……!?」


 腐敗だ。腐っていた。


 斬り落としたばかりのはずの小指が、屍肉の如く変色していっている。

 ぐずぐずと泡立ち、紫色を通り越して、どす黒くなっていくのだ。

 対して、薬指に異常は無い。肌も傷口も、繋がっていた時のままだ。


 ヴァレンは油断なくコーディックを見据えていた。

 表情に乏しいこの男にしては珍しく、驚愕を露わにして。


 一方、それ以上に愕然としているのはコーディックだ。

 先の瞬間、必殺を期して、そしてったと確信して仕掛けた技が、ほとんど不発に終わった。成果はたった指二本であった。


 何が起こったか、コーディックには理解できていた。

 できてはいたが、信じ難い事実を認める事に全力であった。




 ───完全に虚を衝いた。コーディックの踏み込み。


 ───己の『影』から二本の剣を掴み出し、放たれるは一秒六撃。


 ───その刺突、期すは必中。額、喉、心臓、股間、左右の足。


 ───精妙神速を自負する左右の鋭鋒。さなきだに防ぎ難き、せんせん


 ───しかして六閃、ことごとく、流して捌くは軽妙巧緻けいみょうこうち


 ───神院流拳法、活人拳は【軽煽流泳けいせんりゅうえい】。


 ───右掌、左掌が空を泳げば、その身に届くやいば無し。


 ───我流双剣・秘技【六刺六殺】は、あえなく破られた。だが。




【腐食剣コレウグ】と【猛毒剣ヴェヌリオ】の二振り。

 トライドラ遺跡で入手して以来、ずっとコーディックの愛剣である。


【鋭利研磨】の魔術処理が付与された、刃毀はこぼれとは無縁の逸品。

 この内の一振り【コレウグ】が、最小限の仕事は果たしたのだ。


 特に【腐食剣コレウグ】の効果は凄まじい。

 金属の盾であろうと鎧であろうと、瞬く間に腐らせてしまう。


 神院流拳法【軽煽流泳けいせんりゅうえい】は、敵の攻撃を、掌か拳、または拳底か手刀にて打ち払いつつ体を捌いて回避する型であり、まずもって相手の攻撃に触れざるを得ない場合が非常に多い。


 つまりは受け技の相性が悪かったと言える。

 右手の【腐食剣コレウグ】による刺突を、ヴァレンは左手の手刀で打ち払ったため、刃に触れた左手小指が腐敗の効果を受けたのだ。


 見ればヴァレンの右手からは、神霊術の青白い燐光が散っている。

 部屋に踏み入る前に付与していた、効果時間が長い【毒素遮断】であった。

 左手の【猛毒剣ヴェヌリオ】は、これによって毒を付着できなかった。


 しかし【腐敗】の効果は毒とは違う。神霊術では防げていないのだ。


 だとしても。


(信じラれん……ッ!!)


 今の一合を正しく理解出来ているのはヴァレンとコーディックだけだ。

 フィオネーラも、勿論フェイルとデイジーも、見えてすらいないだろう。




 ───まずは、機の奪い合いの勝利。


 確実に不意を打った、会心の奇襲だった。フィオネーラと意味の薄い会話を交わし、そこにヴァレンが割り込んできた。まさにそこを狙った。意識が攻めに転じる直前を確かに捉え、間違いなく先手を奪えた。


 ───次に【影袋】による不意打ち。


 これも同じく遺跡からの出土品で、使用者の体積と同程度の収納空間を持つ形無き保管用魔道具であり、これを利用し、無手からいきなり刃渡りの長い刺突剣を、しかも二本取り出して、完全に虚を衝いた。


 ───そして、初手に選んだ技。


 我流双剣・秘技【六刺六殺】。一撃一撃が必殺を期した、一息で六度殺せる我流の秘剣は、左右に武器を一つずつ持つため、右にも左にも逃げ場は無く、さらには突進攻撃であるため、後退しても回避不能だ。


 ───最後に、用いた得物。


 この二本の魔剣、実は刃で傷をつける必要すら無く、ただ剣身に触れさせるだけで【腐敗】と【猛毒】の効果を与えられる。急所を貫けずとも、体のどこかに触れさえすれば、それだけで勝利条件を満たせる。




(これダけ念入りに練り上げタ、防ごうとスルことスら難しい、オレの自慢の『初見必殺』が、何をどうスればこんな無様を晒スんだッ?!)




