青空の下で 5
茶畑は岩山や魔晶石で囲まれた位置に、簡素な宿泊施設と共に発見された。
直線距離で結界から徒歩で三分くらいの目と鼻の先だ。
こんな場所で過ごしていた人たちが魔素病にならないはずがなく、おそらく全員が魔獣化しているんじゃないかな。
「お茶自体は枯れてしまって痕跡もないわね」
地面に何かを植えた跡は残っているけど、闇属性で変形した苔が所々に見られる以外は、むき出しの地面と岩しかない。
その岩に魔晶石がとげのように張り付いている風景は、とても人の住める環境には見えない。
闇属性の濃度が強いからか、厚く垂れこめた雲は黒く濁り、ときおり稲光が走っている。
宿泊施設は劣化がひどくて崩れた壁から中が見えていた。
「こんな場所で茶葉を栽培出来たということは、複数の神官が関与しているんだろうな」
クレイグの言葉に大神官は苦い顔で頷いた。
「神殿の中にも反国王派はいたんだ。いや、反巫子派と言ったほうがいいかもしれない。私が巫子と接触してから貴族との癒着に厳しくしたり、貴金属を複数身につけることを禁じたりしたために反感が強くてな。それに巫子が活躍する機会が増えると、神殿を潰す気なのではないかと言い出す者もあらわれて……」
どこにでもそういうやつはいるのよね。
大神官と初めて会った時、魔素病に罹るほど結界近くで真面目に働いていたアダムソン神官が神官長になって、以前の神官長一派が地方に飛ばされたのも私のせいってことになっているって聞いたし。
「しかし今ではもう巫子や眷属方、神獣様と協力することに反対する者はいないので、それは信じてほしい。巫子が聖女を探し出してくれて、眷属の方々が神殿の活動を補助してくれる様子を見て、協力し合うべきだという考えになっているんだ」
「そのあたりは大神官の言葉を信じよう。急いで行方のわからなくなっている神官が何人いるか調べてくれ」
「……魔獣になっているのだろうな」
「死んでいるかもしれないが、人間から変化した魔獣が複数潜んでいる危険は無視できない。結界強化の途中で襲われる危険もある」
「なんてことだ」
大神官とクレイグのやり取りを聞いて暗い顔になっていく人たちの中で、私だけが間の抜けた顔で首を傾げてしまった。
え? 結界強化の途中で魔獣に襲われるのは当然のことだと思っていたのは私だけ?
「ねえ、結界強化って闇属性側の魔獣と戦いながらするんじゃないの?」
「は?」
眷属たちにまでいっせいに呆れた顔を向けられたんですけど。
「なんだ。結界強化がどういうものか誰も説明をしなかったのか?」
「すみません、神獣様。知っているとばかり」
サラスティアが慌てて私に近付いてきて、腕を引いて大神官やクレイグのいる場所から少し離れた場所まで歩きだした。
後ろにぞろぞろと神獣様と眷属がついてくるから、余計に目立っているけどいいのかな。
「結界強化は儀式なのよ。聖女が魔法を唱えている間、神官たちが周囲で女神に祈りをささげるの。神獣様もそれを近くで見守るのよ」
「それだけ?」
「魔力が切れたら休憩しながら、何時間もかけてやらなくてはいけないの」
「魔獣は?」
「今まではこんなアクシデントは起こらなかったの。天候悪化だって今回が初めてよ」
つまり今回は今までとは違って大変なだけで、本来は時間がかかるから体力と精神力が削られるけど、特に危険のない儀式だったのね。
『あたりまえでしょ! 私が女の子に何をさせると思っていたのよ! アニメの見すぎよ!』
うわ。女神にだけは言われたくなかったわ。
「今回は闇属性の魔力の浸食具合がかなりひどいし、魔獣化した人間が襲い掛かってくるというのならかなり危険ね」
「そんなことはない。我々が協力するんだ。問題ない」
フルンの言葉にアシュリーが頷き、
「私も動く」
神獣様が低い声で呟いた。
神獣様だって復讐する権利はあるわよね。
復讐というより、裁きを下す権利はある、のほうがしっくりくるかな。
「でも結界強化を神獣様が手伝っていいの?」
だったら楽勝よね。
みんなから必死な雰囲気が漂っていたから、てっきり私たちだけでやるのかと思っていたわ。
聖女を守りながら魔獣と戦う騎士や魔道士たちは、かなり危険だろうから心配だなって。
「手伝わないぞ。私はこの世界を混乱に陥れた人間たちを排除するだけだ」
「だから魔獣化した人間をやっつけてくれるのでは?」
「そんな手下どもはどうでもいい」
いやいや、黒幕は普通の人間でしょう?
