空の色 6
私は報告のために神殿に戻り、クレイグはフルンに送られて先に領地に帰った。
神獣に報告を済ませ、神獣省の人達に事情を説明してラングリッジ公爵領に向かう頃には三時間くらいは経過していたので、もしかしてクレイグが婚約のことを話していて大騒ぎになっているんじゃないかなと心配したんだけど、
「意外と普段通り……」
いつものように正面玄関に転移で現れて、ただいまと帰った屋敷は特に変わったところもなく、夕食の準備の慌ただしさに包まれていた。
「学んでくれている」
私が帰ってからふたり揃って話すことにしたのならありがたい。
「「おかえりなさいませ」」
「ただいま」
今はまだ客人なのに、出迎えてくれた人たちはすっかり女主人扱いだ。
眷属にも慣れて、転移で突然人が消えたり現れたりするのにも慣れている使用人たちを見ると、度胸の良さはこの地域の民族性なんだと思うわ。
「俺は一度神殿に戻る」
「わかったわ」
「夕食はいる」
「いちおう三人分たのんでおく」
フルンと別れ、出迎えてくれたヘザーとエリンと一緒に自分の部屋に向かう。
そういえばこの広大な屋敷も、普段の生活で必要な部屋ならばどこに何があるのか、いつのまにか覚えた。
それだけ長くここに滞在しているのよね。
「巫子様、たとえ神獣様の神殿であっても、侍女ひとりと警護ひとりを必ず連れて行ってください。ヘザーの働きすぎが気になるのでしたら侍女を増やすべきです」
「いいえ。最近のお嬢様は屋敷にいる時間も長いですし、私もゆっくりさせていただいているので大丈夫です」
そういえばカルヴィンはダニーを連れていたな。
それがばれたら、ヘザーにもっと怒られそう。
「侍女はクレイグに相談してみるわ」
私とクレイグが婚約したら、ヘザーはクロヴィーラに返してあげたほうがいいよね。
それとも結婚するまでは、ここにいてくれるのかな。
ラングリッジ公爵の婚約者ともなれば、警護が今より厳重になったりして。
「夕食までにお着換えをなさいませんと」
「ローブを脱げばいいわよ」
「駄目です」
一日に何回も着替えるのは面倒なのに。
……待って。私ってば、また日本の常識で行動しようとしていない?
いずれは公爵夫人になるのよ?
今までは健康優先、筋肉優先で美しさはまったく気にしていなかった。
レティシアは顔の造形も骨格も整っているから、肉がつけばそれなりに見えるでしょうと軽く考えていたわ。
でもこれからはクレイグの婚約者として周りは見てくるのよね。
さすがに相手が逃げ出すような今の状況ではまずい。
イケメンで公爵で、戦闘力もあって性格もいい。
今までは王家に疎まれていたっていうのと、結界のすぐ近くに領地があるせいで避けられていただけで、彼自身には全く問題がない。
むしろ今は父親が国王なんだから、結婚したい独身男ナンバーワンになっていてもおかしくないわ。
そんな男の隣に今の私が婚約者ですって並んだら、みんなはどう思う?
クレイグを狙っている女の子たちは、巫子だからってあんな女が婚約者だなんてって納得しないわよね。
別に納得してもらわなくてもいいし、それで嫌がらせされても負ける気はしないとしても、ラングリッジ公爵夫人にふさわしい見た目は必要よ。
努力もしないで、私はこれでも許されるのなんて考えはくそだ。
それでクレイグが愛想をつかしても、責めることなんて出来やしない。
お互いに努力は必要だって、何かの本に書いてあったような気がする。
「よし。肌と髪の手入れをするわ」
「え!?」
着替えの準備をしていたヘザーが、見事な二度見をした。
「実はね、あとで正式に話があると思うけど、私とクレイグは婚約することになったの」
「……き」
「き?」
「きゃあああああ! お嬢様! おめでとうございます!!」
「声が大きいわ」
「あ」
慌てて手で口を押さえても遅いわよ。
「何かありましたか!」
ほら、驚いてエリンが飛び込んできたじゃない。
「なんでもないの。私が髪の手入れをするって言ったらヘザーが喜んじゃって」
「はあ」
訝しげな顔のエリンにも婚約のことを言ってしまいたいけど、クレイグが私が戻るまで話さないでいたのに、私がばらしちゃうわけにはいかないわ。
「クレイグ様が、用事が済んだら居間に来てほしいとおっしゃっていました」
「わかったわ」
「すぐに準備します!」
ヘザーが返事してどうすんのよ。
そんなに婚約が嬉しいの?
