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破戒神官ヴァレン ~遺跡の街の復讐者~  作者: 火輪
二章 両好みのコーディック
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両好みのコーディック 一




 ▼ ▼ ▼




 何かを強く憎むことは ひどく心が疲れることだ


 そうして心が疲れ果てれば やがて憎しみも忘れてしまう


 だから 些細なことで一々怒ったりしない方がよい


 そうすれば 決して許せないものだけを ずっと憎み続けていられる




 ▼ ▼ ▼




 二章 両好みのコーディック




 ▼ ▼ ▼




 砂地を踏み鳴らし、法衣を靡かせて、ヴァレンは夜の通りを駆けていく。

 シェリーと共に向かっているのは街の北東部、ヴァレンの拠点である。


「ね、ねえ、ヴァレン、やっぱり私、自分で走るわ。

 右足の怪我はそこまで酷くないし、道順が覚えられないし、ね?」


「ご遠慮無用。怪我人を走らせるわけにはいきません。

 そしてこの夜闇。悠長に道案内している余裕もありません。

 それとも、他に何か異常や痛みでも?」


「それは無い、んだけど……」


 ヴァレンは胸にシェリーを抱きかかえて走っていた。

 シェリーはヴァレンの太い腕の中で縮こまっている。

 申し訳なさから、遠慮を訴える声はどうしても小さくなった。


「ならばもうしばらくご辛抱頂きたい。御無礼お許しあれ」


「う、うん……」


 シェリーが大人しく抱えさせている理由は速度である。


 とにかくヴァレンの健脚は素晴らしかった。

 人ひとり抱えているにも関わらず、突風もかくやという速さ。

 シェリーの髪がほぼ真横に靡きながら全く垂れない。

 煉瓦と石からなる街並みの風景が、後方に吹っ飛んでいくようだ。

 五体満足のシェリーが身軽な姿で全力で走ったとて、とても追いつけまい。


 加えて、驚くほど揺れが少なかった。

 それは一つの事実を示している。


 信じ難いが、ヴァレンは抱えている怪我人に配慮して、揺れが少ないよう気を遣って走りながら、なおこの速さで走っているということだ。


 そして、この状態で走り始めておよそ五分、速度は一向に変わらない。

 ティラニウスとあれだけの大立ち回りを披露しておきながら、しかし涼しい顔で疲れも見せずに走り続けているのだ。

 息が乱れた様子も無い。呆れた持久力であった。


「その、私、重くない?」


「羽毛のごとく」


「そ、そう……ならいいけど」


 なんとなく居心地が悪いまま、しかし決して不快には感じないまま。

 シェリーは拾われた捨て猫にでもなったような気持ちで身を任せていた。


 ほどなくして、開けた空間に出た。

 街外れに出たのだ。方角で言えば、街の北北東。

 周囲には明かりも無ければ建物も無い。瓦礫がまばらに散らばるのみ。

 すでに夜も更けており、そこにはただ闇が広がっているだけだった。


 拾っておいた魔灯ランタンを灯そうとしたシェリーであったが───


「……? 明かり?」


 ───予想に反し、進む先には淡い灯りのようなモノが見えた。


「ヴァレン、あれは何の───ひぁっ!?」


 シェリーが問うたのとほぼ同時に、ヴァレンはぐんと速度を上げた。

 より前傾姿勢に、明らかに揺れより速度を優先する体勢に変わる。

 慌てたシェリーは法衣の襟を強く掴み、さらに体を縮ませる。


 謎の淡い灯りはさらに数を増していた。十や二十ではなかろう。

 神霊術の光にも似た青白い揺らめきが、四方八方から集まって来ている。


「安全のため強行突破します。危険はありません。ご安心を」


「ちょっと待って前後が矛盾してない!? あれって何よ!?」


「あれは……」


 一拍置いて。


「……ご安心を」


「言いかけてやめないでよ!?」


 食って掛かられたヴァレンは、注視してようやくそれとわかる程度の申し訳なさそうな表情を作って見せた。眉の端が少し下がっただけとも言うが。


 ティラニウスと対峙した時に見せたヴァレンの豹変ぶりがいささか衝撃的だったため、ただ話しかけるにも躊躇っていたが、いつの間にか普段の不器用さや朴訥さが戻っており、気を遣っていたのが馬鹿らしくなってしまうシェリーだった。


