両好みのコーディック 七
▼ ▼ ▼
砂と石と赤煉瓦でできたトライドラの街並みに、夜の帳が下りていく。
黄昏色に染まっていた西の空が、ひと時の七色から、青より暗い蒼、それよりなお昏い夜闇の色に少しずつ移り変わり、街から明るさが失せていく。
トライドラ西部地区、ヒドラ商会支部にして、直営の花宿。
その建物に灯りが点き始めるのは、まさにその刻限だ。
シャハーラーマの意匠を多く取り入れた一際目立つ白亜の外観が、錬金術師の手によって作られた光の変色が可能な魔灯により、夜通し照らされ続ける。
妖しい赤紫の魔灯に染め上げられ、他と隔絶する特別感を演出した、蝶々通りでも指折りの上玉だけを集めた『最高級の花宿』が、今まさに開店した。
正面の大扉の前に集まっていた、懐に忍ばせた大金を死守していた幾人かの男たちが、どこよりも淫蕩な愉悦を味わうために、獣欲を滾らせながら入店していく。
そんな男たちに先んじて、ヴァレンはすでに中に居た。
しかしいる場所はといえば、従業員が詰めている入り口前ホールでもなく、極上の花たちを並べた豪奢な雛壇を眺める中央ホールでもなかった。
その裏側、館の奥、店に身を置く───置かざるを得なくなった女たちが、普段勤務していない時に閉じ込められ、やむなく暮らしている部屋が集中している区画、ここでは『管理棟』と呼んでいる場所に、ヴァレンはいた。
女たちの私室が並ぶ区画、その一番奥の扉をノックすると。
「いいわ」
入室を促す部屋主の声が小さく聞こえた。
声を聞き、扉を開いて部屋に入ったヴァレンを迎えたのは、窓からの星灯りと燭台の明かりの中、寝台に寝そべった物憂げな表情の女だった。
「失礼します」
「ええ、久しぶり、ヴァレン」
「お久しぶりです、フィオネーラ」
彼女が上体を起こすにつれ、薄紫に染めた蜘蛛絹に青水晶を砕いて散りばめた最上級の夜衾ドレスの上を、艶めきながら長い黒髪が流れていく。
腰まで伸びた癖の無い黒髪は、鎌刃月の光を照り返して黒曜石の如く輝き、北方系の秀麗な顔立ちと切れ長の目も相俟って、抗い難い誘引力に満ちている。
極上の花との呼び名も高いフィオネーラというこの女に往診を求められ、ヴァレンはここに足を運んだのであった。
彼女は今夜、体調不良を訴えて、勤めを休んでいる。
本来ならその程度の訴えは黙殺され、薬物を投与されて強引に店に出る羽目になるのだが、フィオネーラは極めて高額に設定された一晩の値段と、店でも屈指の人気を誇るため、少々の要望は受け入れられる立場を勝ち取っていた。
「相変わらずね。ノックなんてするの、貴方くらいよ。他の男はいきなり扉を開いて、ずかずかと無遠慮に入ってくるわ」
「性分ですので」
「知ってるわ」
妖艶、と評するに不足の無い婀娜たる肢体は、しかし儚さに満ちている。
窓を開けて鉄柵ごしに吹き込む夜風に身を晒せば、そのまま溶けて消え失せる、そんな錯覚をすら、見る者に与えるほどに。
「お加減を診ます。発熱と、倦怠感があるとか。伏せるほどではないにしろ、念のために診てほしい、とのことでしたが」
「必要無いわ。月のもので落とした体調を、病気に装っただけだから」
寝台の傍に置かれた椅子に腰かけたヴァレンは、暫時、目を丸くした。
言葉の途切れたヴァレンに対し、フィオネーラはとぼけた顔で答える。
「ちょっと怠けただけよ」
そう言って、ヴァレンの意外そうな顔を眺めながら、フィオネーラは蠱惑的に微笑み、相手の反応を待つ。ややあって。
「……以上で診察を終わります。念のため、しばらくは安静になさいますよう」
「悩んで選んだ言葉がそれ?」
たまらず忍び笑いを漏らしたフィオネーラに、ヴァレンは珍しく眉根を寄せて、なんとも複雑そうな顔をしたのだが、それを見て我慢できなくなったか、先ほどまでの物憂げな雰囲気をどこかに放り捨てて、華やかに笑う。
「ごめんなさいね、無駄足を踏ませて」
「いえ、構いませんが……何故、こんなことを」
「フィオメーナの夢を見たの」
