空の色 3
女神の説明によると、私と同等以上の魔力のある相手になら魔力を渡すことが出来るんだけど、人間にとっては無属性を自分の持つ属性に変換するのは、かなり体の負担になることなんだそうだ。
『神聖力に変えるのは割と簡単よ』
つまり聖女と大神官になら渡しても平気ってことでしょ?
結界強化の時の問題はこれで解決したわね。私が魔力を渡して、聖女が神聖力で結界を強化すればいい。
あとは普段の魔力吸収の時にどうするかよね。
……しかたない。私が自分で魔力を減らすしかない。
木刀を使って強化魔法を延々とかけながら修行すればいいだけのことよ。
三日に一回だけ神獣の元に行けばいいということになってしまったから、すっかり暇になってしまう。
今までが忙しすぎたんだけどさ。
これからは後回しにしていた体力強化や修行に、本格的に取り掛かろう。
もちろん休養も取って、みんなに心配をかけないようにしなくては。
ラングリッジ公爵邸に帰り部屋に戻って、上着を着たままでバルコニーに出た。
この世界に来てから毎日見ている灰色の雲が、今日も空を厚く覆っている。
あの雲の上にはどんな色の空があるんだろう。
国境での戦闘の時にチラ見せしたから、青い空なのはわかっているのよ。
青じゃなかったら、女神に苦情を言うところよ。
でも、青にだっていろいろあるじゃない。
季節によっても色が変わるのよね?
そもそもこの国にはどんな季節があるのかな。
地球と同じように太陽が見えるの? 月はさすがにないわよね。
神獣が予想外の早さで回復しているなら、青空を見られる日もそう遠くないはずだ。
朝日も夕焼けも星空も、見たことのない若者たちはどんな感想を持つんだろう。
「レティシア、戻っていたんだな」
隣のベランダにクレイグが出てきた。
え? 隣ってクレイグの部屋だっけ? 違うわよね。
「帰ってくる時に見かけたんだ。きみの部屋に入るわけにはいかないから、こっちのあいている部屋を通ったんだよ。そっちに行く。少し離れていてくれ」
「いや来なくても話せるし。そんな簡単に侵入できるのはどうなのよ」
私の話を無視するんじゃないわよ。
クレイグは私の胸のあたりまで高さのある手摺にひょいと上り、こちらのバルコニーに飛び移ってきた。
ひとつひとつの部屋が広いから、けっこう距離はあるのよ。
それにここは三階だから落ちたら怪我……しないで着地しそうだな。
本気でクレイグの身体能力が羨ましい。
私もやりたい。
「みんなにイレイヒの話をしたら、ものすごく喜んでくれた」
「そう。それならよかった」
そういえばその話があったわね。
「どうせなら雨の日に備えた食べ物や花が濡れないように、建物を作ろうかと思っているんだ。結界警備の時の休憩所を兼ねてもいいし、年に何回かは、そこで亡くなった者達を偲んで酒盛りが出来ればもっといい」
「おー、いいじゃない」
「きみが言い出してくれたおかげだ。亡くなった者達のことまで考えてくれるとは。みんな感激していたよ」
「違うわよ。私は生きている人が心配だったの」
天気が回復して、結界強化が成功して、平和な世界が続いたら、遺された家族たちは自分の息子や夫は国のために戦ったのに忘れられてしまったと感じるんじゃない?
きっと世間は聖女や私、クレイグは讃えても犠牲になった騎士たちのことまでは考えないだろう。
彼らだって新しい生活に必死なんだから、それを責めたりは出来ないわ。
「だから私たちは覚えているよって、態度で示せる場所は必要だなって」
「ああ、そうだな」
「それにほら……自我がなくなってしまう前に、本当の魔獣になってしまう前に人間として死なせてあげるために、仲間に手をかけた人がいるでしょう?」
「……ああ」
クレイグもそうなのよね。
仕方のないことだけど、恨む相手が違うとわかっていても、家族たちは怒りをぶつける相手がほしくて、クレイグに心無い言葉を浴びせたことがあると聞いた。
他にも何人も、もしかしたらもう少し待てばよかったんじゃないか、私や聖女が助けられたんじゃないかって、悔やんでいる人がいるみたいなの。
そんなことはないのよ。
時間的に無理だった。
でも、人は悔やんでしまうものなんだよな。
「そういう人たちのためにも、必要だと思ったの。さっきあなたも言っていたじゃない。故人を偲んで酒盛りできる場所にするって。いいと思う。それ以外にも故人に話しかけたり、時にはひとりで泣いたりできる場所になればいいんじゃないかな。そうやって少しでも心の中のわだかまりが取れて……」
不意にクレイグに抱きしめられて固まった。
背後から引き寄せられたり抱えられたことはあったけど、こうやって向かい合って抱きしめられるのは初めてだ。
いや……誰かにこうして抱きしめられるのは、初めてだわ。
子供の頃に親に抱きしめられたこともなく、彼氏がいたこともない私だから。
抱きしめられるって、こういう感じなんだ。
……悪くないかも。
「ぶっ飛ばさないんだな」
「ふん。この程度のことで動揺するような子供じゃないのよ」
「独身女性に触れたらいけないんじゃなかったか?」
「わかっているなら離れなさいよ」
「いやだ」
「……泣いているのかと思ったのよ」
勢いよく離れたクレイグは泣いてはいなかったけど、ひどく無防備な顔をしていた。
「泣くわけがない」
「そう? 泣くことは恥ずかしいことではないと思うけど」
溜め込むより、泣いてすっきりするほうが立ち直りが早いような気がするのは私だけ?