 そうこうしているうちに、光の幾つかはもう近くまで来ていた。

 よく見れば妖しい光は揺らめきながら地を滑るように寄って来ている。

 改めて視線をやると、ようやくシェリーにもその正体がわかった。


「……死霊ゴースト!!」


 半透明の人影を象った、怨霊の一種だった。

 死してなお妄執や無念に囚われ、生者に襲い掛かる肉体無き亡者である。


 嗚怨オオン嗚怨オオンと低い唸り声をあげながら二人に近づく死霊。

 虚ろな眼窩と苦悶の表情を向け、枯れ枝のような腕を伸ばしてくる。

 触れられれば生気を吸い取られ、発狂して悶死するこの敵に対し───


カッッッッ!!」


「ひゃ……!?」


 ───ヴァレンは動じず、激しい一喝。

 同時に、そして瞬時に、白い光波が衝撃を伴って球状に放射された。


 光を浴びた実体無き死人の群れは、しかし実体を得たかの如く、足元の砂や小石とともに吹き飛ぶと、驚きとも嘆きとも取れる唸りを上げ、恨みがましい視線を二人に注ぎながら、波が引くように一斉に離れていく。


「退いた……?」


「一時しのぎです」


 神霊術【聖浄光波】。比較的初歩の神霊術である。

 不死の亡者全般が強い忌避を感じる光を発し、退ける効果がある。


 これが高位の神官になると、放たれた光波は物理的な衝撃を伴う。

 投石や弓矢などを容易く弾き、屈強な戦士の体躯を押し退けるという。

 そしてヴァレンの放った【聖浄光波】は、まさしくそれであった。


「見えました。あそこです」


「え? あ……」


 言われて目をやれば、暗闇に一軒の建物と小さな篝火かがりびが見えた。

 木造の家屋であった。石と煉瓦の建物が多いトライドラでは珍しい。

 街中では、砂色のカラス亭くらいしか木造の建物は見られない。


 ヴァレンはその家屋に向けて、ぐんと走行速度を上げる。

 背の低い腐りかけの柵で申し訳程度に囲まれた敷地内に、一息に飛び込んだ。


 ここでヴァレンはシェリーを降ろした。

 形見の剣と【影潜みの黒外套】を身に着け直し、振り返るシェリー。


 後方からは死霊ゴーストたちが大挙して押し寄せてきていたが、柵の周囲に辿り着くと、それ以上の接近を躊躇うように、忌々しそうに徘徊するにとどまり、決して敷地内に侵入しようとはしなかった。


「入ってこない……何か対策してあるの?」


「敷地を囲むように聖印を刻んだ要石かなめいしを配置し、結界を張ってあります。

 侵入阻害の効果しかありませんが、この死霊たちは夜間において、トライドラからの侵入者撃退に利用できるため、調伏せずに放置しています」


「そうか、死霊ゴーストを夜間警備兵がわりにしてるのね」


「仰せの通り。もっとも、出没するのは死霊ゴーストだけではありませんが」


「で、ここが貴方の拠点?」


「はい。どうぞ中へ」


 促されて進んだ先の篝火の横には、思いの外しっかりとした扉があった。

 不意打ちに、その扉がギイィと軋んだ音を立てて内側から開かれる。

 咄嗟に警戒するシェリー。そこから顔を出したのは───


(え……?)


 ───子供。子供であった。

 背の低い二人分の人影。男女一人ずつ。年の頃は、十かそこらであろう。


「ヘクター、オレオ、留守中に何か異常は」


「なにも無し」


「……ん」


 ヘクターと呼ばれた琥珀色の短髪の少年は短く答えた。

 その背に隠れたオレオと呼ばれた黒い長髪の少女は、耳を澄まさねば聞こえない小声で肯定の意を示し、よく見ねばわからぬ小さな頷きを返した。


(ヴァレンが言ってた同居人って……この子たちなの?)


