敵が勝手に自滅していくんだけど? 1
今日くらいは楽しく過ごしてもらいたいので、領地の屋敷や神獣省の人たちに知らせるのは明日以降にしようってカルヴィンが言い出したので、私たちは王都の屋敷に転移した。
領地の屋敷の人達は前侯爵には嫌な記憶しかないだろうし、神獣省の人にとってはオグバーンの好きにさせた無能な前任者でしかない。
本当は陛下に知らせるのも明日以降にして、クレイグにもラングリッジに戻ってから話せばいいかとも思ったんだけど、前侯爵が死んだことよりオグバーンが生きていて、マクルーハンと手を組んでいるというのが大問題なので知らせないわけにはいかなかった。
尋問しなくても知っていることは全部話した男たちが言うには、オグバーンは前国王夫妻に紹介されてマクルーハンに近付き、うまくおだてて利用していたんだそうだ。
でもあのサイコパス野郎は他人を信用したりはしないから、マクルーハンは何が起こっているのか全く聞かされていなくて、前国王夫妻やオグバーンが処刑される流れについていけず、何も出来ないままになってしまったんだって。
で、その苛立ちが私に向けられたわけだ。
屋敷に帰ってすぐ、私やカルヴィンのローブに血がついているのを見たタッセル男爵夫人が驚いて、強制的に私だけ風呂場に連れて行かれてしまった。
彼女にとって今でも私は体の弱い薄幸な少女で、もうつらい目にあわないように周りに守られるべき存在なんだろうな。
髪を洗ってもらいながら事情を説明したんだけど、私が平然としているのを見て悲しそうな顔をしていた。
前侯爵が死んだことじゃなくて、娘が父親の死を悲しむことも出来ない環境で育ったことが彼女にとってはつらいみたい。
ゆっくりとお風呂で疲れを落とし、新しいローブに着替えてさっぱりして部屋に戻る頃には、カルヴィンはいろんな方面に手紙を書き終えていて、陛下にはアシュリーが、大神官にはサラスティアが、クレイグにはフルンが届けに行ってくれたんだそうだ。
「カルヴィンも着替えたら? 血が落ちなくなるわよ」
「そうだね」
急いでやらなくてはいけないことは終わって気が緩んだのかな?
ソファーに沈み込んで俯いているカルヴィンは疲れて見える。
そりゃ精神的衝撃は大きいのは仕方ない。父親が殺される場面を見てしまったんだから。
「大丈夫? ひとりのほうがいいなら……」
「そんなことはないよ。ここに座って」
言われたとおりに隣に腰を下ろしても、カルヴィンは黙ったままだ。
お茶の用意でもしてもらおうかなと腰を浮かしかけた時に、ようやく彼が口を開いた。
「父が亡くなったことより、自分が悲しんでいないことがつらいんだ」
膝に肘をついて祈るように組んだ手に額を押し当てて、ようやく聞こえるくらいの小さな声でカルヴィンは呟いた。
「むしろ安心したんだよ。父のことをこれからどうしていいか答えが出なくて、でもあまり長引かせるとクロヴィーラ侯爵家に大きなダメージになるかもしれないだろう? そうなったらきみの婚約者であるクレイグや陛下たちまで巻き込んでしまう」
「うん。そうね」
「だから……これで終わったんだなって。クロヴィーラは大丈夫だって安心してしまった」
当主としては当然の思考だと思うのに、真面目なカルヴィンには父親の死を悲しまない自分が薄情に思えるんだろうな。
学園でいい成績をとって魔力も強くなった途端、態度を変えて父親面するようになった前侯爵が嫌いだと言ってはいたけど、それでも父親だとは思っていたんだから、赤の他人の私のようにはドライに考えられなくて当然だ。
「私と同じね。私も安心したのよ。いくらなんでも私が息の根を止めるのはまずいもの」
「え?」
驚いてこちらを見たカルヴィンに優しく笑いかける。
「病気と言うことにして眷属にたのんで、私が屋根裏の部屋で生活していた時と同じ境遇にしてもらうことで復讐にしたでしょ? そうすればいずれ衰弱死すると思ったから。でもそんな嫌な仕事を眷属に任せるのはどうなんだろうって、ずっと考えていたの」
彼らにとってもレティシアを死なせた前侯爵に対する怒りは大きくて、サラスティアはさっさと殺したいって言っていたんだけどね。
「衰弱死……そうだよな。きみはそれだけのことをされてきたんだ。僕の話なんて甘いって思うんだろうね」
「甘くていいじゃない。私だって最近はだいぶ甘くなったと思うわよ。自由に動けるようになった当初は、裁判の頃ね、片っ端から復讐していく気満々だったのよ。でもいろんな人と触れ合って、大切な人が増えていくうちに復讐した後のことも考えるようになった」
「レティシア」
「それに、今日ばかりはあの男を少し見直したわ」
よろけるふりをして、体重を全てかけて短剣を深く突き刺したということは、あれは偶然ではなくてキンバリーを自分の手で殺すという覚悟があったということだ。
「妖精がいることはあの男も知っていたのよ? それでもキンバリーについて行ったのは逃げられる可能性があるのなら、それにかけてみようと思ったのかなってあの場面を見るまでは思っていたの。でも違った。前侯爵はオグバーンの思惑を潰したかったのよ。それか……死に場所を探していたのかも」
「……そうだよね。僕もそれは考えたんだけど、父親のいいところを探して都合よく解釈しているかもと思っていた」
「そんなことないわ。キンバリーの誘いに乗るふりをして武器を手に入れ、利用されないように戦ったのよ」
もう誰にも真相はわからないんだから、そう思ったっていいじゃない。
それで心が軽くなる人がいるのなら、甘いとか都合がいいとか、そんなのどうでもいいわよ。
あの男が最期に見たのは、神獣様の力が戻ったことを知らせる青空だった。
彼はあの空を見て何を考えたんだろう。
「そうだよな。うん、少し気が楽になった。ありがとう。レティシアがいてくれてよかった」
「あら奇遇ね。私もそう思っていたところよ。最初はあなたのことも胡散臭いなって思っていたのよ。でも今はカルヴィンがお兄さんでよかったって思うわ」
「や……」
や?