「ヘザー、あなたはクロヴィーラに……」
「ここに残ります」
「え?」
「いずれ嫁ぐにしても、ラングリッジの関係者がいいです。正直申し上げて、クロヴィーラは屋敷の雰囲気が悪くてもう帰りたくありません。今はよくなっているのかもしれませんけど、ここのほうが数倍居心地がいいです」
ドレスの準備をしているヘザーの背中を、じーっと見つめてしまった。
そうか。そうよね。
あの侍女たちとは仕事場が違っていたとしても、顔を合わせることはあったでしょう。
私はカルヴィンが帰ってきてからの屋敷しか知らないから、レティシアのいる場所以外は普通かと思っていたのに、侯爵があれじゃね。
「わかった。騎士の中にでもよさそうな人がいたら教えて。応援するから」
「よろしくお願いします」
お互い笑顔で話していたけど、ヘザーが準備していたドレス、ちゃんとチェックしていたからね。
「そのドレスは却下。そんなフリフリでデコルテまで見えそうなドレスはいや」
「えーーー、このくらいは着ましょうよ」
「まだ痩せすぎよ。自分磨きはこれからなの。領地経営もちゃんとしなくちゃいけないし、忙しくなるわよ」
「領地?」
「バイエンス地方をもらったの」
「えええええ!?」
こういうキャラだっけ?
そんな驚くこと……だったわ。
いつも通りのシンプルなドレスに上着を着てクレイグがいる居間に向かう間も、ヘザーとエリンがついてくる。
ここまでする必要ある? っておもっていたけど、
「巫子様がおいでになりました」
扉の前に警護の騎士がいて私が来たことをクレイグに知らせるって、今まではこんなことはなかった。
警備体制が突然厳重になっている。
「入ってもらってくれ。警備のほうはそういうことで」
「はい。承知しました。あ、巫子様」
部屋の中にはクレイグ以外に、シリルを含めた顔見知りの騎士が三人並んでいた。
たくさんソファーや椅子があるのに、立って話をしていたの?
私を見て笑顔になったけど、それまでは真剣な表情で話していたのがちらっと見えたわよ。
「レティシアにつけるのは、今までと同じメンバーだけだ。それ以外は近づけるな」
「どうしたの? 何かあった?」
婚約者になったから? 誰かに狙われる可能性があるの?
「何かって、神獣様が動き出すだろう」
「巫子様が頑張ったおかげですね」
「ありがたい。子供たちに青空を見せられます」
まだ婚約のことは聞いていないみたいなのに、騎士たちの好感度更にアップ中だ。
婚約者になったと聞いたらどうなるんだろう。
「十日後に天候がいつ回復するか発表されるだろう」
「うん。たぶんね」
「だが国全体の天候が一度に回復するとは限らない。神獣様の力を失わせた者の関係する土地や、きみを迫害していた者達の土地は後回しになるんだろう?」
後回しどころか、今後も天候の悪い地域になるんじゃない?
「だとしたら、どんな手を使ってもきみに取り入りたいと思う者が出てくる」
「私の傍にはいつもリムがいるし、たいていのやつは木刀でぶっ飛ばすわよ」
「そう単純に済めばいいが、ずるがしこいやつがどんな手を使うかわからない。今後は屋敷内でも厳重警護体制を取る」
騎士たちも当然だという顔をしているから、そのほうがいいのかな。
確かに私の意見ひとつに自分の領地の未来がかかっているとなれば、危険なことをしでかすやつがいるかもしれない。
でもそれ、私が巫子として登場した時からわかっていたことでしょう?
実際に天候がよくなると聞いてから慌てるって馬鹿じゃない?
「慌ただしくて悪いんだが、部隊長クラス以上は一時間後、執務室に集合するように。執事や侍女長クラスも全員集まるように伝えてくれ」
ここにいる三人も部隊長クラスよ。
クレイグが公爵になって副団長ではなくなったので、人事異動がいろいろあってシリルも副官ではなく部隊長になったのよ。
文句も言わずに彼らは部屋を出ていったけど、これから警護の指示を出して、一時間後に集合することを各部門に連絡して、自分たちも集合場所に向かうって結構忙しいんじゃない?
