空の色 5
初めて神獣のいる部屋に入ったクレイグは、転移魔法で出現した位置から動かずにぼんやりと目の前の風景を見ていた。
気持ちはわかる。
毎日のようにここに来ている私でも、来るたびに妖精の数が増えているのに驚いてしまうから。
もうそれほど魔力は必要ないと言われたけど、魔力吸収するためには自分の魔力を減らす必要があるでしょ?
実験で結界近くに挿し木した魔晶石がぐんぐん育つくらいに魔力量が増えているから、結界近くで任務を行う騎士の魔力吸収を毎日しているので、魔力が余っているの。
「だったらあの部屋で魔力を放出してくれ。魔力量が増えれば妖精たちを起こせる」
神獣の力が弱まっている間、魔力消費量を減らすために眠りについていた妖精を起こせると聞いて、リムもブーボも大喜びだった。
だったら遠慮なくやらせてもらおうと毎日せっせと魔力を放出しまくった結果、空が澄み渡り、花が咲き誇り、妖精があっちにもこっちにも元気に飛び回る空間になったのだ。
余計に球体の中にいなくてはいけない神獣が気の毒になって、申し訳ない気持ちになってしまったけどね。
周りは楽しそうなのに、自分は動けないってつらいでしょう?
「これが……空の色なのか」
私が生まれて数年で空は今の状況になってしまったはずだから、今の十代の人達はほとんどが空の青さを見たことがないか覚えていないかのどちらだ。
茫然と空を見上げていたクレイグは、次に草原に目を移し、花の香りを吸い込んだ。
「本当はラングリッジ公爵領もこういう風景が広がっていたんだな」
「バイエンス地方なんて、まさしくこういう風景だったんじゃない? 夕焼けの草原を馬が駆ける風景なんて素敵だろうなあ」
「……そうなのか。夕焼けを見たことがあるのか?」
お、いけない。
日本で見ましたとは言えないんだった。
「ここで」
「ああ、時間で風景が変わるのか」
「馬はいないけどね。ここに来るといつも、この風景をみんなに見せてあげたいと思うんだ」
視線を感じて振り返るとクレイグがじっと私の顔を見ていた。
「なに?」
「いや、俺も同じことを考えていた。みんなにも見せてやりたい」
そうだよね。
早く見せてあげたいよね。
「そこのふたり、神獣様の御前だぞ」
「さっそくいちゃついてるの?」
フルンがいつもの無表情で言ったセリフは理解できる。でもアシュリーの言葉には驚いてしまった。
今までと変わらずに話しているだけでいちゃついていることになるの? これで?
「フルン、いいのだ。巫子が楽しそうでよかった。この男がクレイグか」
神獣も保護者っぽいところがあるのよね。
保護者軍団のボスみたいな感じ。
「はい。この男がレティの婚約者になるそうです」
「クレイグ・ラングリッジ公爵と申します」
神獣に挨拶をしているクレイグは、子供のような顔をしていた。
物語の風景のような場所で特別な存在を実際に目の前にして、感激と喜びと他にもいろんな感情が溢れているんだろう。
カルヴィンも最初はあんな顔をしていたな。
もしかしたら私もそうだったのかもしれない。
「あ、来た」
アシュリーが呟きながら上を見たので、私もつられて上を見ていたら、
「遅れて申し訳ありません」
後ろからサラスティアの声がした。
「クレイグもいるの?」
「レティの婚約者だからな」
「え?」
にやにやしながらアシュリーが言うと、サラスティアははじかれたように私を見た。
「いつのまに? 何も聞いていないわよ」
「聖女にかかりきりなおまえが悪い」
転移魔法で聖女の手助けをするのはみんな承知していたはずなのに、フルンの声が冷たい。
「それは……」
「たよられて嬉しくて、自分が眷属だということを忘れていないか?」
「それは今言わなくちゃいけないことじゃないでしょう?」
ちょっとそこのふたり、神獣の前で喧嘩しないでよ。
「サラスティア、婚約が決まったのはついさっきなの。五分前」
「……そうなの?」
「それで今、神獣様に呼ばれたところなの」
「ああ、それでお呼びになったんですか? なによ。フルンが変な文句を言うから私だけ知らされていなかったのかと思ったじゃない」
「変な文句ではない」
「賑やかだな」
笑い交じりの神獣の声にはっとして、フルンもサラスティアも頭を下げた。
「すみません」
「よい。昔に戻ったようで愉快だ。ここがこんなに賑やかなのは何年ぶりだろう。さて、本題に入ろう。これから王宮に行き、国王に伝えてほしいことがある」
これから?