「やめろよ、泣かせる気か」
顔をそむけたうえに手で顔を隠して、更にこちらに背中を向けるってひどくない?
それが可愛い妹に対する態度なの?
「え? 泣くの?」
「覗き込むな。離れろ」
「えー、いいじゃない。お兄様、顔を見せてよ」
「うるさ……待て。今、お兄様って」
「さすがにそろそろ、そう呼んだほうがいいかなって」
振り返ったカルヴィンは泣いてなかった。残念。
むしろ嬉しそうな顔で身を乗り出してくる。
「もう一度言ってみてくれ」
「そういうふうに言われると言いたくなくなるのよ」
「いいじゃないか。もう一度」
「嫌だ。それに汗臭い。お風呂に入って着替えてきなさいよ」
ちゃんと普通の兄妹の会話っぽくない?
自然にこういう会話になるのが嬉しくて、口元が緩んでしまう。
ラングリッジに家族が出来ても、兄がいる帰れる場所が他にもあるって重要よ。
「じゃあ……レティって呼んでもいいのかな」
恐る恐ると言うような雰囲気で言われて首を傾げた。
「何よ改まって。呼びたければ呼べばいいじゃない」
「ええ!? 前にレティって呼ぶなって言ってたじゃないか」
「夫人にでしょ? あなたにも言った?」
「……いや……どうだったかな」
眷属が私をレティって呼ぶのは、今は日本にいるレティシアと区別するためであって、レティって呼び方に特に思い入れがあるわけじゃない。
ただ夫人に甘い声で親しげにレティって言われた時は、拒否反応がひどかったのよ。気持ち悪かった。
今でも母親の顔をするのは受け入れられないわ。
「あ!」
ふとカルヴィンの肩越しに暖炉の上に置かれた時計が目に入り、急いで立ち上がった。
「そろそろ日が沈むわ」
「もうそんな時間なのか!?」
そういえば昼は何も食べていない。
バタバタしていて忘れていたわ。
「外に出ましょう。夕焼けを見たいの」
「夕焼けか。空が赤く染まるんだよな」
「早く早く」
カルヴィンの腕を引いて庭に出ると、私たちと同じように外に出て西の空を眺めている人たちがいた。
屋敷のほうを振り返ってみたら、窓やベランダから空を見ている人もいる。
「綺麗ね」
まだ頭上は青空が広がっているけど、遠い西の空は幾分暗くなり、空がうっすらと赤く色づいていた。
「あれが夕焼けか」
甘いな。まだ始まったばかりよ。
この世界でも女神が太陽と名付けた赤い恒星が、ゆっくりと山の向こうに落ち始めると、目に映る全ての物が赤く染まり始める。荒れ果てた庭も家々も人間だって赤く照らされていく。
「この世界ってこんなに美しかったのね」
空も燃えるように赤く染まり、それが徐々に暗くなり、紫から紺へと色を変えるにつれて、やがて夜がやってくる。
空が赤く染まっていることに気付いて、庭に出てくる人がどんどん増えている。
日本では見慣れていた光景だけど、この国の若い人たちにとっては初めて見る夕焼けだ。
「ありがとう、レティ。きみが頑張って神獣様の力を取り戻してくれたから、僕たちはこの美しい夕焼けを見られたんだ」
「そうね。ちょっとは得意がってもいいわよね」
「ははは」
「ええ? なんで笑うの?」
カルヴィンも私も、胸の中の思いを全て言い合えるわけじゃないけど、兄妹の距離感ってこんなものなんじゃないかなって思えた。
他所の兄妹がどうかは知らないけど、うちはこれでいいんじゃないかなって。
打ち合わせをしながらカルヴィンと夕飯を食べたので、ラングリッジに帰る頃にはすっかり日が暮れていた。
ネオンサインのないこの世界の夜は暗いおかげで、小さな星の輝きまで見える。
「すごい。こんなにたくさんの星を見たのは初めてよ」
「口が開いてるぞ。……その分だと特に心配することはなさそうだな」
ラングリッジの玄関の前まで送ってくれたフルンの言葉が意外過ぎた。
「心配? 何を?」
「オグバーンが生きているから、多少は不安かと思ったんだ」
「わくわくしてるけど?」
その嫌そうな顔はやめようよ。
フルンだって復讐のやり直しが出来て嬉しいでしょう?