それは私でも排除できるのよ。問題は手下のほうよ。
「その状況を作ったのは人間だ。必要以上に手を貸すことは女神に禁じられている」
ああ……やっぱりそうなのね。
急にイージーモードにはならないですよね。
そして女神はこういう時は、いっさい反応しなくなるんだよなあ。
翌日から神殿と王宮はかなりたいへんなことになったそうだ。
反国王派の貴族や神官たちは、自分も闇属性のお茶を飲んでしまったかもしれないとパニックになり、神獣の神殿や女神の神殿におしかけたり、魔道省に泣きついたりしたようだ。
その結果、今までの魔道具では脳内の闇属性の浸食具合まで確認できないということと、一度お茶によって壊れてしまった精神は、聖女でも治せないということがわかった。
さすがに脳細胞を全て治癒するというのは、聖女でも無理だったのかな。
それとも治癒すると、元の細胞が生き返るのではなくて新しい細胞が作られるのかもしれない。
これが全て反国王派のリーダーだったマクルーハンがしでかしたことだっていうのが解せない。
毒をばら撒いて仲間を殺して回ったようなものでしょ?
なんで自分の勢力を壊すようなことをしたんだろう。
マクルーハンの行方は掴めないまま、疑問に答えてくれる人もいないままに天候が回復される日が来る頃には、もはや反国王派を名乗るものは誰ひとりいなくなった。
まだ多少の混乱は続いていたけど、天候が回復するという期待のほうが大きく、ようやく平和が訪れようとしている時に、さんざん足を引っ張ってきた反国王派に手を貸そうという者はほとんどいなかった。
「正午の鐘を合図に天候が回復するのよね」
空が晴れる瞬間を神獣様や眷属と一緒に見るために、私は神獣の神殿に来ていた。
すぐ隣の神獣省の建物からは、慌ただしい様子がこちらまで伝わってくる。
いちおう巫子なのでさっき挨拶に顔を出したら、忙しくても、みんな笑顔で晴れやかな顔をしていた。
最近神獣省は注目されているからね。
王宮内での立場もかなりいいらしい。
「まだ八時だよ。クレイグはどうしたんだ? 向こうも今日は忙しいだろう」
挨拶しに行ったら、カルヴィンに呆れられてしまった。
遠足前の子供と同じで、出かける準備が出来たらそわそわしちゃって何も手につかなかったのよ。
だったら神獣の傍にいたほうが落ち着くかなって思ってさ。
「来ちゃった」
「子供か」
ラングリッジにいたって、やることがあるわけじゃないしね。
天候が回復して神獣や眷属とお祝いした後、少し遅れて私もラングリッジでクレイグに合流して、屋敷のみんなとお祝いした後にバイエンスに向かうことになっている。
忙しいけど、今日という日をたくさんの人とお祝いしたいじゃない。
「カルヴィンは? 領地には帰らないの?」
「明日帰るよ。今日は神獣省の仕事をしなくては」
「デリラと王太子も今日は王宮に帰るのよね?」
「そうだね。国王夫妻と行動を共にするし妖精もいるから大丈夫だろう」
この短期間に、カルヴィンはすっかり当主らしくなった。
ほんの少しは家族四人でわかり合える未来を期待していたとしても、父親の侍女虐待の現場を見てその気も失せてしまったようだ。
夫人はひとりになった今のほうが明るく、社交界でしっかりと自分の地位を築いている。
彼女が狙われる危険もあるから妖精が傍にいるのも、妖精と話せる彼女にとっては癒しになっているんだそうだ。
「もう僕たち親子は一緒に生活をするより、距離を取って、たまに会うほうがいい関係を築けるんだろうな」
そう言っていたカルヴィンの顔は少しだけ寂しそうだった。
その心の隙間を埋めてくれたのが神獣省の仕事だったのかもね。
「じゃあ一緒に庭で空が晴れる瞬間を見ましょう」
「そうしようか」
私にとって家族はカルヴィンだけ。
いずれはラングリッジの一員になって家族が増えるけど、それでもカルヴィンとだけは仲良くしていきたい。
彼の傍に素敵な女性がいてくれるようになるまでは、心配だしね。
神獣の神殿にいても落ち着かないまま、神獣省のほうに行ったり眷属の傍に行ったりうろうろしているのは私だけ。
神獣も眷属もいつもとまったく変わらない様子で、ゆったりと過ごしている。
「ようやく今日が来たのよ? もっとこう期待とか不安とかないの?」
フルンやアシュリーに聞いてもなにを言ってるんだという顔をされそうな気がしたので、サラスティアを捕まえて聞いてみた。
「私たちにとっては、神獣様があの球体から出てきてくださった日が重要だったのよ。こうして以前と同じ日々を取り戻せて、あなたという仲間も増えた。天候回復は神獣様が本来のお役目を再開するという意味では重要だけど、人間たちほどの感慨はないわ」
「なるほど。でも空が晴れていたほうが気持ちいいでしょ?」
「神獣様の空間はいつも晴れているもの」
そうでした。
球体のあった空間は、いつも晴天で涼しい風が吹いていました。
「でもバイエンスが晴れるのはいいわね。馬が元気になるんでしょ?」
