青空の下で 4
翌日私は、ラングリッジ騎士団、魔道省、神殿というおなじみのメンバーからなる調査部隊と共に結界に向かった。
魔道士や神官を乗せた馬車が何台も並び、周囲を騎士が馬で移動していく。
私はアリシアとふたりで馬車に乗り、情報交換をしながらの移動だ。
今日の目的は、マクルーハンが家族に飲ませようとしたお茶が栽培されている場所の特定だ。
アリシアが潜伏していた村には茶畑なんてなかったそうなので、周囲を探索しなくてはいけない。
私とアリシアは調査をする人たちにバフをかけたり、魔素病にならないように対応したりするのと同時に、結界周辺の地形や雰囲気に馴れるために同行している。
そしてついでに、魔力を使い果たしたときに、私から受け取った魔力でアリシアが問題なく魔法を続けられるかどうかの実験もすることになっている。
試しにちらっとイライアスに魔力を渡してみた時には、気分が悪くなってすぐに中断してしまった。
女神も無属性の魔力を自分の属性の魔力に変換するのは、普通の人間には難しいって言ってたもんね。
神聖力への変換は簡単だとも言っていたから、大神官とアリシアには頑張ってもらおう。
「素敵な人だと思っていたのにがっかりよ」
アリシアがぶつぶつ言っているのは、クレイグが天候回復した何日後に結界強化をするのかを、しつこく知りたがっていたせいだ。
すぐにでも私と結婚したいから、出来るだけ早く結界強化をしてくれと言うクレイグが、下心満載だったので幻滅したんだって。
向かい合って座っているアリシアは今日も見惚れるくらいに綺麗だ。
見慣れるかと思ったけど、会うたびにやっぱり美人だなって感心してしまう。
クレイグが彼女にいっさい興味を持たず、私にべた惚れなのがいまだに不思議だわ。
「婚約相手や妻や恋人に欲情するのはしかたないでしょ。世の中の男たちがそういうことに興味を失ったら、人間は滅んでしまうわよ」
「……そうだけど」
「それにクレイグは結婚するまでは私に手を出さない気でいるんだから、真面目じゃない?」
これが日本だったら、私たちはとっくに同じベッドで夜をすごしているだろう。
今時、結婚するまで清い関係でいようなんてカップルは絶滅危惧種よ。
この世界のカップルだって、本当はいたしているんじゃないのかな?
ふと視線を感じて窓から外を見たら、少し離れた位置にいる馬上の騎士と目が合った。
さっと視線をそらしたけど、顔を赤らめていた気がする。
「あの男、ずっとあなたを見ていたわよ」
「あなたじゃなくて私を?」
「私を美人だと思ってくれるのは嬉しいけど、好みってものがあるでしょう。健康になってすっかり綺麗になったあなたは注目の的よ」
「……性格は変わらないのに?」
「私はあなたの性格も素敵だと思うけど? 自分の意見をはっきり言えるのは素晴らしいわ。私なんていざとなったら何も言えなくて、大神官やサラスティア様に守られてばかりで情けないわ」
私が好き勝手やれているのは、バックに神獣と眷属がついてくれているからだ。
それと女神がネックレスや木刀をくれたおかげで、女神のお気に入りだと思われているから。
ただの侯爵令嬢だったら、さすがに国の重鎮たちのいる前でずけずけ文句を言ったりできないわよ。
「でもアリシアだって神殿でうまくやっているんでしょう? あの大神官とも仲良くやっているじゃない」
「それは協力関係を結ぶことにしたからよ」
「協力関係?」
「結界強化が終わったら私は神殿本部から離れて、女神様に一番近しい存在は大神官だと明言する。その代わり大神官は、生涯私が聖女であることを保証して保護してくれる」
あの男、そんな約束を交わしたの?
どんだけ女神が好きなのよ。
「女神様の存在はもう信じているし、収納のついたペンダントをくださってありがたいと思っているのよ。でも私にとっては遠い存在で、正直なところ神獣様のほうが親しみを感じるの。だから結界強化が終わったら神殿を離れて旅でもしようかなって思っているわ」
「それも楽しいかもね。エイダやドリスと旅をするんでしょう?」
「……いえ……あの子たちは結婚するんじゃないかしら」
「ええ!?」
「朝焼けの空のメンバーといい雰囲気なの。結局みんな、結婚しちゃうのね」
そうか。一緒に護衛をしているうちに親しくなっちゃったか。
どんなに仲が良くても、アリシアと彼女たちでは立場が違うもんね。
聖女として周りにたくさんの人がいるようになって、彼女たちと過ごす時間も減っているんだろうな。
「あの、それで……」
「ん?」
「たまにはバイエンスに遊びに行ってもいい?」
「そんなの当たり前じゃない。いっそのことバイエンスに住みなさいよ。神獣様や眷属も遊びに来るから楽しいわよ」
「本当! ありがとう。これで安心して結界強化を頑張れるわ」
大神官の言う守るってどういうことなのか、具体的に聞いてみようかな。
神殿から離れたら、貴族たちがアリシアに群がるに決まっている。
幼馴染とも離れてしまって、ひとりになってしまうと思って不安だったんじゃない?