 ……不意を打てたと思ったのは錯覚だったのか。

 あの会話の中でもこちらを窺っていたのか。

 こちらが逆に、攻めに転じた瞬間を捉えられたのか。


 ……武器を持っているのでは、と疑っていたのか。

 まさか、得物を見た瞬間に、間合いを把握したのか。

 見てから対処ができるほどに、反応速度に優れるのか。


 ……右にも左にも後ろにも避けず、真っ向から受けた。

 神院流拳法の存在は知っていたが、その使い手とは知らなかった。

 自分の必殺手を捌き切れるほどの腕前とは思わなかった。


 ……【猛毒】に対して備えていた。勝ち筋が一つ封じられた。

 もう片方の【腐敗】はまだ通じるが、他の勝ち筋はもはや少ない。

 しかも、しかもだ。




(被弾部位を……自分の指を捨てルのに、まっタく躊躇しなかっタ!!

 それドころか、腐敗部分に触れタだけの、無事な指まで迷わず捨てタ!!

 ドんな決断力だ?! ドんな覚悟だ?! そんな真似が何故できル?!)


 恐らくは【腐食剣コレウグ】の効果が神霊術で防げなかったことに気づいた瞬間、まず被弾部位である小指を切断。そして小指に触れた薬指も、念のため……そう、被弾部位に触れた他の部位まで効果を及ぼすかもしれないと考え、念を入れて切断することを決断したのだろう。


 左手の出血は止まっていない。が、少しも頓着とんちゃくしていない。

 そんな些細な事よりも、一刻も早く殺したい。そう言わんばかりに。

 げに凄まじき覚悟と意志は、驚愕と戦慄を禁じ得ない。


 コーディックは次手に詰まった。

 だが、意地と面子に懸けて平常心を装った。


 迂闊に動けない。そう思ったところで。


 ヴァレンが不意に移動した。フィオネーラの傍らに。

 そして何ごとか囁くのが見て取れた。


(まずイ、反応が遅れタ……! なんだ!? イや、恐らく奴らは───)




 音も無く表れたのは、薄紫に揺らめく、四人のヴァレンの姿。




(───ヤはり、幻術!! 目晦めくらまシか!!)


『魔女』というのは、厳密には『魔法使い』や『呪術師』とは違う。


 攻撃魔法として一般的な【燃焼火球】だの【凍結氷弓】だのといった、直接的に相手を害するような手段が【魔女の秘法】には極端に少ない。

 そういったわかりやすい魔法は『魔法使い』たちが【魔女の秘法】を研究、発展させて作り出したものであり、それをこそ『魔法』と呼ぶ。

『魔法』とは、数多の『魔法使い』たちの、門外不出の学問でもあるのだ。


【魔女の秘法】とは、催眠、誘惑、魔法薬作成、まじない、人物占い、相性占い、妖精占い、動物との意思の疎通、などがあり、とりわけ霧や幻、感情や本能といった、形の無い何かを操る術に突出しているのが特徴である。

 呪術師の【呪詛】は、こちらから発展していった別系統だ。


 今、双子の身動きを封じている【戒めの鎖】も、実は『鎖に縛られて動けない』と『思い込ませて』動きを縛る、催眠を併用している。


【魔女の秘法】が、魔法と呪術の祖たる秘法と呼ばれる所以ゆえんである。


 今では書物の中にしか出てこない【原初の魔女】などは、地面とホウキは関係が深いことから、双方を擬人的に捉え『互いに嫌い合うようにそそのかして互いに離れたがる』という概念を持たせる【概念支配】なる秘術によってホウキを地面から浮かせ、それに跨って自由飛行が可能だったというから驚きだ。


 今代において隆盛している『魔法』では、人や四足歩行の動物、石や木といった『本来は飛べないもの』に浮遊するという概念を持たせることはできない。

 人が空に浮かぶ方法は、錬金術師たちが作り上げた『熱気球』しかない。


(ドれが本物だ……ッ!?)


