巫子派? 聖女派? 1
クロヴィーラ侯爵家までは馬車で向かった。
歩いて行ける距離なら歩きたいところなんだけど、御令嬢は徒歩で出かけたりはしないのでしかたない。
「ときどきは屋敷に帰っていることを、周囲に知っておいてもらったほうがいい」
ってカルヴィンにも言われたので、フルンに付き合ってもらって馬車に乗ったのよ。
「馬車で出入りしたら、私だってわからないんじゃない?」
「今うちは注目されているからね、見ている人は必ずいるさ。たまに窓から外を見る感じで顔を見せておいてくれよ」
めんどくさーーい。
私がどこでどうしていようが、赤の他人には関係ないでしょうが。
そんなに暇なら災害現場にでも行って働きなさいよ。
実際、クロヴィーラ侯爵家の紋章のついた馬車が通ると、屋敷の門の外で警備に当たっている兵士がこちらに注目するし、店の前で話していた侍女や店員たちもこちらを見てくる。
どこかの侍女らしき女性と目が合ったから笑顔で会釈したら、その女性は興奮した面持ちで隣の侍女の腕を引っ張っていた。
「王族をまとめて処刑に追い込み、国境紛争を最前線で戦って鎮静させ、魔素病を治せる女性となれば注目されるのは当たり前だろう。それに眷属の存在も大きい。巫子は三人も人外の美形を従えているって話題になっている」
従えてなんていないわよ。
守っていただいているの。保護者なの。お世話になっているの。
「神獣様の巫子なんだ。注目されて当然だ」
屋敷に着いてからも注目されることに変わりはなかった。
私たちが帰ることは知らせてあったので、玄関ホールに執事や侍女がずらりと集まって出迎えてくれていて、ラングリッジ公爵家と同じだなと感心していたら、初めて見る侍女や侍従たちが私をじっと見ていた。
どの顔も好意的なのが意外だ。
巫子は怒るとこわいって聞いていないのかな。
「俺は出かけてくる。戻るまで屋敷を出るなよ」
「はーい」
一緒に馬車に乗ってきたフルンは、屋敷に着くとすぐにふらりと姿を消してしまった。
サラスティアのほうは神殿に残ったから神獣様の傍にいるのか、どこかに出かけたのか不明だ。
私をひとりにするということは、屋敷内は安全だってことよね。
「お嬢様、おかえりなさいませ」
「タッセル男爵夫人、すぐに王宮に出かけなくちゃいけないので準備をお願いできる? ヘザーはラングリッジ公爵家に置いてきてしまったの」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
タッセル男爵夫人の存在が大きいなあ。
この屋敷で唯一信頼できる人だ。
彼女ならカルヴィンの世話をする人間の人選を、しっかりやってくれただろう。
「母上」
「おかえりなさい。巫子も一緒なのね」
奥からゆっくりと出てきた夫人は、ゆったりとしたドレス姿で穏やかな表情をしていた。
気のせいかな。ちょっと顔つきが変わった気がする。
そういえば私のことを巫子と呼んだわね。
「母上も王宮に行く準備をお願いします。聖女が見つかったんです」
「まあ。……どんな子なの?」
「僕はまだ会っていません。レティシア、どんな子だい?」
夫人もカルヴィンと同じように、眉をひそめている。
聖女の存在が与える影響に警戒しているんだろう。
「とても苦労してきた人なの。見惚れるくらいに美しい人よ」
「……そう。あなたを傷つけようとする人間がきっといるわね」
「レティシアの身分を考えたらそんな奴らはどうにでも出来ます。僕が傍にいてそういうやつらの相手をしますよ」
「巫子が負けるとも思えないしね」
カルヴィンと夫人の関係は良好みたいね。
父親とはぎくしゃくしていたように見えたけど、でも引継ぎやら領地経営やら話し合わなくてはいけないことがたくさんあったから、それなりにうまく付き合っているようだし、私がいなければクロヴィーラ侯爵家は平穏にやっていくのかもしれない。
「すぐに用意するわ。地味にしたほうがよさそうね」
「……夫人は、少し雰囲気が変わったわね」
「え?」
「あ、嫌味とかじゃなくて、顔つきが穏やかになったというか、前より理知的な雰囲気になったというか」
母親にいう台詞じゃないな。
使用人たちはそれぞれの仕事に散っていったからいいけど、私と夫人の会話を聞かれるのはまずいかも。
「たぶん……あの人がいないからだわ」
あの人? 前クロヴィーラ侯爵のこと?
