奇跡のオンパレード 3
「ともかく離れて。巫子がか弱いと思われるのは嫌なの」
クレイグの肩を押してひとりで立とうとしたら、ぐらりと地面が揺れたように感じた。
「危ない」
揺れを感じたのは私だけってことは、これは地震じゃなくて私がおかしくなっているってことね。
思っていた以上に体調が悪いみたいだ。
眩暈だけではなく吐き気もしてきた。
ここで倒れたら迷惑をかけてしまう。
「レティ?」
「あ、戻ってきてくれたの?」
サラスティアの声が聞こえたので、情けない声を出してしまった。
「真っ青じゃない。フルンのやつが、あんな無茶な馬の走らせ方をしていたから心配だったのよ」
「吐きそう」
「たいへん。クレイグ、彼女を連れて先に戻るわ。フルンとアシュリーには最後まで働いてから帰ってくるように言って」
「わかった。レティシアをたのむ」
「あなたに言われるまでもないわ」
サラスティアが私を支えて転移してくれたのは神獣の神殿だった。
正直ありがたい。
ここなら周囲を気にしないで休める。
洗面所に駆け込んで胃の中身を全部吐き出し、顔を洗ったらだいぶすっきりしたけど……、
「うわ、最悪」
鏡に映った顔がひどい。
肌が青白くなって目元に隈が出来ている。
夜中に鉢合わせたら、誰もが亡霊だと思ってしまうような顔だ。
「そうだ。飴ちゃんをクーパーにもらってた」
戦場ではまともに食事も出来ないかもしれないから、すっきりする飴と糖分を摂取出来る飴を用意してくれたの。
私の料理人は出来る男よ。
「生き返る……」
口の中に広がる甘さが嬉しい。
戦場にいるという緊張と計画通りに奇跡を起こせたテンションの高さのせいで、心身ともに疲れ切っていることに気付かなかったのかもしれない。
いい加減この体には、まだ無理は出来ないんだっていうことを覚えなくては。
「どう? 大丈夫? 着替えを用意したわよ」
「サラスティア、ありがとう」
ヘザーはクロヴィーラ侯爵家で私が結界に行くための準備をしてくれているし、アビーとエリンは砦にいる。
いつもは大勢いる騎士たちも、一足早くラングリッジ公爵領に出発したので神殿は静まり返っていた。
「血の匂いが駄目だったのかも。そこに馬の振動で気持ち悪くなっちゃった」
「あなたは無理をしすぎよ。あれだけ奇跡を起こしてみせたんだから、戦場にまで行くことはなかったのよ」
「神獣様を敵に回すとどうなるのか見せつけたかったの」
「いつも神獣様のことを考えてくれるのね。それは嬉しいけど、あなたのことを私たちが心配していることも忘れないでね」
「うん。眷属の三人は私にとっては家族みたいなものよ。あなたたちとカルヴィンだけは一緒にいて安心出来る」
着替えるのを手伝ってもらって髪を結い直してもらうと、だいぶ気分がよくなった。
吐いたのがよかったのかもしれない。
「カルヴィンのこと、兄だと思えるようになったのね?」
「うーん、兄妹とは思えるんだけど兄とは違うのよね」
「同じことじゃないの?」
「本当は私のほうが年上だし」
「あーー、そうだったのね」
かといって弟って感じでもないのよね。
兄でも弟でもなく、年の近い兄弟って感覚。
だからお兄様って呼ぶのは違和感があって、家族というより仲間って感じ。
「そういえば敵から奪った魔晶石があるのよね。せっかくだし神獣様に魔力を渡しましょう。だいぶ力を使ったでしょ?」
「またそうやって働こうとする。休まないと駄目でしょ」
「大丈夫よ。吐いたらすっきり。それに魔晶石から魔力を取り出して神獣様に渡すだけなら、椅子に座ったまま動かなくても出来るでしょ」
「……たしかに、どのくらいの魔力を渡せるか確認したいわね」
サラスティアと頷き合い、いそいそと神獣の眠る空間に移動した。
敵から奪った巨大な魔晶石は、入り口近くの地面に無造作に転がしてあった。
これ、買ったらとんでもなく高いんだからね。
「ここでは遠いわね」
「まかせて」
サラスティアが魔晶石を浮かせて、神獣様の眠る球体の近くに地面に並べてぶっ刺してくれた。
私の身長より高い水晶に似た濃い紫色の魔晶石が、柱のように並ぶ様子は神秘的ですらある。
魔晶石なら魔力の取りすぎを心配する必要がないから、魔道具は必要ない。
右手を神獣様の眠る球体にぺたりと当てて、左手を魔晶石に当てて、吸収する傍から神獣様に渡していった。
魔力は私の体を通過していくだけだから、ろ過装置になった気分よ。
「やっぱり魔力が循環すると、体内が綺麗になるのかもしれないわ。だいぶ元気になってきた」
「顔色もよくなってきたわね」
「あ、もう壊れた」
魔力のほとんどを失った魔晶石はパリンという涼しげな音をたてて砕け散った。
「この破片にもまだ魔力を感じるわね。何かに使えるかも」
「水害の被害にあっているところにあげたらどう? 灯りにしたり、入浴に使えるんじゃない?」
「それはいいわね」
敵が物資を運んできたと聞いて、フレミング公爵が大喜びで部下を砦に向かわせたって聞いたから、この魔晶石だって使い方を考えてくれるはずよ。
これだけの魔晶石があれば、多くの人の生活が改善されるかもしれない。
「この短時間にこれだけの魔力を渡せるのはすごいわね」
あっという間にもらってきた魔晶石を空にしてしまう様子を見て、サラスティアが感心したように呟いた。
「そうね、人から魔力をもらう時は取りすぎないように気を使っているし、何人分も集めないといけないから時間がかかるのよ」
それでもだいぶ効率よく出来るようになったんだけどね。
魔素病の治療にもなるから、そのやり方も続ける必要があるけど……待って。
魔晶石なら王家とラングリッジ公爵領にたくさんあるんでしょ?
