しのぶれど 色に出でにけり 3
サラスティアは大神官と話をするというアリシアに同行したので、私は徒歩でラングリッジ公爵本邸に向かった。
「巫子様、お待ちしておりました!」
アリシアと話をしていた部屋を出たらアビーとエリン、そしてなんとなく見たことはあるなという印象の侍女がふたりも待ち構えていた。
この侍女たちはデリラの護衛なんだって。
戦闘侍女っていいよね。
屋敷の外に警護の騎士がずらりと五人も待っていたので、サラスティアがいなくても安全面には全く不安がない。
正面玄関に行くには屋敷の周りをぐるりと移動しなくちゃいけないし、門から建物まで少しは距離があるとしても、五分もあれば着いてしまう。
その五分のために、こんな人数の警護がついてぞろぞろと歩くのよ?
王女って大変だよね。
「じゃあ私は着替えたいから自室に行くわね。レティシアはお兄様の部屋に案内してあげて」
なんでクレイグの部屋?
「何を言っているの? 居間か客室で話をするわよ」
「ふたりで話をするのならどこでも同じじゃない?」
「ふたりじゃなくてヘザーも……」
「あの、申し訳ありませんがお嬢様の部屋のチェックや、衣装など足りない物がないか確認などやらなくてはいけないことがたくさんありまして……」
そういえば全部ヘザーがやってくれていたんだった。
休めと言いながら、山ほど仕事を与える私って嫌な上司の典型だわ。
「侍女を増やしましょう。カルヴィンに相談するわ」
「あら、うちでつけるわよ。侍女長、ヘザーの手伝いをする侍女をふたり選んで。信頼出来る子にしてよ」
「かしこまりました、デリラ様」
え? 私の侍女をラングリッジ公爵家がつけるの?
それってどうなの? 神獣の神殿かクロヴィーラ侯爵家がつけるもんじゃないの?
でもここはラングリッジ公爵家の屋敷だから、ここのやり方に詳しい侍女のほうがいいかもしれない。
侍女はこの屋敷内でだけ働くんだもんね。
外はヘザーとエリンとアビーが……って、エリンとアビーもラングリッジ公爵家の騎士だった。
なんてこと。いつのまにかラングリッジ公爵家に関わる人たちが、自分の近くにいるのが当たり前になっている。
結界を守るためにも魔力吸収をするためにも、ここで過ごすのが便利だからってここまで世話になっていいもの?
「やっぱり居間に呼んで。私もいちおうは独身の侯爵令嬢なの。それに見合った待遇をお願いしたいわ」
「ごめんなさい。もう私たちとあなたは親しいし、お兄様は何度もあなたの部屋で食事をしたり話したりしていたから気にしていないのかと思ってた」
「その時はフルンやクーパーがいたの。それか妖精たちがいたのよ」
「……そうなのね。ごめんなさい」
「次から気を付けてくれればいいの。居間に案内してもらえるかしら」
「はい。こちらです」
侍女長がいろいろと言いたげな表情で、私の前に立って歩きだした。
今のは侯爵令嬢らしい態度のはずよ。
デリラはすぐに私とクレイグをくっつけようとするから、気を抜いたら駄目なのよ。
ラングリッジ公爵家は居心地いいし使用人たちも私を大事にしてくれるけど、それで流されるのは違うでしょう。
気付いたら婚約していたなんて嫌だ。
……嫌よね?
別に他にいいなと思う男性がいるわけじゃないんだけどさ。
「こちらでお待ちください」
「ありがとう」
こじんまりとした家族用の居間に案内されてしまった。
これはどうなんだろう?
この世界の常識がわからないと、こういう時に判断出来なくて困る、
でもずっと滞在してお世話になってるのに、私は客だなんて言える立場じゃないよね。
そう考えるとさっきの私の態度も、よくなかったかもしれない。
自分に都合のいい時は散々お世話になっておいて、侍女までつけてもらうくせに、偉そうにデリラに文句を言うなんて。
デリラは王女で、この屋敷のお嬢様なのに。
侯爵令嬢として尊重して距離感を保ってもらいたいのなら、私も別邸に住むべきなのよ。
そのほうが眷属だって動きやすいんじゃないの?
いや、別宅を私が使えるようにするのも大変なのかな。
屋敷を貸せってずうずうしい?