「きみは、まったく」
そんなガシガシと頭をかくと禿げるわよ。
あなたのナイトブルーの髪はとても綺麗だけど、そのさらさら加減は禿げやすいタイプじゃない?
ああでも、陛下は禿げていないわね。
この世界はそのへんも違うのかな。
「次から次へとそうやって、どれだけ俺に惚れさせれば気が済むんだ」
「ええ!? 私が何をしたって言うの?」
「俺だけじゃない。騎士や使用人たちも、すっかりきみを未来のラングリッジ公爵夫人だと思っているんだぞ。もう違う女性が来ても誰も納得しない」
「えええ!?」
「領地のためにこれだけいろいろ発案しておいて、驚くのはおかしいだろう」
いいアイデアがあれば話すでしょう?
つらい思いをしている人が目の前にいるのに、放置するなんて出来ないじゃない。
「もう遅いからな。責任を取れよ。きみがいなくなったら、俺はきっと一生独り身になってしまう」
「そんなわけないでしょう」
「ある。今までも好きになれる女性はひとりもいなかったんだ。きみのような女性じゃなきゃ駄目なんだ」
「もの好きにもほどがあるわ。他の男たちは私の姿を見ると逃げ出すのよ」
「ふん。そいつらが馬鹿なだけだ」
こんなふうに言われるのは嫌じゃない。
胸の中がくすぐったいような感覚になってくる。
「たのむから、そろそろ本気で考えてくれ」
「クレイグ、もう少し小さい声で話してくれない? ほら」
兵舎に続く中庭に面しているバルコニーで、大きな声で話していたから何事かと思って騎士が集まってきているのよ。
話している内容をどこまで聞かれたかはわからないけど、まだクレイグは私の肩に手を置いたままで向き合って話していたから、騎士たちがにやにやして見上げている。
「なんでこんなところでいちゃついているんですかー」
「レティシアに公爵夫人になってくれって頼んでいるんだ」
突然、なんてことを言うのよ。
「それは俺からもお願いします!」
「おお、巫子様が公爵夫人になってくれたら最高です」
「公爵は不器用だけどいい人なんですよ」
わいわいと騒ぐ騎士たちはすっかりみんな顔なじみで、なんとなくではあるけど性格も家族構成もわかっている人ばかりだ。
いつのまにかすっかり騎士団に馴染んで、この領地に馴染んで、居心地よくなってしまっている。
ここでは私を邪魔にする人は誰もいない。
むしろいてほしいと言ってくれている。
生まれて初めて、ようやく自分の居場所が見つかった気がした。
それから二か月。私はラングリッジ公爵領で平穏な毎日を過ごしていた。
まだ結界強化が終わっていないのに、こんなに平和でいいのかと思うくらい健康的な日々よ。
決まった時間に栄養をバランスよく考えてくれたクーパーの料理を食べて、徒歩で騎士団の訓練場まで出向いて強化魔法で手伝いをしながら、自分も体を鍛えつつ木刀を使って修練もする。
夜は十分な睡眠をとって、翌日はすっきりと気持ちよく目覚める。
日本にいた頃よりも健康的な毎日で、まだ十代のレティシアの体はどんどん健康になっていった。
背が伸びて体重が増えて、肌の色艶だっていい。
まだ多少細すぎるかなという体型だけど、筋肉も少しずつついて頬もふっくらとしてきたのよ。
「やっぱり綺麗な顔をしているのよね」
でも平穏な日々というのはそうは続かないものだ。
結界強化が終わっていないのに続いても困るしね。
聖女は何をのんびりと旅行しているんだよって、いろいろな方面から不満が出てくる頃に、デリラが王宮に引っ越すことになった。
「お母様が来てほしいって言っているの。お父様は忙しいし、王都にはいろんな地域から仕事を求めて人が集まってきているのに、今の状況じゃ仕事なんてなくて、住む場所もない人が路上に溢れているんですって。私はいちおう王女なんだから国のために動かなくちゃ」
「いいんじゃないか?」
クレイグは簡単に頷いたけど、私はそうはいかないのよ。
デリラがいたからまだよかったけど、クレイグだけしかいない屋敷に私がいてはまずいでしょう。
ともかく相談しないといけないので、神獣の神殿に行った時にカルヴィンを会議室に呼び出して話したら、
「すぐに帰ってきなさい。それか至急、屋敷を手配しよう」
非常に不機嫌な顔で言われてしまった。
眷属がいるんだから、訓練の時だけラングリッジ公爵領に行けばいいんじゃないかって、カルヴィンには前から言われていた。
私が母親に会いたくないのを知っているから強く言えなかっただけで、デリラがいなくなると聞いたら、そりゃ帰って来いと言うよね。
「クレイグを連れてこよう。それで結論を出せばいい」
私とカルヴィンのやり取りを聞いて、フルンが転移してクレイグを迎えに行ってしまった。
「カルヴィン、決めるのはレティだよ。我々眷属は彼女の意志を尊重する」
「……はい。わかっています」
眷属が私の気持ちを尊重してくれるのは嬉しいけど、クレイグと私が同じ屋敷で生活をしていたら、貴族たちは事実上婚約したものとみなすだろう。
もし、婚約もしていないのに男と女が同じ屋根の下にいた場合、悪い噂が立つのは女のほうだ。
私は噂なんて気にしないけど、カルヴィンの評判にも傷がついてしまう。
「きみはクレイグを愛しているのか?」
「それは……」
私は愛なんて信じていない。
そんなものは最初の盛り上がっている時期を過ぎたら消えてなくなるものよ。
そこから先も仲良くしているカップルは、恋愛感情以外の要素が揃っていただけだ。
日本で、一年に離婚するカップルが何組いると思っているの?
愛なんて幻想を私は求めていないの。