途端、ヴァレンの表情は、いつにも増して固まった。
「あの時の……あの子を見送った時の夢。貴方に愚痴りたくなっちゃって」
フィオメーナ。それはフィオネーラの妹の名だ。
二人はスラビェーリャでは美しさで名の知れた姉妹であった。
かねてから姉妹に目を付けていたコーディックは、二人が所用でスラビェーリャの王都に向かった際、ティラニウスを伴って道中を襲い、呪詛で縛らせて自由を奪ってから拉致し、己の欲を存分に満たした。
年齢や性別の垣根を問わず情欲の対象にするコーディックにも性癖というものは有り、中でも『姉妹や兄弟をまとめて味わう』というのを特に好む。
加えて、そういった二人を『左右対称に傷つけて遊ぶ』という性癖もあり、この時は、姉は右目に、妹は左目に、蝋燭を溶かして垂らすという残虐にして倒錯した遊びを、数回繰り返して愉しんだ。
その結果、妹のフィオメーナは左目を、そして───
「鏡を見るたび思い出しているのに、なぜ急に夢になんか見たのかしらね」
───姉のフィオネーラは、右目を失明した。
手鏡に、右目が白く濁った彼女の顔が反転して映ると、姉妹故に当然だが、左目を同じく失明した妹のフィオメーナとよく似た顔がそこにある。
それだけに飽き足らず、コーディックは二人に心を蝕む薬を投与するなどして尚も虐待的な享楽に耽ったが、途中で加減を誤り、苦痛に満ちた死が避けられない状態までフィオメーナを壊してしまった。
そこまでして漸くヴァレンが呼ばれたわけだが、時すでに遅く、ヴァレンに出来た事は、姉の目の前で妹を安楽死させることだけだった。
「散々貴方に当たり散らしたわね……あの時は。ごめんなさい。貴方に責なんか無かったのに、貴方は罵られるまま、何も言わずにじっと耐えてくれた」
「……我が身の無力を恥じるばかりです」
「いいえ、恥じたりしないで。今なら言える。あの時私を助けてくれて、そしてあの子を安らかに逝かせてくれて……ありがとう。感謝するわ」
「感謝を受けるわけにはいきません。私は───」
「───いいの。もう、いいのよ」
それきり言葉を紡げなくなったヴァレンに、黙して妹を悼んでくれる男に、フィオネーラは何を言うでもなく、ただ微笑を向けるばかりであった。
そうして暫し、互いに見つめ合うだけの時間が流れ、やがて。
「このようなお話の後で、いささか切り出し辛いのですが」
ヴァレンは、この場に来た『もう一つの用事』を済ませることにした。
「フィオネーラ、貴女に贈りたいものがあります」
「……まさか貴方からそんな事を言われるなんてね。
でもいいわ。貴方が選んだ贈り物、興味があるもの」
よほど意外だったのだろう。フィオネーラは驚きを隠さなかった。
遊ぶついでに贈り物で彼女の気を引こうとする男など見飽きているが、診察と治療以外では指一本触れようとしない堅物のヴァレンからの言葉ともなれば、極上の花と扱われる彼女とて興味を引かれもするのだろう。
ヴァレンは懐から、青白い燐光に包まれた小瓶を取り出した。
なんらかの【神霊術】がかけられているのは一目瞭然である。
フィオネーラは、それを目にした時───
「フィオメーナの、右の眼球です」
───そして言葉を聞いた時、驚愕して、固まった。
「これを神霊術【移植治癒】にて、失明した貴女の右目と入れ替えます」
「ちょ、ちょっと待って!!」
身を乗り出して狼狽したフィオネーラに、ヴァレンは黙って従った。
たっぷり十数秒経ってから、震える声でフィオネーラが問う。
「どうして……こんなものを持っているの?」
「彼女の形見として、貴女の右目の治癒に使おうと思ったからです」
「……どうやって保存したの?」
「彼女を弔う時、貴女と同じく右目を失明している『病人棟』の見張り番、ショーテルという男に協力を仰ぎ、神霊術【移植治癒】にて仮移植し、彼の眼窩で生体保存処置を行いました」
「なぜそんな……回りくどいことを」
