しのぶれど 色に出でにけり 1
領地でゆっくりと一晩過ごし、次の日の午後にラングリッジ公爵領に向かった。
ずっと忙しくしていたから、寝坊をしてのんびりと過ごし、時間をかけて食事をするという貴族としては当然の生活が新鮮。おかげで今日は肌の色艶がいつもよりいい気がする。
聖女と話すと聞いて、ラングリッジ公爵領にはサラスティアが同行してくれることになった。
女性だけの話の場にフルンやアシュリーがいるのはまずいもんね。
話をするといっても、黙って出かけてしまってひと月の間会えなかったことを謝ってお互いの近況を報告するだけなんだけどね。眷属たちはまだ聖女を信用していないみたいで、私ひとりで会いに行くのは駄目だと言われているのよ。
ヘザーもいるし、向こうにはいつも警護をしてくれる女性騎士たちもいるし、何より私のほうが腕力的にも性格的にも強いと思うのに。
……動揺した前科があるからな。
それにあちらには幼馴染の仲間がいたわね。
でも聖女と会うよりクレイグと会うほうが緊張するわ。
「聖女の住む別宅はここなのね。……充分にでかいな」
別宅なんて言うから貸し別荘のようなこじんまりとした洋館を想像していたのに、公爵家ってお金が余っているのか?
日本で豪邸と言われるたいていの建物より大きいわよ。
それになぜか屋敷の周りにたくさんの人がうろついている。
ほとんどが貴族か騎士で、冒険者もちらほら混ざっているみたいだ。
「彼らは何?」
サラスティアの転移で光と共に出現した私たちは注目の的で、一瞬何事かと近付こうとした者達もいたんだけど、
「み、巫子だ」
「うわー」
私の正体に気付いた途端に慌てて逃げだした。
「失礼だな」
冒険者はどこかで見たことがあるやつばかりだから、魔力吸収した中にいたはずよね。
それなのに逃げ出すって何さ。
貴族たちも私から距離を置いて、遠くの物陰まで移動している。
なんなのこいつら。どうしてくれよう。
「どうして今日も会えないんだ。私はハクスリー公爵家の次男なんだぞ」
そんな中、門番を相手にごねているせいで背を向けていて、私たちの出現に気付かなかった若い貴族が、頼みもしないのに正体を明かしてくれた。
細面の金色の髪のザ貴族という印象の若者だ。
傍に従者と警護の騎士まで連れて、聖女に面会を求めて断られるって恥ずかしいな。
「そこ、どいてくれない? 通れないのよ」
足を止め、後ろまで近づいて声をかけた。
「無礼な。この方は……巫子様!?」
「あ、いえこれは……」
巫子が国王と同格だという話がようやく定着しつつあるのかな?
公爵子息の警護だもんね。たいていの場合は強く出て問題ないから反射的に尊大な態度を取ろうとしたのに、すぐに私に気付いて態度を改めるなんて、いろいろと功績をあげたおかげで私も有名人になったもんよね。
まさかあなたたちまで、乱暴な女が来たぞとか、怒らせると処刑されるぞなんて思っていないわよね?
「ハクスリー公爵の御子息ですって?」
にっこりと微笑んで聞いたのに騎士は顔面蒼白で後退り、公爵の息子の背中にぶつかる一歩手前で、こちらを見たまま背中越しに声をかけた。
「デニス様、まずいです。デニス様」
ああ、彼はデニスっていうんだ。
何も聞かないうちに名前も知ってしまえたわ。
「うるさいな。今は……」
まったくもう。どいつもこいつも私の顔を見て青ざめないでよ。
いくらなんでも反応が大袈裟でしょう。
あれ? サラスティアがいなくなっちゃった。
まあいいわ。ヘザーとクーパーにとばっちりが行かないようにしないと。
「こんにちは。そこを退いてくれるかしら。聖女に用事があるのよ」
「せ、聖女に何かする気じゃないだろう……ないですよね」
おお、敬語を使う判断がつくのね。
「彼女とはお友達なの」
「へ?」
「他にもたくさんお客さんがいるみたいだけど」
大きな声で言いながら周りを見回すと、遠巻きに見守っている冒険者や貴族たちが白々しく視線をそらした。
「修行を始めたばかりで忙しい聖女に、会わせろと毎日押し掛けたら嫌われるわよ。それって彼女の迷惑を考えないで、自分の都合を押し付けているのよ。それに彼女は特別な女性なの。男爵令嬢ではなくて、この世界でただひとり、結界を強化できる聖女だということを忘れないでね。失礼なことをしたら」
立てた親指を自分の首にあてて横に切る仕草をしたら、冒険者たちは背を向けて一目散に逃げだした。
あの判断の早さのおかげで、彼らはここまで生き残ってきたんだろうな。
そしてきっとまた、怖い巫子の噂が流れるのね。
いっそ楽しくなってきたから鬼みたいな女だとでも広めておいて。
「で、あなたはハクスリー公爵家の名前を出していたみたいだけど」
くるりとデニスに向き直った。
「ひい」
デニスがびびるのはいいとして、彼の警護の騎士まで一緒に固まるのはやめなさいよ。
大きな男が四人でしがみつき合っている姿は気持ち悪いわよ。
「レティシア!!」
バタンという大きな音と私を呼ぶ声が同時に聞こえた。
「本当にレティシアだわ」
「うわーーーーん! レティシアーーー!」
な、なんなの?