それをもらってくればいいんじゃない?
今までの王家への貸しを考えたら、ごっそりもらっても文句を言えないでしょ。
でもこの前は、そろそろ魔力を渡す量を減らして、神獣様が自分で魔力を作り出せるようにしたほうがいいかもしれないって話もあったのよね。
どうなんだろう。
「神獣様!?」
突然、サラスティアが叫んだので、慌てて球体に張り付いて中を覗き込んだ。
『純度の高い魔力だ。人間の物ではないな』
しゃ、喋った! 神獣が喋った!!
目も開いている。
女神にもらったブレスレットと同じ色だ。
『魔晶石か。体力の回復が早いはずだ』
「神獣様!?」
『レティシア、おまえの頑張りには頭の下がる思いだ』
「あ、私はレティでお願いします。レティシアの存在は忘れたくないので」
『……そうか。ではレティ。ありがとう』
うわーー、最近は少しは毛並みがよくなってきたとは思っていたけど、まさかこんなに早く話が出来るとは思っていなかったわ。
感動で泣きそう。
「神獣様、あまりお話しになると体力が」
『そう心配するなサラスティア。この球体の中にいる分には問題ない』
「問題大ありです。そこから出てきてもらわなくては困るんですから」
『それは……まあそうか』
神獣ものんびりしてるな!
世界がやばいっていうのに大丈夫なのか?
「ちょっとお聞きしたいんですが」
「レティ、そんなにべったり球体に張り付かなくても聞こえるわよ」
「あ、そうなのね。そろそろ渡す魔力を控えたほうがいいんですか? 今回魔力を渡すのに使用した魔晶石は、王家やラングリッジ公爵領にたくさんあるので、それをもらってきて一気に魔力を渡すことも出来るんですよ」
『それはいい。もうこうしてじっとしているのも飽いた。確かに自分で魔力を循環させ作り出していくようにしなくてはいけないが、それはあとからゆっくりやればいい』
「そうなんですね。わかりました!」
よし。ならば王宮に行って国王に掛け合って来よう。
『だが無理はしなくていいぞ。巫子の立場が悪くなってしまっては困る』
「まさか。王族への貸しを考えたら、このくらいはかわいいおねだりですよ。ふっふっ」
「レティ、悪い顔になっているわよ」
ということで、すっかり元気になった私はサラスティアと一緒に王宮に転移した。
いやあ、モモンガ軍団は優秀だったわよ。
すぐに私からの手紙を国王に運んでくれたので、すぐに面会出来たんだもの。
フレミング公爵にも手紙を渡したので、大急ぎで魔晶石の破片を取りに部下を連れてやってきた。
「すごい。これだけあれば多くの人が助かる。最近魔晶石の価格がどんどんあがって困っていたんだ」
結界の影響が強くなったせいで、魔晶石を取りに行く人が減ったんだって。
でも私は大丈夫。
私は闇属性の影響を受けないし、帰ってすぐに魔力吸収すれば同行する人が魔素病に罹ることもないので、いくらでも魔晶石を取り放題よ。
「いいだろう。魔晶石を安く市場に流してくれるのなら、好きなだけ持って行ってかまわない。神獣様の力を一刻も早く取り戻してくれ」
さすが新国王は話が早いわ。
「だがその前にクレイグをここに連れてきて一緒に領地に行ってくれないか? きみたちだけで行くより話が早いだろう。それと、これからも出る魔晶石の欠片の管理は神獣省に任せよう。カルヴィンを呼んでくれ」
うわ、神獣省にまで仕事をくれたわよ。
巫子の私が取ってくるんだから神獣省が管理するのは……まあありといえばありなのかな。
魔道省や商人ギルドとの連携が必要だろうな。
「きみの父親は意外と商売がうまいからな。カルヴィンの手助けになるさ」
「はあ」
「そんな顔をするな。ああいうタイプはおだてて仕事を任せておいたほうがおとなしくしているぞ」
たぶん私と両親の関係がよくないのに気付いているわね。
裁判の席にいれば、私が一度も両親と会話していないどころか目を合わせていないこともわかるもんね。
はっきりと口にして問題にする気はないけど、あの両親は神獣の巫子に嫌われているんだってことは、貴族たちに浸透させたいからこれでいい。
その足で国境の砦まで戻って、主だった人達にサラスティアが事情を説明してくれた。
私の説明じゃ要領を得ないかもしれないじゃない?