 殺到する四人のヴァレンの幻。

 いずれかに潜む『本物』からの攻撃だけが致命傷だ。

 身を躍らせて床に転がりながら『本物』の位置を探る。


 しかし、そんなコーディックの胸中を嘲笑あざわらうように、一分も経たぬ短時間で、ヴァレンの幻は一つ残らず霞んで消え始めた。


 その瞬間。


「ッ!!」




 幻を突き破って襲来する、上段足刀蹴り。




 無手と刺突剣という間合いの差を少しでも埋めんとしたヴァレンが取ったその選択を、しかし危うくも避けるコーディック。当たれば頭蓋が割れていた。


 蹴りのために片足を上げたヴァレンは後退できない。

 今こそ反撃の好機。コーディックはここに賭けた。


(───今シか、無イッッッ!!)


 ……ヴァレンはすでに気づいているが、コーディックの剣には、我流といえども必殺の技量を持つに至らしめた、ある秘密があった。


 コーディックは、世にも珍しい『両手利き』であったのだ。

 右手でも左手でも文字が書けるし、さらには利き目すら自在に変えられた。


 この奇怪な体質が、コーディックの剣に変幻自在の技の冴えを与えた。

 腕利きの戦士でさえも、なす術なく翻弄され、穴だらけにされるほどに。

 だからこそ【六刺六殺】を破られてなお、ここで勝負に出る決断が出来た。


 ……繰り返すが、その秘密にヴァレンはすでに気づいている。


 気づく前の段階で、奇怪なる秘剣を防ぎ切り、そこで初めて気づいた。

 だからあの時、この男にしては珍しく驚きを露わにしたのであり、故に驕りも慢心も無く、万全を期してフィオネーラに助力を求めたのだ。


 ……コーディックは、疑問を持つべきだった。


 完璧に勝機たるせんせんを奪い、無手から刺突剣へ射程を突然伸ばして意表を衝き、さなきだに見切り難い『両手利き』から放つ、しかも斬撃や払いではない、最短距離で一点を貫く刺突、さらには変幻自在の六連撃という、まさしく万全に突き詰めた『初見必殺』の秘剣。

 これがほぼ完全に防がれた。それには───


 ───それには何か(・・・・・・)理由があるのでは(・・・・・・・・)、と。


 もっとも、それを暴いたところで、なんら得るものは無かったかもしれないが。


「ッシャァアアアアアア!!」


 唸りを上げてほとばしる【腐食剣コレウグ】と【猛毒剣ヴェヌリオ】の鋭峰。

 もはや六度と言わず、十二、十八と続けざまに放たれる刃の華が乱れ咲く。


 それを防ぐは。


(ッ?! 作業用の、厚手の皮手袋?!)


 シェリーとともに遺跡の中で『魔蟲糞土』を掬うために使った物だ。

 武器たる拳を露出できない状況に備え、ヴァレンはこれを常に持っていた。

 フィオネーラの幻術に隠れた際、装着したのだと推測するコーディック。


「舐めルなァ!!」


 だが所詮は皮だ。たとえヴァレンの手妻が【軽煽流泳けいせんりゅうえい】の尋常ならざる技量をもって刃の花弁を散らそうと、右掌、左掌を問わず【毒素遮断】で防げぬ【腐敗】に触れ続け、見る間に腐り、中の拳が露出していく。


(その手が腐り落ちルか、オレが懐に飛び込まれルか───)


 咲いて咲いて咲き乱れる、毒と腐敗の妖しき繚乱りょうらん

 散った刃華はなは四十一。そしてついに、その瞬間が訪れる。


(───どちラが先かの勝負……ッッッ!? 来たッ!!)


