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破戒神官ヴァレン ~遺跡の街の復讐者~  作者: 火輪
二章 両好みのコーディック
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両好みのコーディック 四




 ▼ ▼ ▼



 眠りから覚めたシェリーは、窓の外の明るさに驚いた。

 ここトライドラに到着するまでに幾度か夜営はしたが、朝まで目が覚めなかったことなど一度も無かったからだ。


(眠、れた……?)


 仇討ちを決意してから今日に至るまで、精神が苛まれていたことから、寝つきも悪ければ眠りも浅く、さらには時おり見る悪夢のせいもあり、休息が休息にならない日々が続いていた。


 限界寸前だった己の心身が、ようやく憔悴と抜けぬ疲労から大幅に回復したのを自覚でき、はぁ、と、シェリーは大きく息を吐いた。


 体を起こして折れた左腕を確認する。そうしてまた驚く。

 無論まだ痛みはある。手首と肘の真ん中、折れた部分が腫れている。

 しかし明らかに、痛みもやわらぎ腫れも引いてきていた。


(すごい。こんなに治りが早いなんて……!)


 骨もすでに繋がりかけている。一晩で治る速度ではない。

 神霊術【治癒促進】の存在は人づてに聞いたことはあったが、これほどの効果をもたらすものかと、シェリーは身をもって思い知った。


 ほどなくして、部屋に近づく足音に気づく。

 足音は部屋の扉の前で止まり、ノックの後、遠慮がちな声がかけられた。


「シェリー、おきてる?」


「オレオね? 入っていいよ」


 おずおずと開かれた扉の向こうから、猫の仔のようにするりと部屋に入って来たのは、肌着一枚のオレオだった。


「おはよう」


「うん。おはようオレオ」


「お顔洗ったらごはん。ついてきて」


「わかった。案内お願いね」


 手鏡と櫛、手ぬぐいと歯拭きを手に、オレオと一階に降りる。

 案内された水場で洗顔。髪に櫛を通し、頭の後ろで縛っておく。

 食事の際、この長い髪はほどいたままだと邪魔になる。


「あ……」


「どうかした?」


「ううん、なんでもないわ」


 オレオと共に食堂に向かいながら、シェリーは密かに羞恥を覚えた。

 昨夜の食事を思い出しつつ、朝食の献立に期待を抱いているのを自覚し、はしたなさを感じたのだ。


 なにしろこの街を目指してから今日に至るまで、食事と言えば硬いパンと干し肉を無言で噛み潰しながら、水筒の水で腹に流し込むだけだった。


「朝食も、昨夜と同じ場所でいいのね?」


「うん」


 そこにきて昨夜の食事はと言えば、焼き立ての肉に新鮮な野菜、温かい汁に腹持ちのいい麺という、久々に食事らしい食事であったのだ。

 翌朝の献立を多少楽しみにしたところで誰が咎められようか。


(おなか鳴ったりしなくて良かった……)


 とはいえシェリーとて、齢十六という多感な年ごろの乙女。

 加えて、一家そろって剣ばかり振っていたとはいえ、子爵家の息女として、恥をかかない程度の教育は受けており、己のはしたなさを自覚してしまえば、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。


 だから気づくのが遅れた。

 食堂の、先客の人数に。


「っ?!」


 子供、子供、子供……

 年の頃が十才前後の子供ばかり。


 オレオを除いた九対十八の瞳が、一斉にシェリーに注がれていた。

 みな食事の手を止めて、オレオが連れて来た見知らぬ女を観察していた。


 しかし、それもつかの間。

 子供たちはすぐに視線を切って食事に戻った。

 ただの一声もあげることは無かった。


「こっち」


「え、ええ」


 オレオはシェリーの手を引いて、食卓に促した。

 男児と女児が三人ずつ、合わせて六人座った大きなテーブルを通り過ぎ、年長であろう十一、二歳の男児が三人座っているテーブルに、オレオとシェリーの分と思われる食事が用意されていた。