「あの不機嫌な顔を見なくて済むと思えるだけで、こんなに晴れ晴れとした気持ちになれるなんて思っていなかった。あの人にはずっと、なんの取柄もないくせにクロヴィーラ侯爵家に呪いを運んできた女だって言われていたのよ」
あのモラハラ男。
家族全員を攻撃対象にしていたのか。
夫や父親としての責任も果たさず、家族を守りも出来ないくせに。
「私のせいではなかったとわかって、いえ、そんなのよく考えれば当然だと今はわかるの。でもあの頃は全ての人間が敵のように感じられて、実際そうだったしね。しっかりと物事を考えられなくなっていたわ。あ」
夫人は私のほうを見て、慌てて首を横に振った。
「私は悪くないなんて言う気ではないのよ。私は愚かで弱くて母親失格だって、今は心から申し訳なく思っているの。だから私に出来ることは何でもするつもりだし、それで許してもらおうなんて思っていないわ」
「…………そう」
だったら、私を見て寂しい顔をしないで。
今更仲のいい親子になんてなれないわよ。
「準備をしてくるわね」
表情は晴れやかだったけど、前に見た時より彼女の背中は細くなっていた。
親しくしていた侍女たちは全てやめさせられて、夫は領地に帰ったまま。
子供たちは彼女を憎み、この屋敷にひとりでいる時間が一日のほとんどを占めている。
それでも夫がいないほうが生きやすいと思うほど、夫婦仲は最悪だった。
家はさ、仕事で疲れたり嫌なことがあった時に、心から安心出来て落ち着ける場所であってほしいじゃない。
精神的に追い詰められる場所にいなくてはいけない苦痛を、前クロヴィーラ侯爵のせいで家族の全員が味わっていたなんて、ますますあの男が嫌いになったわ。
王宮へも馬車で移動することになり、私はフルンとサラスティアのふたりと一緒に馬車に乗った。
王宮から連絡が来たと聞いて急いで支度を済ませていたら、いつのまにかフルンとサラスティアは揃って屋敷の私の部屋で寛いでいた。
カルヴィンには悪いけど、夫人と同じ馬車に乗らなくて済んで助かった。
あの気まずい雰囲気で狭い馬車に乗っているのは苦痛でしかないわ。
王宮でも注目の的であることには変わりがない。
フルンが馬車から降りて、どこからともなく現れたアシュリーと合流した時には馬車の中までどよめきが聞こえてきた。
「ご覧になって。クロヴィーラ侯爵家の馬車よ」
「まあ! あの方はどなた?」
「静かに。あの方が神獣様の眷属でしょう?」
裁判の場には女性はあまりいなかったので、初めて眷属や私の姿を見る人が多いのか。
それにしてもこの見物人の数は何?
「レティ、先に降りる?」
「そうする」
最後にみんなの目の前に現れるのは嫌だ。
今まで気にしなかったけど、美形三人衆に囲まれている私ってかなりみじめなことになっているんじゃない?
今日はタッセル男爵夫人とふたりの侍女が磨き上げてくれて、薄く化粧もして髪も編み込んで、いつもよりは見られる姿になっている。
ローブも戦場で着ていた服と普段の服が同じではおかしいと、カルヴィンとタッセル男爵夫人とで幾分色が明るく、飾りの刺繍が多いローブを用意してくれていた。
「……あの子が巫子? 意外と普通の子ね」
「細いな。本当に王太子を倒したのか?」
「周りの眷属がやったんだろう」
はいはい。なんとでも言ってちょうだい。
私の周りにはわかってくれる人がたくさんいるから、事情を知らないやつらに何を言われても気にしないわよ。
だからカルヴィンもフルンたちも機嫌の悪そうな顔をしないで。
こういう時はスルーが一番よ。
「もう聖女は陛下と謁見しているのよね」
「そうよ。ラングリッジにいた人は、みんなまとめて王宮に送り届けたわ」
「謁見の間で聖女のお披露目が行われるんだそうだ。こっちだよ」
夫人をエスコートしたカルヴィンの後ろにフルンにエスコートされた私が続き、その後ろにサラスティアとアシュリーがリムとブーボを肩に乗せて歩いた。
謁見の間にはいれるのは高位貴族と重要な役職に就いている人間だけなので、さっき騒いでいた人達や、廊下にたむろしている人たちは中にはいれない身分の人達だ。
「カルヴィン、この時期に仕事もないのに王宮にいるやつらはなんなの?」
「聖女や巫子と親しくなれば、早く魔素病の治療や復興の手伝いをしてもらえるんじゃないかと期待している人か、何をすればいいかわからないやつらだろう」
「でもああいう人たちの横の繋がりは馬鹿に出来ないのよ。不満を抱かせるより、相手を選んで恩を売って味方を作るのは大切なことよ」
短い期間でしっかりと社交界での地位を築いているだけあるわね。
忙しいカルヴィンの代わりに、夫人がクロヴィーラ侯爵家の広報担当になっているのよ。
聖女の登場によって相手の態度がどう変わるか、変わらないのか、今日はよく状況を見なくてはいけなくて、ダニーや神獣省の人間も何人か今日は会場にいるんだそうだ。
そんなに警戒しなくてもいいと思うんだけどなあ。
私はともかく、神獣の眷属を敵に回す馬鹿はいないでしょ?