 数えて四十二輪の刃華はなが散った、その時。

 ヴァレンの両手が、手首から離れて……落ちた。




 ───凌ぎ切った。奴の手は腐って落ちた。


 ───たのむは邪宝、放つは右腕【腐食剣】の一刺し。


 ───もはや破戒神官に、盾と槌たる拳は無い。


 ───これで勝った。拳は無い。


 ───勝った。拳は……


 ───拳は……


 ───拳が……


 ───ある?




 右拳がある。左手がある。左手に何か握っている。

 メイスだ。メイスを握っている。しかし短い。

 通常のメイスの半分ほどしかない寸詰まりであった。


 恐らくは、遺跡内の低い天井、狭所に適応するための工夫……そして、隠し武器としても、使えるようにも。


 しかし、なぜ両手が───という疑問が浮かんだと同時に。




 ぐしゃり、などという音が、右胸から。




「げッはおッッッ!! ぉうお、ぅオぉぉぉぶぇ……!!!!」




 勝機にはやったコーディックの、全てを腐らせる右の一刺し。

 左半身に構えたヴァレンは、これを懐から左手で抜き放った寸詰まりのメイスで横薙ぎに受け流し、体の開きに逆らわず、そのまま右足で踏み込んで右半身の構えに移行しつつ、その体重移動を打撃力に変換して、右拳を右胸に沈めた。


 ───神院流拳法・活殺カッサツ流泳開打リュウエイカイダ穿芯拳センシンケン】。


 右の肋骨がまとめて砕かれ、右の肺腑が破裂するのみならず、背骨にまで衝撃が浸透したコーディックは、もはや倒れ伏して呼吸すらままならず、大量に吐血しながら呻き苦しみ、指の一本も動かすことができない。


「な゛、んデ、手が」


 ヴァレンは落ちた手袋を蹴ってコーディックの鼻先に寄せた。

 腐りきった手袋の中の拳は、やはりどす黒く腐敗している。


「そこの見張りの腕だ」


 言い捨てたヴァレンの声音はどこまでも無慈悲だ。

 すべてを語ってやる気など、最初から持ち合わせていない。


「私がヴァレンの幻影をお前に襲わせた時、その隙にヴァレンは、剣でそこの男の両手を切り落として手袋を被せ、その手首を握って袖口に忍ばせたのよ」


 いつの間にかフィオネーラが近づいてきていた。

 語らぬヴァレンに替わり、続いて補足する。


「ヴァレンは腐った小指を斬った時、念のために薬指も切断した。

 でも薬指は無事だった。腐敗部分に触れただけなら大丈夫とわかった。

 そこでヴァレンは、そこの男の手を盾にしようと思いつき、あたかも自前の手のように偽装して、まんまとお前を欺いたのよ」


 フィオネーラは言いながらメイスを拾った。やはり酷く腐敗していた。


「最初からメイスを使わなかったのは、金属がどれくらい早く腐るかわからなかったから。それと、お前の意表を突いて勝機を作るため、かしらね」


「合っている」


「あら嬉しい」


 正解を言い当てたフィオネーラはあでやかに微笑む。

 しかし次の瞬間には、憎悪に染まった形相へと一変させた。


「ようやくお前にこの怨みをぶつけることができるわ……!!

 私とあの子を辱めて、弄んで、おぞましい薬で、心を壊して!!

