両好みのコーディック 三
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ヒドラ商会。正式名称『クィン・カプ・セプス』。
それは古代語で『五つの頭の毒蛇』を意味する。
露店市、店舗会館、酒場兼依頼受付所、そして白い石造りの本館を、トライドラ中央通り沿い、西部地区最北端の広々とした一等地にまとめて放り込んだ、屑と外道と狂人の坩堝の中枢である。
過去にこの街を支配した悪漢と、現在はヒドラ商会幹部たちが、緻密にして卑劣な辣腕を振るって、周辺三国から送られて来る国家の首輪を付けた走狗たちを、罠と賄賂で陥れ、時には癒着し、遺跡からもたらされる財という財を吸い上げ、人の住み難い荒野と湿原と砂漠に囲まれた地にあってもなお、密かに繁栄し続けてきた下種外道の都の中枢は、王侯貴族さながらの贅を凝らして君臨していた。
その二階建ての本館の、椀を伏せたような半球状の形が特徴的な丸い屋根は、今、鎌刃月の淡い光を反射して、うっすらと輝いている。
西方ロムニオス、北方スラビェーリャから流れ着いた悪漢どもが多く住み着く西部地区にあって、つるりとした白い石造りの大きな建造物は、東方シャハーラーマの意匠が色濃く表れていた。
煉瓦造りの建物が殆どであるトライドラにおいて、一際目立つ存在だ。
そしてその半球屋根の裏側、屋根裏にあたる部分には部屋がひとつあった。
大部屋であった。半球屋根を支える柱が複数あるだけで、壁は一切無い。
東方王朝が好んだ色とりどりの美しい刺繍の意匠と、座り心地の良さを兼ね備えた柔毛絨毯を中心に敷いたこの広々とした空間には、様々な魔術的細工が多く施してある。
昼夜を問わず淡い明るさに保つ発光性魔鉱石を用いた灯り。
通気、冷房、暖房を自動的に行う、壁と天井に刻まれた空調用風魔法陣。
入室許可無き侵入者に引導を渡す仕掛けや呪詛の数々。
それがヒドラ商会幹部の会議室。そして今そこに、三人の幹部が座していた。
「ちょっと信じられなイね。そんなにヒドかったのかイ? ティラの死体」
問いの声を発したのは、線の細い、しかし妖しい艶と凄みのある男であった。
年の頃は、男の絶頂期、二十代後半といったところか。
唇には紅、耳には銀細工。
整った目鼻立ちには支配者の余裕が浮かんでいる。
長く伸ばした赤茶色の緩い巻き毛を、左右対称に分けていた。
薄手の白い手袋に、爪先を反らせて尖らせた黒革のブーツ。
金銀の糸細工を豊富に飾った丈の長い白ガウン。襟を立てた薄桃のシャツ。
観劇の席で酒と従者でも侍らせれば、さぞや絵になることだろう。
もっとも、顔中に幾つも走る細かな裂傷の痕さえ無ければだが。
商会の五幹部の一人、コーディック。
通り名は、両好みのコーディック。
トライドラに住む男達の色欲を満たす『辻の花』が集まる場所、通称『蝶々通り』の全てを支配する、女を商う大元締めである。
「ああ、酷えもんだったぜ。顔っつうか、頭を砕かれて死んでた。
血やら脳やら撒き散らして、上顎から上は原型を留めてねえよ」
答えたのは、黒い短髪で体格の良い、無精髭の男だ。
歳は三十代前半。左頬にはこれ見よがしな、蛇頭の入れ墨。
装いは典型的な盗掘屋のそれである。
砂色の上下に、黒い革の鎧、黒革のベルト、黒革のブーツ。
趣味か洒落っ気か、首と両手首には、鮮血の如き真っ赤な紐飾り。
だが、まず印象に残るのは───『目』だ。
瞳孔も虹彩も小さいギョロリとした目は、猛禽のそれに似る。
腐肉漁りの禿げ鷲のような、獲物を狙う鷹のような。
夕暮れ色の虹彩に穿たれた青黒い瞳孔は、口が笑みの形を作っているにも関わらず、まるで笑っている印象を与えない。
商会の五幹部の一人、ナスティール。
通り名は、三十三のナスティール。
ヒドラ商会お抱えの、残忍かつ狡猾で鳴らす屈強な盗掘屋たちを、実力で黙らせて統率する現場主任であり、商品管理も兼任する、商会幹部の序列二位である。
「こんな結果は予想外もいいところだよ。流石にさ。
明日から荒れるよ。商会も、このトライドラも」
三人目は、場違いなほど平凡な男だった。
顔つきもとりたてて特徴が無い。普通の街の普通の平民のように。
茶色い髪は長くも短くもない。体格も平均的な成人のそれである。
特に珍しくもない襟付きの白い長袖シャツ。
ありふれた黄土色の革製ベストと長裾のズボン。
こんな普通の品は、トライドラでは誰も着ていない。
だからこそ、異質な存在感があると言えた。
こんな風体の人物がこの街を闊歩すれば、すぐさま住人たちに美味しい獲物と見定められて、何もかも奪い尽くされ、後には死体が残るだけだ。
だというのにこの男は、顔も手足も傷痕ひとつ無い。
何も知らない者からすれば、こんな男が悪名高いトライドラの頂点に君臨する一人であるなど、想像すらできないだろう。
商会の五幹部の一人、ライトリック。
通り名は、百の顔のライトリック。
商取引、会計、渉外担当を一手に引き受けながら、事を荒立てたり趣味に走ったりする他の幹部たちの後始末すらも請け負う、商会の便利屋である。
「解せなイねぇ。あのヴァレンがこんなマネをするなんて。
越えちゃイけない線はキチンと弁えてる奴のハズだけど」
「解せねえもなにも、奴が殺った以外に考えられねえよ。
つるんでる女、手下どもの証言、現場に転がってた奴の盾。
こんだけ揃ってて、実は下手人は別の奴でした、なんてのは無理筋だろうが」
「何にせよ、明日の朝、話を聞くために呼び出そう。
応じるなら良し。応じないなら、それはそれで良し。
それから方針を決めても遅くない。セオドールならそう言うよ」
セオドール。今ここにはいない、商会の長の名前だ。
現在は商会お抱えの盗掘屋を引き連れて、遺跡の下層に潜っている。
帰還の予定は明後日となっており、今回の一件、ひとまずはこの三人で商会の初動を決める必要があった。
「んな悠長なこと言ってていいのかよ?
