青空の下で 6
「あっち! あっちいった!」
「外に出たよー」
別邸の玄関前に転移した私たちを、たくさんの妖精たちが大騒ぎで出迎えた。
逃がしては大変だと慌てていたのか、屋敷の周囲をぐるぐる回っている妖精もいる。
いや、あれは遊んでいるだけじゃない?
「ここにこんなに妖精を配置してたんだ」
ついこの間、全ての妖精を目覚めさせたと聞いたから、事情を知らない妖精たちは、自由に動けるようになり、ひさしぶりに眷属に仕事を任され、しかも空が晴れたのではしゃいでしまっているんだろう。
それでもあの親父を見張ってくれていたんだから、ありがたいことだわ。
「裏庭側から逃げる気だな」
「逃がさないわよ」
駆けだしたクロヴィーラ騎士団長について行くために、私はローブを掴んで脹脛が出るくらいに持ち上げて走った。
私の前をダニーが走り、後ろにカルヴィンと若い騎士が続く。
眷属がどうしているか確認する余裕はなかった。
「レティシア、きみはあとからくればいい」
「冗談!」
カルヴィンの提案なんて速攻却下よ。
悪いけど、この四人の中で一番強いのは私だからね。
騎士団長はそろそろお年なんだから無理をしないで私に任せてほしいくらいよ。
屋敷をぐるっと回るのは遠回りなので、玄関を抜けて廊下を走り、一番近くの部屋を横切り窓から外に出るルートを選んだ。
障害物を素早く避けるのは騎士団長より私のほうが上手かったので、途中で追い抜いて、ぶっちぎりで窓から飛び出した。
「あそこ!」
神官たちが神聖力を使ってくれたおかげで、苔や雑草が茂っている平原の先に四人の男が立ち尽くしていた。
距離があるので顔まではわからないけど、部屋着の上に臙脂色のガウンを羽織っているのが前侯爵ね。
流行を気にした高価な上着を着込んでいる男が前侯爵の隣に立ち、平民の服を着て腰に剣をぶら下げた男がふたり、前侯爵たちより少し先に立っている。
四人とも青空に見惚れているようだ。
前侯爵を拉致しようとしているにしては呑気だな。
それとも知り合いが前侯爵を助け出そうとしたのか……いや、前侯爵は妖精の姿が見えて声も聞こえるんだ。逃げられるわけがないとわかっているはず。
すぐに追いかけるべきなのに、後ろから来たメンバーが追い付いても立ち止まっていたのは、私も目の前の風景に見惚れてしまったせいだ。
眩しいほどの日の光を受けて、男たちの足元から黒い影が長く平原に伸びている。
魔道具の光を受けてぼんやりと壁に浮かぶ影は見慣れていても、ここまでくっきりと黒い影を見たのは、この世界に来て初めてだ。
「巫子?」
「あ、追うわ」
木刀をペンダントから取り出しながら駆けだしたら、自動でかかるバフの光で男たちもようやく私たちの存在に気付いた。
慌てて逃げ出そうとして派手な服の男が強く腕を引っ張りすぎたのか、前侯爵がよろめいて倒れ込み、男が支えようと反射的に腕を伸ばして動きを止めた。
そこからはまるでスローモーションのように見えた。
驚愕に見開かれた目で前侯爵を見る男には見覚えがあった。
裁判の時にしつこく家庭での私の虐待を訴えていた自称オグバーンの友人、キンバリー伯爵だ。
彼は駆け寄る私には目もくれず、ゆっくりと自分の腹部に視線を下ろした。
そこには前侯爵が全体重をかけて突き刺した短剣が、深々と刺さっていた。
「何をする!」
その時だけは前侯爵の根性に拍手を送りたくなったわ。
キンバリーに突き飛ばされても握りしめた短剣を離さなかったのだ。
刺された時は凶器を抜いたらいけないって、私でも知っている。
短剣が勢いよく抜かれたせいで、傷口から血が溢れ、前侯爵の顔にもガウンにも、周囲の草にも飛び散った。
いったい何が起こっているのか私にもよくわからない。
あまりに意外な出来事を前にして、私は思わず足を止めて成り行きを見守った。
先を走っていた男たちが慌てて駆け戻り、ひとりが倒れ込むキンバリーを支え、もうひとりが前侯爵を捕えようとしたが、切っ先についた血を飛び散らせながら、前侯爵がやみくもに短剣を振り回したせいで近付けない。
頬を刃が掠めたのでこのままでは危険と判断したんだろう。
男はおもむろに剣を抜いて、前侯爵を切り伏せた。
私たちの目の前で。
パニックだったとしても、前侯爵を放置して逃げるならまだしも、切っちゃ駄目でしょ。
背後から私の左右を騎士団長とダニーが駆け抜け、私とカルヴィンを守るために前に立つ。
既に剣を抜いていた若い騎士は、前侯爵を切った男に飛び掛かった。
「くそ、逃げるぞ」
「伯爵、立てますか?」
死にかけているのに無理でしょう。
私も騎士に加勢しようと前に出ようとしたのに、カルヴィンにがっしりと腕を掴まれダニーに駄目ですと睨まれてしまった。
騎士団長が伯爵を無理矢理立たせようとしている男に駆け寄ると、ふたりの男は勝ち目がないと判断したのか、伯爵を置いて逃げ出した。
「捕まえて!」
誰か特定の相手に向かって言ったんじゃなくて、逃がしてしまうという焦りで叫んだんだけど、しっかりと私の願いを聞き届けてくれたフルンとアシュリーが、男たちの逃げようとする方向に転移で現れた瞬間、鈍い音を響かせて男たちの足が折れ、ふたりとも地面に顔から倒れ込んだ。
「うわー」
動けないようにしたかったんだろうけど、やることが極端だ。
ここにいたのが普通の御令嬢だったら、ふたりに恐怖を抱くところよ。
私とカルヴィンは歩いて前侯爵に歩み寄り、カルヴィンが膝をついて脈を取り、立ったままの私を見上げて緩く首を横に振った。
仰向けに倒れている前侯爵の目は開かれたままだったので、空を見上げているようにも見える。
「たす……けて……」
血が流れ出るのを止めたいのか、両手で傷を覆いながら倒れているキンバリーが、よりによって私に助けを求めてきた。
「私は巫子で聖女じゃないから、治癒魔法は使えないのよ」
「み……こ……みこ?」
今にも死にそうな時に驚いているんじゃないわよ。
私が誰か、今さっきまでわかっていなかったの?