そんな急に面会してもらえるの?
「では、私が一足早く王宮に向かい、国王に会えるように手はずを整えましょう。神獣様からの至急の用事であれば最優先にされるべきです」
クレイグが味方なのは強いな。
突然押し掛けても、誰も文句言えないんだろうな。
「その時に俺達の婚約についても国王に報告しよう」
「そんな急がなくてもいいでしょう? 今回は神獣様の用事が最優先だって言ったばかりじゃない」
「もちろんそうだ。でも国王に会うのもなかなかめんどうなんだぞ」
「レティシア、報告は早めにしたほうがいい」
さっきまでは反対していたカルヴィンも、認めると決意したら協力的なのね。
「神獣様が動き出すと聞いたら、巫子の価値が一気に跳ね上がるだろう。中にはどんな手を使っても巫子を嫁にと考える家が出てくるかもしれない」
「眷属の守りを突破して? 無理よ」
「それでも兄としては心配だ」
「婚約者としても心配だ」
はいはい。わかりましたよ。
どうせ婚約するなら早くても遅くても同じ。
さくっと発表すればいいんでしょ?
でも婚約したって、結婚する前ならまだ間に合うって無茶する馬鹿もいるかもしれないわよ。
「というか、結婚したからっていうことを聞くと思っているのが不思議。自分の屋敷で私が暴れるって考えないのかしらね」
「……普通は考えないよ」
カルヴィンの台詞にみんながいっせいに頷いた。
急ぎのクレイグはフルンと一緒に転移で移動したのに、私はカルヴィンと一緒に神獣省の馬車に乗って護衛もつけて王宮に向かうことになった。
毎度のことだけど、神獣の巫子が神獣省から出かけて王宮に行くって周囲にわかるように移動するのは重要なんだそうだ。
仰々しく正門に乗り付けたほうがありがたみはあるかもね。
正門から正面の出入り口まで馬車で移動し、両側に制服姿の兵士が立つ大きな扉を通って王宮に入る。
国王は会議中だったのに、中止して賓客用の部屋で待っているということなので、たくさんの人に囲まれて廊下を進んだ。
右側にフルン、左側にカルヴィン。前にアシュリー、後ろはダニー。
更にその周りに神殿省の騎士と王宮の警備兵が取り囲んでいるのよ。
男ばかりだから、周囲の様子がよく見えないわよ。
「気のせいかな。空気がぴりついてない?」
「きみが来たからだろう」
「私のせい?」
「神獣様の名代として神獣の巫子が訪問したんだ。何事かと誰だって思うだろう」
「なるほど」
私はVIP中のVIP扱いだというのはよくわかった。
だって廊下を歩いていて誰ともすれ違わないのよ。
この廊下は今、私たち専用になっているってことでしょ?
