空の色 4
魔道灯のおかげで室内は明るいけど、必要最低限の物しか置いていないためにがらんとしている会議室で、私たちはフルンがクレイグを連れてくるのを待った。
人も物も全て入れ替えたせいで、カルヴィンたちが毎日仕事をしている部屋以外は、どこもこんなものだ。
ラングリッジ公爵騎士団がいた頃、魔力吸収の控室になっていた部屋も重傷者用の個室も、今は何もない空き部屋になっている。
「きみは自分の屋敷がほしいんじゃなかったのか? クレイグと結婚して彼の屋敷で暮らすほうがよくなったのかい?」
「カルヴィン、少しは落ち着きなよ。話はクレイグが来てからだ」
「アシュリー様、僕はクレイグの話じゃなくレティシアの話が聞きたいんです。兄としては心配になるのは当然ではないですか?」
「だからね、まだレティが迷っているみたいだから、僕たちとしてはクレイグの思っていることを聞いて、それでレティに判断してほしいんだよ」
さすが保護者。
私の望みをわかってくれている。
私だって、まさかこんな早く婚約話になるなんて思っていなかったのよ。
貴族の婚約は陛下の許可がいるって聞いたわよ。
その陛下はクレイグの父親なんだから、しかも私を嫁にする気満々なんだから、婚約するって話をして喜ばせておいて、やっぱりやめたとは言えないじゃない。
ここは慎重に考えさせてよ。
『何を? ぐだぐだ悩んでも答えはふたつにひとつなのよ』
うるさいのがまた出たーー。
『それってさ、悩んでいるんじゃなくて臆病なだけでしょ』
放っておいて。
臆病で何が悪い。
レティシアはまだ十六歳なのよ。焦る必要は全くないの。
『誕生日、そろそろよ』
そういう話をしているんじゃないでしょ。
十七歳だってまだJKなのよ。
『ここは日本じゃないわ。向こうの常識を持ち出しても、誰も納得しないわ』
……反論できない。女神が正しい。
私だって悩んでも無駄だってわかっている。
ようやくラングリッジ公爵領が自分の居場所だと思えたのに、婚約の話を断ったらあそこにはいられなくなってしまう。
公爵領だけじゃなくて、クレイグの隣だって居心地がいい。
わかっているんだ。私もクレイグが好きなんだ。
でもわかっていても、恋愛感情がすり減った後に幸せな家庭を続ける自信がないのよ。
自分も子供を不幸にしてしまうんじゃないかって考えてしまう。
「連れてきた」
フルンとクレイグが来たから話しかけないで。
重要な話なのに気が散ってしまうわ。
『つまんないの』
女神大好き大神官のところに行きなさいよ。
それかいい加減に聖女に話しかけてあげなさいよ。
「デリラ様が王宮に引っ越すそうだな。だったらレティシアをおまえの屋敷に住まわせるわけにはいかない」
カルヴィンが立ち上がって、ずかずかとクレイグに詰め寄った。
クレイグはまだ部屋に入ってきたばかりなのに、喧嘩腰で挨拶もしない。
「婚約すれば問題ない」
「レティシアはきみを愛していないのにか?」
カルヴィンがここまで怒っているのを初めて見た。
クレイグの胸ぐらを掴んで、今にも殴りそうだ。
でもクレイグのほうは落ち着き払っている。
ここに来る前にフルンに事情を聞いてきたんだろうな。
「愛? 何を言っているんだ。貴族の結婚に恋愛感情は必要ないだろう?」
クレイグの返答が意外だった。
最近はしょっちゅう惚れているだの、きみしかいないだのと言っていたのに。
「僕はそうでもレティシアは違う」
「同じだ。だが幸いなことに、ラングリッジ公爵家に一番ふさわしい神獣の巫子を、俺は本気で愛している。この国の誰より、俺はレティシアを理解して幸せに出来る」
……なんだ、そういう話だったのか。
ちょっと驚いて、そして一瞬がっかりしてしまった。
「勝手なことを言うな。おまえも陛下も、レティシアの気持ちを無視して囲い込もうとしていたじゃないか」
「何もしていないおまえたち家族のほうが問題だろう。こういう時ばかり口を出すな」
「なんだと」
「おまえは妹が奪われるようで寂しくて駄々をこねているだけだ」
「よくもそんなことが言えるな」
「ふたりともうるさい」
低い声で言いながら、がんと拳でテーブルを叩いた。
眷属がいるっていうのに、喧嘩しないで。
話し合いをするんじゃないの?