「それにポーションがあったとしても、父親を殺されたのにあなたを助ける必要がある?」
「れてぃ……ゴホッ」
咳をしたせいで、血が傷口からあふれ出た。
呼吸するのもつらいのか、ひゅーひゅーと喉から音が漏れている。
「オグバーン……は……生きて……るぞ」
「は?」
なんてこと。
今日という記念の日に、そんな言葉を聞くなんて。
思わず口角があがってしまうのを止められない。
「会いたい……なら……たすけ……」
私が笑ったのを見て、オグバーンが生きているのを喜んだと思ったんだろう。
確かに喜んでいるわよ。
本当に嬉しい。
キンバリーはこれで助けてもらえるとでも思ったのか、縋り付くような顔で見上げてきた。
「まずはあの男に会う方法を教えなさい。そうしたら助けてあげないこともないわ。ああでも、他のふたりのどちらかが知っているのなら、あなたはべつにいらないわよね。ひとり残せばいいだけよ」
それに別に今、会う方法がわからなくても、あの男は必ず私に会いに来るでしょ。
「知ってます! 俺が」
「俺だって聞いていた!」
生き残りたくて叫び出した男たちは無視して、私はキンバリーの横にしゃがみこんだ。
「本当に嬉しいわ。あんなわけのわからない状態で処刑されて終わりだなんて、納得できていなかったのよ。オグバーンが生きているというのなら、今度こそこの手で徹底的に痛めつけてやるわ」
「……はや……く……た……」
「ねえ、あなたもお茶を飲んだの? マクルーハンのおかしな行動はオグバーンのせいなんじゃない?」
「…………」
もう答える体力もないみたい。
目の焦点が合わなくなってきている。
日本にいた頃の私なら、たとえ悪人であっても殺さないで警察に引き渡しただろうに、いつのまにかすっかりこっちの世界に染まってしまった。
キンバリーを見殺しにすることに、まったく罪悪感が湧かない。
「誰か彼を助けたい人はいる?」
立ち上がり、その場にいた人を見回したけど誰からも返事はない。
「死ぬのを見届けてあげる義理もないわね」
彼に背を向けて、別邸の方向に歩き出した。
だからキンバリーがどのタイミングで死んだのかはわからないし、前侯爵の遺体に縋り付いたり、別れの言葉をかけたりする気もない。
「オグバーンが生きているんですって?」
ひとりで先に部屋に入り、窓際に置かれた椅子に腰を下ろした私に、サラスティアが近づいてきた。
「ええ。お茶を飲んでおかしくなった人を見た時に、裁判の時のオグバーンを思い出してもしやとは思っていたけど、正解だったようね」
「痩せて別人のようだとは思ったけど、でも似てはいたわよ」
「親戚の中から自分に一番似ている男を選んだのかもしれないわ。あの男は他人を犠牲にすることをなんとも思わないから」
息子を見殺しにしたサイコパスよ……ああ、私も今、父親を見殺しにしたんだったわ。
死なせないようにすることも出来たのに、足を止めて見物してしまった。
「前侯爵をどうするか迷っていたから、キンバリーには感謝しないといけないわね。さすがに娘の私が手にかけるわけにはいかないもの」
「それは誰もが思っているんじゃない? みんなが彼をどうするか迷っていたと思うわ」
問題を大きくして、開き直った前侯爵が私にしていたことを暴露したら、大スキャンダルだ。
夫人はどうでもいいけど、カルヴィンや屋敷に残っている使用人や騎士たちへの影響を考えたら、慎重になるしかなかった。
「カルヴィンが来るわよ」
窓の外を見ながらサラスティアが教えてくれたので目を向けると、沈痛な面持ちで、でもしっかりとした足取りでカルヴィンがダニーと話しながらこちらに来るのが見えた。
「フルンとアシュリーは?」
「男たちを尋問すると言って転移した。サラスティア様、すみませんが屋敷に転移していただけますか。父とキンバリーの亡骸を棺に入れなくては。ここで起こったことを報告する時に、亡骸がないとまずいんです」
「わかったわ。レティも屋敷に行く?」
「そうね。ここにいてもしかたないもんね」
別邸には妖精しかいないから、ここに残っても仕方ない。
素敵な屋敷だけど、こんなことがあったから壊してしまうかもしれないわね。




