敵が勝手に自滅していくんだけど? 4
「助かりたいなら少しは落ち着きなさいよ。アリシアに浄化してもらったら、最近飲んだ分の毒素は消えるかもしれないでしょう」
「だったらさっさとやれ! 早く!」
協力的に情報提供してくれるなら、多少は力になろうと考えたけどこれは駄目だわ。
「父上。もうおやめください」
門の向こうで離れた場所にいる人々の中から、男性がひとり歩み出た。
「旦那様、危険です」
慌てて何人もの人が止めに入る。
ここにいる人たちにとっての当主は、マクルーハンの息子の彼なんだろう。
さっさと彼に爵位を譲っておけば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
「父上、いったいどうなさったのです。以前は領民を思い、力を合わせてこの地を守ろうとおっしゃっていたではありませんか」
「だから守っているだろう。領地に閉じこもっていて何が出来る。もうこの地では作物が育たないのだ。だから私は王宮で、おまえたちのために動いてきたのではないか!」
「我々だけ贅沢できても、領民が飢えてしまっては」
「甘い! そんな綺麗ごとだけで生きていけるものか! この女が余計なことをしなければ、すべてうまくいっていたんだ!」
「いっていないぞ」
ひどく冷静な声で、クレイグが割って入った。
「レティシアがいなければラングリッジ騎士団は壊滅していた。そうしたらどうなる? 魔獣が自由に町に出没するだろう、結界強化も出来ない。それにレティシアが魔力吸収をしなかったら、多くの人間が魔獣化し、人々に襲い掛かっていた。王宮も無傷ではいられない」
「ラングリッジだけが特別だと思うな。騎士団は他にもいる」
「本当にそう思うのか? レティシアがいなかったら国境騎士団は隣国の対応で手一杯。王宮を守る兵士も騎士団も腑抜けばかり。ここはどうだ?」
「父が騎士団のほとんどを王都に連れて行っているので、襲われたらひとたまりもなかったでしょうね」
昔のマクルーハンがどんな男だったのか私は知らない。
娘が王妃になり、莫大な金と権力のせいで変わってしまったのかもしれないし、元から自分本位なやつだったのかもしれない。
どちらにしても、重要なのはマクルーハンがしでかしてきた犯罪の数々よ。
そして闇の魔力の影響で、まともな判断が出来なくなっていること。
「聖女、早く浄化をしろ。傷を癒せ」
会話をしている間も、土気色をしていた肌に濃い痣が次々と浮かび上がり、全身を覆い始めている。
変化には痛みが伴うようで、会話をするのも辛そうだ。
空気中の魔力の影響を受けるのとは違って、彼らの病気の進行は早い。
濃い闇属性を直接体内に取り込んだ影響なのかも。
「それがものをたのむ態度か。レティシア、こいつらの話なんてたいした情報にはならないぞ。オグバーンに利用されただけだ」
「大賛成! やっちゃっていいわよね」
クレイグの言葉に大きな声で賛同しながら、アリシアが前に出てきた。
普段は割とおとなしめのアリシアが、殺る気満々で杖を片手に先頭に立ったもんだから、周りの見物人も騎士たちもマクルーハンまで驚いている。
そもそも、ふたりともなんで私の意見を聞くのよ。
必要だと思うのなら叩きのめせばいいじゃない。
「え? 私はレティシアの弟子だし」
「あんたは大神官の弟子でしょうが!」
「我が騎士団は巫子のために動いていると言っても過言ではない」
こんなところで胸を張って、なんつーことを言っているのよ。
騎士たちも、うんうんって頷くのをやめなさい。
「それにマクルーハン以外の者は犯罪とは無関係だ。事情をわかっていないだろう。侯爵家の騎士だからマクルーハンの命令に従っているのだろうが、こいつは娘に命令して国の金を横領した犯罪者だぞ。しかも間抜けなことにキンバリーに騙されて、闇属性のお茶を飲んでいる。おまえたちは巻き込まれた被害者だろう」
「そ、そうです」
「このままだと俺も殺されてしまう」
「だったら投降しろ。そして一刻も早く治療を受けるんだ」
うまいなあ。
このままではマクルーハンと心中することになってしまう騎士たちには、クレイグが救いの神に見えたんじゃない?