椅子に乱暴に腰を下ろして、思っていたより体が沈んで斜め後ろによろめいた。
はあ、何をやっているんだろう。
私らしくないな。細かいことでぐじぐじ悩んでさ。
でもクレイグの部屋に行くって聞いて慌てちゃったのよ。
男の人の部屋になんて行ったことないから。
それで動揺してしまって……ああ、馬鹿だな私は。
「レティシア、待たせたか?」
う、うわ、まだ心の準備が出来ていないのにクレイグが来た。
「げ」
「げ?」
なんでシャツの前をちゃんと閉めていないのよ。
髪だってまだ濡れているじゃない。
し、知っているわよ。こういうシチュエーション。
知っているけど、いざ実際にその場面に遭遇すると、こんなになまなましいの?
「レティシア?」
「女性の前にそういう格好で来るんじゃありません! ボタンをとめなさい!」
「ああ、予定より早くきみが来たと連絡があったから、急いで来たんだ。ちょっと待ってくれ」
わざと筋肉を見せつける気なのかと思ったけど、素早く背を向けてボタンを留めだしたってことは、本当に急いできただけみたいだ。
道場に通っていたし海に行ったこともあるから、日本人の男性の上半身なら見慣れていてなんともないんだけど、クレイグの体って戦うための筋肉がしっかりとついているせいか熱を感じるというか、色気があるというか、意識してしまうというか……。
「これでいいだろう。……レティシア?」
「あ、ええ。そうね」
「何かいつもと様子が違うな」
「え? な、なにが? 話をするんでしょう? って、なんでこっちに来るのよ。あなたはそっちに座りなさいよ」
訝しげに私の顔を見ていたクレイグが、不意に口元を綻ばせた。
「そうか。ようやく俺が異性だと気付いてくれたか」
「はあ!? そんなの前から知っているわよ」
「いいや。今までは何を言ってもきみの感情を動かせている気がしなかった。目が合っている時だって、きみはちゃんと俺を見ていないような気がしてもどかしかったんだ。でも今日は違うな」
なに? 動揺がそんなに顔に出てる?
「俺の部屋に来たがらなかったのもそのせいか。男の部屋だもんな」
「あたりまえでしょう? 男の部屋にのこのこ……こっちに来ないで。話があるんだから向こうの椅子に座って」
「そんな身構えるなよ。突然抱きしめたりはしない」
「そういう態度なら話は出来ないわね」
クレイグの横をすり抜けて急いで扉に向かう。
いったん自分の部屋に行って落ち着こう。
今日の私はちょっとおかしいわ。
「待ってくれ。逃げないでくれ」
扉を開けようとした私の手がノブに届くより早く、背後から伸びてきた大きな手が、扉が開かないように押さえてしまった。
……近い。
すぐ背後にクレイグが立っているせいで、彼の体と扉に挟まれてしまっている。
風呂に入ったばかりのクレイグの体が熱くて、背中に熱を感じてしまう。
もしかして背中に胸がくっついていない?
胸だけじゃなくていろいろくっついてない?
これってパワハラでしょ?
あ、立場的には私のほうが上か。
「じゃあ痴漢だ」
「置換?」
この世界に痴漢という単語はないのか。
「クレイグ離れて。ぶっ飛ばすわよ」
「出ていかないのなら離れる」
「出ていかないから離れて」
ゆっくりクレイグが後ろに下がったので、油断なく身構えながら振り返った。
「距離感を考えろと前から言っているでしょ?」
「きみにまったく相手にされていなくても、俺がなぜ諦めないでいられたかわかるか?」
「……いいえ」
「きみはいつもぶっ飛ばすと言うけど、本気で俺に攻撃してきたことはないんだ。これが他の男だったら、間違いなく……待て。剣を抜くな。ほら、バフがかかっているじゃないか。それで本気で殴るのは危ないだろ」
ちっとも危ないって思っていないでしょ。
働きすぎて痩せている場合じゃない。
筋肉をつけなくては。
「悪い。きみが戻って来てくれて嬉しくてはしゃいでしまった。もう、今までのようには付き合えないかもしれないと覚悟をしていたんだ」
「どうなると思ったのよ」
「神獣省が使用人や警護を用意して、別邸に住みながら訓練の時だけ顔を合わせる」
ああそれ、さっき検討していたとは言えない。
「でも忙しかっただけなんだろう? また訓練もするんだよな」
「そうね。それに結界にも行きたいわ」
「危険だと言いたいが、眷属も一緒なんだろう? それにきみは闇属性も平気なんだよな。わかった。実際に自分の目で見るのはいいかもしれない」
話が早くて助かる。
「残念だな。すっかりいつものレティシアの顔に戻ってしまった」
「まったくもう。アリシアがいろいろ言うから意識しちゃったんだわ」
「……何を言ったんだ?」
おおおい、急にまた殺気立たないでよ。
なにその目つきは。
そんな顔でアリシアたちを睨んでたの?