 それに飽き足らず、最後には、あの子の命まで奪った!!」


「ュ……ッ?! くォ……ェッ!!」


 すでに口も利けないコーディックは、おののくばかり。

 ただ両の目だけを、慈悲を乞うているかのように震わせて。


 フィオネーラの両の掌に、薄紫の魔力光が灯る。

 魔女の秘術は膨大である。当然、悍ましく、恐ろしいものも。

 そうでなければ、呼び名に『魔』など付きはしない。


「楽に死ねると思わないことね……これからじっくりと───」


 それらの秘術が成される前に。

 魔女の震える両肩に、そっと硬い掌が置かれた。


「───よせ」


 変わらぬいつもの無表情。

 語るは固き、その言葉。


「……なぜ止めるの。どういうつもり?」


「今すぐ殺す。それだけでいい。命を奪った罪に相応しい罰があるならば、命を奪い返す……ただ殺めるだけでいい」


「足りないわ!! それだけでは、とてもッ!! この外道が私たちに……貴方の家族や他の多くの者たちにしてきたことを考えたら、苦しませて苦しませて、それから殺さなければ、まるで足りないッ!!」


 振り返り、髪を振り乱し、群青の瞳に憎悪と憤怒で燃え滾る蒼炎を宿して、治まらぬ激情を吐き出すフィオネーラの言葉は、しかし同時に悲哀の呻吟しんぎんでもある。


 それがヴァレンにはわかる。痛いほどわかる。

 百も承知でそれでも言う。退かず、怯まず、言葉を尽くす。


「苦しませて……甚振いたぶって殺すなど、この者共に等しき所業。

 仇討ちでいらぬ業を背負うことはない。

 堕ちるな。このような外道と同じ場所には」


「ただ殺すだけで満足しろと言うの?! 多くの命と尊厳を、あんなにもおぞましく弄んだ罪は、到底ただの一死いっしでは───」


「───ただ殺すだけでは気が済まぬ、というのもわかる。人の死は、おごそかなものであるべきだというのに、人としての尊厳を踏みにじられて殺されたとなれば無理もない。だが、ここに来る前に言ったはずだ。俺の手で殺す。お前に殺させはせん。それを認めろと。お前はそれに頷いた。そうだったな?」


 言われてフィオネーラは言葉に詰まった。

 そもそも彼女は、ヴァレンが一人で挑むつもりだったところへ、無理を言ってついてきた。ヴァレンはかなり強めに拒否したが、まったく退かず、並々ならぬ決意に圧され、仕方なく助力と同行を認める羽目になった。


 その際、ヴァレンは条件をつけた。

 譲るのは初手のみ。それ以降はヴァレンから求めぬ限り、手出し無用、と。

 フィオネーラはそれに頷き、そうして今に至る。


「……わかった。ごめんなさい。どうかしてたわ。約定を破るような……獲物を横から掠め取るような、恥知らずな真似はもうしない。でも───」


 激情を抑えつけたフィオネーラは、そう言って引き下がった。

 改めて憎い仇を睨みつけ、最後に一つ付け足して。


「───この外道がどんな顔で死ぬか、それだけは見届けさせて」


「顔、か」


 ふと漏らしたその言葉は、平坦で、冷淡だった。

 拳が握られる。みしり、と、肉と骨が軋んだ。


「ああ、それは納得できんだろうさ。当然だ」


「……ヴァレン?」


「命を奪われたなら───」




 ▼ ▼ ▼




 何かを奪われた者には 取り戻す権利がある


 理不尽に奪われたならば 尚のこと奪い返す権利がある


 しかしそれが 決して奪い返せないものであったなら


 奪われれば 失われてしまうものであったなら 




 ▼ ▼ ▼




「───もう二度と、奪い返すことは出来ん。

 殺された者を生き返らせることなど……命を奪った者から命を奪い返し、失われた命を取り戻すことなど出来ん。ましてや奪われた命が一つではなく、二つ以上であったなら、帳尻が合わんにもほどがある」