「レティシア!」
突然玄関前に私とフルンが現れてももう誰も驚きはしないけど、クレイグに連絡はするよね。
ラングリッジの警備は万全だから、私とフルンの存在にすぐに気づくはずだもん。
「思っていたより遅くなっちゃった」
笑顔で応えて手を振ったのに、二階のベランダから飛び降りたクレイグは、フルンがいるというのに駆け寄ってきて私を抱きしめた。
「オグバーンの行方はわからないんですか?」
「ああ。あいつもマクルーハンも姿を消したままだ」
「くそ」
あの、私の存在を無視して会話しないでくれませんかね。
いや無視はしていないか。抱きしめているんだから。
「明日、バイエンスに行くんだな」
「はい。予定通りに過ごす予定です」
「それでいい。我らも神獣様と一緒に顔を出す予定だ」
後頭部を押さえられて、がっしりとホールドされているから、フルンの顔が見えない。
「送ってくれてありがとう」
クレイグの胸に顔を押し付けられているせいで、声がくぐもってしまうじゃない。
「ふっ」
フルンめ、笑うくらいならクレイグに注意してよ。
「中に入ろう」
「あれ? フルンは」
「帰った」
なにー! 挨拶もなしに帰っただとー?
「おかえりなさいませ!」
「お嬢様!」
でも文句なんて言えない。
心配した様子でヘザーをはじめとした私専属の侍女や警護のメンバーが、玄関から飛び出してきたからだ。
「大変でしたね。さあ、中に」
「お食事はお済みですか?」
「あなたたち、今日は仕事は休みでしょ?」
「休みましたよ」
「庭で宴会をしました」
使用人用の食堂や騎士団の宿舎では、この時間もまだ盛り上がって騒いでいる人たちもいるんだそうだ。
でも彼らは私が日が暮れても戻らないので、心配して待っていてくれたんだって。
「今までは昼間も薄暗かったので、夜と昼の境がわからなかったんですよ。でも今日は日が落ちて夕焼けになって星が出てもお嬢様がお帰りにならないので、何かあったのかと心配になって」
ヘザーの言葉で気付いた。
クレイグは何があったか、まだ知らせていないんだ。
「おまえたち、レティシアは疲れているんだから騒ぐな。部屋に軽食だけ用意したら、今日の仕事は終わりだ」
「心配させてごめんなさい。今日はいろいろと忙しかったのよ。明日詳しく話すから」
クロヴィーラから直接ラングリッジに来たせいか、屋敷内の雰囲気の差がよくわかる。
クロヴィーラだって、今も残っている使用人たちは真面目ないい人たちばかりよ。
タッセル男爵夫人がしっかりと侍女たちを管理して、騎士団長がカルヴィンを守ってくれている。
だけどいろんなことがありすぎて、まだ屋敷の中はどことなく緊張した雰囲気が漂い、私を怖がる使用人も多い。
そんな中でカルヴィンは、今頃ひとりで過ごしているのかな。
それともダニーが傍にいてくれるんだろうか。
そういえば私は、カルヴィンの交友関係をまったく知らない。
カルヴィンとは神獣省で会うから、私生活の時間に彼が誰と会っているのか知らなかった。
友達はいるわよね?
「オグバーンの野郎は、いったい何がしたいんだ?」
部屋に入り、並んでソファーに腰を下ろしてすぐ、クレイグは絞り出すような苦々しげな声で呟いた。
彼にとって前侯爵が死んだことは、それほど重要ではないらしい。
「悪いが、きみの父親のことを気の毒だったとは言えない。死んでくれてよかったとさえ思っている」
私が何を考えているか感づいたかのようにクレイグが言った。
「あの男がきみにしてきたことは絶対に許せない。俺がこの手で殺してやりたかったくらいだ。カルヴィンやきみの足を引っ張らないうちに死んでくれてよかった」
「そうね。まったく同感だけど、彼はキンバリーを短剣で刺し殺したのよ。オグバーンの思惑を潰したの」
「ほお。やるじゃないか」
ようやくクレイグの寄せられた眉が、少しだけ緩んだ。
婚約者になってはじめて気づいたんだけど、私たち、似たもの夫婦になりそうじゃない?