クレイグと相談して、彼女が安心して暮らせるようにしたい。
旅行も楽しいけど帰るところがなくちゃね。
「到着しました」
馬車が停まったのは、アリシアが以前潜伏していた村だ。
結界強化の時に拠点に出来るように、騎士団や神殿の建物が建ち始めている。
ここにはいつも冒険者や騎士が交代で駐留しているので、見慣れない人間がいればわかるはずだ。
「異常はありません」
「ではさっそく強化魔法をかけてもらった部隊から調査に回ってくれ」
このあたりの地理に詳しい冒険者と騎士と魔道士がチームを作り、人海戦術で周囲を調査していくんだそうだ。
バフをかけたらしばらく暇になるし、私は結界の近くに行って周囲の地理を覚えようかな。
「アリシア、バフをかけてあげて。魔力が減ったら私があげるからどんどんやっちゃって。大神官も神聖力をばら撒いて魔力を減らしてみてよ。この辺の闇属性が薄くなると結界強化がやりやすくなるわよね?」
後半は、いつの間にか当たり前のように隣に並んでいたフルンに聞いた。
フルンの保護者っぷりってすごいのよ?
クレイグがいる時には彼に任せて、いなくなるといつの間にか隣にいる。
警護の鑑よ。
「そうだな。だがあまり結界の近くで神聖魔法を使わないほうがいい。結界を刺激する恐れがある」
「そうなんだ」
フルンもアシュリーも、槍でも担いでいる雰囲気で魔晶石を肩に担いでいる。
私は、騎士にたのんで台車で運んでもらおうとしたのに、私が魔力を欲しいと思った時に、すぐに渡せる練習になるって言って荷物持ちをしてくれているの。
サラスティアは今日は神獣と一緒にいて、あとで顔を出すかもしれないんですって。
「そろそろ魔力が減ってきたんじゃない?」
にこやかに近づいたら、大神官もアリシアも露骨に警戒した顔をした。
「いいか。少しずつだぞ。一度に魔力を送りこむなよ」
「わかっているわよ」
「イライアス様は気分が悪くなったって言ってたわよね」
「慣れていないからじゃない? 大丈夫よ。無属性は体に害はないから」
大神官もアリシアと一緒に災害現場に行くようになったので、今では丈が少し短めの飾り気のないローブを着るようになった。
錫杖があれば他は地味でも大神官だってわかるし、質素な姿のほうが美貌が目立って評判がいいみたいよ。
「はい。ふたりとも向こうを向いて魔法を続けて。魔力を送るわよ」
右手で大神官の肩に、左手でアリシアの肩に手を添えて、ゆっくりと魔力を送りこむ。
「うう……魔力が減る感覚は慣れているけど、増えるのはこういう感じなのね」
「ポーション飲んだ時と同じじゃない?」
「こんな早くポーションで魔力が増えるか!」
そんな嫌そうに言わなくてもいいじゃない。
私が魔力を渡せるから、結界強化も安心安全なんでしょ?