「アリシアのオーラの話は知っているのよね」
「まあな」
「それであなたの私に対するあ……愛し方って言うの? 大事にしたいとか、守りたいとか」
うわ、恥ずかしい。
「アリシアがそう言ったのよ? 一途で他の女なんて全く眼中にない様子が素敵だったんだって。それなのに急に私がいなくなって気の毒だったって」
「へえ、いいことを言うじゃないか」
少しは否定しようよ。
開き直ってるでしょ。
焦っている私がおかしいみたいじゃない。
「でもよかった。変な虫がついたらどうしようかと思った」
「つくわけないじゃない。みんな、私の顔を見たら逃げていくのよ」
「あー、それは父……陛下が派手に粛清したからだな」
「粛清?」
「王宮できみに嫌がらせをした貴族たちに罰を与えたんだよ。額に印がついていたからやりやすいと言っていた。それに陛下が処分するまでもなく、娘を修道院にいれたり、息子を廃嫡した家もあったそうだ。きみがこわかったんだろうな」
後回しにしていたら、いつのまにか勝手に周りが動いてくれていたでござる。
素晴らしいわ。素晴らしいけど、そりゃあ怖がられるわ。
「顔色があまりよくないな」
テーブルを挟んでソファーに腰を下ろしながら、クレイグは不満げに眉を寄せた。
真剣な顔で見つめられると、つい視線をそらしてしまいたくなる。
この一か月間にいろんな人に会ったのに、ここまで印象的なまなざしの人はいなかった。
「おい、聞いているのか?」
「だから、ここに戻れないくらいに忙しくしていたのよ」
「死にかけたばかりだってことをすっかり忘れていないか? あれからまだ一か月ちょいなんだぞ」
ああ、そんなこともあったわね。
「それに領地にも帰っていたの。あの男が余計なことをしでかしてくれて大変だったのよ」
「あの男?」
陛下とクレイグには話しておこうってカルヴィンと相談して決めている。
すっかり勢いを取り戻したクロヴィーラ侯爵家と、功績をあげまくっている私をよく思っていない人間はごまんといる。
実の父親を幽閉したと知って、私たちの足を引っ張る口実に使おうとする人間が出る前に、必要な相手には事情を説明して対処しておかないとね。
「ただ幽閉しただけ?」
「え?」
「神獣様の世話役なのに何もせず、カルヴィンを学園に追いやり、きみを放置し、夫人を精神的に追い込んだ上に侍女に暴力。それで幽閉だけだと? きみが王宮に連れ出されて暴力を受けていたのに、オグバーンの好きにさせるなんておかしいとは思っていたんだ。あのくそ野郎」
「ありがとう」
「は?」
「怒ってくれてありがとう」
レティシアの代わりにお礼を言わせて。
きっと彼女がここにいたら嬉しかったはずだ。
「無関心はつらいものよ。だから彼を幽閉したの。そう遠くない未来に天候は回復するわ。でも彼は青空も星も、緑豊かな木々も花も見ることが出来ない。周りに取り残されてひとりで過ごすのよ」
「その前に狂って死ぬんじゃないか? だったら死なない程度に痛めつけて、のたうち回りたくなるような痛みが続く状態で幽閉してやればいいんだ」
なるほど。その手があったか。
そこまでは思いつかなかったわ。
「ああでも眷属に任せてあるから、アシュリーならそのくらいのことはしているかも」
「あまり興味なさそうだな」
私にとっては赤の他人で、日本で暮らすレティシアにとってもどうでもいい相手になったあの男なんて、生きていようが死んでいようがどうでもいい。
「また私の目の前に現れたり、誰かに危害を加えようとしない限りは眷属に任せておくわ」
「……そうか」
その日はアリシアたちや大神官、眷属たちも加わって楽しい夕食の時間を過ごした。
大神官は女神に不満を持つアリシアを気に入らないようだけど、聖女を指導する役割はちゃんと務めているようだ。
少し気になったのは、クレイグがアシュリーと話し込んでいたことだ。
クレイグには私の復讐は生ぬるく感じるのかな。
でも今は過去の復讐に囚われるより、早くこの国をどうにかしたいという気持ちのほうが大きいのよね。
この世界に来たばかりの頃は復讐が目的だったのに、自分でもこの変化は驚きだわ。