「今、まさに、私の気持ちを無視して言い合いしているわよ」
テーブルに手をついて体勢を低くして、目だけ上向けてふたりを睨み上げる。
カルヴィンは少しひるんだ様子で視線をそらし、のろのろと椅子に腰を下ろした。
感情的になりすぎたと自分でも思っているんだろう。
でもクレイグのほうはテーブルの横に来ても座らず、持ってきた黒い革のカバンを私の前にそっと置いた。
なんだろうと顔を見上げても、優しく微笑むだけで何も言わない。
それならばとカバンを開けてみたら、中から書類の束が出てきた。
「これは……土地の権利書?」
「なんだって?」
私の呟きを聞いて急いで立ち上がり駆け寄ってきたカルヴィンが、私の肩越しに書類を覗き込む。これってあれよね。自然豊かな土地と建物をほしいって、陛下に話したやつよね。
「バイエンスをレティシアに渡す気なのか!?」
魔力吸収するためにラングリッジ公爵領は一周ぐるりと回ったから、カルヴィンが驚いてクレイグに聞いた地名は私も知っている。
確か地形的に闇属性の影響をほとんど受けていなくて、神殿も力を入れて浄化してくれていたから他所より悪天候のダメージが少ない地域だ。
なんで神殿は力を入れて浄化してくれていたんだっけ?
あ、思い出した。名馬の産地なんだ。
ラングリッジ公爵騎士団が優れていると言われる要因のひとつが、名馬が揃っているからだって話を聞いたわ。
神殿もバイエンスの馬を使っているんだ。
「あの辺り一帯を全部レティシアに!?」
「ええええ!?」
それってつまり、名馬も、牧場も、放牧地も、全部私の物になるってこと!?
「駄目よ。もらえないわ」
「まずは話を聞いてくれ。俺はずっときみに自分の気持ちを伝えてきた。でもきみはいつも答えを誤魔化していただろう? ようやく俺を意識してくれてからもそれは変わらなかった。それで悩んでいる時期にデリラが王宮に行くことになって、母が……王妃がと言ったほうがいいのかな。領地に戻ってきてな」
「そうなの?」
「きみはここに戻っている時だったんで会えなかったんだ。その時に母に、おまえはレティシアが何を求めていて何を不安に思っているのかちゃんと理解しているのか。愛しているなんて口に出して言うのは誰だって出来る。でもそんな言葉を、今までずっとつらい思いをしてきたレティシアが信じられるはずがない。幸せにすると簡単に口に出す男に限って、相手が何を幸せと思うかわかっていやしないんだって言われてな」
すごい。さすがアニタ様だ。
「それで俺なりに考えたんだ。きみはずっと狭い部屋に閉じ込められていたんだろう?」
前侯爵を軟禁する時に事情を話したんだったわね。
レティシアがどういう幼少時代を送ったのか、クレイグはある程度知っているんだった。
「その時は魔力を押さえつけられているために体が弱くて、おとなしく閉じこもっていることしか出来なかったんだろう。この国では子供の頃は父親に、結婚してからは夫の身分や財力に頼らなくては女性は生きていけない。家を飛び出しても、生きてはいけなかった。でも今は違う。きみには力も行動力もあり、巫子という身分もある。それに力を貸してくれる人たちもいる。そこに自分の土地と屋敷と財力があれば、なにも不安に感じる必要はないはずだ」
「だからって……こんな……」
「今は俺の言葉を信じられなくても、これからずっと何年も一緒にいて本当だったんだなといずれ思えればいい。そうしてふたりで暮らしていけたら、その土地もどうせ俺達の子供が継ぐことになるんだから問題ない。俺は心変わりなんてしないし、きみじゃなくては嫌なんだ。うちの家族はもうきみを家族だと思っていて、母も婚約しなくても、他の誰かと結婚してもレティシアは私の娘のようなものだと言っていた」
うそ……やめて。泣きそう。
「レティシア、婚約しよう。ラングリッジ公爵領でたくさんの人がきみを待っている」