魔獣化していくマクルーハンについて行く気にはならないよね。
「ねえマクルーハン、キンバリーが死んだことは知っているの?」
精神的にストレスを感じると症状が悪化するのだとしても、会話が出来るうちに確認しておかないといけないことがある。
「なに!?」
知らないんかい。
身を隠すのに精いっぱいで、情報を集めていなかったな。
この人、実は無能でしょ。
「天気が回復した日の話よ。じゃあ、オグバーンが生きていることは知ってた?」
「……」
あまりに驚きが大きいとリアクションが取れないものなのね。
目を大きく開いて口を開け、呼吸さえ忘れた様子で私の顔をまじまじと見ている。
こいつは嘘を言っているんじゃないかと疑って、私の顔に真実が隠れているとでも思っているかのような見つめ方だ。
「私もキンバリーに聞いて驚いたわ。裁判の時や処刑された時のオグバーンの姿を覚えているでしょ。彼は行方不明中の従弟ではないかと言われているの。子供の頃から似ていると言われていたんですって。彼もお茶を飲まされていたんじゃない?」
「娘は……処刑されたのに……あいつだけ……あ……ああああああああ」
男の子の漫画で、一気に覚醒する時に体が変化するシーンってあるじゃない。
それか、正義の味方と戦う悪の軍団が、ここぞという時に変身して正体を現すシーン。
あれに状況がちょっと似ているかもしれない。
ただ変身するのは、おじいさんだけど。
マクルーハンは両手を広げて爪を立て、天を見上げて叫んだ。
爪が伸び、痣に覆われた皮膚の一部が硬い甲羅状に変形していくのを確認して、私は木刀をペンダントから引き抜きながら飛び掛かった。
「現実世界で変身を待っているやつがいるかあ!」
バフはさっきしてきたので、木刀のおかげで体に魔法がかかるエフェクトは、派手な演出の意味しかないしちょっと眩しい。
でもマクルーハンも変化した目に馴れず、光が眩しかったようで隙だらけだった。
「めーーーーん!」
基礎に忠実に両手で持った木刀を額に打ち込む。
相手が普通の人間だったら、脳震盪を起こして倒れるどころでは済まない渾身の一撃だ。
マクルーハンも攻撃の威力で仰け反り、そのまま吹っ飛びながら倒れるかと思われたのに、魔獣化しているだけのことはある。足を踏ん張らせて踏みとどまり、ブリッジしそうなほどにのけぞった状態から、腹筋だけで起き上がり、割れた頭から血を流しながら不思議そうに首を傾げた。
もう理性が半分以上溶けてしまっているんだろう。
自分がここで何をしていたのかもわからないのかもしれない。
だがあいにく同情している暇はない。
魔獣化しても動けなければ問題ないはず。
「レティ、さがれ!」
フルンの声が背後から聞こえてはいるけど、マクルーハンの膝を狙って右左と打ち込んだ。
「うがーーー!」
膝の皿を砕かれて、マクルーハンがどさりと地面に倒れたのを見届けて、フルンの横まで急いで戻り、ちゃんとさがったでしょとフルンの顔を見上げたのに、彼は眉を寄せて横を見ていた。
その視線の先には大声で指示を出しているクレイグと、領民を守るために剣を抜いて身構えている騎士たちの姿があった。
「いやだ! 助けてくれ」
「うわああ」
騎士たちも体が変化し始め、泣きわめく者、痛みにのたうち回る者などで阿鼻叫喚の坩堝になっている。
なんで一気に魔獣化しているの?
痣が浮かんでいなかったでしょ?
ラングリッジ騎士団の騎士たちは、仲間が魔獣になってしまう経験を何度もしてきたので冷静に対処しているのがたのもしい。
マクルーハン騎士団の騎士は、門の向こう側で硬直してしまってなんの役にも立っていない。
「レティシア、危ない」
フルンと並んで周りの情景を眺めていた私の前に、アリシアが飛び出した。
一度は地面に倒れ伏したマクルーハンが、よろよろと立ち上がったのだ。
「うそでしょ」
もう痛みも感じないの?