謁見の間って王族が座る場所以外何もないがらんとした空間だった。
普段はもっといろんなものが置かれているのかもしれないけど、今日は大勢の人間が集まるので片付けたのかもしれない。
高位貴族だけと言っても側近や部下を連れてくるのはいいみたいで、偉そうな人間の周りにはセットで何人も人がくっついている。
私にも眷属がセットでくっついているからそれに文句はないんだけど、ひとりも公爵家の人がいないのが気になった。
もしかして先に聖女に会っているのかな。魔晶石を勝手に売り捌いていた件で話し合う必要があるもんね。
「これはこれはクロヴィーラ侯爵家の皆様ではないですか」
知り合いと挨拶していたカルヴィンや夫人に声をかけてきたのはマクルーハン侯爵だ。
私は知り合いなんていないので、眷属に囲まれて雑談していただけよ。
身分的にマクルーハン侯爵は私に声をかけられないから、同じ侯爵のカルヴィンに話しかけて、そこから私と話そうと思ったんだろうね。
敵意がちらちらと見える目を私に向けている。
彼の後ろには同じ年代の男性がふたり、馬鹿にしたような笑いを顔に張り付けて私を見ていた。
私を侮辱したら眷属が怒るのに、そんな危険を冒してまでいったい何がしたいんだろう。
「神獣省は順調に仕事を再開できたようですな。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「それに聖女様が見つかったとか。これで国も安泰でしょう。いやめでたい」
そんな簡単に安泰になるわけないでしょう。
まだこれからやらなくちゃいけないことが山積みなのよ。
「聖女様にはお会いしましたか? たいそう美しい女性だとか」
「まだお会いしていません」
「そうなのですか? 独身のクロヴィーラ侯爵としては気になるところではありませんか? 聡明で優しい女性だという噂を聞きましたよ。女性はやはり穏やかで気立てのいいほうがよろしいですからね」
ちらちらとこっちを見ないでよ。
ここで私が暴れたら、被害者面して私を悪者にする気でしょう。
おあいにくさま。
日本人の場の空気を読むスキルと、仕事中のうわべだけの愛想のよさは世界一だぞ。
「私、聖女に会いましたよ」
マクルーハン侯爵に冷ややかな目を向けている眷属の間から、満面の笑顔で彼らに近付き話しかけた。
「見惚れるくらいに美しい女性なんですよ。声も可愛らしいんです」
「ほお」
引くんじゃないわよ。あんたが話を振ったんでしょ。
「まあ巫子様がそんなふうにおっしゃるのなら美しい方なんでしょうね」
「このあとのお披露目が楽しみですな」
うん。声が大きすぎたね。
この場で聖女に会ったことがあるのは私だけだもんね。
そりゃ注目されるわな。
「聖女様は魔素病を治せるそうですね」
「そうですよ。変形してしまった重傷者も治せるんです」
「……でしたら、領地には聖女様に来ていただいたほうがいいですね。優しい聖女様がいらしてくだされば、領民も喜ぶでしょう」
「そうですな。マクルーハン侯爵の言う通りです」
「何度も魔力吸収してもらわなくてはいけないというのは、病人の負担になりますからな」
ふーん。そういう言い方をするのね。
「その言い方は」
「いいのよカルヴィン。聖女と私とで分担しなくては国中を回ることは出来ないわ。それに聖女に来てほしいという土地に無理に行く気はないもの。私の予定は神獣省で管理してくれるんでしょう?」
「そうだ。ダニー、レティシアの予定からマクルーハン侯爵の領地は外してくれ。そちらのふたりの分もな」
「他にも聖女に来てほしいという方がいたら申し出てください。あとで神官に連絡して予定を決めますから」
マクルーハン侯爵の言葉などまったく気にしていないという顔で、周囲の人達にも声をかけた。
実際、こういうことを言い出すやつが出るだろうなんて予想の範囲内だし。
「巫子様!!」
「おお! 本当に巫子様がいらした!」
周りにいる人たちを笑顔でぐるりと見まわしていたら、遠くから大きな声がして屈強な戦士が五人も嬉しそうに駆け寄ってきた。
「まあ、みなさんもいらしていたんですか? では、ギレット公爵もいらしているのね」
五人とも国境地帯で一緒に戦った戦士たちのいる領地の貴族たちだ。
会議の席や砦で何度も顔を合わせているので、話をする機会もあったのよ。
「国境ではお世話になりました!」
「いやあ、巫子様と大神官様のおかげでうちの領地は作物が育ち始めましたよ」
「また少し背が伸びたのではないですか? どんどん美しくなられますなあ」
「こちらがクロヴィーラ侯爵ですか。お会いできて光栄です!」
「あ、ああ。レティシアがお世話になったそうで……」
声が大きいな。
ごついおっさん五人に嬉しそうに話しかけられて、カルヴィンてば腰が引けてるわ。