 二人とも揃いの貫頭衣、それも天星教の童子用の修道衣を着ていた。

 袖は折り返して縫い留め、首周りは余らせ、フードが着いている。

 上には薄い肌着、下には丈夫な長裾をはき、頭からすっぽりと被るように着る型の、神教が保護した孤児に与える服がこれである。


 左胸に縫い込まれた、太陽、大地、月を一つの円で囲んだ象徴記号は、それぞれ太陽神宗、地母神宗、蒼月神宗を表しており、どの宗派でも共通の品であった。


「ヘクター、湯は」


「用意できてる」


「他に誰か起きている者は」


「シャイードとザラームが上で見張りしてる」


「一階に配置を変更。以降の警戒は私も行います」


「わかった」


 三人は話しながら、足早に扉から中に入っていく。

 シェリーはまだ警戒心が抜け切らないまま後を追った。

 中は薄暗かったが、古びたランプが幾つか灯されており、周囲や足元を確認するのに不都合は無い程度の明るさがあった。


 まず目に入ったのは、入口正面の受付カウンターらしきものだった。

 二階への階段もあり、横幅もあり、しっかりした手すりもある。


 右手の空間には、椅子と小さな円卓が幾つか。壁際には何段かの棚。

 酒瓶こそ並んでおらず、何も置かれていないが、明らかに酒と軽食を愉しみながら歓談できる造りになっている。


 左手の通路には、小さな扉がいくつか見えた。

 同じつくりの小部屋が左右に並んでいるのだろう。


(これって、廃宿───)