私だったら、打ち合わせは一度に終わらせろよって思いそう。
話す内容は、重要なことなんだけどね。
「婚約の話はまだしていないのね」
私とクレイグ以外が部屋からいなくなり、扉が閉まってすぐに切り出した。
「一時間後に発表するの?」
クレイグは心なしかほっとした顔をして頷いた。
「きみがそれでよければ」
「もちろんかまわないわ」
「よかった。どうもまだ実感がわかなくて、気が変わったと言われるかもしれないと……」
「信用されていないのね」
「そんなことはない。……なぜか急に不安になってな。婚約が決まるまではそれが目標だったからかもしれない」
少し離れていた位置に立っていたクレイグは、しばらく迷った後、両手を広げてみせた。
それはどういう体勢よ。
胸に飛び込んでおいでーってやつ?
そんな恥ずかしいことをしておいて、不安そうな顔をするのはやめなさいよ。
すたすたと近付いて、わざとぶつかりながら抱き着いた。
ふわりと優しくくるむように抱きしめられると、こんなにも心地いいのね。
こてっと頭をクレイグの胸に預けて凭れ掛かる。
私の重みなんかじゃ、彼はびくともしない。
しないんだけど、胸に耳を当てていたのでクレイグの鼓動がバクバクいっているのが聞こえた。
そういえば、全身に力が入っていて、腕も私に重みを与えないように力を入れているみたい。
どうしたんだろうと顔を見上げて、今まで見たことのないドアップの下からのアングルに、私も固まった。
抱きしめられているんだから当たり前なんだけど、思っていたより近い。
クレイグが顔を寄せるか、私が背伸びすれば、すぐにキスできてしまう距離だ。
……大丈夫かこれ。
私臭くないよね。
鼻毛が伸びていたりしない?
「なんで固まっているのよ」
ここは話をして気をそらそう。
「まさか、そんなふうに抱き着いてくれるとは思わなかった」
「なんで? 婚約したんだから、このくらいはするでしょう。あ! もっと恥じらうべき? 私から抱き着くなんて無理~って」
「いや、そういうのはいい。今のままでいいんだが、大人になってから女性を抱きしめたことがないので、力加減がよくわからない」
クレイグの言葉に一気に脱力した。
ふたりとも恋愛に疎すぎて、不器用すぎて笑えてしまう。
「大丈夫。私もよくわかっていないから」
「婚約中はどこまではいいんだ? キスはいいのか?」
前言撤回。
不器用なやつがもうキスすることを考えるわけない。
「クレイグは素敵だと言っていた聖女が、がっかりしそうな台詞ね」
「そういうことに興味のない男はいないよ」
女だって、好きな人とはくっついていたいしキスもしたいでしょ。
それも恋愛表現のひとつよ。
「余計に心配になってきた。きみに近付こうとする男をどう排除しよう」
だからさ、そんな心配はいらないんだって。
怖くてみんな逃げるのよ。
私が魅力的に見えるクレイグは、希少種か病気なの!
十日後、この国の重要人物たちが、馬車で次々と神獣の神殿に到着した。
彼らが王都を目指して移動を始めたことは既に噂になっていたようで、王宮には寄らずに神獣の神殿に直接向かった馬車もあったせいで、かなりの注目が集まっている。
これを狙って転移ではなく馬車での移動にしたんだから、そうならないと困るんだけどね。
私は朝から神獣の元を訪れ、眷属と共に来訪者が訪れるのを待った。
クレイグやカルヴィンが驚いたように、彼らもこの場所の風景に言葉をなくすに違いない。
そして五か月後には、外の世界にも青空が広がるんだ。
でもそれよりまずは、神獣がこの球体から出て来られるっていうのが嬉しい。
十年以上この日を待っていた眷属たちは、平静を装っているけどそわそわしているのがまるわかりよ。
妖精たちも落ち着かないようだし、神獣省の人達も客を迎えるのに忙しそうで、この神殿がこんなに賑やかになるのはひさしぶりね。
「どうやら客が揃ったようです」
アシュリーの言葉にドキドキする胸を押さえ、大きく息を吐きだした。
あの扉があいたら、国中が慌ただしくなるわよ。
五か月。
長いようで短い準備期間。
私もその間に、やらなくてはいけないことが山積みだ。
「みなさん、どうぞこちらに」
カルヴィンに案内されて、招待された客がやってきた。
うう、柄にもなく緊張するわ。
「レティ、球体から魔力を吸っている」
フルンに腕を掴まれてはっとした。
「いけない。無意識だった」
うわ、球体の中で神獣が呆れた顔をしているよ。
大丈夫。もう触らないから。
もう、こんな時までやらかしちゃうなんて。