臆病なゴリラ 2
『今のレティシア、いえ古賀由紀よ』
私の体なのに私じゃない古賀由紀であり今のレティシアだ。
少し伸びた髪を明るく染めて今風の髪型にカットしただけで、こんなに印象が変わるものなの?
可愛い服は似合わないと思ってパンツスタイルばかりだったのに、鏡の中の彼女はミニスカートと涼しげな淡い色合いのカットソーがよく似合っている。
けっして派手でもとびきりの美人でもないけど、流行を自分らしく取り入れてさっそうと歩く姿に振り返る人もいた。
『確かに美人ではないわね。でも魅力的だわ。少なくともゴリラじゃない』
「隣にいるのは誰?」
『彼が保護者よ。四十二歳の弁護士』
「だいぶ年上ね」
『保護者ですもの。でも父親の愛情を知らないレティシアは、それが父に対する想いなのか異性に対する想いなのかわからないまま、彼に惹かれているみたいね。彼はレティシアを娘のように思っているから叶わぬ恋になるかもしれないし、誰かが突然現れて恋に落ちるかもしれない。いいじゃない? 傷ついて悩んでも。誰かさんのように逃げ出すより』
「…………」
『あなたのこと、好きだった男性もいるのよ』
「え!?」
『でも冗談でしょって笑い飛ばされるのがわかっているのに、告白する勇気は持てなかった』
嘘でしょ?
私を異性として見ていた人がいるですって。
道場の仲間たちが連れてくる女性は、みんな可愛くてきらきらしていたのよ?
『その仲間の中にだって、あなたのことをちゃんと見てくれていた人もいるんじゃないの? 仲間や友人をあなたはちゃんと見ていたの? クレイグやカルヴィンをあなたはどんな子だと思っているの?』
「私は……」
何より衝撃的だったのは、私は自分が思っているよりずっと自分本位な人間だったことだ。
確かに告白なんてされたら、どうしていいかわからなくなって冗談にして逃げただろう。
そんな態度を取られて、相手が傷つくかもなんて考えもしなかったと思う。
傷つくのがこわくて、自分を守ることが最優先だった。
だから強くなりたくて、誰にも負けないようになりたかったのに、体は鍛えられても心は弱いままだったってこと?
「でも人は、優しいふりをして近付いてくるのよ。殺人事件もレイプも犯人はほとんどが知り合いなの」
『確かにそういうクズはいるけど、それはごくまれな話でしょ。カルヴィンが実はあなたを利用していると思う? クレイグは? すでに地位も権力も持っている彼が、あなたと結婚して得るものってそんなに多いと思うの?』
「彼は恩を感じているから……」
『恩を感じる前から、あなたを気に入っていたでしょうが』
私に女としても魅力を感じる人がいる?
クレイグが本気みたいだっていうのは、さすがに私だってわかっていたわよ。
家族全員であそこまで熱心に口説いてくるんだから。
でも異性として求められているなんて思う?
初めてこの世界に来た時よりはずいぶんましになったけど、御令嬢たちに比べたらまったく魅力なんて……。
『さっきと言っていることが違うわよ。美人になりそうなこの体を私だと言ったら、騙している気分になるって言わなかった? 言い訳を考えるのはやめなさい。受け入れるのがこわいの?』
「そんなことないわ」
『まったく。嫌われていると聞いて衝撃を受けるのならわかるけど、惚れられているって聞いて認められないっておかしいでしょ。クレイグに愛されるのは生理的に無理っていうならしょうがないけど』
でも、本気で惚れているってことは……本気で結婚したいと思っているってことは……あんなことやこんなこともしたいと思っているのよね。
嘘でしょ。
そういうことを考えながら私の傍にいたこともあるってこと?
『何を赤くなってるのよ。心配するのが馬鹿馬鹿しくなってきたわ』
「意識させたのは誰よ!」
うう……どんな顔をして会えばいいのよ。
「あの保護者は事情を知っているの?」
楽しげに笑い合いながら歩き去る二人が、雑踏に紛れて消えていく。
彼女が消えた東京の街は、私にはもう遠い異世界だ。
『知っているわよ。彼は人間じゃないもの。レティシアにあなたの代わりに仕事をしたり道場に行ったりできると思う? あっちの神が彼を使って問題が生じないようにしてくれたのよ』
向こうの神様にまで迷惑かけているの?
「そういえば聖女はどうしているの? もう結界強化の魔法は使えるようになった?」
『……』
「まさかまだ使えないの? 何かあった?」
『あの子は女神を信用していないのよ』
…………へ?
『子供の頃から見た目が美しすぎて大変な目に合ってきたし、悪天候のために人々が大変な思いをしていても助けてもくれない女神なんて、本当はいないんだと思っているの。べつに女神は人間のために存在するんじゃないのにね』
「他所の世界に行って、遊んでいたなんて女神を信用しろと言ってもねえ」
『うるさいわね!』
でもこれって深刻な問題よね。
「神聖力は使えるのよね?」
『ほんの少しね。あれでは多少作物の発育を促す程度よ』
一般の神官並みかそれ以下ってこと?