いや人体の構造上、膝が壊れているのに立てるのはおかしいでしょう。
よろよろと腕をこちらに伸ばして歩き始める姿は、不気味以外の何物でもない。
「木刀じゃ駄目ね」
「あれは手足を切り落としても動きそうだぞ」
「フルンやめて。想像しちゃった」
顔もすでに誰か判別できないほど変化してしまっている。
話としては聞いていたけど、実際に変化を目の当たりにすると衝撃が大きい。
私でさえ衝撃なのだから、門の向こうにいる身内のショックは計り知れない。
倒れる人も出てしまっている。
「倒します」
「え?」
ふらふらとこちらに近付いてくるマクルーハンに、アリシアが神聖魔法を放った。
「ぎゃああああああ」
マクルーハンは絶叫しながら地面に倒れ、そのまま動かなくなった。
「一撃で倒れるのね」
さすが聖女。
私では、無駄に苦しみを長引かせてしまうだけだった。
刀ではなく木刀を選んだ私の甘さが招いた結果ね。
「騎士に浄化魔法をかけてみてくれない? 少しは状況がよくなるかも」
「……いえ、今のが浄化魔法です。光属性の魔法は魔獣化した相手には攻撃になってしまうんです」
「え? 神聖魔法じゃないの?」
「神聖力の回復魔法でも、壊れた精神は治療できません。マクルーハンの場合、体だけは治療できても重症状態の体で人間に戻ることになって、すぐに死んでしまったでしょう」
「なるほど」
私は神聖魔法と光魔法の両方をアリシアが使えることを知っていたし、今の説明で回復魔法ではなく浄化魔法を使った理由も納得できた。
でも会話を聞ける場所にいないマクルーハンの手下たちが、パニックの中でまともな判断が出来るわけがない。
「聖女に殺された」
「回復できるんじゃないのか?」
それでもまだここまでならば彼らに説明し、回復魔法で治療できたかもしれない。
だが、光属性魔法は魔獣相手に強力だった。
「レティ、アリシア、さがれ」
「どうしたの? フルン」
「……レティシア……マクルーハンが」
吸血鬼が灰になるという話は聞いたことがあるけれど、魔獣も同じだった。
見る見る黒く変色したマクルーハンの体がパラパラと崩れ落ち、風に飛ばされて舞い始めた。
「い、いやだ、いやだ」
お茶を飲んだ騎士たちはこれを見て半狂乱だ。
そして追い詰められれば追い詰められるほど体が変化していく。
「落ち着いてよ。回復魔法は大丈夫なの」
「ぐおおおおお」
ちょっと待ちなさいよ。
なんで魔獣化したくせに私を見て逃げるのよ。
ほら、クレイグに回し蹴りを食らって、すっかり魔獣の対応に馴れているラングリッジの騎士に捕獲されているじゃない。
今までは最低でも三人がかりで相手にしていた魔獣を、今ではふたりで楽々と無力化している。
ただし彼らも無傷で捕まえることは出来ない。
殺さない程度に弱まらせないと、魔獣の爪の一撃で自分が大怪我をする恐れがある。
「あ、従者が逃げた」
騎士の相手をしている間に、騎士がひとりと従者がやみくもに駆け出した。
「私は右」
「ああ」
一気に相手の傍に転移したサラスティアとフルンが、それぞれひとりずつ一撃で落としてしまった。
強化魔法をかけても人間の私では、あれは無理だ。
普通の人間相手なら負けない自信があるんだけどなあ。
無属性魔法には攻撃魔法がないというのが痛いわ。
「倒れた者達に回復魔法をかけてもらえるか」
クレイグにたのまれたアリシアは、しばらく考えた後で首を横に振った。
「精神状態を確認してからのほうがいいのでは? 身体が回復しても理性が消えてしまっているのでは生きていけません」
「……ああ、そうだな。このまま魔道省に渡すほうがいいようだ」
働き者の眷属のおかげで、イライアスが大勢の魔道士を引き連れてやってきた。
王宮にも報告がすでに届いているそうだ。
お礼を言われるたびに眷属は、巫子の手伝いをしているだけだと言ってくれちゃうので、私の功績が積み重なっていくけど、私自身は邪魔にならないように突っ立っているだけ。
まあ王宮の人達もそのあたりはわかっているだろう。
マクルーハンの家族も司法省の兵士に拘束されて、王宮に連れて行かれてしまった。
侯爵家は取り潰しの上、一族全てが何かしらの処分を受けるんだろうな。
そしたら領民はどうなるんだろう。
闇属性の魔力を含んだ風は結界強化が済めば吹いては来なくなるけれど、天候回復しないこの地域に住み続ける人がどれだけいるかはわからない。
「復讐の相手がいなくなったわね」
オグバーンは神獣と眷属にあげるから、私が倒す相手はもういない。
なんというか、呆気ないわね。
そういえば、最近女神が話しかけて来なくなった。
私に話せないことがたくさんあるのに、聞かれたら答えてしまいそうでおとなしくしているのかもしれない。
「レティシア、俺たちも帰ろう」
クレイグに呼ばれて少しほっとした。
復讐が終わっても、女神が話しかけて来なくなっても、もう私には帰る場所がある。