「この術は、まず移植する部位が人体から離脱して半日以内に行わなければ成功せず、加えて、眼球という複雑な部位を移植する場合、血縁であり、性別も同じ者でなければ完全に成功しません。しかし他人に移植することで、眼球が機能を失って壊死することは防げるため、本移植までの時間稼ぎになるのです」
「それは知ってる。どうして……今になって?」
「コーディックの嗜虐性を鑑みると、すぐに治癒しては再び彼の気を引きかねないと危惧し、慎重に機会を窺っていましたが、私の個人的な事情により、これ以上機を待つことができなくなりましたので」
二人の問答の言葉はここで途切れた。
寝台と椅子、衣装棚と小さな卓しかない殺風景な部屋に、沈黙が流れる。
フィオネーラは言葉に詰まっている。
そしてヴァレンは言葉を待っている。
答えに迷う理由に、ヴァレンは見当がついている。
「私、受け取っても……あの子の目を貰っても、いいの?」
生還者の罪悪感、または、生還者罪悪症候群。
フィオネーラを苛んでいるのは、そう呼ばれる心的外傷だ。
大敗を喫した戦場から帰還した騎士や兵士。
大量の死者を出した災害から逃げのびた者。
そういった者たちに多く見られる症状であった。
死がほぼ確定的な状況において次々と自分以外が死んでいく中、奇跡的に生還を遂げた者が、多くの犠牲者がいるにもかかわらず自分だけ助かったことに対して罪悪感を感じ、無気力になってしまうという精神疾患として知られる。
また、日々の生活や人生そのものに積極性を持てなくなるばかりか、自傷行為に及ぶこともあり、更に悪化した例では自殺した者すらいるという。
なお、大量の死者が出るということが絶対条件なわけではない。
極めて危機的な状況に『己と近しい誰か』と同時に陥り、自分だけが生還した、という場合においても罹ってしまうことがある。
「妹を守るどころか、何もできなかった姉に……そんな資格があるの?」
「わかりません。しかし───」
ヴァレンには、馴染みの深い症状だ。
ほかならぬ自分こそが、長く付き合っているものなのだから。
「───同じ苦しみを味わった姉に資格が無いなら、他の誰にもありません」
故にこそ、ヴァレンの言葉には願いのような力が籠った。
自分自身も惨劇からの生還者であるため、同じ症状に苛まれており、フィオネーラの懊悩が、まさしく己の事のように共感できてしまうからだ。
悪党から身を護る力が無い方が悪い───などという考えが、世の中にはある。必ずしも間違いとは言い切れない部分があるが、その主張は弱い者をさらに打ちのめし、追い詰めるだけで、なんの救いにもなりはしない。
これは、ヴァレンが自分を肯定するための言葉でもあった。
『弱者の罪』などという、悪党の所業をわずかでも肯定してしまいかねない主張を、なにがあろうと決して認めぬために。
そしてフィオネーラは、敏感にそれを察した。感じ取ったのだ。
じっとヴァレンの目を見つめ、覗き込み、己と似た傷痕を、その中に。
「受け取るわ。移植、お願い」
そして彼女は受け入れた。諸々を。
恐らくヴァレンのような者の言葉でなければ出来なかったであろう。
フィオネーラの細く美しい柔手が、小瓶を捧げ持つ、細かい傷だらけのごつごつとしたヴァレンの手に、そっと添えられた。
「承知。こちらもこれで、心残りが一つ減ります」
「……え?」
常と変わらぬ無表情ではあったが、慈しみをわずかに滲ませて満足そうに頷くヴァレンに、しかしフィオネーラは不穏なものを感じ取った。
「待って、ヴァレン。もう一つだけ聞かせて」
問いを待つヴァレン。
「さっき言っていた……これ以上機会を待てなくなった事情って何なの?」
問い質すフィオネーラ。
「貴方、何をしようとしているの?」
そして破戒神官は問いに答える。努めて静謐に、一片の迷いもなく。
今にも爆ぜてしまいそうな衝動を、あと少しだけ抑えつけるように。
▼ ▼ ▼
コーディックの拠点でもあるこの花宿は、商会の支部としての機能をも持たせるついでとして、外観の一部を本部会館と同じ作りにしてある。