よきにはからえ状態だよ。
「こちらでございます」
突然止まったから、前を歩いていたアシュリーの背中にぶつかりそうになったわ。
護衛の騎士は部屋の中には入れないので廊下で待機することになり、残りの五人がぞろぞろと部屋に入った。
サラスティアは私とクレイグが婚約する瞬間を見逃したことがだいぶ悔しかったようで、聖女の傍には妖精をつけて、転移が必要な時以外は以前のように私の傍にいることにするらしい。
その説明のために出かけていて、今はいない。
「婚約したのなら、親代わりに動ける者が必要でしょう? 父親の代わりはカルヴィンがするとして、母親の代わりは私しかいないじゃない」
「確かにそうね。婚約の手順なんて知らないけど夫人に聞きに行きたくないから、サラスティアが手助けしてくれるとありがたいわ」
「まかせて。うまくあの女に話してあげるわ」
「ラングリッジの屋敷の人達もタッセル男爵夫人も、サラスティアに会えないことを寂しがっていたわよ」
「そう? じゃあ顔を出さないと。急いで帰ってくるわ」
機嫌よさそうに出かけていったので、婚約を知るのが遅くなったことはもう気にしていないといいんだけど。
眷属は私にとって家族みたいなものなんだから、仕事をしなくても、役に立とうとなんてしなくても、普通に顔を出してくれればいいのにね。
サラスティアが帰ってきたら、そういう話もしよう。
部屋の中には国王とクレイグと宰相とハクスリー公爵が待っていた。
宰相は何度か見かけたけど、挨拶する程度で話したことがないんだよね。
前の宰相は国王が代わった時にクビにして、国王と公爵たちでこの人を選んだんだって。
身分は伯爵なのに宰相になったということは優秀なんだろうけど、忙しいんだろうな。疲れ切った顔をしている。
「巫子殿、よく来てくれた。お茶の用意をしてあるからこちらで話そう」
いやいや、神獣の名代だって聞いているよね。
テーブルにアフタヌーンティーの用意をばっちりしているのはおかしいでしょう。
「陛下、今日は巫子として」
「わかっておる。わかっておるとも。だが巫子を立ったままにするわけにはいくまい。ところでクレイグと婚約したと聞いたのだが」
「父上、その話はあとです」
「気になるじゃないか。とうとう巫子殿が娘になってくれるんだぞ」
まだですから。
まだ正式に婚約さえしていませんよ。
「陛下、神獣様より陛下へのお言葉をいただいてきているのです。レティシアの婚約の件はまた後日にお願いします」
「クロヴィーラ侯爵ともあろうものが何を言っているのだ。神獣省や侯爵家のことを考えれば発表は早いほうがいいだろう」
「陛下、座ってください」
「父上」
ハクスリー公爵とクレイグに叱られて、渋々椅子に座ってもまだ陛下は婚約のことを話したくて仕方のない様子だ。
「菓子や軽食を用意したから好きなだけ食べてくれ。しばらく見ないうちにずいぶんと健康そうになって……」
「陛下、大変ありがたいのですが話を進めていいですか? あとでお話はゆっくり伺います」
「そうか」
しゅんとしないでよ。
いつもは勇猛果敢で決断力のある国王だと言われているのに、実はこっちが本当の顔だってばれているわよ。
宰相が驚いた顔で見ているじゃない。
「国王陛下、王太子殿下、大神官、聖女、そして公爵は来たい人だけでいいそうですけど、十日後に神獣の神殿まで来るようにとのことです」
「レティ……そんな砕けた言い方で」
「え? 駄目?」
たぶん誰も気にしていないよ?
「その……理由は何か聞いてはいないのか?」
国王なんだからさ、職員室に呼び出された生徒みたいな顔はやめましょうよ。
って、宰相もハクスリー公爵もなんで深刻な顔になっているの? いい話よ?
「神獣様が球体からお出になるそうです」
「なんと! もうそこまで回復なさったのか!」
さっきまで頭痛でもするのか頭を抱えていた宰相が、急に明るい顔つきになった。
悪天候の問題が解決したら、宰相の仕事がだいぶ減るんだろうな。
「まさか、その時に天候も?」
ハクスリー公爵に聞かれて私は首を横に振った。
「いいえ、さすがにまだそこまでは。球体から出て、外気の中でも問題なく過ごせるかの確認が先です。でもその時に、いつ頃天候が回復するかは発表されると思います」
「おお」
「種はもちろんですが、苗木を輸入しなくては」
「前国王夫妻が貯め込んでいた金と贅沢品を売り払った金で、必要なものを輸入しよう。これは予想より早く天候が回復するのかもしれん」
この話が広まったら、みんないっせいに天候回復の準備を始めるんだろう。
クロヴィーラやラングリッジ公爵領は、前はどんな天候の地域だったのかな。
梅雨はある?
夏は暑くて海水浴が人気になったりするの?
そもそも御令嬢は泳がないのかな。
いけない。私までついつい楽しいことばかり想像してしまって、結界強化が残っていることを忘れてしまいそう。
もうこの国は大丈夫だって空気になるのはいいことよ。
でも私や聖女にはこの後に大仕事が残っている。
それを成功させなければ、天候回復も無駄になってしまう。
聖女はどのくらい神聖力を使えるようになったんだろう。
この知らせがプレッシャーにならないといいんだけど。