オレ達の面子の問題もある。ヤロウのヤサも知らねえわけじゃねえ。
今から行ってとっ捕まえて、監禁なりなんなりしておく方がいいだろ」
「余裕を見せておきたいんだ。
幹部が一人殺られた。でも商会に揺らぎは無い、ってね」
「下の連中はイクらでも慌てたり狼狽えたりしたってイイけど、己たちはとことん余裕をもって動イてるように見せなきゃイけない、ってコトかイ?」
「そうだね。だから、こっちから行くんじゃなくて、向こうを来させる。
立場が違うんだって余裕を主張しつつ、周囲にもそれを認知させる。
これに従わなかった時、初めて僕らの側から動けばいい」
「まあ、それならそれでいいけどよ」
そこでふと、三人の間に沈黙が流れた。
暫時あって、静かにコーディックが呟く。
「───ソうか。ティラが死んだノか」
「ああ、死んだ。あいつはもう、ただの死体だ。
いつかはこんな日がくるんだろうな、っては思ってたさ」
相槌を打ったナスティールの声音は、平淡なものだった。
そして表情も、言葉も、態度も、悲しむような響きは無い。
無いが……
「なぁ、オレらの中で誰が先に死ぬか、なんてハナシしたの覚えてるか?」
「あったねぇ。イつだったかな……もう覚えてなイな」
「たしか、僕かティラのどっちかだ、なんて話だったっけね」
「それだそれ。オレら五人で王国行きの商人襲った時によ」
「あっタあった! 隊商の奴ら全員殺してサ、一番の目当てだッた山積みの荷馬車の車輪うっカり壊して」
「襲ったはいいけどどうやって運べばいいか途方に暮れちゃったっけね」
長く連んだ仲間だった。
嫌う理由も、見下す理由も無かった。
切り捨てることも、切り捨てられることも無かった。
屑と外道と狂人の坩堝たる、このトライドラにおいてですら、である。
互いが互いに下種で外道ではあったが、時が育んだ情のようなものが確かにあり、そんな相手が死んだとなれば、それを偲ぶ理由が無いわけもなかった。
しかし、仲間を失って悲嘆に暮れるような者はいない。
そういう真っ当な考え方や価値観は、この地では真っ当ではない。
「しまいにゃ護衛の傭兵の死体地べたに敷いて座り込んじまってよ、オレとコーディックが荷台に積んであった酒、その場で開けてかっ食らってよ」
「ハハ、そうだっタ! 完全に酔っぱらってたよナ、あの時」
「たしか僕とティラは、さっさと退散した方がいい、街道を巡回する王国の兵士が通ったらどうする、って喚いてた覚えがあるなぁ」
「で、オレが、誰だろうと返り討ちだ、ってイキってよ」
「その時だったネ。そうなったら誰が一番先に死ぬか、なんテ話になって、喧嘩腰になっテ、で、普段無口なセオドールが珍しく仲裁に入ってサ」
「一言で斬って捨てたっけね。あれは殺し文句だった」
死んだ者には死ぬだけの理由があったからだ。
殺された者には殺されるだけの理由があったからだ。
騙された者は騙されるような間抜けであったからだ。
「『強くないならじきに死ぬ。それがトライドラだ』」
「『強くなイならじきに死ぬ。そレがトライドラだ』」
「『強くないならじきに死ぬ。それがトライドラだ』」
三人の声が重なった。
このトライドラにおいては、それが常識であった。
「それに今回の件は、あの話に結論を出す意味でもちょうどいい」
「やっとその議題が進むのなら嬉しイね」
「ヴァレンの野郎を商会に引き込む、ってえアレか。まぁ、な」
ヒドラ商会が面子を保つための方策は、単純な報復の他に、こういった意見が挙がることもある。トライドラを牛耳る立場の集団として、絶対強者として、他者にしてやられたという事実は許容できるものでは無いが、そういった事態もうまく利用できるだけのしたたかさが無ければ、欲望渦巻く無頼どもの闇市をとりまとめることなどできなしない。
「ヒドラの首は何度でも生え変わる。ティラの後釜にヴァレンを据える」
ライトリックの言葉に、ナスティールもコーディックも頷いた。
この結論はごく自然に出るものであった。
無論、ヴァレンに強者たる資格ありと、彼らが認めた故である。
「聞くまでもねえが、今度も断られたら?」
「言うまでもないサ。今度は断らせなイ」
