臆病なゴリラ 1
聖女が見つかったのと神獣の回復が順調に進んでいるという話が広まったおかげか、翌日から魔力吸収に騎士団を訪れる人の数ががくんと減った。
冒険者ギルドや魔道省の庭に魔力測定の魔道具が設置されたのも大きい。
係の人に声をかければ、名前などを言わなくてもすぐに測定してもらえるという手軽さが受けて、試しに測定してみる人が多く、魔力吸収をして減った闇属性が増えていないと確認できたので、仕事を優先させる人が増えたんだそうだ。
そりゃね、ほんの数日で目に見えるほど測定値の闇属性が増える状況だったら、とっくにこの国は滅んでいるわよ。
聖女が来たおかげで重傷者の魔力吸収がなくなり、時間に余裕が出来たのだから、次の段階に進まないとね。
ということで私は、ラングリッジ公爵領の他の村で魔力吸収を行うことにした。
冒険者のおかげで大きくなった結界近くの街と領地境のいくつかの街以外は、ごく平凡な畑に囲まれた小さな村ばかりなので、一か所の魔力吸収の時間が短くて済む。
だったら慣れたメンバーばかりを厳選し、一日に複数の場所を転移して、並行して魔力吸収を行ったほうが効率がいいでしょう?
王都に行く時に置いていかれたヘザーがかなり落ち込んでいたので、彼女もメンバーに加わってもらって、料理人のクーパーにも同行をお願いして遠征部隊を作って動いたら、一週間かからずにすべての村を回り終えてしまった。
だったら次は近隣の領地に行くわよ。
実は近隣の領地にも痣が出来ている人が何人かいて、魔力吸収をお願いしたい人が、ラングリッジ公爵領の検問所まで来ていたというのは聞いていたのよ。
でもこれ以上人が増えると対応出来ないし、仕事がほしいからと居着いてしまう人も出てくるかもしれないということで、帰ってもらっていたんだって。
もちろんただ追い返したんじゃないわよ。
ラングリッジ公爵領の魔力吸収が終わったら、巫子の方から出向くから待ってくれという話をして、だいたいの日程は組んで手回しはしていたのよ。
二週間後くらいの予定だったらしいけどね。
大幅に短縮して、六日後には隣の領地にいたわ。
ラングリッジ公爵領の村々には村長や、いくつかの村を管理する役目を担当する貴族がいるし、隣の領地には領主の貴族がいるわけよ。
どの家も領民のために巫子が来てくれたら歓待しないといけないと思うでしょ?
でも私はそんなことは、これっぽっちも望んでいないのよねえ。
「巫子様、わざわざいらしていただきありがとうございます」
の挨拶から始まって、自分の家族の紹介をして、息子のひとりを案内役として同行させますのでってところまでがお約束。
巫子と息子を仲良くさせたくて頑張っている両親と、まったく興味がなくて迷惑なのに言い出せなくて顔が引きつっている息子という組み合わせを、何度も見ることになった。
せめて食事をご馳走させてください。
出来れば一泊していってください。
なんて話もあるだろうなというのも予想済み。
そこでクーパーの出番ですよ。
「私は前王太子に川に投げ込まれて死にかけましたでしょ? それに、魔力を無理やり抑え込まれていたせいで成長にも問題が出ていて、他の方と同じ料理は食べられませんの。それでいつも専属の料理人が同行してくれているんですよ」
と言って平和的にお断りするという作戦よ。
「神獣様の元に帰らなくてはいけませんので、宿も心配いりません。この後、いくつかの村で並行して魔力吸収するので、転移で移動しますから気になさらないでくださいね」
私がそう言うと、息子たちはほっと安堵の表情を浮かべるのよ。
せっかく聖女という美少女が現れたのに、なんで巫子の相手をしなくちゃいけないんだよって思っているんじゃない?
そうしていくつもの場所を転移して魔力吸収して、神殿に戻って神獣様に魔力を渡すとなると、ラングリッジ公爵家の屋敷に帰る意味がなくなってしまった。
警護の騎士は一日の日程が終わったらフルンが転移で送ってくれので、私が泊まる場所は神獣の神殿でもいい。
神獣省にはカルヴィンがいるから、打ち合わせをするのに便利でしょ?