デリラとアリシアとエイダが、競争し合っているような全速力で駆け寄ってくる。
アリシアなんて半泣きで、口を大きく開けて叫んでいるからせっかくの美人が台無しよ。
「巫子様! お戻りになられたんですね!」
「あ」
エイダが前を塞いでいたデニスを力いっぱい押しのけたので、不自然な姿勢で団子状態になっていた男どもがよろめいて、ひとりが石につまずいたせいもあってどたどたと地面に倒れた。
感心してしまうくらいに見事なコメディみたいな転び方だ。
剣って重いのよ。
脇差くらいの長さでも女性が片手で扱うのは大変よ。
それを両手に持って戦うってことは、エイダの腕力は男顔負け。馬鹿力ってことなのに、押しのけながらどさくさに紛れてタックルしたでしょ。
ほらー、もう聖女たちから嫌われているじゃない。
「忙しくて顔を出せなくてごめんね」
さすがに聖女がクレイグを気に入ったみたいだから、邪魔にならないように逃げましたとは言えない。
この大変な状況で何を考えているんだと呆れられてしまう。
「忙しかった?」
両手でガシッと私の腕を掴んで、アリシアはすがりつくような目で私を見上げた。
いやー、やっぱり美人だ。
男が群がる気持ちもわかるわ。
「被災地や自分の領地の魔力吸収をしていたの。いまだに沈んだままになっている町があるので、住む場所を亡くした人たちの健康も心配でしょ?」
「それで……あの、私のせいじゃなくて?」
「あなたの? なんで?」
「あ……あーーー、よかったーーー」
アリシアは胸に手を当てて大きく息を吐きだし、ずるずるとその場に座り込んだ。
「どうしたの?」
「ごめんなさい。私が余計なことを兄に話してしまったせいで激怒してしまって」
地面に座り込んで抱き合って喜んでいるアリシアとエイダを気の毒そうに見ながら、デリラが私の隣に並んだ。
激怒? クレイグが?
「あの、ほら、アリシアが兄が一番素敵だって言ったから、あなたが遠慮していなくなっちゃったんじゃないかって」
うう、バレている。
いや、ここは違うって態度を崩さないわよ。
クレイグもデリラも私より聖女がよくなって、邪魔にされるより先に離れようなんてちょっとでも考えたなんて知られたら、きっと怒られる。
「なんでそんなことを」
「だって、急にいなくなっちゃうんだもの。兄はすっかり落ち込んで兵舎から帰って来なくなって、たまに帰ってきたと思ったら、なんでレティシアがいなくなったのかわからないのかって何度も聞かれて……つい」
「もう滅茶苦茶こわいんです」
エイダまで半泣きだ。
「顔がもう、殺気に溢れていて。アリシアなんて怖くて神殿で生活したいって大神官に話してみたんですけど、神官たちに悪い影響が出るから駄目だって言われてしまったんです。大神官も冷たいんですよ」
超絶美人な聖女と可愛い冒険者がふたりも同じ屋根の下にいたら、神の教えに背く神官が出てくる危険は確かにあるよね。
もしかするとあの男のことだから、女神の神殿で聖女が生活するのは嫌だと思っていたりして。
「あの、中にどうぞ。こんなところで立ち話はいかがなものかと」
「そうね」
へえ、ドリスって魔道士というより魔法少女っぽくて可愛いのに冷静なのね。
最後にゆっくり近づいてきて、会話が途絶えたタイミングを見計らって声をかけてきた。
「ちょっと待て、聖女。こうして毎日のように訪ねているのに無視というのはどういうことだ」
デニスだっけ? まだいたんだ。
「修行中ですので会えませんと、最初にいらしたときにお話ししたはずです」
エイダに助けられて立ち上がったアリシアは、彼から距離を取って後ろに下がり、視線を合わさないで横を向いたまま答えた。
「この女……巫子には会うじゃないか!」
「女だからね。あなたさ、聖女に気に入られたいんじゃないの?」
アリシアが下がった分あいた空間に、大きく一歩で割り込んで立ち塞がると、今度はデニスが視線をそらしながら後ろに下がった。
「だったら、そんな態度では駄目よ。毎日押し掛けるなんて逆効果もいいとこ。安い男だと思われるわよ」
「俺は公爵家の……」
「それが安っぽいのよ。家柄以外にアピールポイントないの? 押せばいいってもんじゃないでしょ。相手の気持ちも少しは考えて」
あれ? 震えていない?
