ラングリッジ公爵家と冒険者たち 1
開け放たれていた正面玄関からさっそうと出てきたのは、金色の髪の小柄な女性だった。
クレイグやデリラのナイトブルーの髪は父親譲りなのね。
でも瞳の色は母親譲りかな。
とても綺麗なコバルトグリーンの瞳がまっすぐに私を見ていた。
彼女の後ろに続いてデリラを中心に右に細身の男性が、左には三十代くらいの侍女の制服を着た女性が出てきた。
執事と侍女長かな。
背筋を伸ばして無表情で歩いてくる姿は、公爵家に仕えているという誇りが感じられる。
クロヴィーラの侍女長と執事のイメージが強くて、彼らとうまく付き合っていけるか心配だ。
神獣省の制服にしたローブ姿で来たのはまずかったかな。
当たり前だけど夫人もデリラも綺麗なドレス姿なのに、私は砦にいた時と同じ格好だ。
……まあいいや。どうせすぐに魔力吸収するんだし、居心地が悪いようならカルヴィンと早めに新居を探しに行こう。
「ようこそ、巫子様」
階段を降り切った夫人はまっすぐに私に近付きながら微笑みかけてきた。
優しく温かい微笑だ。
「家族みんなから話を聞いて、早くお目にかかりたいと思っていたんですよ。こんなに可愛らしい方だったなんて」
いえいえ、夫人のほうが可愛らしいですよ。
デリラより背が低くて華奢で、笑うとぐっと若く見える。
「アシュリー様、フルン様、おひさしぶりです。ようこそお越しくださいました」
夫人も眷属とは顔見知りか。
以前から眷属は、結界を守るラングリッジ公爵家とは接する機会があったのね。
ただフルンやアシュリーって、知り合いが意外と多い癖に誰に対しても親しい雰囲気が感じられないんだよなあ。
あ、大魔道士がいたか。
彼だけはアシュリーと仲が良かった。
「こちらへどうぞ。部屋をご用意しております。眷属の方々のお部屋もありますのでお荷物はそちらに運ばせましょう。お疲れなのではないですか? 昨日、国境で戦闘をしたばかりだとお聞きしましたよ? 巫子様が出来るだけ居心地よくいられるようにしなくては」
じーっと私を見ていたのは、顔色が悪いと思われていたのかな?
国王やクレイグが私を嫁にしたがっているというのは、デリラから聞いているのよね?
それに関してはどう思っているんだろう。
「お気遣いありがとうございます。体調は大丈夫なので、荷解きは侍女に任せて私はさっそく魔力吸収を行いたいと思います」
「これからすぐ?」
驚いて目を見開くと、瞳が大きいせいか更に可愛らしく見える。
国王がべた惚れするはずだ。
「お母様、レティシアはこういう性格だって話したでしょう?」
「それはそうだけど、こんなに可愛らしい方だからあなたが大袈裟に言っていたのかと思ったのよ」
いったいデリラはどんなことを話していたのかな?
「「「おかえりなさいませ」」」
クレイグが先を歩き、夫人とデリラに挟まれて屋敷に入ろうとして、目の前の光景に驚いてしまった。
新しい領主であるクレイグを出迎えるため、左右にずらりと屋敷で働く人たちが並んで頭を下げていたからだ。
うわー、漫画や映画で観たことある。
本当にやるんだ。
建物の内装もすごいな。
クロヴィーラ侯爵家でさえ私にとっては豪華すぎて落ち着かなかったのに、ここはもうスケールが違う。
玄関の先には左右に階段があって、半円を描いて踊り場で合体して、そこからはひとつの広い階段になって二階に続いている。
そんなデザインを作れるほどに一階の天井が高いのよ。
この家の二階は日本のマンションの三階くらいの高さにあるんじゃない?
左手には大きな暖炉があって、両側に西洋風の甲冑が並べられている。
暖炉の上に並べられているのはどれもお高そうなものばかりだ。
「ふわー」
後ろから、ヘザーが思わず漏らした声が聞こえてきた。
驚いているのは私だけじゃなかったか。よかった。
「出迎えご苦労。紹介しよう。彼女が神獣様の巫子のレティシア嬢だ。クロヴィーラ侯爵家の御令嬢であり、国王と同等の権限を持つ女性だ。くれぐれも失礼のないように」
私からも何か言ったほうがいいの? よろしくとか?