「会いに行ったほうがよさそうね」
『お願いするわ。あなたたまに詐欺師になれそうなほど口が上手いもの』
「褒めてないでしょ」
神獣の巫子の私が女神とこんなにしょっちゅう会話して、聖女は女神の存在さえ認めていないって立場がおかしいわよ。
聖女にも話しかければいいじゃない。
『私、女神なのって言って信じると思う?』
「その言い方で現れたら私も信じないわよ。大神官はどうなの? 最近頑張ってるじゃない」
『そうなの。さすがは私が見込んだ男よ。先が楽しみだわ。聖女も大神官のことは尊敬しているんだけど、女神を信じていない聖女とあの子が仲良く出来ると思う?』
「あーー」
どうすんだこれ。
せっかく順調に進んでいると思ったのに。
『……私は行くわ』
「突然ね」
『あなたは少し、自分のために使う時間を作りなさい』
確かに、自分を見つめ直す時間が必要なのかもしれない。
駄目だと決めつけずにおしゃれをしたら、私も普通に女の子に見えたんだ。
可愛げがないとか、その顔は誰に似たんだとか…………ああ、これは財産問題の時に親に言われた台詞だった。
情けない。
結局私はまだ引き摺っていたんだ。
待って。今、ノックの音が聞こえた気がする。
落ち込むのはあとにしよう。
「レティシア、いるかい?」
居間に戻ったら、ノックと共にカルヴィンの声が聞こえてきた。
「いるわよ。どうぞ」
がちゃっとドアを開けて部屋に入ってきたカルヴィンは、私の姿を見てほっとした顔をした。
「何度もノックしたのに返事がなかったから、倒れているのかと思ったよ」
ああ……心配してくれたんだ。
近付いてきて頭に手をやりながら顔色を確認するカルヴィンが、私を妹として大事に思っているのはもう信用している。
私にとって彼は唯一の家族だから、女神の様子で信用していいと確信が持ててよかった。
「背が伸びるのが一段落ついたみたいだから、何着か服を作ろうかなと思って向こうの部屋にいたの。それでノックの音に気付かなかっただけよ」
「そうか。それならいいんだ。……実はあまりよくない話を伝えなくちゃいけなくてね」
「なに?」
「父が……問題を起こしている」
「領地経営で何かやらかしたの?」
「いや、そっちはうまくいっている。そうじゃなくて、僕じゃたよりないからと一族の者が自分を頼ってくると思っていたのに、まったく誰も顔を出さないし、僕やレティシアの評判ばかりよくなっているだろう?」
そりゃそうでしょ。
あいつが当主だった時、一族の人達だってきっと世間から冷たい態度を取られてきたはず。
それがカルヴィンが学園から帰った途端に事態が急展開して、今ではクロヴィーラ侯爵は神獣省のトップに返り咲き、国王や公爵たちに信頼されて魔晶石にも関わっているのよ。
カルヴィンに気に入られようとする人はいても、今更あの男の機嫌を取る人なんているもんですか。
「きみが、僕だけだと不安だからとか話したのを真に受けたんだよ。でもようやく自分が追い払われたと気付いて、毎日イライラして、使用人に暴力を振るうようになったそうだ」
「はあ!?」
「しかも若い侍女に暴力をふるっている」
「最低」
モラハラだけじゃなくてDV野郎だったのか。
「どうせ、若い侍女を痛めつけて私を殴っている気になっているんでしょう。……このままにはしておけないわ」
「当然だ。すぐに領地に向かいたい。申し訳ないんだけど、眷属の誰かに転移をお願いできないかな」
「私も行くわ。どうせならそのまま滞在して魔力吸収しましょう。眷属の誰かに連絡を取らないと。リムはいる?」
「俺がいる」
フルンが居間のソファーにゆったりと座っていた。
まったく今まで気づいてなかったわ。
いつからいたのよ。
「私たちを領地に連れて行ってほしいの」
「わかった」
「ありがとう。カルヴィン、すぐに行ける?」
「しばらく滞在するなら準備がいる。ちょっと待ってくれ」
「じゃあ急いで準備して。ヘザーとクーパーにも声をかけて」
「まかせて」
廊下に飛び出していったカルヴィンを見送って、ゆっくりフルンのほうを振り返った。
「いつからいたの?」
「神聖力がいつもより高くなっているから様子を見に来た。女神がいたのか」
「……鏡の中に」
「そうか。無事ならいい」
話を聞かれたわけじゃないのか。
「ずけずけと心に刺さることを言われてしまったわ」
「……」
無言のまま片眉を綺麗に上げるフルンの様子が、洋画の主人公のようで思わず笑ってしまった。
「でも女神の言っていることは正しいし、指摘されて気付けたこともあったの。むしろすっきりしたかも」
「レティはよくやっている」
「うん。それはそうなんだけど、そういうことじゃなくて……」
恋愛についてだなんてフルンには言いにくいぞ。
保護者だと思っているせいかな。父親に彼氏の話をするのってこんな気分?
「聖女のこととか」
「あの女がどうした」
「いやいやいや、なんでそこでこわい顔になるの? 聖女が女神をあまり信用していないとか、神聖力がまだ使えないとか、そういう話もしたってだけよ」
「おまえに頼りすぎだろう」
フルンは私のことを第一に考えすぎよ。
カルヴィンが唯一の家族だなんて間違っていた。
私には眷属という保護者がいるじゃない。
彼らも家族みたいに大事な人たちだわ。
「侯爵の話は聞いていた?」
「ああ」
「あのくそ野郎をこのままにはしておけないわ」
「他のふたりにも連絡しよう。あいつをこのままにはしたくないと話したばかりなんだ」
神獣の世話役だったのに、全く役に立たないどころか、天候が悪化しているというのに知らん顔をしていたんだもんね。
眷属たちからしたら、私があの男を放置しているのが本当は不満だったのかもしれない。
「まだ必要かと思ったんだけど間違いだったわ」
「サラスティアが喜ぶ」
このままにしたら、いずれ私やカルヴィンの足を引っ張る存在になるだろう。
ここで決着をつけなくちゃ。