東方シャハーラーマの意匠として象徴的な、半球屋根もそれにあたる。
しかし本部ほどの大きさはないため、屋根裏の空間に会議室を設えるようなことはできていないが、そのかわり、屋根の真下の部屋は天井を取り払い、高さも広さもある大部屋となっている。
商会幹部の執務室と寝室を兼ね、応接用の卓とソファーも置いた、コーディック自慢の一室であり、その本人は、今まさにそこにいた。
手ずから技術の数々を仕込んだローラの味は満足のいく出来だった。
見せつけて、試させて、壊した後には共に愉しんだアランにも満足した。
興が乗ってフェイルとデイジーも巻き込み、昼過ぎまで愉しんでしまった。
湯浴みをして身を整えた時は、陽はすでに西の空にあった。
紅をさした唇はより艶めき、耳に揺れるは銀細工。
妖しい艶と凄みのある整った目鼻立ちには微笑を浮かべ。
左右対称に分け、長く伸ばした赤茶色の緩い巻き毛を指で弄ぶ。
薄手の白い手袋に、葡萄酒の赤が禍々しく映える。
金銀の糸細工を豊富に飾った丈の長い白ガウンは脱いでいる。
今は襟を立てた薄桃のシャツと、その下の肌着だけ。
悠然と足を組み、爪先を反らせて尖らせた黒革のブーツを卓の上に投げ出して、顔中に幾つも走る細かな裂傷の痕を、笑みの形に歪めている。
卓上の葡萄酒を味わいながら、高級品のソファーに深々と体を預け、両脇に侍らせたフェイルとデイジーを撫で回すコーディックは、心地よい脱力感の中、恍惚とした表情で先の享楽の余韻に浸っていた。
「こうして飲む一杯が、たまらなイ」
「あんなに長く遊んだの、久しぶりでしたねー」
「うふふふっ! あぁー楽しかったっ!」
主人と共に嗜虐の悦びを反芻しながら朗らかに笑う双子。
真実、この二人は無邪気に……そう、邪気など少しも無く笑う。
もっと幼い頃から長くコーディックの性癖に浸り、多くを仕込まれ、トライドラの流儀と価値観を学び取り、今では誰よりコーディックに近しい人間性を得るに至ったこの双子は、ある意味で最もトライドラに馴染んだ者とも言えた。
そんな三人が、上物の葡萄酒の芳醇な香りに包まれて安らいでいたその時。
「うん? 誰だイ?」
部屋の大扉が、ノックされた。
「なに? っていうか、この後何も予定無いよね?」
「いいから入ればぁ? 用があるならさっさと済ませてよね?」
扉を開き、入って来たのは誰あろう、ヴァレンであった。
いつもと同じ、裾の長い前開きのくたびれた白い法衣姿。
両の手は無手。当然だ。ここには武器を持ったままでは通されない。
「……なんだ、お兄さんか。なに? 仕事の終了報告?」
「……いつも通り問題無しなんでしょ? だったらもう出てってくれる?」
双子はあからさまに不機嫌な顔で、苛立たしげに言い放つ。
元々この二人はヴァレンに対して当たりが強い。
「待て、二人とモ」
いつにない厳しい声音で、コーディックは二人を制した。
驚いたフェイルとデイジーが主の方に顔を向けると、先ほどまでの寛いだ表情はとうに消え失せ、すでに緊張した空気を纏っていた。
「聞こうか。ヴァレン、何の用だイ?」
このあたり、外道といえども百戦錬磨の悪党である。
危機を嗅ぎつける嗅覚は、たとえ情事の最中であっても鈍りはしない。
ヒドラ商会幹部という肩書きは、そうでなければ背負えない。
「遊んだ相手は、みな覚えていると聞いた。では覚えているか───」
そして問い質す、復讐者の昏い声。
もはやこの溢れんばかりの殺意を隠す必要は、無い。
「───十年前、四人の仲間と小さな村で宣教神官の一家を襲ったことを」
そういうことか、と、コーディックはすべてを察した。
しかし察しはしたが、それはそれで幾つか解せないことがあった。
「モちろんさ。神官夫婦と小さイ娘が一人。タっぷりと愉しんだよ」
特に、今朝方本部で色々と問い質した時のことだ。
あの時点では、ヴァレンに敵対の意思は無かったはずだった。