 音も無く歩み寄り、コーディックを見下ろすヴァレン。


「多くの命を奪った者の罪を、その者の命一つであがないとするなど、裁きとして破綻している。罪の重さと罰の重さは同じであるべきだ。

 更に言えば、弄ばれて殺された者たち全員分の苦しみを与えてから殺したとしても、その後に奪える命は一つだけだ。やはり帳尻が合わん」


 言いながら、片膝を着く。

 握られた右拳が腰に据えられた。


 ここから放たれるのは【下段・追い打ち穿芯】。

 倒れ伏して無抵抗の相手に対し、一片の慈悲も無く止めを刺すための、尋常の勝負であるなら禁じ手とされる、神院流拳法は殺人拳。


「ならばどうすればいい? 苦しませて殺すのも、苦しませずに殺すのも、この外道どもが犯した罪に相応しい罰にはならんというのならば───」


 できるだけ苦しませて殺してやりたい。

 しかしそれは、下種で邪悪な者たちに等しい行為。

 正当な報復と謳うなら、非道を成しては名目が立たぬ。


 苦しませはせず、しかし尊厳を踏み躙りたい。

 ならばどうするか。


「───ならば俺は、こうして貴様らの尊厳を踏みにじろう」


「はおぅあッ!! ハぁーッ!! はァーッッッ?!」


 コーディックはいよいよ舌まで自由にならなくなった。

 言葉にならない声を必死に吐き、だが呼吸もろくにできぬなら、結局意思など伝わらない。


「死ね、外道。二目ふためと見られぬしかばねになれッッッ……!!」


 己を見下ろす両の目に絶対の殺意を認めて、淫欲の外道は死が不可避であることを知り、動かぬ体と舌を無様に蠢かせて慈悲を乞う。だが。


「ぁめ───!!」


 ぐしゃり、と、乾いた音と湿った音が、同時に鳴った。


 赤黒く染まる、突き落とされた右拳。

 肉も、骨も、眼球も、抜け落ちた歯も。

 粘ついた血も、体液も、脳髄も。


 ティラニウスと同じように、コーディックは死んだ。


 ───これがヴァレンの答えであった。


 個人の尊厳を司る、個人たらしめる一つの基準。

 それは顔だ。ものを考える、頭部だ。


 国も時代も人種も問わず、人の遺体を弔う際は、身を清め、衣を整え、特に顔かたちは安らかな面差しに見目を繕い、故人を悼むもの。


 ならば、悼むどころかおとしめて、だが無用の苦痛を与えぬ殺し方は。


 それこそが、首から上を醜い肉塊と成さしめること。

 納得できる殺め方が思いつかなかったが故の、己を殺す最後の妥協であった。




 フィオネーラは最後まで見続けて、しかし何も言わなかった。

 この破戒神官の言葉を聞き、その姿を目に焼き付けて。

 何を思ったのかは、本人しか知らない。


 ややあって振り返り、双子を見つめて魔女が問う。


「その子たちはどうするの?」


「捨ておけ」


 そう言うのがわかっていたのだろう。

 フィオネーラはあっさりと、戒めの鎖を解き放った。


 それが信じられないのか、双子は呆けたままに立ち尽くしていた。




「……あと」




 ヴァレン。ヴァレン・イゴー。

 元の名を、ヴァレン・ジェリオット。


 小さな村の宣教神官、ジェリオット夫妻の家に生まれる。

 父と母から、体の弱い妹ともども、愛されて育つ。


 そして今は、トライドラ無法街に住み、破戒神官に身をやつす。


 酒を飲む。女も食う。盗みもやるし殺しもこなす。

 だが口数は少なく、冗談は笑えず、表情も変わらない。

 何を考えているのかわからぬ、面白みの無い男。


 殺生。

 姦淫。

 窃盗。

 虚言。

 報復。

 そして涜神とくしん


 神教が定めた六つの禁戒、通称【六戒ろっかい】を、すべて犯してかえりみぬ。




「───あと、三頭さんにん




 潰すべき多頭毒蛇ヒドラの首を虚空に数え、絞り出すように言霊に乗せる。


 破戒神官ヴァレン。

 それが、この男の今の名だ。




 ▼ ▼ ▼




 二章 両好みのコーディック 終




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