「魔晶石だよ」
「ありがとう、アシュリー」
魔晶石に触れて、一気に魔力を吸収すると、石が細かく砕けて地面に落ちていく。
その魔力をまたアリシアと大神官に渡していたら、しばらくしてふたりとも私の傍から離れて逃げてしまった。
「き、気持ち悪い。魔力が増えたり減ったり頻繁にするせいで鳥肌が……」
「なんできみは平気なんだ!」
なんでって言われても……。
「慣れ?」
みんなから魔力吸収して神獣様に渡すのを、一日に何回もやっていたんだもの。嫌でも慣れるわよ。
「レティシアは神獣の巫子として神獣様の力を回復する使命があったから、気持ち悪く感じない体質なんじゃないかな?」
「なるほど、さすがクレイグ。いい説明だわ」
「特異体質か。もはや人類ではないな」
大神官は、そういうところが駄目よ。
言い方って大事でしょう。
騎士たちにバフを終えるころにはぐったりしてしまったアリシアと大神官は馬車で休むと言うので、私は眷属と結界近くに行ってみることにした。
クレイグも一緒に行動したがったんだけど、指揮官が別行動をしちゃ駄目だと眷属たちに止められていた。
結界強化の時も彼には指揮官の役目があるんだから、私のことばかり気にするのはやめてもらわないといけないな。
「魔晶石がだいぶ育って……あれ? ここだけ折れてる。こっちも」
竹のようにまっすぐに伸びている魔晶石が折られて、結界まで細い道が出来ていた。
このあたりは危険だから、私と眷属がいない時には進入禁止にしているエリアだ。
そこに勝手に立ち入ったとなると、私たちの動きを邪魔しようとしている相手の可能性が高い。
「レティに魔力吸収してもらえない人間がここに来たら、間違いなく魔素病に罹るのに。無茶をするね」
口調は軽いけど、アシュリーの表情は冷ややかだ。
闇属性の魔力に侵食されたお茶を飲ますというひどいやり方を見て、眷属たちはマクルーハンに対して怒りより軽蔑や呆れの感情が強くなっている。
そんなことをしても、もう彼が得るものは何もないのに、周囲の人間たちを傷つけて何がしたいのか私にもわからないわ。
「ねえ、結界の扉って物理的に開くの?」
この前に見た時より、少し扉と扉の隙間が大きくなってない?
「これはあくまで結界の崩壊具合をわかりやすく具現化しているだけだよ。ここまで近づけば扉が……なんだこれ。このあたりがぼろぼろになっている」
「この前見た時はここまではひどくなかったよな」
フルンもアシュリーと一緒に扉の様子を注意深く観察して、眉を寄せた。
「ここを見ろ。無理矢理こじ開けようとした跡がある。そこから闇属性の魔力が沁みだして、扉を侵食しているんだ」
「フルン、この扉は本物じゃないって知っているだろう」
「だからこれも、闇属性が予想より早く周囲を侵食している状況を表しているんだろう」
概念なんてよくわからないけど、この扉が闇属性の浸食具合を表していて、開くと中から闇属性の魔力がこちらに溢れてくるならしめなくちゃ駄目でしょ。
「ふたりともそこを退いて」
「待てレティ。女神にいただいた木刀で何をする気だ」
フルンが慌てて扉と私の間を遮った。
「扉を閉めるのよ」
「木刀をトンカチの代わりに使うな」
「きみね、もう少し大事にしなよ」
大事にしているわよ。
でもこれが駄目なら何を使えばいいのよ。
「レティ、あいかわらずね」
横から風が吹いてきたような気がして振り返ったら、サラスティアが神獣と一緒に姿を現していた。
「せっかく可愛くなったんだから、木刀で扉を力任せに殴る姿なんて周りに見せちゃ駄目よ」
「割とそのへんはどうでもいい」
この非常時に、他人の目なんて気にしていられない。
「私がやるから、おまえたちは下がっていろ」
「え? 神獣様?」
驚く眷属たちをしり目に、巨大な猛獣の姿でありながら気品と威厳を感じる神獣が、ゆっくりと扉に近付いていく。
少し離れた位置には騎士や魔道士が何人も待機していたので、神獣の出現にどよめき、何が起こるのか固唾をのんで見守っている。
その中で私付の騎士や侍女たちだけは、すっかり眷属にも神獣にも慣れてしまって平然としていた。
「神獣様って魔法が使えるの?」
天候を左右するくらいの魔力を持っているんだもの。
きっと強力な魔法で扉を閉じてくれるのよね。
……って、期待にわくわくしながら見ていたら、扉のすぐ目の前まで近づいた神獣がおもむろに右前足をあげ、猫パンチを繰り出した。
「え」
巨大な虎だからパンチの威力はかなりのものよ。扉もちゃんと閉まったし。
でも飼い猫の猫パンチとまったく同じフォームで、でも動きだけは一瞬の素早い動きで、スナップをきかせてパンチする動作に唖然とし、やがてじわじわと可愛さに口元がにやけてきた。
やばい。神獣がかわいい。
もふもふの癒し力半端ない。
「さすがです」
「以前よりしっかり閉まりましたね」
眷属たちが真顔で感心しているせいで、余計に笑いだしそうになってきた。
「あ、ありがとうございます」
口元を押さえて後退り、魔晶石の陰でにやけを止めるために口の周りをこすっていた私は、かなりの挙動不審だったんだろうな。