「なるわよ。草原が復活すれば新鮮な草をたくさんあげられるし、駆けまわるのも楽しいと思うわ」
「仔馬が生まれるのって春なのかしら。そういえば季節も戻るのね」
季節か。
この国にも四季があるのかな。
あまり暑くないと嬉しいんだけどな。
何度も時計を見ながら、なかなか進まない時間をどうにかやり過ごし正午が近づいてきた。
神獣省の仕事も午後はお休み。
今日ばかりは、国中がお祝いで盛り上がる準備をして空が晴れるのを待っている。
「ラングリッジもみんな庭に集まっているのかな」
クロヴィーラの領民とは一回会っただけなので、どうしてもラングリッジばかり心配してしまうのは許してほしい。
きっと冒険者の街もバイエンスも、飾りつけを終えて、正午の鐘を大勢の人が待っているだろう。
広場にたくさんの人が集まっているんじゃないかな。
「……本当に晴れるのよね? 失敗しましたなんてことは……」
「何を言ってるんだ。あるわけないだろう。少しは落ち着け」
フルンってば、そんなむっとした顔をしなくてもいいじゃない。
ちょっと心配になっただけで、神獣を信用していないわけじゃないわよ。
「レティシア、こっちに来て座らないか」
神獣省の人たちが庭に椅子とテーブルを並べて、食べ物を並べていた。
今日ばかりは、ここでお酒を飲むことも許可したんだって。
「あと何分くらい? ここは時計がないのね」
「今日はずっとそわそわして子供みたいだよ」
「みんなが落ち着きすぎなのよ。歴史に残る一日なのよ?」
「神殿の外に集まってきた人たちは、きみと同じように今か今かと待っているんだろうね」
神獣の傍でその時を迎えようと、神殿の周りに人々が集まっているんだそうだ。
ずっと忘れ去られていた神獣の神殿が、今ではすっかり人々の心の拠り所になっているのよ。
「そろそろだな」
カルヴィンが立ち上がったので私も急いで立ち上がり、中庭の中心に向かう。
神獣の神殿には広い中庭があって、本来なら季節の花が咲き誇る美しい庭園なんだそうだ。
今では通路と花壇を区切るブロックしかその名残はないけどね。
全ての通路は中庭の中心に向かっていて、そこには円形の何もないスペースがある。
神獣は一日に一回、そこで空に向かって力を放ち、国中の天候を安定させていた。
今日もこれからそこで神獣が天候を回復させるのを、一等席で見られるのよ。
神獣が庭の中心に転移で出現し、周囲を眷属が守り、その周りに妖精たちが集う。
カルヴィンと神獣省の職員は邪魔にならないように端でひざまずき、私はフルンに呼ばれて眷属と一緒に神獣の傍に行くことになった。
一等席どころじゃなかった。
同じステージに立つんだった。
「あ、鐘が……」
正午を知らせる教会の鐘がいっせいに鳴り響く。
神獣省の神殿の近くに教会はないので、風に乗って聞こえてくる音はかなり小さい。
むしろ人々の期待がいやがおうにも盛り上がる雰囲気が、神殿の周りから伝わってくる。
これは失敗できないな。
魔力が足りなくなったらすぐに渡せるようにしておいたほうがいいのかな。
なんて私の心配をよそに、神獣の体が銀色に輝きだし、徐々に強くなる光に神獣の姿が見えなくなり、眩しさに思わず手をかざさなくてはいられなくなってすぐ、その光が一気に空に向かって舞い上がった。
ごーっと音が鳴りそうな勢いで空まで到達した光は雲を突き抜け、上空で破裂して広がっていく。
その光に散らされるように雲が消え、青い空が顔を出すと、薄暗かった地上が一瞬で明るくなり、陽に照らされた手足が温かくなった。
「おおおお」
「これが青空か」
「ようやく……ようやく……」
叫ぶ人、隣の人と抱き合う人、泣き出す人。
神獣省の人間ですらこの騒ぎだ。
建物の外はもう大騒ぎで、神獣様コールが巻き起こっていた。
「神獣様!! 神獣様!!」
「晴れた! 青空だ!」
ほんの一分やそこらで、私が見える範囲の空には雲はひとつもなくなっていた。
空はどこまでも青く澄んで、日本で見た太陽と同じような丸い球体が空に浮かんでいる。
女神のことだから、その辺も同じようにしたんだろうな。
「眩しいな」
ぼそっと呟いたカルヴィンの頬に涙が伝っていたのは、気付かなかったことにしてあげよう。
ただ彼に寄り添って、一緒に空を見上げた。
「大変です!」
なんなの。せっかく感動に浸っていたのに。
甲高い声がしたほうを見ると、小さな鳥型の妖精がアシュリーの周りを飛び回っている。
その報告を聞いてアシュリーの顔が強張った。
「レティ、カルヴィン、急いで領地に行くぞ。何者かがきみたちの父親を別邸から連れ出そうとしている」
どこの馬鹿よ、そんなことをするのは。
なにもこんな日にしなくてもいいでしょう。
「行こう」
私の手を取ったカルヴィンの顔は、もうクロヴィーラ侯爵の顔になっていた。
たぶん私も神獣の巫子の顔をしているんだろう。
「せっかくの日を邪魔してくれた怒りは大きいわよ」
父親の心配?
そんなのするわけないじゃない。