この話は、過去に一度似たような話が出ていた。
その時は幹部と同等の位置に引き入れるような話ではなく、五人の幹部の直下に、実力者を集めた小組織を作ろうとしたことがあり、ヴァレンは第一候補として挙がった名前だったのだ。
しかしヴァレンはこの話を受けた際、丁重に辞退していた。
「己が頼んでる仕事はそのままに、ティラがやってた仕事をそのまま引き継がせればイイ。それくらイの器用さはある」
「オレはまだ賛成し切れねえな。あの野郎は得体が知れねえ。
新しい幹部としてじゃなくて、直属の手下でもよかねえか?」
「それならそれでイイさ。正式に商会の所属になるならネ。まぁ得体が知れなイってのは同意するけど、トライドラの住人なら誰だって同じダろ?」
「僕は何度か一緒に仕事をしたことがあるよ」
「マジか? どんな奴なんだ?」
「あ、今の嘘だった」
「おい」
ライトリックのくだらない嘘を、ナスティールが咎める。その瞬間。
「ッか、ハァあッが……ッッッ!!」
突如として苦悶するライトリック。
汗が吹き出し、目が血走り、手足は痙攣し、呼吸すら覚束なくなる。
「またかイ」
「そうなるってわかってんのに、なんで毎度毎度オレらも騙そうとすんのかね」
明らかな異常を見せたライトリックに、しかし残る二人はまるで動じることはなく、むしろ呆れを滲ませて冷めた視線を注いでいた。
「何っ……度も、ゲッホ! 言っ、て、るだろ? ッハ、はぁ、は、ぁ……」
これは【呪詛】であった。
効果は『仲間の誰かに嘘をついたらノドに激痛が走る』というもの。
かけたのはティラニウスであり、条件を満たせば何度でも発動する。
呪術師の【呪詛】は術者が死のうとも効果が失われないものも多い。
「僕は騙そうとして騙してるんじゃない。気づいたら騙してるんだ、って」
「病気だな」
「しかも不治のね」
「自分で言ってりゃ世話なイね」
───虚言癖。ライトリックの持病、精神疾患だ。
ライトリックはいつからこんな悪癖が発症したのか覚えがなく、加えてしばしば自分でも嘘か本当かわからなくなる傾向すらあるという重度のものであった。
時には空想の事柄と現実の混同、状況認識力の阻害を引き起こすなど、有害無益なものであるが、ライトリックのそれは不幸中の幸いというか、自分が虚言を吐いたという事実にすぐ気づき、我に返って自覚できるたぐいのものだった。
しかし自覚できるとはいえ、その頻度は極端に多く、また、時も場所も相手をも選ばない。というより、選べない。当人の意思でなかろうと、何の理由もなく虚言を吐いてしまうことがあるのだから。
これの対症療法として、ティラニウスは【呪詛】をかけた。
仲間まで騙されてしまうのを防ぐ、外れない枷として。
なにしろ騙せない者はいないからだ。
ライトリックが本気で騙そうとしたならば。
「ま、とりあえずはそれでいいだろ。後は明日ヴァレンの野郎を呼んでからだ」
「だネ。酒でも呑ろう。ティラの偲び酒だ」
「持って来てあるよ。こういう時は火酒だよね」
「葡萄酒もあるヨ、己のお気に入り」
「ほれ、肉と燻製。あ、いけね。サロエの砂糖漬け持ってくんの忘れた」
「僕が持ってきてるよ。さ、献杯献杯」
キン、と王朝風装飾のガラスの杯三つが高い音で鳴る。
三人は一杯目をぐいと飲み干し、仕事の時間は終わりだと語りだした。
「そうイえばティラに女を教えたのは己だったなぁ」
「ハッハ! 覚えてるぜ。アイツ興奮しすぎてヤってるオンナ抱き潰して殺しちまったのに気付かねえまんま、アホみてえな顔で腰振ってやがった!」
「あ、それ僕知らないな。いつの話?」
「何年前だったかナ、スラビェーリャ行きの楽団襲った時、覚えてるかイ?」
「あぁ、あの時の踊り子?」
「そうだそれ。そういやあん時お前いなかったな。何やってたんだ?」
「んー……確か、護衛の傭兵たちをまとめて入水自殺させてて───」
───思い出話は尽きない。亡き友を偲ぶ酒が進むままに。
微笑ましい小噺は、まだまだ山ほどあるのだから。
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