 オレオの隣に座りながら、同じ卓の面子に視線をやる。

 不躾にならないよう気を遣いつつ、視界の端に入れるように。


 年長三人の男児のうち、一人には昨夜会っている。

 ヘクター、と、ヴァレンに呼ばれていた男の子だ。

 琥珀色の短髪の少年。見ればこの中で一番体が大きい。


 シェリーの直感が、子供たちの代表は彼だ、と告げていた。


 残りの二人は初見である。

 二人とも、シャハーラーマの血を感じさせる褐色の肌。黒髪に黒目。

 手足が長く、全体的にしなやかで身軽そうな印象を受けた。


 顔だちも良く似ている。兄弟と見てまず間違いなかった。

 昨夜ヘクターが言っていた、シャイードとザラームであろう。


(子供だけ? 大人は……)


 不審に思って見回してみれば、一人用のテーブルにヴァレンがいた。

 が、他に大人の姿は無い。大人が一人、子供が十人。これだけだった。


「それだけだよ」


「え?」


「ヴァレンと同じ献立の方がよかったか?」


 急にヘクターから声をかけられ、シェリーは一瞬戸惑った。

 食事の献立のことを言っているのだと気づき、慌てて答える。


「あ、い、いいえ。これでいいわ」


「なら早めに食ってくれ。片付かない」


「ありがとう。頂くわ」


 言いながら、自分の分に手を付ける。


 まず、自分の献立は子供たちと同じだった。

 小麦の生地を平たくのばして焼いたもの……ナンというか、平パンとでも言おうか。これに熱々のチーズと猪のベーコンが乗せられたものが一枚。


 もう一品は、昨夜出されたものと同じスープであった。

 とろみのある優しい味付け。入っている具材も同じ。

 これは毎日共通の品なのであろう。


 根葉球ねばたまの甘みと黒ムーの腸詰、そして果物油で炒めた数種の干し茸の旨味がよく沁みた荒地芋あれちいもを、岩塩と香辛料で調えられ、小麦粉でとろみをつけた熱い汁とともにすすり、焼いた平パンをチーズとベーコンごと噛みしめて食べる。


 付け合わせの小皿には、軽く塩をふった黄色サロエが少々。

 フォークで口に運べば、新鮮な野菜の甘みがよくわかった。


 この朝食の感想はひと言で済む。

 美味い。


(ヴァレンは? うわ……)


 献立が別というヴァレンは、と言えば、実に豪快な朝食であった。

 基本的には同じ献立ではあるのだが、子供たちの量の優に五倍はある。


 まず、平パン焼きが三枚。しかも明らかに大きい。

 次に汁は特大のどんぶり。具材もごろごろしているのが見える。


 これに加え、朝から厚切りの焼いた肉など食べている。

 ぶちぶちと歯でちぎっているのを見るあたり、女子供の顎の力ではとても食べていられないような固い肉のようである。


 がぶり。噛み付く。ぶちり。噛みちぎる。

 咀嚼、咀嚼。呑み込む。また噛み付く。噛みちぎる。

 靴底ほどに大きなソレは、とても朝食に食べるものではない。


 付け合わせは、輪切りにして炒め、塩をふっただけの根葉球ねばたまだ。

 見た限り丸々一個、食している。よく焼いた根葉球は、甘みがあって美味ではあるが、子供たちに比べて随分と雑な献立であった。


 付け合わせは黄色サロエではなく、まだ熟れていない緑サロエだ。

 二切れほどまとめて口に放り込む。ざくりざくり。ごくり。呑み込む。

 胃腸薬の効能もあるのが緑サロエではあるが、食卓に乗る品ではない。


 あれは味やら食感やらを食事に求めていない。

 生きる力を得るための『命を取り込む行為』に終始しているだけだ。


(朝からあんなの入らないわよ……こっちの献立でよかった)