日本にいた頃の私は、気を張らずに安心して過ごす時間がほしくて、祖父母の遺産でマンションを買って安全地帯を作り上げた。
居心地がよくて大好きだった場所だけど、いつも私はひとりきり。
クリスマスも正月も、GWもお盆も、ひとりで部屋に籠っていた。
でも今は、ラングリッジ公爵領にはたくさんの人たちが、私を仲間や家族として迎え入れてくれている。
クレイグなんて、私だけが特別なんだと何度も言ってくれていた。
それでも不安で一歩を踏み出せない私のために、まさかここまでしてくれるなんて。
「おい、これは陛下もご存知なのか?」
「当たり前だろう。むしろ陛下は、婚約しなくてももうこの土地はレティシアの物だと言っていた」
「……そんなにレティシアを」
さっきまであんなに怒っていたカルヴィンがおとなしくなってしまっている。
「レティシア、夫を持つと思うから迷うんだ。この国最強の騎士団という戦力を持つ相方を手に入れたと思えばいい。きみのためなら喜んで戦う騎士たちだ」
クレイグが、こんなに私のことを考えてくれていたなんて。
私がぐだぐだと悩んでいた時に、クレイグは私が一番喜ぶプロポーズの言葉を考えてくれていたのね。
「レティシア、俺と婚約……」
でもそれはそれ。これはこれ。
改めて私に向き直り、プロポーズ……プロポーズよね? 何度目かの申し込みをしようとしたクレイグの腹に、おもむろに立ち上がった私は拳を叩き込んだ。
「うぐ……」
「なんでこんな大勢の人がいる前で告白するのよ! こんなシチュエーションでプロポーズするっておかしいでしょう!」
「……言われてみればたしかに」
カルヴィンも、私に言われるまで気づいていないってなんなの?
そりゃ嬉しいわよ。
嬉しいけど。
「レティシア、すまない。だが、ここにはきみの保護者が揃っているんだ。彼らにも納得してもらわないと駄目だろう」
「うーーーー」
でもそんなのは私の答えを聞いた後でよくない?
保護者の前で応えなくちゃいけない私の身にもなってよ。
「レティシア」
「わかったわよ。婚約するわよ」
たぶん顔が真っ赤になっている私を思いっきり抱きしめようとしたクレイグは、フルンに首根っこを捕まえられて、私から引き離された。
「こんな場所で抱きしめようとするな」
「そうだよ。あくまで婚約だからね。きみが結婚前に不埒なことをしないように、僕たちは目を光らせているから」
アシュリーまでこんなことを言い出すとは思わなかった。
「レティシア」
ああ……カルヴィンがしゅんとしてしまっている。
ようやく会えた妹が一年もしないうちに婚約は、兄としては寂しいものなのよね。
寂しいと思ってくれる兄か。
やだもう本当に嬉しくて泣いてしまいそうよ。
「やあね。婚約しても今までと生活は変わらないのよ? 神獣様のところに毎日通うからカルヴィンとも会えるじゃない」
「そうだな。……でも平気なのか?」
「え?」
「サラスティア様だけこの場にいなくて」
あ! ああああああ!
「やばい」
「いいだろう? いないあいつが悪い」
「ごねるだろうけどね。しかたないね。文句はクレイグに言ってもらおう」
「なんで俺?」
みんなの笑い声が重なって、ようやく場の雰囲気が和んだのに、不意にフルンとアシュリーが天井に目を向けて黙り込んだ。
「どうしたの?」
何か問題でも?
サラスティアに何かあった?
「そんな深刻な顔をするな。神獣様が話を聞いていらしたようだ」
「え?」
そりゃ、ここは神獣の神殿で、すぐそこに神獣のいる部屋があるんだけど、神獣も女神と一緒で覗きをするのか。
「大事な話があるから、全員来てくれとのことだ」
「俺もですか?」
「レティと婚約する気なら、神獣様にも許しをもらうのは当然だろう」
アシュリーに楽しげに肩を叩かれ、クレイグは肩を落としてため息をついた。
「レティシアには保護者が多すぎないか?」
確かに。