 ───を、ある程度改修し、住み着いているのだ。


「手前の卓に座って下さい。腕を添え木で固定します。袖は上げられますか」


 ヴァレンが戸棚から医療道具の箱を持ってきた。

 言われた通り、一番近い卓につき、左の袖を上げて腕を卓上に預ける。


 慣れた様子の鮮やかな手並みであった。

 ヴァレンの太い指が器用に動き、シェリーの左腕は瞬く間に固定された。


「オレオ、こちらの御婦人を浴室にご案内しなさい。

 左腕が折れている。お世話も兼ねて一緒に入るように」


「んっ」


「シェリー、この子についていって下さい。お世話をさせます」


 言うなり、ヴァレンはさっさと奥の空間に消えていく。

 よく見れば厨房か何かがあり、そこに入ったようだ。


「え、ちょっと、ヴァレン?」


 礼を言う間も無く置いていかれたシェリーの横には、少女が一人。

 先程までいた少年は、さっさと二階に行ってしまった。


「まず一休みして、話はそのあとで、ということだとおもう」


「え? あ、ああ……そうなの」


 長い前髪で顔もろくに見えない少女は、無感情にそう言った。

 オレオと呼ばれていたので、それが名前なのだろうということはわかるが、いかんせん怪しさがぬぐい切れず、シェリーはしばし躊躇したが───


「───待って。浴室?」


「そう」


「浴室って、体を洗えるの?」


「うん」


「……お湯で?」


「お湯で」


「そう、なの」


 ここトライドラに到着してから約二日。汚れ放題、汗もかき放題の自分。

 中途の湿原の露、乾いた土地の砂交じりの風、古代遺跡のカビ、埃。

 服も、体も、そして髪も、乙女の基準としては言語道断の不潔さ。


 それを、お湯で洗える───


「───石鹸もあるよ?」


「お願い。連れてって」


 異邦人としての警戒心は、あっさりと入浴の誘惑に屈した。




 ▼ ▼ ▼




 辺境において、湯浴みの文化は様々である。

 単に桶の水や湯で体を拭くだけのものや、木製の小部屋に焼けた岩を据え、その岩に水をかけて蒸気で満たす蒸し風呂が、民の間では主流であった。


 これが貴族や大商人あたりになると、沸かした湯に身を浸す風呂となる。

 貴重な水を大量に使うため、場所によっては贅沢の代名詞にもなっている。


 オレオに案内された浴室前の脱衣所にて、わずかに残った警戒心から、恐る恐る浴室内を覗き込んだシェリーの眼前にあったのは───


「うそ……」


 ───まごうことなき湯船だった。


 良くて蒸し風呂だろうと当然のように思っていたシェリーである。

 色々ありすぎて警戒心で強張っていたシェリーの表情が堪えようもなく緩んでいき、終いには笑顔が浮かんでしまっていた。


「これ、もとは川舟かわぶね?」


「わかんない」


 推測通り、この湯船は小さな木舟を改造してできたものだった。

 船体の真ん中辺りが湯船になるよう、木製の仕切り板をはめこんである。

 そして不要となる船体の両端は、切り落として分解し、それを材料に、船体を水平にする台座と、踏み台や小椅子を作ったものと見られる。


「きて。ぬぐの手伝う」


「うん、ありがとう」


 まず腰の剣と【影潜みの黒外套】を外し、壁の棚に置く。

 皮のブーツは脱衣所に入る前に脱ぎ、入口に置いてある。

 ベストとシャツを脱ぎ、男物の乗馬用キュロットを脱ぐ。


 左腕が使えないためオレオに介添えを頼み、さほど苦労はしなかった。

 一糸纏わぬ姿となった二人は、まず湯船に入る前に体を洗うことにした。


 互いに木桶で一杯ずつ湯をかぶり、もう一杯桶に湯を汲む。

 壁に据えてある陶器の皿から石鹸を取り、湯に浸して泡を立てる。

 泡を手で撫でつけて体を洗っていくと、汚れが落ちると共に、疲れまで抜け落ちていくような爽快感があった。


 右足にも短剣による傷があり、深くもないが浅くもないので湯と泡が沁みてかなり痛んだが、傷を洗って清潔にできるのだから構いはしない。


「はぁ……生き返ったみたい」


「わたし、おふろ好き」


「ふふっ、私も」


 女同士の気安さというのもあるだろう。

 オレオがにっこりと笑えば、つられてシェリーも笑みが浮かぶ。

 互いの背中を洗い合うなどして、穏やかな時が流れた。


 オレオはあまり感情が豊かではない方かとシェリーは思っていたが、なんのことはない。ただ単に人見知りしていただけで、少女らしい朗らかさはしっかりと持ち合わせているようだった。


「でも、石鹸まであるなんて……これは買ってきたの?」


「ちがう。石鹸はここでつくってる」


「え、作ってるの?」


「そう。乾燥させて粉にした青サロエに、なんかの木を燃やしたあとの灰と、沼猪を焼いたときに出るあぶらと、雨水をまぜると、石鹸がつくれる。できたら売る」


「青サロエ? ここで手に入るの?」


「青サロエも、緑サロエも、黄色サロエも、みんなかんたんに手に入る。

 街の西にいくと、みちばたにふつうに生えてたりする」


 サロエとは、様々な用途で用いられる多肉植物の名である。

 トライドラ周辺では一年中育つ植物で、低木にも高木にもなる。

 葉は大きく細長く、分厚く、水分を多く含み、葉には等間隔で棘が生えており、ノコギリに似ているため、市場で『ノコ葉』と呼ばれることもある。


 含まれる水分には豊富な薬用成分があり、天然の治療薬とも呼ばれる。

 トライドラの強い日差しで低温火傷した肌の治療には欠かせず、野菜がわりに食しても栄養があるので、トライドラでは食卓に乗ることも多い。


 熟れるにつれて、青サロエ、緑サロエ、黄色サロエと呼ばれる。

 青は薬用、緑は薬用と食用、黄色は食用として知られる。


 青サロエは苦く、火傷、肌荒れ、打ち身、切り傷、化膿によく効く。

 緑サロエはやや甘く、胃腸薬の効能と、青サロエの効能も少しある。

 黄サロエは甘味と栄養が豊富で、野菜として食卓に乗るのはもっぱらこれであり、蒸留酒に漬け込んでサロエ酒にしたりもする。


(そうか……こんな荒れた土地で大人数が生活できているのは、三色サロエが簡単に手に入るから、ってのも理由の一つなのね……)


 シェリーはそう推測し、そしてそれは正しかった。

 薬になり、栄養のある野菜でもあり、衛生面でも石鹸になって役に立つ。

 トライドラを陰で支えているのは、三色サロエと言っても過言ではなかった。


「ふぅ……」


「はぁ……」


 二人で一緒に、湯船につかる。

 広くはないが狭くもない。二人で入っても余裕があった。

 これならヴァレンのような大男でも、一人なら入れるだろう。


(さて、これからどうしよう……)


 考えなければならないことが山ほどある。

 今度こそ軽挙妄動は慎まなければならない。

 ティラニウスの時のような無様は、もう晒せない───


(───まず一度冷静になって、問題をまとめないと)


 一息ついて、ようやくシェリーは思索にふける余裕ができた。

 この時間が、とてつもなく貴重なものであると認識しながら。




     □□□□□□□

   □□□□□遺□□□□□

 □□□□□□□跡□□□□□□□


 □□□ヒドラ   □□□□廃墟

 □□□ 商会   □□□□□□

 □□□□□□ 中 □□□□□□

 □ 蝶々通り 央 □□□□□□

 □□□□□□ 通 □□□□□□

 □西部地区□ り □東部地区□

 □□□□□□   □□□□□□


 ※ 西部地区


・ロムニオスかスラビェーリャからの移住者が好んで住む。

・西地区の外側には、湿原や背の低い草原が少しある。


 ※ 東部地区


・シャハーラーマからの移住者しかいない。

・街中にサロエの木が生えている場所が複数ある。

・東部地区の外周から中央辺りまで、砂交じりの強風が吹き付ける。

・東地区の外側には、岩場や荒野が広がり、その先は砂漠。

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