注目されてしまって、どうすればいいか全くわからない。
こういう時はあれよ。
日本人のほとんどが持っているスキル、曖昧な笑顔で誤魔化す発動。
「後ろにいるヘザーは男爵令嬢で巫子の侍女、クーパーは料理人だ。巫子は無理やり魔力を抑えられていたため、まだ体調が回復しきれていない。クーパーは体調管理のためにクロヴィーラ侯爵家にいるころから巫子の料理を作ってきた。ここでも巫子の食べるものは彼に作ってもらう」
ここにいるのが全ての従業員ではないかもしれないけど、ざっと見た感じでは痣がある人がちらほらいるだけで、それほど症状の重い人はいないみたいね。
今までは回復手段がなかったから、痣があるって大問題だったんだけどさ。
「魔力吸収は食堂で行います。準備をしていますのでそちらに案内しますわ」
ああいけない。
公爵夫人に会う緊張と、屋敷のスケールの大きさに圧倒されてしまっていたわ。
「あの!」
「はい?」
「ここに重傷者の方はいますか? 変形している箇所のある方です」
「いいえ。街やこの屋敷は結界からそれなりに距離があるので、ここで生活している者達はまだそこまでは病状が進んでいません。重傷者はほとんどが冒険者ですわ」
結界近くで魔獣退治を請け負っている人たちか。
彼らが魔晶石を採取してくるおかげで魔道具が使えているんだ。
「騎士団の皆さんの魔力吸収は一通り終えているので、もう重傷者はいませんよね? その冒険者の人たちもこちらで魔力吸収するんですか?」
「騎士団本部の医療施設に重傷者は入院させました。それ以外の人は予約制にしてその時間に来るように伝えてあります」
素晴らしい。
日本の病院のシステムをここでも活用することにしたのが、ちゃんと伝わっているのね。
冒険者って荒くれ者も多そうだから、あまり待ち時間を多くしたくない。
「ではまず、重傷者の魔力吸収をさせてください。一刻でも早く治療を行いたいです」
うへ。いっせいに注目を浴びてしまっている。
何かまずいことを言った?
「じ、重傷者は何人くらいでしょう?」
「五十人くらいですわ」
冒険者はMPポーションを使えるのかな?
ひとり一回ずつの魔力吸収なら……。
「では、さくっと重傷者の魔力吸収を行って二時間くらいで戻ってきますので、その後でこちらのみなさんの魔力吸収を行います。昼食の後、一般外来の魔力吸収を行うという予定でお願いします」
「ええ!? 一日でそんな大勢を治療出来るんですか!?」
「ひとり一分かかりませんし、手伝ってくれる騎士のみなさんは手際がいいので問題ないですよ」
「重傷者はひどい症状で、冒険者なので乱暴です。警護はつけますけどこれからすぐに向かうことにして本当に大丈夫ですか?」
ああ、ここにいる人たちは重傷者の痛みに苦しむ様子や、自我があるうちに殺さなくてはいけないことを知っているし、実際に目にしているのか。
国王だって重傷者だったしなあ。
それで私が重傷者がたくさんいる場所に、平気な顔で行こうとしていることに驚いたのか。
「もうすでに騎士団の重傷者の方は魔力吸収したので慣れています。みなさん、元気になっているじゃないですか。治療出来るとわかれば、誰もが協力的になる……夫人!?」
「…………」
ぽろっと夫人の瞳から大粒の涙がこぼれて頬に落ちた。
「まあ、お母様! どうなさったの?」
「お礼を……まず一番にお礼を言わなければいけなかったのに、私ったら」
ハンカチで乱暴に涙をぬぐい、夫人は私の右手を両手で包み込むようにして跪いた。
「夫の命を救ってくださってありがとうございます。それに、多くの騎士たちが元気な姿で戻ってきてくれて、我が騎士団が、家族の人たちがどれだけ救われたことか。巫子様、ありがとうございました」
「いえいえいえいえ、魔力をみなさんからいただけたおかげで、神獣様の力がだいぶ取り戻せているのですから、救われたのは私も同じです。立ってください、夫人。そんな困ります」
「ありがとうございます」
「私の息子も治していただいたんです」
「巫子様、ありがとうございます」
うわーー、従業員までいっせいに頭を下げたり跪いたりしないで。
私は魔力がほしかっただけなの!
そりゃみんなが元気になっていくのを見るのは嬉しかったけど、そんな大層なもんじゃないのよ!
「クレイグ、みんなにやめるように言って。祈ってる人までいるわ」
「それだけ感謝しているってことだ。その気持ちは受け取ってくれ。きみはすごいことをしているんだって自覚がなさすぎる」
「それは女神様と神獣様のおかげで、私はすごくはないし……」
いえ……こんなことは言ってはいけないのかも。
脳内女神と話をして神獣や眷属に守られているのだから、すごくないわけはないんだ。
特別扱いされるのも感謝されるのもちゃんと受け止めないと、この人たちがもやもやした気持ちになってしまうのかも。
それにこんなふうに感謝してもらえるのは嬉しいんだから、それはちゃんと伝えなくちゃいかないのでは?