なにしろライトリックがそう判断したのだから間違い無い。
「どうイうつモりか、聞イておこうか」
「俺の、父と、母と、妹だ」
聞きたいことはそんなことではなかった。
が、もはや話にならないということは、充分に知れた。
一瞬の目配せ。双子は主に応えた。
ヒュ、という音が、二秒で六度鳴った。
首から下げたもの、袖口に仕込んでおいたもの、上着の内側に忍ばせてあったもの。装填済みだった、合計三つ、いや、二人分で合計六つの猛毒吹き矢が、同時に近い発射速度で二か所から空を切り裂いて襲来する。
双子の得意とする【早撃ち吹き矢】の一芸。しかしヴァレンは、最初から知っていたかのように、六つの毒矢を体捌きだけで回避して見せた。
「くそっ! まだまだ───」
「調子にのってんじゃ───」
会心の不意打ちであったはずの得意技が難なく躱されたことに憤った双子は、しかしすでに油断なく次弾を装填。次なる射撃に移らんとした時。
「避ケろッッッ!!」
主の警告も虚しく、双子は『何か』によって、逆に不意打ちを受けていた。
「「 なっ?! 」」
───鎖。鎖であった。
しかもただの鎖ではなかった。
実体の無い、しかし実体以上に強固な、まるで生物のように蠢く薄紫の鎖。
それ自体が意思を持っているかの如く、双子の体を締め付けて離さない。
「むぐ、ぅえっ……!?」
「あぇ、ぅぅぅぅぅ?!」
のみならず、まるで猿轡でも噛ませるように、双子の口にも巻き付く。
その鎖が双子のついでに自分にも向けられた故に、コーディックは驚きながら回避しつつ、その鎖が何なのかを看破するに至った。
これは【神霊術】ではなく───『魔法』だ。
この鎖は『魔力』で編まれたものだった。
「わかってはいたけど、鈍ってるわね。本命を外すなんて」
その玲瓏な声に、かつての儚さは無い。
紡いだ言葉に、失ったはずの意志が宿っている。
薄紫に染め抜いた蜘蛛絹に、青水晶を砕いて散りばめた夜衾ドレス。
黒曜石の如く輝く腰まで伸びた黒髪を、嫋やかな指使いで梳き上げるその姿。
「フィオネーラ……?!」
ヴァレンに続いて部屋に入ってきたフィオネーラが、今、馴れ馴れしく己の名を呼んだ憎き仇を視界に収め、憤怒の蒼炎を身に纏う。
白く濁っていた彼女の右目は、神霊術によって妹の右目と入れ替えられ、群青色の虹彩に穿たれた闇色の瞳孔が、魔の光を映して輝いていた。
そこに揺蕩っていた悲哀の色は、今ひと時だけ消えている。
「もう見えるのか」
「ええ、たった今、見えるようになったわ」
「……驚きだ」
「あの子の目だから、かしらね」
言葉を交わすヴァレンとフィオネーラの様子から、結託している事を確信したコーディックは、油断なく睨みながら問いかける。
「……部屋の前には見張りを二人、立たせてイたはずだ」
コーディックが言った瞬間、フィオネーラは扉の外にも鎖を伸ばし、見張りの男二人分の死体を絡み取り、部屋の中に投げ入れて見せた。
「そうかイ……だが階下には、腕利きを十人は詰めサセてある。騒げばすぐに聞きつけて駆け上がってくルぞ」
「お生憎様。聞こえやしないわ。この部屋の周りは【音消しの霧】で囲んである。ついでに言えば、階段の前も【人寄らずの霧】で覆わせてもらった。この部屋でどれだけ騒ごうと、誰も来やしないわよ」
「ティラが刻んだ【魔封呪詛】が解呪できたのか? イや、できたとしても、すぐにこれほどの『魔法』を立て続けに使えルはずが───」
「───使えるわよ? 鈍っていても、これくらいは造作も無いわ」
悩ましきその肢体を隠すように、胸の下で組まれていた細い腕がゆったりと持ち上がり、己の胸の中心と、再び光を得た右目を指し示す。
「【惑わせの森の魔女姉妹】と恐れられた、私とあの子なら、ね」
彼女こそは魔の申し子。
魔法と呪術の祖たる秘法を操る者。
北方スラビェーリャにて、その美貌と、一際優れた【魔女の秘法】の使い手として恐れられた妖艶なる魔女姉妹の姉が、今まさに報仇雪恨を果たさんと推参した。