眷属たちだって神獣の傍にいられたほうがいいんじゃないかな。
クロヴィーラ侯爵家だって嫌がらせをしていた侍女が一掃されて顔ぶれが変わったので、居心地がよくなったから、たまには顔を出すことにした。
夫人は私が会いたくないと思っているのを知っているので、私の生活区域にはやってこない。
伝えなくてはいけないことは、カルヴィンかタッセル男爵夫人を通して伝えてくる。
非常にありがたい。
母親面されたら、二度と屋敷に帰れなくなる。
「お嬢様、今日はもうお出かけはしないんですよね」
ソファーに膝を立てて座り、両手でカップを持つという令嬢にはあるまじき体勢をしている私を、テーブルにお菓子を並べながらタッセル男爵夫人は横目で睨んだ。
「今日はもうゆっくりするわ。ヘザーやクーパーを休ませてあげなくちゃね」
「何をおっしゃっているんですか。休まなくてはいけないのはお嬢様です」
「え?」
「身長はどんどん伸びてすっかり年相応になったのに、体重が増えていないじゃないですか。筋力をつけるのはおやめになったんですか?」
「ええ!? あんなに食べているんだから太ったでしょう?」
急いでカップをテーブルに置き、隣の着替え用の部屋に駆け込んで鏡を覗いてみた。
「うそ。また痩せた?」
手足の細さが一層際立っている気がする。
顔色が悪く、目の下に隈が出来ていた。
「背が伸びたので痩せて見えるんです。でもお疲れなのが顔に出ているじゃないですか。やらなくてはいけないことが多くて気が張っているから動けていても、いつ倒れてもおかしくないように見えますよ」
確かにこの世界に来てから、一日ずっと部屋でゆっくりしたのって三日くらい……だったかな。
食べてはいるし寝てもいるので、健康的な生活をしている気になっていたわ。
「わかった。災害地にも顔を出せたし一段落ついたから、少しペースを緩めるわ。休む日も増やす」
「そうしてください。お菓子を食べてくださいね」
「そんなに食べられないわよ」
いかんなあ。心配をかけてしまっている。
ヘザーがきっと私の生活を報告しているんだろうなあ。
よし、明日もゆっくりしよう。
今のところ順調に魔力吸収が進んでいるんだから、焦る必要はないのよ。
『で? いつまで聖女から逃げる気なの?』
「なんの話?」
いつものように頭の中に女神の声が響いたので、答えながら居間に戻ろうとして偶然視界に入った鏡に女神の姿が映し出されていた。
相変わらず美しい。
聖女が完璧な美貌だなんて思っていたけど、女神は別格だわ。
人間とは違う存在だって、本能が教えてくれる。
『その割に私の扱いが雑よね』
「誰のせいよ」
鏡の中の女神はしばらく無言で私を見つめた後、額に手を当ててため息をついた。
『無意識だったのね。そうね、言い方を変えましょう。聖女がクレイグがいいと言ったから、彼と距離を取ったのよね?』
違うわよ。忙しかったのよ。
ラングリッジ公爵領以外の場所にいるのに、わざわざあそこに行くのはおかしいでしょ?
だったら、神獣の神殿やクロヴィーラ侯爵家に泊まるのは当たり前じゃない。
『それじゃあ、出会って楽しく会話して別れたのに、次の日からいっさいあなたに会えなくなった聖女が、どんな風に思っているか考えた? 聖女が現れた途端、あなたがラングリッジ公爵家からいなくなってしまって、クレイグがどう思うか考えた?』
「……え? だって、本当に忙しくて」
『忙しいのなら忙しいと、なぜ彼らに伝えないの?』
私がラングリッジ公爵家に住んでいたのは、それが一番効率がいいからでしょう?
出かける時に他所の領地の魔力吸収に行くってことは……直接は話していないけどそれは……タイミングが合わなかっただけで。
聖女がクレイグを好きなら、私がいないほうが都合がいいだろうし……。
『なぜ聖女がクレイグを好きだと、あなたが出ていかなくてはいけないの? あなた。クレイグをなんだと思っているの? 前から言おうと思っていたけど、彼の気持ちはガン無視なのね』
なんで女神が怒っているの?