「わかりました。みなさんにそう言ってもらえて私も嬉しいです。そしてみなさんにも不安のない生活を送れるようになってほしいわ。でもしばらくここでお世話になるのに、そんなふうに特別扱いされてしまうと居心地が悪いので、普通に接してください。お願いします」
「ごめんなさい、巫子様。取り乱してしまって」
「レティシアって呼んでください。巫子様というのはどうも……。夫人はもうこの国の王妃様なんですし」
「ああ、そうでしたわ。あの人がいつの間にか国王になんてなっているから、妙な肩書をつけられてしまったのよね。私はここで勝手に暮らしているほうが気楽なのに」
お?
「では私のこともアニタって呼んでくださいな。あの人は手がかかる患者だったでしょう? クレイグも付き合うのが大変でしょう?」
「母上」
私の前では笑顔だけど、たぶん気のせいではなく、実は夫人は国王にお怒りモード発動中なんじゃない?
だって国王が神獣の神殿に来た時には、いつ自我がなくなるかわからなくて殺してくれって言うような状態だったのよ?
夫人は、もうこのまま夫に会えないかもしれないって覚悟を決めて、国王を王都に送り出したんでしょ?
それなのに元気になっても夫は帰って来ないで、いつの間にか国王になっていて、王妃になったからよろしくって手紙か伝言かは知らないけど、本人と会えないうちに話が進んじゃったんでしょう?
そりゃ怒るさ。
国がこんな状況だし、王族と結婚した時点で多少は覚悟していたとしてもさ、国王には夫としての誠意が足りない。
クレイグもクレイグよ。
このままでは母親がかわいそうだって思わないの?
「騎士団本部は、向こうに屋根が見えるだろう。あの建物だ。医療棟はここからは見えないな。本部と訓練場を挟んだ先にある」
「はあ」
クロヴィーラ侯爵家にも騎士の宿舎や訓練施設はあったはずなんだけど、当然ながら私は行ったことがない。
確か王都に留まっていい騎士の数は決められているので、騎士団本部はどこも領地に持っているってカルヴィンが言っていたから、王都の建物はもっとコンパクトなんだろうな。
「あそこまでは歩いていくと……」
「七分もあれば着く」
「七分? 七分!?」
日本のうちのマンション、最寄りの駅から歩いて七分よ?
あの距離を歩くくらいに敷地が広いの!?
そこの当主が私を嫁にする気でいるって、どうなってるのさ。
「ここから結界近くの駐屯地に騎士が派遣されて、交代で任務に就いているんだ」
「そうなのね」
今はそんなことで動揺している場合じゃなかった。
「ではさっそく始めましょう。一般の人は午後からの診察の予定なら、その時間まで魔晶石を取りに行きたいわ」
「それは俺たちがやる」
フルンにローブのフードの部分を引っ張られて仰け反った。
「何でも自分でやろうとするな。ここではゆっくり休むと言っていただろう」
ああ……また私のいけない癖が出てしまった。
信用している相手には、頼るべきところは頼らないと。
無理をしたら迷惑をかけることになるって学んだじゃない。
「わかった。そっちはまかせるわ」
「では転移しよう」
「ちょっと待って。体力をつけるためには歩かないと。七分くらいなら……」
待って。一刻を争う患者もいるかもしれないわ。
「最初の魔力吸収は少しでも早いほうがいいわね。転移をお願い。帰りからは自分で歩く」
「ふーん」
「七分くらいは歩けるわよ」
「何も言ってないだろう」
その疑いのまなざしは言っているのと同じでしょう。
一緒にいる時間が長いから、フルンの微妙な表情の違いを見分けられるようになってきたわよ。
「夫人」
今までひとことも話さず、庭や室内の様子をぶらぶらと眺めていたアシュリーがふらりと戻って来た。
「よかったら王宮に連れて行こうか? 転移ならすぐだよ」
私も転移を使うことは考えていたのよね。
これからどうするか夫婦で話す時間は必要よ。
でももっと喜ぶかと思ったんだけど、アニタ様の反応はいまいち薄い。
アシュリーの申し出には答えずに考え込んでしまっている。
「お母様、そうしていただきましょう?」
心配したデリラがアニタ様の腕に手を添えて言うと、アニタ様は首を何度も横に振った。
「いいえ。お気持ちはありがたいのですがやめておきます。屋敷の者達の治療が終わらないうちに王宮に行く気はありません。私はこの屋敷の責任者として、皆をこのまま置いてはいけませんわ」
まっすぐにアシュリーを見てきっぱりと言った。
「お母様……」
デリラは納得いかないみたいだけど、私はアニタ様の気持ちがわかるような気がする。
アニタ様が行くんじゃなくて国王が迎えにくるべきじゃない?
そりゃ国の復興は大事だ。
国王の仕事は忙しいだろう。
でも転移なら十分くらいでも時間が取れれば、アニタ様に会えるってわかっているでしょ。
そのために私や眷属に頭を下げるくらいのことはするべきよ。