そんなに青ざめるほど私は怖いのか?
いや、視線が私の背後に……。
「なるほど」
げっ。この声は……。
「押せばいいってものではなかったのか。それで嫌われたのか」
「クレイグ」
ああ、確かに顔がこわい。
殺気立っているっていうほどではないけど、機嫌はとんでもなく悪そう。
でもひさしぶりに改めて見ると、やっぱりイケメンだなあ。
腕まくりしたシャツから見える腕の筋肉が、あいかわらず素晴らしい。
「ここの警護が手薄なんじゃない? こんなに男がたむろしていたら家から出られないわよ」
「ここは神殿の管轄だ。それに朝焼けの空に普段は警護はいらないと断ったのは聖女だ」
「そうなのね。じゃあ大神官に言っておく」
貴族より冒険者が心配よ。
アリシアと顔見知りもいるだろうから、あわよくばお近づきにって思っているんでしょう?
雇ってもらいたいだけならいいけど、手を出そうとしそうな男もいるわよ?
「……ひさしぶりだな」
クレイグが機嫌が悪くてもびびりはしないけど、避けていたと思われるのは恥ずかしい。
私は忙しかったということにしなくては。
「そうね。連絡もしないでごめんなさい。被災地を何か所も訪問して、自分の領地にも帰っていたのよ。それで忙しくて」
「ほお?」
「そのことで相談したいこともあるの」
「……」
「先にアリシアたちと話をしたいから、あとで……」
「あとっていつだ」
もしかしてクレイグの機嫌の悪さが私のせいだって、有名なの?
私を怖がって逃げていたんじゃなくて、私にかかわるとクレイグに何かされるかもしれないと思って避けられていたんじゃない?
咳払いすらしないで静まり返って、私とクレイグに注目するのはやめてほしい。
「一時間後? それに」
「……?」
「被災地の魔力吸収も終わったので、迷惑でなければ、またラングリッジ公爵家の屋敷に滞在させてほしいなあなんて」
「……かまわない。いつからだ?」
ん? 少し機嫌が回復した?
私が戻るから?
ちょっとわかりやすすぎるでしょ。照れるじゃない。
「今日から」
「そう……」
「お兄様は兵舎に泊まっているのよ」
急にデリラが横から話に割り込んできた。
「忙しいんですって。だから」
「もう忙しくない」
「えーーー、食事もひとりで食べていたじゃない」
「今夜から食堂で食べる」
「へーーーー」
恥ずかしいけど、嫌じゃない。
でも顔がにやけそうだからやめて。
「ふたりでじゃれないで。ともかくまずアリシアと話をしてから、クレイグにも相談があるの。兵舎に戻らないといけないなら、夕食前にでも少し時間をもらえるとありがたいわ」
「一時間後だとさっき言っていただろう」
忙しいんじゃないんかい!
「わかった。一時間後ね。あ、サラスティア、どこに行っていたの?」
視界の端が光ったので目を向けたら、ちょうどサラスティアが転移してきたところだった。
「王宮に行ってハクスリー公爵に、次男が聖女の迷惑になっているのを知っているのか聞いてきたのよ」
「おお、さすが」
「な、なんでそんな」
「息子が申し訳ないと謝っていたわ。ここにいるやつは全部」
言いながらサラスティアが手をひらりと揺らしたら、遠巻きにしていた貴族たちとデニス一行の姿が消えた。
「ちょうど今、王宮で会議をしているところだから、そこに飛ばしておいたわ」
うはー。
陛下や大臣も揃っている場所に、みんな転移で飛ばされたの?
怒られるだろうなあ。
「レティシア」
私の腕を掴もうとしたのか、クレイグは伸ばした手を空中で留めて、軽く握っておろした。
「一時間後だぞ」
「ええ。明日からまた訓練もしたいから、騎士団のみんなにも挨拶しなくちゃね」
「そうか。そうだな」
ようやく表情がいつものクレイグに戻った。
この何日間かいろんなところに行って、いろんな人に出会ったけど、やっぱりクレイグが……いや、何を考えているのよ。
ほら、筋肉好きとしては一般貴族はやわすぎてね。
私を見ると逃げるしね。
……あ、逃げるのはここにいた貴族たちだけじゃなかった。
クレイグのせいじゃなくて、やっぱり私がこわいのか。