最近、自分への評価が駄々下がりよ。
ラングリッジ公爵領に着いたら、少しはゆっくりしよう。
そして体力をつけよう。
「そうか。祝宴に参加してもらえないのは残念だが、魔素病で苦しんでいる人たちのことを考えるとそうも言っていられんな」
倒れている敵兵はフルンとアシュリーが次々と敵国の国境近くに転移したので、敵の被害状況はよくわからないそうだ。
生死くらい確かめてくれればいいのに、目覚めたら仲間の死体と一緒に山積みにされていたなんてトラウマの経験をした兵士がいたら気の毒だ。
こちらは負傷した兵士が数人いただけで済んだし、ラングリッジ公爵騎士団は全員無傷だった。
フルバフかけたのに怪我をしたりしたら、精鋭部隊からはずすぞってクレイグに言われていたもんな。
私だけ先にここを離れてしまうのだから、巫子として最後のお仕事をしておこう。
一方的な勝利の余韻に浸りながら物資を片付けている兵士たちに顔を見せて、
「みんなすごかったわね。怪我はない? ご苦労様。さすが日頃から訓練しているだけあるわね」
労りの言葉と一緒に誉め言葉をふんだんにばらまいた。
褒めるって大事よ。
大人になると出来て当たり前って思われて、特に仕事で褒められることってなかなかないじゃない?
「巫子様、お疲れ様です!」
「体調は大丈夫ですか」
「すっかり元気よ。お腹はペコペコだけど」
「はははは」
「勇ましいなあ」
弱っちい御令嬢が戦場になんて来やがってとは思われていないようね。
眷属たちが活躍してくれたし、一瞬だけど見えた青空のインパクトが大きかったみたいで、神獣様に早く元気になってもらいたいという言葉を多く聞けて良かった。
そして翌日。
「本当にもう行ってしまうのかい。もう少し一緒にいる時間がほしいのに」
ラングリッジ公爵領に向かったら、もうクロヴィーラ侯爵の屋敷に戻る気がないと知っているカルヴィンは、なかなか私を放してくれなかった。
「魔晶石の流通の仕事が出来たんだから、あなたが会いにくればいいじゃない」
「行くよ。きみが住む屋敷も用意しなくちゃいけないしね」
「それは必要ない。警護も考えればうちの屋敷に住むほうがいいはずだ」
みんながいるのにクレイグとカルヴィンで馬鹿な言い争いをしないで。
「レティシア、騎士団で訓練もするのなら移動する時間を睡眠に当てたほうがいいだろう?」
そんな情けない声を出しても無駄よ、クレイグ。
「いいや。いつでも帰れる自分の屋敷は必要なはずだ」
私はカルヴィンの意見に賛成なの。
私の屋敷っていい響きだわ。
「眷属の部屋も欲しいし、元気になったら神獣様も来れるように広い庭も欲しいの」
「いいとも。一緒に見に行こう」
「わー、ありがとうカルヴィン!!」
私が素直に喜んだからか、カルヴィンは満足そうでクレイグは不満そうな顔をしている。
どさくさに紛れてラングリッジ公爵家に取り込まれるのは嫌なのよ。
嫁に来いとはっきりと言われている以上、警戒しなくちゃ。
「そろそろ転移していいのか」
「転移する先は大丈夫なの?」
「クレイグと一度行って確認してきた」
サラスティアに怒られて、フルンは本気で驚いていた。
あのくらいなら私は大丈夫だと思っていたらしい。
それにフルンが怒られた時にはもう元気になっていたから、今でもサラスティアが大袈裟に騒いでいると思っている節がある。
人間は眷属と違ってデリケートなんだとしっかり教えないといけないわね。
「行くぞ」
サラスティアは神獣様の傍にいるために王都に残り、フルンとアシュリーが今回は私に同行する。
クロヴィーラ侯爵家からは、侍女のヘザーと料理人のクーパーが同行してくれることになった。
本当にありがたいわ。
共に国境で戦ったラングリッジ公爵の面々と転移して、自分のいる場所を確認する前に、盛大な歓声に包まれた。
「ようこそ! 巫子様!!」
「おかえりーーー!!」
「みんな無事かああ」
私さ、街から少し離れた街道とか、せめてラングリッジ公爵家の門の外に転移してって言ったよね?
なんで屋敷の庭のど真ん中に転移してるのさ!
「……これが……屋敷?」
なにこれ、リゾートホテルか何か?
正門があんな遠くに見える。
どれだけ敷地が広いの?
そしてどれだけ建物がでかいの?
「あ、母上だ」
開け放たれていた正面玄関からさっそうと出てきたのは、金色の髪の小柄な女性だった。
クレイグやデリラのナイトブルーの髪は父親譲りなのね。
でも瞳の色は母親譲りかな。
とても綺麗なコバルトグリーンの瞳がまっすぐに私を見ていた。