 内心で安堵しながら、シェリーは右手一本で食事を済ませた。

 決して食事にもたついたわけではないが、それでもシェリーが食べ終わったのはヴァレンと同時だった。食べる速さも呆れたものである。


 その瞬間だった。


「全員、気をつけ」


 ガタガタン、という椅子を引く音と共に、一斉に起立する子供たち。


 驚いたシェリーは釣られて立ち上がり、困惑しながらではあったが、子供たちと同じように背筋を正してヴァレンに向き直ってしまった。

 その直後の一幕は、シェリーの困惑をさらに大きくするものだった。


「製造班は下処理作業を開始。昼食まではいつも通りに。

 午後は夕方に卸す分の石鹸二十個、梱包作業を忘れぬよう」


「「あいよ」」


 揃って答えたのは褐色の兄弟、シャイードとザラームだ。

 製造班とは何かと思った所で、石鹸という単語を聞いて察した。

 昨夜オレオから聞いた、石鹸作りの仕事ということであろうと。


「清掃班と厨房班は作業が終わり次第、協力して洗濯を開始。

 昼食後は製造班と合流、製造作業と梱包作業の応援に入るように」


「「「あい!」」」


「「「はぁい」」」


「では各班、作業───」


 言いながら、ヴァレンは両手の平を胸の前で掲げ、そして。


「───開始」


 ぱぁん、と、よく響く音を鳴らした。

 同時に、子供たちは一斉に駆け足で動き出した。


 シャイードとザラームがすぐさま食堂を出ていく。

 ヘクターは男児を率いて掃除用具を手にする。

 オレオは女児を率いて朝餉の皿を片付け始めた。

 呆気に取られたシェリーは馬鹿のように立ち尽くしていた。


 その動きは……遊びたい盛りの子供の動きなどではなかった。

 シェリーはこの雰囲気に似ているものを知っている。

 父が率いていた、訓練された兵士たちのそれであった。


「なん、なの」


「何がですか」


 意外の一語で済ませるには、とても足りない光景であった。

 思わず漏らした言葉にヴァレンが問い返したが、耳に入っていなかった。


 思えば多くの違和感があった。

 一つ一つは些細な事だったため、ここに至るまで気づかなかった。


 一つ。静かであった。お喋りのひとつも無かった。


 子供というのは意味もなく騒ぐことが珍しくない。

 はしゃぎ、ふざけ、感情の赴くままに行動するものだ。

 しかし、ここの子たちは静かだった。

 食事の際など、いかにも子供が何かしら喋りそうなものだというのに。


 二つ。子供たちの行儀の良さであった。


 あれくらいの年頃ならば、カチャカチャと食器やらなにやらを鳴らし、皿からこぼして食べ散らかしたりもしよう。それがまったく無かった。

 みな背筋を伸ばし、こぼさないよう気を付けながら、しかし速やかに。

 好き嫌いで具の一品を残すような真似もしなかった。


 三つ。笑い声が聞こえなかった。一度たりとも。


 階段から降りて水場に寄ってから食堂に行くまで、シェリーのいない時間は幾らか有ったはずだが、笑い声の一つも聞こえなかったのは不自然だ。

 笑い声というのはよく響く。ましてや階段前のホールと食堂は隣り合っており、壁の少ない空間で、なおかつ子供の高い声であれば。


 シェリーは自分がいるせいで静かなのだろう、と思っていた。

 客人という異物が居たために、かしこまっているのだろう、と。


 しかしこれは。これは何か、違う。


「ヴァレン、あの子たちはなんなの? 親は?

 どうしてここに住んでるの? 孤児なの?」


 子供たちに何も聞けなかった分、ヴァレンに疑問をぶつけた。

 反動から少し詰問のようになってしまったのはやむを得まい。


「貴方が育ててるの?! まさかみんな実の子なの?!

 どうしてみんな、あんな、あの……なんなの?!」


「順にお答えします」


 ちょっとシェリーの知能が低下していた。

 しかしヴァレンは普通に答える。動じない男である。


「あの子たちは私の営む『石鹸屋』の『従業員』です。

 ここが孤児院というわけでもなく、住み込みで働いています。

 私が育てているわけではなく、彼ら自身の力で生きています。

 私の実子ではありません。私は未婚です。彼らは───」


 眉一つ動かさず、よどみなく答えるヴァレン。

 そこには事実しか含まれておらず、余計な虚飾も無い。


「───【蝶々通りのとし】です」


 そして虚飾も無ければ、嘲笑も同情も無かった。


「蝶々通りの、堕とし児……?」


「シェリー、貴女は部屋でゆっくりと療養していて下さい。

 私は所用で出かけます。昼食前には戻りますので、ごゆるりと」


「待って、どこへ行くの?」


「ヒドラ商会へ、行ってきます」




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