私がやるように言われたのは神獣の回復と結界の強化でしょ。
『聖女が現れたら、自分は必要ないと思われるんじゃないか。みんな、聖女のほうがいいと言って、自分の周りからいなくなるんじゃないかって思っていたでしょ。あなたは彼らの何を見ていたの? そういう人たちなの?』
「それは……でも私なんかより」
『なんか? 他のことでは勇ましくて潔くて前向きなのに、そういうところは臆病なのね。親に捨てられた私なんかが、誰かに特別な存在だと思ってもらえるわけが……』
「そんなこと思っていない!」
やめてよ。そんなんじゃない。
復讐して、もう私は吹っ切ったの。
親を求める年齢なんてとっくに過ぎているのよ。
『じゃあなんなのよ。あなたの何が聖女より駄目なの?』
「私は前の世界にいる時から女だと思われたことなんてないのよ。ゴリラ扱いなの。レティシアが可愛いから勘違いしている人がいるだけで」
『待って。あなたこそ勘違いしている。鏡をちゃんと見て。レティシアの顔が可愛いと思っているのはクレイグとカルヴィンくらいよ。あとはあなたの生きざまとか考え方とか行動力とか、人間として魅力的だと思って惚れ込んでいるのよ。見た目は関係ないの』
さりげなく失礼じゃない?
レティシアは可愛くないって言ってるんでしょ?
『そんながりがりで、ひょろっと背だけ高くて、目が落ちくぼんで隈が出来るような生活をしているあなたが悪いんでしょ。もう少しは見た目を気にしなさいよ』
「それは悪いと思っているわよ。レティシアに預かった体なんだから大事にしないとって」
『違うわよ。預かったんじゃないの。交換したの。それはもうあなたの体なの』
そう言われても、おそらくそれなりに健康的な体型になったら、美人になりそうなレティシアの体を私ですって言うのは、相手を騙しているような気分になってしまう。
日本ではゴリラ扱いされるような、平凡で可愛げのない顔をしていたのよ?
『しょうがないわね。じゃあ特別に見せてあげるわ』
鏡の中の女神が消え、まばゆい光が溢れ出した。
眩しくて目をきつく閉じ、腕で目を守る。
そして、車のクラクションの音が聞こえてはっとして目を開けた。
「……日本?」
片道二車線の道路の両側に、雑居ビルや百貨店、私も知っている有名な店が並んでいる。
目の前を絶え間なく車が横切り、歩道を涼しげな服を着た人たちが行き来していた。
空は青く、多少風が強いのか道を歩く人がたまに髪が乱れるのを気にして頭に手をやっている。
「どこの街? ああ、天気がいいのね。日差しが眩しいくらい」
なつかしい。
涙が出るくらいに懐かしいけど、でも意外なことにまったく帰りたいと思わない。
この世界で私は特別な立場にいて、眷属や貴族や王族なんていう超VIPと親しく出来ている。
日本にいたら経験できない日々を過ごし、魔法だって使える。
誰だって今の私の立場になったら優越感を刺激されるだろうし、物語の主人公になったみたいでちょっとは楽しいだろう。
ちょっとはね。
その分責任重大で、やらなくてはいけないことが山積み。
まったく遊ぶ時間がなくて、毎日健康に気をつけながら働いている。
いい点と悪い点を比較したら、どっちが多いと感じるのかな。
でも魔力吸収のためにいろんな土地に出かけるようになって、天候悪化と結界から溢れる闇属性と、それによって生まれた魔獣のせいで、平民がどれほど大変な思いをしているかを知ることになった。
湖になってしまった街や、洪水で全てが流されて財産も家族も失ってしまった人もいた。
公爵たちや一部の貴族が避難先を用意し、復興という仕事を与えたおかげで彼らは生活できているけど、貴族たちの財産がこのままではなくなってしまう。
だから神獣省で魔晶石を輸出して、そのお金を復興に当てて、貴族が私財を投げ出さなくても済むようにしなくちゃいけない。
他にもいくつか商売を起こして外貨を稼いで現状を乗り切らなくては。
『この光景を見てそんなことを考えるなんて、あなたはすっかり巫子になったのね』
「そういえば、この風景はどうして?」
『道路の向こう側を歩く人を見てごらんなさい』
「向こう?」
車の交通が多くてよく見えないのよ。
あ、信号が変わったのかな。車が止まって向こう側の歩道が見やすくなって……。
あそこを歩いているのは私?
いや、レティシア?




